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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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77 戦い -4-

 子ども……。


 飛び込んできたその人影は、自分の胸のあたりまでしか背丈がなく、ずいぶんと小さい。だが、子どもとはいえ暗殺者。敵であることにかわりはない。刃を向けてくるのならたとえ子どもでも容赦はしない。

 右にくると見せかけて左からの攻撃を、ハルは相手の動きを読んで身体を傾けひらりとかわす。敵の剣が空振り虚空を切る。前のめりになりかけつつも、すぐに体勢を立て直し身がまえる。

 素早い動きだ。

 悪くはない。


「くそ!」


 敵の口からもれる悔しげな声。

 その声はまだ声変わりする前のものであった。


「やられてたまるか!」


 勇ましいその言葉は、己を奮い立たせるためか、あるいは自棄となったためか。あきらめたら死。生へと繋げるために振るう剣とその目は、大人たち以上に必死で真に迫るものがあった。

 間を置かず、一歩踏み込んで低い体勢から振り上げてくる剣。

 刹那、左腕に走った鋭い痛みにハルは眉根を寄せる。不覚にも敵の攻撃を懐に飛び込ませてしまった。相手が子どもであったことに驚いたのは事実だが、決して油断したわけでも侮ったつもりもない。

 辺りに響く剣と剣がぶつかりあう音。次の瞬間、敵の武器が空を舞い地面に落ちる。


「……っ!」


 すかさず手を伸ばし拾いあげようとするその剣を足で払って遠ざける。落とした武器をあきらめ、相手は咄嗟に後方へと退こうとする。そこへ、すかさず足払いを食らわせた。均衡を崩して背中から倒れるが、身体のばねを使って素早い身のこなしで飛び起きる敵のみぞおちに容赦のない蹴りを放つ。

 相手の身体が数歩先に飛ぶ。

 蹴られた箇所を手で押さえ身体を折って喘ぐその喉元に、ハルはぴたりと剣の切っ先を突きつけた。

 はらりと口許をおおっていた布が落ち、敵の素顔があらわになる。現れた人物の顔は思っていた以上にまだ幼い。

 ハルは目を細める。

 おそらく、十を過ぎたばかり。よもや、こんな小さな子どもがと、眉をひそめたが、思えば自分もこのくらいの年齢よりも前には、すでに暗殺の仕事をしていた。

 武器を手放し、剣を喉元に突きつけられ、為すすべもなく少年は目を見開く。

 肩を激しく上下させ、唇から荒い息がもれる。苦しそうに片目をすがめるその顔は青ざめ、すっかりと血の気を失っている。

 少しでも動けば容赦はしないというハルの威圧的な態度に萎縮して、それ以上攻撃をしかけてくることはなかった。

 少年は唇を震わせた。


「ど……」


 こちらを見上げたまま、少年はくしゃりと泣きそうに顔を歪めた。当然、助けてと懇願してくると思ったが、少年の口から出た言葉は予想外のものであった。


「どうして……どうして、他のやつらと同じように、ひと思いに殺してくれなかったんだよ!」


 こらえきれず、こぼれ落ちた涙が少年の頬を濡らす。

 突きつけられた剣のせいで、涙を拭うこともできず、ただ悔しげに奥歯を噛みしめていた。


「あんたから逃げられるとは思ってなかったし、たとえ、運良く逃げ出すことができたとしても、俺だけひとり生き残って、のこのこ組織に帰ったところで、どうせ殺されるだけだ。だから、勇気を出して……死ぬ覚悟であんたに斬りかかったんだ。なのに……」


 涙を流しながら少年は恨みがましい目で見上げてくる。


「何で俺を殺さない! 何でだよ……何か言えよ。何でずっと黙ってんだよ! 俺の言葉がわからないのか? 言っておくけど、俺だってレザンの言葉なんか知らないからな。知るわけないだろ。ばか!」


 威勢よくばか、と吐き捨て少年は肩を震わせ目を伏せる。


「今回の仕事は、貴族が乗っている馬車を襲う振りをするだけだって、それを聞いて、殺しはないんだって、俺、少しほっとしてたんだ。なのに、こんなことになるなんて……最悪だよ」


 確かに、少年にとって、いや、少年に限らずアイザカーンの暗殺者にとって、思いもよらぬ最悪のものとなってしまった。貴族の馬車を襲う振りだけだったはずが、よもや、レザンの暗殺者だった者と剣を交える羽目になろうとは。

 不意に少年はあっ、と声をもらした。

 落ちた少年の視線の先、ハルの足元に血が垂れ落ちる。視線を上げた少年の目がハルの左手に向けられた。


「血……?」


 ハルの指先から血の滴がぽたりと落ち地面を赤く濡らした。血が流れる元をたどると、左腕にレザンの暗殺者である証の花の入れ墨が裂かれていた。少年にやられた傷だ。


「ハル! 血が……」


 サラが悲鳴を上げた。

 じくりと灼けるような痛み。

 流れていく生暖かい血の感触。

 傷は浅くたいしたものではない。


「その傷……俺なのか?」


「そうだ」


「俺があんたを?」


「どんな奴か、顔を見てみたくなった」


 自分を傷つけた相手に興味を持った。

 それ故、ひと思いに殺すことはしなかった。

 ハルの流暢なアイザカーン語に、少年は言葉が通じることにほんの少しほっとして息をもらす。だが、少年にとっての最悪な事態は少しも変わったわけではない。

 いまだハルに剣を突きつけられたまま。その剣がいつ振りおろされるかもわからない恐怖に怯え続けなければならないのだ。


「何だよそれ。顔を見てみたくなったって、それだけの理由で? そんなのないよ……あんまりだよ……あんた性格すごく悪い! よく言われるだろ? 大っ嫌いだ!」


 嫌いも何も、敵なのだということをわかっているのか。


「惜しいな」


「惜しい?」


 少年は泣きながらかすれた笑いをもらす。


「あんたに傷を負わせることができたのは、ただの偶然だよ。だから、惜しくも何でもないよ。最初にあんたの姿を見たときから絶対に勝てる相手ではないと思った。隙をついて斬りかかろうと何度も思ったけど、隙なんてまったくなかったし……それ以上に、足がすくんで飛び出すことができなかった。そうこうするうちに仲間たちが次々と殺されて……ほんとに、死ぬ思いであんたに斬りかかったんだ」


「そういう意味で言ったのではない」


「違うの?」


 きょとんとして首を傾げる仕草はあどけない。年相応の、どこにでもいる普通の子どもの仕草であった。


「じゃあ、何だよ。どういう意味だよ」


「まだまだおまえは強くなれると思ったからだ」


 だから、ここで殺してしまうのは惜しいと。


「俺が強く?」


 少年は驚いたように目を丸くする。


「今よりも、もっと?」


 ハルはうなずいた。


「それ、本心で言ってるの?」


「嘘をつく理由はない」


「へへ……そんなこと言われたの初めてだよ。それも、あんたに言ってもらえるなんて。だって俺、組織のみんなからおまえは弱い使えない、だめな奴だって言われ続けてきたんだぜ」


 本当だ。

 剣すじも身のこなしも悪くはない。何より、この自分に傷を負わせることができたのだ。間違いなく、剣を教え込めばこの少年はさらに強く成長する。


「でも、俺のこと、殺すんだろ?」


「そうだな」


 殺されるのにそんなこと言われても、慰めにもならないよ、と弱々しい声で少年は呟く。


「なあ、ひとつ聞いてもいいか?」


「何だ?」


「あんた本当にレザンの暗殺者、なのか?」


「組織から抜けたから、元だ」


 ためらうことなく、ハルは少年に真実を伝える。

 どうせ殺すのだ。

 正体を明かしたところで何も問題はない。


「そっか……元でもやっぱりそうだったんだ」


 と、少年は声を落とす。


「俺、こんなに強い人、初めて見たよ。俺がいた組織にだってあんたみたいに強い奴はいなかった。だって、たったわずかな時間でこれだけの大人をあっさりやってしまうんだからね……それに、レザンの暗殺者は見た目もいいっていう噂も本当なんだね」


 少年はあきらめたように肩の力を抜きうつむく。


「別に思い残すことなんて何にもないし、好きでこんなことしてたわけじゃない……だから、もういいよ。殺せよ。早く殺せ!」


 覚悟を決め、少年は握りしめた手を膝に置き堅く目をつむる。

 その手は震えていた。

 哀れだと思う気持ちもある。けれど、生かすわけにはいかない。

 生かしてこの少年が自分のことを誰かに話してしまったら、それがレザンの組織の耳に入ってしまえば、あるいは、この事件を知った組織が、この場にただひとり生き残った少年の存在に気づき、捕らえ問いつめたら。

 不安要素となるべきものはすべて断ち切らなければならない。

 迷いはない。

 今までもそうしてきた。

 少年の喉元から剣先を離す。

 少年はびくりと肩を跳ね、肩をすぼめた。


「頼むからひとおもいに……」


 そこへ──


 視界の端にサラが身じろいだのが映った。

 やはり……と、ハルは苦い笑いを口許に刻む。

 敵とはいえ、相手はまだ子ども。

 この状況を目の当たりにして、サラが黙っているはずがなかった。

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