76 戦い -3-
サラの涙に心を乱され、胸を穿つような痛みと戸惑いを振り切り、再び、暗殺者たちをかえりみるハルの目は凄絶であった。サラのために、早くこの戦いに終止符を打とうという気迫が伝わったのか、暗殺者たちの間に緊張が走る。
たちこめる静寂に一陣の風が吹く。
通り過ぎる風がさっと頬をなでていく。
沈黙を打破したのは相手の方。
敵のひとりが剣を横にかまえ、正面から走り込んでくる。凄まじい勢いだ。しかし、彼らとてすでに気づいているはず。
戦ったところで、かなう相手ではない。本気で立ち向かっても勝機はない、と。しかし、ここで引くわけにはいかない。受けた依頼を放棄し、敵に背を向け逃げ出すわけにはいかない。
捨て身の攻撃だ。だが、命を捨てる覚悟で向かってくるが故のその攻撃は、思いのほか重く鋭い。
切り込んでくる敵の一撃をハルは剣で受け止める。相手の唇から苛立ちをにじませた呻き声がもれるのを聞く。がちりと噛み合った刃ごし、敵の顔を間近に仰ぐ。凄まじい形相だ。それだけ敵も必死なのだろう。
交えた刃を押し合い、互いに相手の剣の間合いから逃れるよう後方へと跳ぶ。敵の足元がよろめく。その隙を狙い相手に体制を整える暇すら与えず、すかさず敵の急所を払い、さらに横から斬りかかってきた別の相手を剣をひるがえして斬る。
息をつく間もなく、もうひとりの敵。
隙をつき、こちらの動きを読んで攻撃を仕掛けてくるものの、それらすべてをことごとくいなされ、封じられ、思うようにならないと、敵の顔に焦りがつのる。そして、その焦りが敵の振るう剣にも如実にあらわれている。意のままにならないもどかしさと悔しさに、歪められた敵の顔に憎悪が滲む。
風の如き速さでハルは剣を操る。それはまさに、夜の闇を舞う黒い風。
鋭い攻撃で敵を追いつめ、振るう俊速の剣筋には一寸の乱れも揺らぎもない。繰り出すハルの一方的な攻撃をかろうじて交わし、受け止めることが精一杯で攻撃を仕掛ける余裕などないという様子だ。
ハルは敵の脇へと素早く回り込み剣を斜めに振り上げた。
苦渋の声をもらし、倒れる敵をハルは感慨のない目で見下ろす。
ファルクを含め、アイザカーンの暗殺者たちにとって大きな誤算であった。
素早さ力技、技量、すべてにおいて、ハルのそれは暗殺者たちをはるかに凌駕していた。
自分たちは勝つと信じて疑わなかった自信も何もかも、見事に砕かれてしまった。
たったひとりの少年によってあっけなく。
「な、何てやつだ……」
ここで、初めて暗殺者のひとりが声を発した。そして、彼らをさらなる恐怖の底へと突き落とし、戦意を喪失させる決定的な瞬間。
その時、ハルの左腕に巻かれていた布が緩んで解けた。するりと腕からすべり落ちた布は風にさらわれ、夜の空へと舞い上がっていく。あらわになった上腕部に刻まれた花の入れ墨を見るアイザカーンの暗殺者たちの表情に浮かぶのは、まさかという驚愕。
「聞いたことが、ある……」
ハルの入れ墨を凝視したままその男はかすれた声をもらす。
同じ闇の世界で生きる者なら、この入れ墨の意味を知る者もいるはず。
アイザカーンの暗殺者たちは、自分たちが何者と剣を交え戦っていたのかこの時、ようやく知ることになる。
最初から、彼らに勝ち目などなかった。
極限の恐怖に追いつめられ、明らかに残った三人の敵の顔に絶望が広がる。その絶望が死という言葉を脳裏に刻ませ、その刻まれた思いがさらなる恐怖を呼ぶ。
「北の大陸レザン・パリューに存在する……暗殺組織。レザンの暗殺者は身体のどこかに花の入れ墨を入れていると……おまえが、そうなのか……おまえはレザンの……」
ならば、その化け物じみた常識外れの強さも納得できると。
「だが、しかし何故それを……」
それをと言って、男は息ひとつ乱さずに立つハルの左腕の入れ墨に再び視線をやる。
「隠していた……」
その入れ墨を目にしていたのなら、最初から戦ったりはしなかったと、なじるような目だ。
最強ともいわれるレザンの暗殺者。
しかし、彼らの目の前に立つ人物は──
月華にことさら映える端整な顔貌。見る者を捕らえ引き込む深い藍色の瞳。しなやかな細身の身体。殺しなど無縁と思われる妖艶な姿。だが、暗殺者たちの目の前に現れた少年は、この世でもっとも危険な……危険すぎる存在であった。
ハルはうっすらと口許に笑みを浮かべるだけ。その笑みすら艶やかで、この場にそぐわない色香さえ感じさせた。
レザンの暗殺者かと問いかける相手にハルは肯定も否定もしない。腕の入れ墨を隠していたのは、すでに組織から抜けた身であり、組織から負われている立場だから。だが、そのこともいっさい口にしない。
語る必要はない。
武器をかまえたままではあるが、もはや暗殺者たちに戦う意志はなく、その証拠に彼らは目の前の殺戮者を刺激しないよう、ゆっくりと静かに、一歩、二歩と後ずさる。
「敵を死に誘う黒い疾風……」
そこへ、馬車にしがみついていたファルクがぽつりと呟いた。ファルクの屋敷から去る間際、ハルが残していった言葉だ。おそらく何とはなしに呟いたのであろう。しかし、それを耳にした暗殺者たちは揃って引きつった笑いをこぼす。
「まさか〝漆黒の疾風〟……」
「レザンの漆黒の疾風だと!」
「じ、冗談じゃない! レザンの暗殺者が相手だと俺たちは聞いてない! それも! 二つ名を持つ暗殺者など……」
「二つ名? 漆黒のかぜ?」
ファルクは何だそれは? と訝しむように問い返す。
間抜けた顔だ。
闇の世界では知られたその異名だが、それをファルクが知らないのは当然のこと。
「レザンの暗殺者の中でも最上級だ! 容易く動かせる相手ではない! その二つ名を持つ者が現れるなど……こいつにかなうわけがない。俺たちが何人、いや、何十人かかっても勝てる相手ではなかった! むしろ、レザンの暗殺組織とかかわったとなったら、俺たちの組織まで危うくなる。いや、そもそも何故だ……何故レザンの暗殺者がここにいる! 誰がこいつを雇った!」
咄嗟に、アイザカーンの暗殺者たちの目が責めるようにファルクを射る。しかし、ファルクは違う、知らない、私ではない、としきりに首を振るばかり。それどころか、この状況をいまだ理解できていないらしい。レザンの暗殺者と聞いても、何のことだかさっぱりわからないと、ぽかんと惚けたように口を開けたまま。
さらに、暗殺者は木の茂みにぺたりと座り込む少女に凄まじい視線を放つ。
「おまえ、か……」
サラは息を止め、たどたどしいアルガリタ語で問いかけてきた暗殺者を見つめ返す。
サラの無言を肯定とその暗殺者たちはとらえたようだ。
「おまえ、だったのか……」
男は複雑な表情を浮かべる。
しかし、雇ったというわけではないことは、先ほどの二人の様子を見れば察することができた。それに、いくら大貴族の令嬢とはいえ、たかが十五、六の小娘がレザンの暗殺者を雇えるはずがない。彼らを動かすにはとんでもない金を必要とする。それも、二つ名を持つ暗殺者なら、なおさら。
二人は依頼者と依頼を受けた者という関係ではない。
おろらく、恋人同士。
由緒ある貴族の令嬢と暗殺者の恋……。
あり得ない。
「おまえ……正気か?」
「……」
「まさか、何も知らないわけではないだろう? レザンの暗殺者を側に置いてこれ以上心強いものはない。そいつなら、どんな危険からもおまえの身を守り抜いてくれる。そう、今夜のようにな! だが……おまえはそれ以上に、この男の背後に存在する強大で恐ろしいものを背負ってしまったことになる。この先、平穏な人生など望めないぞ。わかっているのか?」
サラは男から視線を外し静かに目を伏せた。
男の言葉はアイザカーン語だ。当然、サラにはわからない。けれど、男が自分に何を伝えようとしているのかは、何となくではあるが理解することができた。
「俺はこの件から手をひく」
「何だと!」
と、叫んだのはファルクだ。
「レザンの暗殺者が相手だとわかっていながら戦えるか!」
「お、俺も……ひかせてもらう!」
受けた依頼を放棄するなどあってはならないこと。だが、レザンの暗殺組織がかかわっているとなると話はまったく別だ。事実、二十人もいた暗殺者の半数以上が、たったわずかな時間で殺されてしまったのだ。
二人の暗殺者が突然身をひるがえした。
「ま、待て……!」
「おまえらどこへ行く。私の依頼はどうした! すでに金は払っているのだぞ。契約違反だ!」
残ったもうひとりの暗殺者とファルクが同時に叫ぶ。しかし、逃げ去った彼らはこちらを振り返ることはなかった。
ハルは静かに笑い、馬車の側、倒した敵が所持していた弓と二本の矢を拾い手に取る。
逃げられると思うか。
レザンの暗殺者は狙った標的は絶対に逃さない。
確実に仕留める。
たとえ何があっても。
一本の矢を口にくわえ、残りの一本を弓につがえた。そうして凄まじい勢いで走り去っていく敵に狙いを定め目を細めた。
最初の一矢が凄まじい勢いで夜の虚空へと放たれていく。さらに、続けて残りの一本を解き放った時、弓の弦が弾け切れた。逃げていく二人の男たちが地面に倒れるのを確認すると、逃げ出すことができずこの場に残された暗殺者の男を静かな眼差しで見下ろす。
「他に……他に生きている者は……いないのかっ!」
腰を抜かしてへたりこむその暗殺者は、せわしなく目を動かし辺りを見渡す。男の目に映ったのは地に転がる同胞の無残な屍。男は自分の側でうつぶせで横たわっている仲間の身体に怖々と触れ、揺さぶってみせる。
「おい……」
倒れた仲間の腹から、じわりとにじみ大地を染める赤い血溜まり。
呼びかけるが返事をすることはなかった。
生き残っている者は誰もいない。
「たす……助けて……」
手にした弓を放り投げ、再び剣を拾うと、顔色を失い怯えるその男に一歩一歩近づいていく。ハルが足を踏み出すごとに、男は腰を抜かし尻をついた状態で距離をとろうと後ろへさがる。
「ま、待ってくれ! 話を聞いてくれ! まさか、レザンの暗殺者がかかわっていたとは知らなかったんだ……ほんとう、だ。おまえ、言葉わかるか? 俺、レザン、言葉、喋ることできない……」
必死で訴える男だが、ハルがアイザカーン語を理解することができないと思ったのだろう。はっと気づいて途中からたどたどしいアルガリタの言葉に切りかえる。けれど結局、必死で自分の言葉を伝えようとするがため、自国語に戻ってしまった。
「知っていたら……おまえに剣を向けることはしなかった。いや、そもそもこんな依頼など組織は受けなかったはず。頼む。おまえのことは誰にも口外はしない。俺は口が堅いんだ。本当だ。約束する。だから、命だけは……」
男の懇願はそこで途切れた。
閃いたハルの剣が暗殺者の命乞いを、その命ごと容赦なくはねつけた。
何故だといわんばかりに大きく目を見開き、男はその場に倒れる。ぴくりと男の手足が数回痙攣して……そしてやがて、その身体は動かなくなった。
「何てことだ……雇った暗殺者が全員……」
殺されてしまったと、声にならない声で呟き、ファルクは馬車に背をつきずるずると足元を崩して座り込む。
ファルクにとっては思いもよらぬ結末であっただろう。
取り戻す夜の静寂に落ちた沈黙。
何もかも、すべてが終わったかのように思われた。
「ハル……これで……」
終わりなの? と、震える声音で問いかけてくるサラに、ハルは否と首を振る。
終わりではない。
誰ひとり逃がさない、この場から生きて帰さない、すべてこの手で始末すると、倒した敵の数は数えてきた。斬った相手を悪戯に数えて自慢にするわけではない。サラや自分に降りかかるであろう後の憂いを断ち切るためだ。
先ほどの男で、倒したアイザカーンの暗殺者たちの数は十九人。
まだ、ひとりいる。
姿は見えない。が、気配は感じる。
戦いが始まってからずっと、その人物は木の陰に身をひそませ、必死で気配を絶ち、息を殺し、この状況を見続けていた。隙をついて斬りかかるつもりであったのだろう。けれど、立ち向かう意気を挫かれ、とうとう最後の最後まで姿を現すことができず、生き残ってしまった。
すでにその者の殺気も戦意も感じられない。
しんとした空気から伝わってくる震える息づかい。
怯え。
恐怖。
最後のひとりとなってしまった今、その者は何を考えているのか。
先ほどの暗殺者のようにみっともなく、命乞いをしてくるだろうか。だが、たとえ、武器を捨て地にひたいをこすりつけて助けを求めても、生かすつもりはない。おそらく、その人物も、己の迎える結末がどうなるか、覚悟はしているはずだ。
助かりたいと願うのなら方法はただひとつ。
この俺を倒せばいい。
だが、それは無理なことだとわかっているが故にあまりにも酷な話だ。
ハルはゆっくりと斜め後ろ、その人物がひそんでいるであろう木の茂みを振り返る。
ひっ、と小さな悲鳴をもらす声と、かさりと木の葉が擦れ合う音。
間違いなく最後のひとりはそこにいる。
哀れなほどに怯えながら。
それでも、もはや逃げられないと決意を固めたのだろう。
「う、うあーっ!」
ハルが視線を向けた茂みから、その人影が勢いよく飛び出してきた。
叫びを上げるその声は、まだ子どもの声であった。




