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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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78 戦い -5-

「サラ」


 少年に視線を据えたまま、何も言うな、とサラをとどめる。

 ハルの厳しい口調にサラは息を飲み、その場に硬直する。ここで、サラが必ず止めに入るだろうことはわかっていたはずなのに、自分を傷つけた相手の顔が見てみたいなど、へたな好奇心など起こすべきではなかったと、少しばかりの後悔が頭をもたげる。だが、心のどこかで殺すには惜しいと思う気持ちもあったことは正直、否めない。


「だめ! その子を殺してはだめ!」


 声を振り絞るサラの声。

 その必死の叫びが耳をつく。

 何故、この少年をかばうのかと尋ねるのは愚問であろう。


「まだ子どもだわ! 私よりも小さい」


「小さくても、俺と同じ人殺しだ」


「そういう言い方はやめて!」


「事実だよ」


 辺りに横たわる無数の屍。

 大地を赤黒く染め、不快な血の臭気を漂わせて。

 彼らの命を奪ったのは自分。

 ためらいもなく殺した。

 命乞いをしてきた男も、戦意を喪失して逃げ出した者すらも容赦なく。


「だめ!」


 たまらず、サラは飛び出し少年を背にかばい両手を広げる。唇をきつく噛みしめ、強い瞳でこちらを見上げて。

 かばわれた少年が驚いて目を丸くしたことはいうまでもない。


「サラ、どういうつもり?」


「見てのとおりだわ」


「どうして?」


「どうしても何も」


「おとなしく待っていてと言ったはずだよ」


「おとなしくなんかしていられるわけがないでしょう! それに、ハルだって、怪我をしている。早く手当をしないと」


「俺の怪我はたいしたことではないよ」


「でも!」


「さあ、そこをどいて」


 それでもサラは頑なに首を振るばかり。

 決してその場から退こうとはしない。


「言うことを聞いてくれるね、サラ」


 ね? と、首を傾げてハルは口許に笑みを作る。

 言い聞かせるような優しい声音。けれど、その穏やかな声の響きの影には、有無を言わせぬものがあった。

 お願いをしているのではない、強制だ。

 従わないのなら、たとえサラでも許さない。言うことをきかないのなら、こちらも手段は選ばないと。

 口調も態度もいつものハルと違うと、サラとて察しているはず。

 だが……。


「ハルがその剣をおさめてくれない限りどかないわ。絶対に!」


 絶対に、を強調してサラは言い放つ。

 ハルはまなじりを細めた。

 こうなってしまったらサラも強情だ。何を言っても、この場から退こうとはしないだろう。

 自分があきらめるか、あるいは、サラを強引に退かせるか。

 選択は二つ。

 どちらを選ぶかなど迷うまでもない。


「ねえ、お姉さん」


 不意に、後ろの少年に呼びかけれサラは何? と、表情を険しくさせ振り返る。

 とはいえ、相手は異国語。サラに少年の言葉は通じない。


「もしかしてお姉さん、俺のことかばってくれているの? どうして、俺なんかを?」


 もしかしなくても、この状況をみればあきらかだ。けれど、サラからみれば自分は敵。その敵である自分をかばおうとするなど、少年にはサラの行動が理解できなかった。


「何を言ってるのか全然わからないけど、あなたは黙っていて! 絶対にあなたのこと殺させはしないから!」


 当然ながら、少年もサラが何を言い返してきたのかわからず途方に暮れる。

 サラの視線が再びハルを射る。

 流れる空気は否応なしにぴりぴりと張りつめ、サラの背後にいる少年は身を切り裂くような緊張感に息を殺し、ハルとサラ、二人を交互に見やる。


「そいつは殺さなければならない」


「敵だから? でも、この子にはもう戦う意思はない。それはハルだってわかるでしょう?」


 そうではないのだ。

 その子どもを生かせば、自分もそしてサラにも、この先の未来に影を落とすことになる。


「なら、今度こそサラに眠ってもらわなければならないよ。いいね」


「さっきはあきらめたって言ったわ」


「サラがあまりにも聞きわけがないから」


「いやよ!」


「いやならそこをどいて」


「それもいや!」


 ただひたすらサラはいや、と首を振るだけ。


「そう」


 低い声を落とすハルの顔からすっと笑みが消えた。


「しかたがないね」


 言って、ハルは親指を口許に持っていき、舌先でちろりと舐めた。

 ハルのその仕草に、少年は訝しんでぴくりと眉を動かす。そして、はっとなる。


「お姉さん、だめだ……その人今、口に……」


 何かを言いかけようとする少年を、ハルは黙れと目で制する。その厳しい眼差しに少年はひっと喉の奥で悲鳴を飲み込む。


「お願い、ハル」


「サラのお願いでも、それだけはきけない」


「どうして!」


「そいつは敵だ」


「そんなこと知ってるわ。ファルクに雇われてハルを殺そうとしたのでしょう? でも、この子をかばうのはハルのためよ!」


 俺のため? とハルは眉根を寄せる。


「ハルだって本当はこの子を手にかけたくないはず。そうよね?」


「もし、そう思っているのなら、サラはまだ俺のことをわかっていない」


「いいえ! その証拠にこの子を殺すのをためらったわ」


 ためらったのとは少し違う。が、痛いところをついてくる。


「お願い、見逃してあげて。それに、私……」


 ハルがこんな小さな子を殺すところは見たくはないの、と呟くサラの最後の言葉はほとんど声にはならなかった。


「そうだね。俺が年端もいかない子を手にかけるところなど、見たくないよね。俺も本当はサラにそんな残酷な場面は見せたくない」


 ハルが一歩足を踏み出した。

 サラは後ずさりかけ、いいえ、と首を振って踏みとどまる。ここで動くわけにはいかないと。

 ハルの左手がサラの頬に触れようと伸びる。けれど、その手が己の流す血で汚れていることに気づきすぐにひいた。かわりに、サラのあごに右手に握った剣の柄頭を添え、くいっと持ち上げる。

 怒ったようにサラは眉をしかめ、ハルを睨みつけた。


「そんな目をして脅しても少しも怖くないから! 怖くなどないわ! それに、私を気絶させようとしても……いいえ! そんなことをしたらハルのこと、私……許さ……っ!」


 はっ、と短い息をもらし、サラの声が途中で途切れる。

 何故なら、ハルの剣がサラの足元の地面を突き刺したからだ。

 サラの言葉を遮り、黙らせるように。


「許さなくていい」


 これ以上の反抗はさせまいと、ハルは厳しく目を細めサラを見下ろす。

 あごを持ち上げ、首筋を仰け反らせた状態でサラは目を瞠らせた。

 喉がこくりと動く。

 足元に突き立てられた抜き身の剣を恐れて、少しも動くことができず、その顔は青ざめていた。

 剣の柄から手を離し、おとなしくなってしまったサラの頬に触れようと、ハルは手を伸ばす。瞬間、サラはびくりと肩を跳ね上げた。


「俺が怖い? 触れられるのは、いや?」


 サラは怖くない、いやではないと、小さく首を横に振る。けれど、その反応は弱々しい。

 

「逃げなくていいの? 逃げてもいいよ」


 ハルは意地悪く口許に笑みをさす。

 逃げれば当然、この場を退くことになる。だが、逃げなければこのままハルに眠らされてしまう。どちらを選んでも、ハルの思わく通りとなる。サラの望む通りには決してならない。


「どうして……」


「ひどいと俺をなじる?」


「……この子を助けてあげて」


「あきらめて」


「どうしても……だめなの? お願い……」


 ハルは答えなかった。

 無言の答え、それは何を言っても無駄だよと意味。

 サラはきゅっと下唇を噛んでドレスの裾を握りしめ、うつむいてしまった。


「泣いているの?」


「違うわ。泣いてない。悔しいの」


「悔しい?」


「ハルを説得することができない自分が……すごく悔しい……」


 うつむいたまま、サラは細い肩を震わせる。

 ハルの藍色の瞳にちらりと、切ない色が揺らぐ。

 伸ばした指先でサラのあごをすくい上向かせる。不安に揺れるサラの瞳を間近にのぞきこみ、顔を傾け震える唇に唇を近づけていく。


「な、何……?」


 訝しみながらも、サラは拒絶しようとはしない。否、拒ませないと目でサラを縛りつける。


「そんなに怯えないで。苦しいことも、痛いこともしないよ。だけど……本当は、こんなことだけはしたくなかった」


 目覚めたとき、サラは激しく怒るだろう。

 何故こんなことをしたのかと俺を責めるはず。いや、そのときにはもう、自分はサラの側にはいない。別れを告げることもなく、サラの元を去っていくことになるのだから。

 二度と会うこともない。

 サラとの最後の別れに、こんな後味の悪いわだかまりを残す羽目になろうとは。そして、最後の口づけがもっとも苦いものとなってしまうとは。


「ハル……何をするの。ねえ……いや、やめて……」


「動かないで」


 こんなところで。

 こんな状況で。

 どうして。

 何を考えているの?

 ハルのことがわからない。


 サラの目がそう訴えかけてくる。


「おやすみ、サラ」


 まぶたを閉ざす寸前、目に映ったのは悲しそうなサラの表情。

 言葉を交わすのもこれで最後となる。そう思った途端、苦しいほどに胸が痛んだ。

 互いの唇が重なろうとしたその時。


「だ、だめだ……だめだ!」


 突然の少年の声に、サラはえ? と我に返る。


「お姉さん、その人から離れて! その人、さっき口に何か含んだ。親指を舐めたとき。たぶん薬、薬でお姉さんのことを眠らせようとしてるんだ! って、くそっ!」


 サラにアイザカーン語は通じないと思った少年はもどかしい、とばかりにこぶしを地に叩きつける。


「何て言って伝えればいいんだよ! どうすれば……!」


 しかし、すぐに少年ははっとなって顔を上げ、知っているアルガリタ語で一言。


「どくだ!」


 と、叫ぶ。


「毒?」


 サラは咄嗟に身をひいた。両腕を前に突き出してハルの身体を遠ざける。

 少年は毒と叫んだが、ハルがそんなものを自分に飲ませるはずがない。サラは自分が何を飲まされそうになったか、すぐに感づいたようだ。

 どうして……と、咎める目、瞳の奥に揺らぐ悲しげな影。


「眠り薬を飲ませようとするなんて! だから、私にキスをしようと……」


小さなこぶしを何度もぶつけてくるサラの頭を、右手で抱え胸に引き寄せた。腕の中で小刻みに震えるサラのこめかみにハルは口づけを落とす。そして、ゆっくりと視線を上げ、サラの頭ごし、半眼で目の前に座り込んでいる少年を見据える。

 少年の邪魔がなければ、確実にサラを眠らせていた。即効性のある薬だ。十も数え終わらないうちに、深い眠りの底へと堕ちていっただろう。


 余計なことをしてくれたな。


 サラの前では見せることのなかった、ハルの冷ややかな双眸に、少年は表情を凍らせる。 ハルの身体から放たれる凄烈な気に怯え、必死で歯を食いしばって耐える。それでも、噛みしめた歯から震える息がもれた。

 やがて、胸を打ちつけていたサラの手が、ぎゅっと服をつかんでしがみついてくる。


「ハルのばか……」


 いっそうのこと、サラを殺して自分も死んでしまおうか。そうすれば、離ればなれになる辛さを味わうこともないと、そんな負の感情さえちらりと脳裏を過ぎった。

 腕の中でいやいや、としきりに首を振るサラの頭を優しくなでる。

 ごめん、と言いたいのに、口にすることはできなかった。言ってしまったらサラの願いを受け入れてしまうことになる。

 そっと、サラの手がリボンの巻かれた右手に触れてきた。


「すべてが終わったら、ハルの手から返してくれると約束したわ」


 目の縁に大粒の涙をため、勢いよくサラが顔を上げた。


「なのに、こんなことをするハルなんて……」


 サラの泣きそうな顔に心が痛んだ。


「嫌いよ。ハルなんて嫌い!」


 ハルは静かにまぶたを伏せる。

 嫌いよ、と叫ぶサラの声が耳に反響する。

 胸が抉られた。

 あきらかに、動揺している自分に戸惑いを覚える。

 そもそも、今夜限りでサラと別れを告げるつもりだった。だから、むしろ嫌ってくれてもかまわない、その方がよかったと思っていたはずだったのに。

 なのに、心が痛くて胸が苦しい。

 サラを抱きしめる手が震えた。

 ただ嫌いと言ったサラの一言に、何もかも覆されてしまった。

 どんな説得も、必死のお願いも必要なかった。

 ハルは小さくため息をこぼす。


 どうやら俺は自分が思っている以上に、サラには甘いようだ。

 今までどんな非情なこともしてきたのに、サラにだけはそれができない。

 サラには本当にかなわないね。


 少年の叫びにサラは救われた。

 いや、違う。

 救われたのは、もしかしたら自分だったのかもしれない。

 頑なになっていた。それが、最善なのだと意固地になっていた。気持ちに余裕がなかったことも認める。

 最悪の未来ばかりを考えて恐れ、目の前の大切でかけがえのないものを手放してしまうところであった。そうなれば、絶対に後悔するとわかっていたはずなのに。けれど、そのことに気づくのはもう少し後、すべてが終わってからのこと。


 苦い薬の味が、ゆっくりと舌先に溶けて広がっていく。

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