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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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75 戦い -2-

 二人の敵が左右から同時に。彼らとて訓練された暗殺者。動きは速く隙はない。ただの賊とはわけが違う。左手、頭上高く振り上げる敵の鋭い得物の咆吼を鞘で受け止め、さらに、右から落ちる攻撃を数撃、刃で打ち交わして相手を翻弄させ、斬る。さらに、左側の敵を力技で押し返してねじ伏せ、よろめいた相手の首の根を狙って剣を薙ぐ。

 そこへ、背後に敵の気配。

 足音を殺し、殺気を消して。

 振り上げられた敵の刃が間近。が、相手の剣がハルに届くことはなかった。

 目を細め、首を傾げて背後の敵を振り返ったハルの口許、口角がゆるりと上がり薄い笑みが刻まれる。

 残念だったな、とでも言いたげな嘲笑と揶揄する眼差しに、背後にいた男は剣を振り上げた状態で目を見開き、その場に硬直するだけ。何故なら、ハルの左手に持った鞘の先が背後の敵の喉を突いたからだ。喉を潰され口許を覆う布の下から低い呻き声がもれる。と、同時にハルは剣を閃かせ敵の命を絶つ。倒れた敵の手から剣が離れ地面に落ちる。ハルは左手の鞘を手放し、敵の手から落ちた剣を器用につま先で蹴り上げ、鞘と入れかわりに左手におさめる。


 十人──


 新たな得物を手に馴染ませるよう数回振って、二本の剣を手にかまえて立つ。


「二刀だと……」


 ファルクは呻き声をもらし、ぎりぎりと歯を鳴らした。

 先ほどまでの余裕の態度は薄れ、その顔にじわりと焦りがにじむ。目の前で己の雇った暗殺者たちが次々と倒されていくのだ。それも、剣を揮うには頼りなさそうな、女のように細腰の、たったひとりの少年に。よもや、相手がこれほどの強者だとは思っていなかったようだ。

 ハルが暗殺者二十人を、ひとり残らず始末すると言ったのは、虚勢ではなかった。

 ファルクは腕を組んだ状態で右手を口許に持っていき、苦い顔で親指の腹をきつく噛む。


「いや、まだだ」


 まだこちらの手勢はじゅうぶん。そのうち、体力もつき息を乱して果てるだろうとファルクは思い直す。が、それは甘い考えであったと思い知ることになる。

 相手を侮っていた。

 それ以上に、相手の心の奥深くに眠っていた危険な本性を呼び覚ましてしまった。自分の手に負える相手ではなかった……と、気づいて後悔するのはもう少し後のこと。

 さらに襲いかかる敵の凶刃を交わす。耳元で空を斬る剣の音。両の手に握った剣を巧みに操り、休みなく立て続けに敵を攻め、反撃を許すことも与えず、最後に相手の息の根を止める。足元に倒れた敵には目もくれず、新たな敵を伐つため身をひるがえす。と、今度はあからさまな苛立ちと怒りをにじませた攻撃が放たれる。布で顔をおおい、相手の表情はわからない。けれど、敵意を剥き出しにしたその目は怒りで血走っていた。力任せに打ち込んでくる攻撃をうっとうしいとばかりに、相手の剣を手首ごと刎ね、返す刃で風を切り敵を裂くと、すぐさま後方へと飛んで退く。

 目の前で、吹き上がる血飛沫がぱたぱたと音をたて雨粒のように降り落ちる。

 大地に赤い血の溜を作って。

 敵の返り血を浴びた姿で、サラの前に立つわけにはいかない。

 血で穢れた手で、サラを抱きしめることなどできない。

 サラを汚すわけにはいかない。

 その時であった。


「ハル! 後ろ!」


 いったん、動きを止めたハルの耳にサラの悲痛な叫び声が入った。咄嗟にサラをかえり見てその視線の先をたどると、馬車の側で弓を持つひとりの敵の姿。

 矢が放たれた。


「ハル!」


 続けて自分の名を呼ぶサラの声。

 暗闇を切り裂き、一直線に向かってくる矢を一撃で剣で叩き伏せる。

 真っ二つに折れた矢が地に突き刺さった。

 あらたに弓をかまえこちらへ狙いを定める敵に向かって迷うことなく走る。正確に狙いを定めることができず、数に任せて放ってくる矢を二本の剣ではじきとばし、その敵目がけて、左手に持った剣を投げ放つ。勢いよく回転しながら剣は敵の頭部を狙う。が、すんでのところで交わされてしまう。しかし、それも計算のうち。敵の驚く顔が間近。相手の間合いに踏み込んだハルは勢いに任せ剣を斜めに振り上げた。

 斬られた敵の手から弓矢が離れ、仰け反るようにして馬車の側に隠れていたファルクの足元にどさりと崩れる。


 十三人──


 ひっ、と悲鳴を上げ、車体の蔭から怖々とこちらを見るファルクを、ハルは息一つ乱さず、冷めた眼差しで見返す。

 落ちる月影に映える凄艶なハルの笑み。そのどこか妖しげな笑みに、思わずファルクは表情とともに背筋を凍らせた。

 舐めるように刃を伝い血の滴が一滴二滴としたたり落ち、大地を赤黒く染めた。

 敵の放った矢を、ハルが交わしたところでサラは肩の力を抜く。

 ハルの戦いを食い入るように見つめていたサラは、息をするのも忘れていたことに気づき、苦しさに喘いで空気を求めて大きく息を吸う。途端、吐き気を覚え慌てて口許に手をあてた。

 そろりと視線を上げると、見上げた月が赤い。

 違う。

 赤いのは──

 血。


 サラはこくりと喉を鳴らし、表情を引きつらせた。

 夜露に混じり視界が赤く染まるほどの血。

 息を吸うたび喉の奥に流れ込むのは、夜気に混じる濃密な血の臭気。

 人が殺されるのを目にするのは当然、初めてであった。

 こんな状況を前にして、怯えないわけがない。

 サラはぽろぽろと涙をこぼした。

 地面についた手の甲にいくつもの涙が落ちる。

 泣き声さえ胸につかえ、ただ嗚咽がもれるだけ。


 苦しい。

 助けて。

 息をすることすらままならない。

 この場から逃げ出してしまいたい。

 怖い。

 ハルが怖い。

 あんなハルの姿、初めて見る。


 爪が食い込むほどに手をきつく握りしめる。しらずしらず地面の土を掻いていたせいで、爪の先が割れ血がにじんでいた。


「痛い……」


 けれど、それ以上に痛いのは心であった。


 泣いてはいけない。

 私が泣いてしまったらハルを困らせてしまう。

 わかっている。

 なのに、涙がとまらない。

 ハルが戦っているのに。

 最後まで見届けると心に決めたのに。

 暗殺者として生きることを厭い、自由になりたいと願って組織を抜け出したのに。

 もう、誰も殺したくないはずなのに。

 それなのに、ハルは戦っている。


 でも……。

 もう、耐えられない。


 こめかみのあたりに両手を持っていき、挟み込むように頭を押さえる。ふと、右手にハルが結んでくれた藍色のリボンの端が揺れて頬をくすぐった。そして、ハルの手首に結ばれたもう片方のリボンを見つめるサラの瞳が揺らぐ。

 二つのリボン。

 それは二人を繋げる絆。


 私を守ってくれると。

 そして、必ず無事な姿で生きて戻ってくると、ハルが私に約束してくれた証。

 たとえ何があってもハルを信じてついていくと心に決めた。

 ハルの過去も何もかもすべて受け入れると覚悟のうえで。

 ごめんなさい。


 流れる涙を手の甲で拭い、唇をきつく噛みしめる。そして、決して目の前の出来事から、ハルから、目をそらすまいとサラは正面を見据えた。


 怖いけれど、もう逃げたりしない。

 絶対に。

 ハルの戦いのすべてを見届けることが唯一私にできること。

 それが、私の覚悟。



 それまで、表情を変えることなく、向かってくる敵を淡々と倒してきたハルにわずかな変化が生じる。

 眉根を寄せ、ハルは肩頬を歪めた。

 剣を握る手が小刻みに震える。

 ちくりと、胸の奥に細い針で刺されたような痛みが胸をざわつかせた。

 地面に座り、声を殺して泣いているサラの姿が目に入ったからであった。


 泣かないでサラ。

 お願いだから、泣かないで。

 ごめんね、つらい思いをさせてしまって。


 今すぐにでも駈け寄って、言葉をかけてあげたい。もし、俺を恐れないでいてくれるのなら、この手で触れることを許してもらえるのなら、サラを抱きしめたい。

 髪をなで安心させてあげたい。

 いや。

 サラはもう俺の手をとることはないかもしれない。俺の名前を呼んで、無邪気に胸に飛び込んでくることも……。


 胸の痛みを無理矢理押しやり、強く剣を握りしめた。再び残りの暗殺者たちを鋭い目で見据える。


 残り七人。

 すぐに終わらせてやる。

 だからサラ、泣かないで。

 もう少しだけ、我慢して。

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