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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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73 最後の告白

 右手をあげたファルクの、それが合図であるかのように、左右の茂みの陰から数人、いや、数十人の人影が足音もなく現れた。手にそれぞれ得物を携え、みな一様に黒い衣装を身にまとい、口許まで黒い布でおおい顔を隠している。隙のないかまえと獲物を仕留めようとする殺気は偽りのない本物。現れた男たちは声ひとつ発することなく、武器をかまえ身動ぐことなく立ち尽くす。

 ファルクの次の合図を待っているのだ。


「これは……何? これは……」


 声をつまらせ、腕にしがみついてきたサラの肩を引き寄せながら、ハルは視線だけを動かし、ざっと辺りを見渡す。ぐるりと周囲を囲まれたようだ。否、馬車がこの場へ到着した時点で、現れた暗殺者たちに囲まれていたことに気づいていた。木陰に身をひそめ、ファルクの合図を待っていた彼らの気配に。それでも、ハルの表情には焦燥も迷いの片鱗すらも見あたらなかった。ただ口許に静かな笑みを刻むのみ。


「これはどういうことだ、と言いたいのかね?」


 ファルクはふふっと肩を揺らし、ひとしきり笑った後、大仰に両手を広げた。己が有利な立場にあると信じて疑わない時の、いつもの芝居がかった仕草だ。


「見ての通りだよ。私たちは別荘地に向かう途中のこのカーナの森で、突然現れた賊に襲われるのだ」


「私たち? 賊? 襲われる?」


 当然のことながら、何も知らないサラはファルクの言っている意味がわからないと、小さく首を振る。


「この森には、しばし賊が現れるのだよ。そして、今夜も貴族の馬車を狙った賊が現れ、私たちは不運にも殺されかける。残念なことに……今度ばかりは救いの手が現れることはなかった」


「救いの手……?」


「賊二十人を惨殺した、頭のいかれた馬鹿だよ」


「だって、それは……」


 と言って、サラはちらりとハルを見上げる。


「それに、この人たちは……」


 サラの目から見ても、彼らがただの賊ではないことは明らかであった。身にまとう雰囲気が普通の人のそれとは違う。もっと禍々しくて殺伐とした気配を漂わせる者たち。

 咄嗟にサラははっとなってハルを見上げる。

 ようやく、ハルがこの場に現れた理由を理解する。


「ハル、まさか……まさかよね。ハルはこのことを知っていて、だから……」


「そう、察しの通り、彼らは賊ではない。彼らは……」


「黙れ」


 すかさず、ファルクのその先の言葉をハルは遮る。

 婚約者に殺されようとし、やがてトランティア家を乗っ取ろうとするファルクの企みを、サラには聞かせたくはないと思ったからだ。自分が殺されると知れば、サラは心に深い傷を負うだろう。

 サラを傷つけたくはない。

 だから、何も知らなくていい。知るべきではない。

 このまま、ファルクの悪巧みごとすべて消し去る。


「それ以上余計なことを喋れば、真っ先に貴様をずたずたに切り裂く」


 ほお? と、ファルクは目をすがめた。


「俺が冗談で言ってるかどうか、貴様にならわかるだろう?」


 意味ありげな嗤いを口元に刻むハルに、ファルクは呻き声をもらし、歯をぎりぎりと鳴らした。数日前、ハルに散々な目にあわされたことを思い出したのか、苦々しい顔で露骨に片頬を歪め、折れた指を左手でさする。が、すぐにファルクはにやりと口許を歪めた。


「だが、今夜はあの時とは状況が違うということくらい愚かなおまえでも理解できるだろう? おまえが私の元へとたどり着く前に、こいつらがおまえに斬りかかる。この私に手を出すことなどできないのだよ」


「そうか? ならば、試してみるか? 俺が貴様を地に叩き伏せるのが早いか、それとも、そいつらが俺に斬りかかってくるのが早いか」


 ファルクはふっと笑って肩をすくめた。


「まあいい。どのみちおまえはこいつら〝賊〟どもに殺されるのだからね。そう、可愛い恋人の目の前で。おまえの名前を泣き叫ぶ愛しい恋人の声を聞きながら、おまえは無残な姿で死んでいくのだ。ふふ、面白くなりそうではないか。ぞくぞくするよ。ああ、命乞いは受けつけないよ。おまえはもう殺すと決めたのだから」


「何故、俺が貴様に命乞いをしなければならない」


「ハル! これだけの人数を相手にするつもりなの? この人たち普通ではないわ。ねえハル、そうよね? だからやめて、お願いだから、無茶なことはやめて」


 胸にすがりついてきたサラは悲痛な声を上げる。しかし、サラとてわかっているはずだ。

 話し合いでおさめられるような状況ではない。目の前に現れた男たちを倒さない限り、この窮地を切り抜けることはできない。

 助かるためには、ハルに頼るしかすべはない。

 やらなければ殺される。

 もしも、現れたこの男たちがハルが元いた暗殺組織の者だったらどうするのか。そうなれば、嫌でもハルは剣をとって戦わなければならない。自分が一生ついていくと心に決めた男性(ひと)は、そういう運命を背負い生きる人。それを承知で側にいると心に決め誓ったのだと、サラはこの時、ようやく思い知ることになった。

 けれど、わかっていても……。

 

「ハル」


 何も言わないでと、ハルはサラの唇に指先をあてた。しかし、サラはその手を払いのける。


「いや……いやよ、いや! いゃぁ……」


 まるで聞き分けのない子どもように声を上げるサラに、ハルは困った笑いを浮かべる。

 無理はない。

 こうなることももちろん、予想済みだ。

 取り乱したサラを宥めて安心させてあげなければいけない。それが、今の自分にとって大切なことだというように、ファルクから視線を外したハルはいやいやをするサラに向き直る。


 どうしたら、俺を信じてくれるの?


「ねえ、聞いてサラ」


「いや……!」


 何も聞きたくないとひたすら首を振るサラの両肩をつかんで引き寄せ、抱きすくめる。

 いや、と繰り返して腕の中でサラが激しく抵抗する。

 抗わせない。

 身動ぐことも許さない。

 息もできないほどに、強くきつく、小刻みに震える身体を抱きしめる。

 やがて、あきらめたのか徐々にサラの身体から力が抜けていく。


「私のせいでハルを巻き込んでしまったのね。こうなってしまったのもすべて私のせいだわ。ハルの存在をあの男に知られてしまったから。だから、あの男はハルのことを……」


「違うよ。そうではない」


 自分のせいでこうなってしまったと思い込んでいるサラに、そうではないのだとハルは首を振る。


 俺が不甲斐ないだけだ。


 もしあの時、サラを屋敷に帰さなければ。躊躇せず、あのまま連れ出す決心をしていたならば。

 そうしていたなら、この状況は少しは変わっていただろうか。

 変えることができただろうか。

 すべては自分のせい。

 決断を見誤ってしまった自分が招いた結果だ。


「ハルが死んでしまう」


「どうして? 俺は死なないよ。死ぬわけがないだろう?」


「ハルが死んでしまったら、私も死ぬ」


「どうやって?」


「舌を噛んで死ぬわ!」


「舌を噛んだくらいでは簡単には死ねないよ」


「だったら! 短剣で胸を貫いて……」


「心臓はここ」


 サラの胸にハルは指先をあてる。


「躊躇うことなく正確に貫くことができる? その覚悟がある?」


 ハルはぐっとサラの胸に指先を押しつける。その指先にとくとくとサラの心臓の鼓動が伝わってくる。


「そうでないと、死にきれずに苦しむだけだよ」


 サラは息を飲み、顔を青ざめさせた。


「で、できるわ!」


 くすっと笑ってサラの髪をなでる。


「ねえサラ、どうしてそうやって悪いことばかり考えるの?」


「ハルこそ、どうして? どうしてそんなに落ち着いていられるの? 私を安心させようとして本当は無理をしているのでしょう?」


「無理? そんなふうに見える? それは違うよ。この程度のことなど、俺にとってはたいしたことではないから」


「この程度だなんて……」


 サラは俺の本当の恐ろしさを知らない。

 知ればそんなことなど言えなくなる。


「サラ、そう簡単に死ぬなんて言ってはいけないよ」


「私は本気よ」


「だとしたら、なおさら俺が奴らにやられるわけにはいかないね。サラにそんなことはさせられない。聞いてサラ。サラが本当に恐れるのはあいつらではなく、もしかしたら俺なのかもしれないよ」


「どうして私がハルを恐れなければならないの? そんなことあるわけがない」


 サラを見つめるハルの瞳が切なげに揺れる。

 すべてが終わった後に、今と同じ言葉をサラは繰り返してくれるだろうか。地に横たわる二十人の暗殺者たちの無残となった屍を見て、それでも、これまでと変わらない目で自分を見つめてくれるだろうか。

 自分を好きだと言ってくれるのだろうか。

 自信はなかった。

 サラから目をそらしたハルの表情に、一瞬、悲痛なものが過ぎる。

 寸刻の後に、この場には見るも耐えられない光景が広がる。その凄絶なまでに残酷で暴戻なありさまをサラには見せたくはなかった。


「サラ」


「何……?」


「ごめんね」


「え?」


「少しだけ苦しい思いをする」


 きょとんとした目で見返すサラの頬をなで、指先を滑らせ唇に触れる。さらに、唇から離れたハルの右手がゆっくりと落ちてこぶしを作る。


「どうしたの……っ」


 もう片方のハルの手がまるで逃がさないというように、サラの腕をきつくつかむ。腕に食い込むハルの指にサラは息を飲み、さらに、何かに感づいたのか咄嗟にその手から逃れようと身をよじる。


「ハル……」


 サラの身体が強ばった。

 逃げられないと、察した瞬間、サラの顔が歪む。


「いや……ハルやめて」


「一瞬だから」


 何もかも、終わっているよ。

 サラが眠っている間に終わらせる。

 だから、サラが怖い思いをすることはない。


 しかし、次の瞬間、思わぬ行動にサラは出た。サラの両手によって右手のこぶしを、それも抱え込まれるように握りしめられ、いや、押さえこまれてしまった。


「何? 今、私に何かしようとしたわね。何をしようとしたの? ねえ!」


「これから起こる光景はサラには耐えられない。できることなら見せたくはない」


「それで、私を気絶させて、その間にハルはひとりで戦おうとしたの? どうして!」


 サラが眠っている間にすべてを終わらせるつもりだった。なのに、まさかサラに感づかれてしまうとは。

 サラの目が食い入るようにこちらを見上げていた。

 言葉にせずともその目が語っている。

 私も最後までハルと一緒に見届けると。

 ハルは困ったように笑い、握った右手を緩めて解く。


「サラ、手を離して」


「離さない!」


「何もしないよ」


「うそ!」


「本当だよ。それに、何かするつもりならもうとっくにしている。あきらめたよ」


 緊張で強ばらせたサラの肩からようやく力が抜けていく。

 ハルはゆっくりと上着に手をかけ脱ぎ落とした。ゆるりと肩から落ちたその下は、袖のない黒い衣服という身軽な恰好。あらわになった左上腕部には、レザンの暗殺者である証拠の花の入れ墨を隠した黒い布が巻きつけられていた。さらに、右の手首にはサラの部屋に落ちていた藍色のリボンが結ばれていた。

 それを見つけたサラはあっと声を上げる。


「片方のリボン、ハルが持っていたの?」


「あの晩、サラの部屋に落ちていたのを見つけた」


「そうだったのね。私、なくしてしまったのかと思って。よかった……私もちゃんと持ってるのよ」


 サラは握りしめていた手の中のリボンに視線を落とす。その手からリボンをするりと抜き取ると、ハルはサラの細い右手首に結んだ。


「もう片方のリボン、後で返すから。それまで俺が持っていてもいい?」


「絶対に返して。ハルの手から必ず……大切なリボンなの。ハルからもらった初めての贈りものだから。返して……お願い」


「約束」


 ハルは立てた小指をサラの目の前に差し出した。その指にサラの小指が絡む。


「約束よ」


 風に揺れてなびく互いの手首に巻いた藍色のリボンの端が絡み合う。それはまるで、決して二人を離さないというかのように。

 絡んだ小指をハルは口許に持っていくと、サラの指に口づけをする。


「怖い? まだ不安?」


 ふるふると頭を振るサラの頭に、ハルは脱いだ上着をふわりとかぶせた。

 怖くないわけがない。

 不安を感じないわけがない。


「そこの茂みの蔭にいて。上着を頭からかぶっていたら何も見えないよ。それでも怖ければ目をきつく閉じて、耳をふさいでいればいい。サラに危害を加えさせたりはしない。もちろん、サラには指一本触れさせない。奴らの醜い叫び声さえ、サラの耳に届かせはしない」


 目の縁に大粒の涙をため肩を震わせ、決してハルの目の前で泣いたりはしない、涙をこぼさないと、唇をきつく噛みしめ気丈にもこらえるサラの姿。


「サラ」


 呼びかけた途端、サラは勢いよく頭を振る。これ以上、何か言葉をかけられたら涙がこぼれてしまうというように。

 ハルはサラの頬を挟み込むように手を添え、目の縁にたまった涙を指先でぬぐい取る。あらたに浮かび上がる涙の粒が、サラのまつげを濡らした。


 無理に笑ってとは言わない。

 言うつもりもない。

 けれど、悲しそうな目をされると心が痛い。


「そんな顔をしないで」


「うん」


「必ずサラを守る。それに、リボン、返すと約束したよね。俺の血で染まったリボンをサラに返すわけにはいかないだろう?」


 サラはもう一度うなずく。

 頬に添えた手にサラの手が重ねられ、そのまま口許へと導かれる。

 閉じたまぶたの縁からとうとうこらえきれずに、ひとすじの涙がこぼれハルの指先を濡らした。


「好きよ、ハル」


 手のひらに伝わる声の振動。それは異国の響き。この場にいる他の誰も知ることのない二人が心を通わせる愛の言葉。たった一言とはいえ、最初はたどたどしかったその言葉が、何度も繰り返されることによって、すっかりと馴染んでいる。


「誰よりも、世界で一番ハルを愛している」


「俺も……」


 重ねた指をからませ、身をかがめてサラの耳元に唇を寄せる。

 神の存在など信じていなかった。

 どれほど救いを求めても神はその手を差し伸べてくれることはなかった。けれど、今なら心から言える。

 サラと巡り会えたことに感謝していると。

 たとえ、結ばれることのない運命だったとしても。それでも、サラと出会えてよかった。


「愛しているよ」


 紡ぐ言葉は最後の告白。

 その一言にすべての思いを込めて。

 今宵限りでサラとの別れを決意したのなら、もう二度と伝えることはかなわない。

 触れることも。

 口づけをすることも。

 この手に抱いて愛することも。

 サラの笑顔を見ることも。

 可愛い声で自分の名を呼んでくれることを聞くことも。

 何もかもすべて、手放さなければならない。

 ハルの顔がわずかに歪む。

 失ってしまう。

 そう思った瞬間、抑え込んでいた感情が制御できずにあふれだしそうになり、添えていたサラの頬から手を離す。

 手のひらに残る温もりを、指先にこぼれ落ちた涙の熱さを、忘れない、逃さない、記憶に刻みつけようと、手をかたく握りしめ。

 そして──

 揺らぎかけた迷いを振り切り、サラに背を向け足を踏み出す。


「ハル……」


 震えるサラの声に呼び止められる。

 立ち止まりハルは振り返った。

 無言で見つめ合う二人の間にさっと、風が吹き抜けていく。


「お願い。どうか……」


 組んだ手を祈るように胸のあたりへと持っていき、泣きそうな目でそう訴えかけてくるサラに、ハルは微笑みを返す。


「すぐに戻るから。待っていて」


 呟くハルの声が、吹き抜けていく風にさらわれ消えていく。

 サラの耳には届くことはなかった。

 再びサラに背を向けたハルの表情から、一瞬にして笑みが消え去った。


「愛しい恋人との別れは済んだかな?」


 戯けた口調で揶揄するファルクに、ハルが答えることはなかった。

 もはや、一言も。

 様相が一変したハルの態度に、ファルクは眉間にしわを寄せる。


「何だねその目は……何だというのだ!」


 怯えるファルクから視線を外し、ハルは剣を手に暗殺者たちと向き合った。

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