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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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69 戦い前夜 -決意-

 数日前の夜、ファルクがサラに何をしたか。


 そして──


 ハルの言葉に口を挟むこともなく、耳を傾けていたシンの表情が次第に険しいものとなっていく。

 サラを殺害し、いずれはトランティア家を乗っ取ろうとするファルクの計画を聞いたあたりで、シンは握ったこぶしを小刻みに震わせた。

 最後に、明日の晩カーナの森で何が起きようとしているのかを話した瞬間、シンははっとなる。

 人を立ち入らせないようにして欲しいと頼んだハルの意図を理解したのだ。その企みを阻止するため、ファルクが雇ったアイザカーンの暗殺者をひとり残らず始末することもハルは告げる。

 すべてを語り終え、しばしの沈黙が落ちる。

 ようやく口を開いたシンの声は、微かに震えていながらも強い決意がにじんでいた。


「俺も戦う」


 懸念していた通り、シンがそう言い出すことは予想がついた。いや、そう言い出さないわけがない。

 何よりシンはサラに好意を抱いている。

 思いを寄せている女性に危険が迫っていると知って、黙っていられるような男ではない。

 だがハルは否と首を振る。

 途端、シンの顔に険悪なものが過ぎったのはいうまでもない。


「おまえはファルクが雇った暗殺者二十人を、それも、ひとりで始末しようというのか」


「そうだ」


「そうだって、何でもないことのようにあっさり言うが、暗殺者っていったら……」


 シンは呆れたように声をつまらせた。そして、さらに続ける。


「おまえが強いってのはじゅうぶん知っている。だが、暗殺者二十人相手だぞ。いつかの時の賊二十人とはわけが違う」


「当然だ」


「……おまえひとりでそいつらと()りあうなんて無茶だ。できるわけがない!」


「おまえまで……」


 言いかけて、ハルは苦笑いを作る。

 ファルクも、今のシンと同じことを言ったのを思い出したからだ。だが事実、普通に考えてそう思うのはあたりまえであろう。


「俺ひとりでいい。サラを助けたいと思うなら、おまえはいっさい戦いには手を出すな」


 それでも、ハルはともに戦うと言い出すシンの決意をはねつける。

 カーナの森に人が入るのを阻止するためにシンの力を借りたい。だが、暗殺者と戦うのは自分ひとりでいい。それこそ、自分勝手な話かもしれない。


「手を出すなって、何だよそれ。まるで俺がいたら足手まといだとでも言いたげだな。それとも、俺では頼りないとでもいうのか」


「そうは言っていない」


「だったら何故! サラに危機が迫っていると知って、俺が黙っていられると、何もしないでいられると思うか? おまえにもしものことがあったら、サラはどうなる!」


「俺にもしものことなどない」


「何故そう言い切れる! っていうか、そのむかつくくらいの自信は何なんだよ」


 シンはぎりっと奥歯を噛んだ。


「とにかく、おまえが何と言おうと……」


「必要ない」


「……おまえ!」


「ならば、はっきりと言う。おまえがいたら俺の気が散る」


 それが理由であった。


 きっぱりと言い切ったハルの言葉に、シンは整った眉をしかめた。

 軽薄そうに見えて男気のある奴だ。腕もたつ。そうでなければ、荒くれ者が集う裏街の(かしら)などつとまるわけがない。

 アイザカーンの暗殺者とやり合ったとしてもひけをとることはないだろう。

 一度はシンと剣を交えた。シンの強さも実力も認めているつもりだ。

 サラを助けたいと思う気持ちは同じ。けれど、二人で力を合わせて戦うつもりなど初めからない。暗殺者との戦いにシンを巻き込みたくはない、シンに万が一のことがあったときのことを考えてでもない。


 単純に気が散る。

 それだけの理由であった。


「はは……気が散るって、ずいぶんな言い方だな」


 あまりなハルの物言いに、怒るどころか呆れてしまった。言い返すつもりが、返す言葉が見当たらなかった。顔を引きつらせ、ただ、笑うしかなかった。

 はっきりと言う、と言いながらも、それでもハルにしては遠回しに言葉を選んだのかもしれない。

 けれど……。

 結局、つまるところ早い話が、俺がいたら邪魔だってことじゃねえか、とぽつりとこぼしながらシンは眉を寄せ、憮然とした表情で口許を引き結ぶ。しかし、そこまで言い切られてしまっては、あきらめるしかないのか。それでも戦うと強引に押し切るには、シンを射抜くかの如きハルの目が、おまえが手を出すのは許さないと含みを持たせ威圧的に告げている。

 何より、ハルを説得できるだけの言葉を見つけることができなかった。

 たとえ、何を言われてもという意気すら、ハルの一言とその目で消失させられてしまった。


「ほんとに、おまえは何者なんだ」


 何者だと問いかけたものの、別に答えを求めているわけではない。当然、ハルも答えない。

 好きな女のためとはいえ、暗殺者二十人を相手に、それもたったひとりで立ち向かうなど正気の沙汰か。けれど、そこまで断言するにはただの無謀や衝動的な感情ではなく、勝算があってと確信しての発言なのだろう。


「本気でひとりでやるつもりか?」


 納得がいかない、けれど納得せざるを得ない。

 シンの表情に複雑なものがにじんだものの、ハルの瞳に揺らぎのない変わらぬ決意を感じ取り、やれやれとため息をこぼす。


「俺は俺のできることをやれってことだな。わかったよ。おまえがそこまで言うなら。だが……」


 これだけは確かめさせてもらうぞとばかりに、シンのまなじりが細められた。


「信じていいんだな?」


「ああ、サラは必ず」


「いや、そんなことはもう心配してねえよ。おまえならサラをあいつから救ってくれると思っている。そうではなくて、俺が言いたいのはおまえは大丈夫なんだなってこと」


 ファルクの手からサラを救うことができたとしても、ハル自身に何かあってはもともこもない。サラを悲しませてしまうことにもなる。

 それをわかっているのかと。

 だが、すかさず返ってきたハルの次の言葉に、シンは戯けた仕草で恐れ入りましたと肩をすくめた。


「誰にものを言っている。おまえに言われるまでもない」


「そうだな……そうだったな」


 しぶしぶといった態ではあるが、もはやこれ以上は何も言うまいと、シンは緩やかに首を横に振る。


「それよりも、安心した。さっきまでひどく思いつめた顔をしていたから。やっと、いつもの表情に戻ったな。本意とは言いがたいが、おまえの言うとおりにするよ。それに、カイの奴が……」


 数日前、カイに自分の身によくないことが起こる。だから、人の意見には耳を傾けろと忠告を受けたことはハルの与り知らぬこと。


「ま、おまえにとってはどうでもいいことだな。俺もまだ死にたくないし」


 笑いながら死にたくはないと言うが、たとえ、その身を犠牲にしてでも、まして、それが好きな女のためならば、死すらも恐れず立ち向かっていく男だ。

 シンはそういう男。


「カーナの森に他の誰も立ち入らせなければいいんだな」


「わずかな時間でいい。すぐに終わらせる」


「二十人の手練れ相手に、わずかな時間でいいとは……」


 できるか? と、目で問うハルに、腕を組んだシンは片目をすがめる。


「それこそ、誰に向かってものを言っている?」


 いったん言葉を切ったシンは、鋭い眼差しでハルを見下ろす。


「裏街の男百余名を、おまえのために動かしてやる」


 頼もしいシンの言葉にハルは細く息をもらす。

 それは安堵の息。

 シンを頭に抱く裏街の男たちが、総力をあげてカーナの森の入り口を制御してくれるだろう。

 まさに、シンにできて自分にはできないことだ。

 これで、誰を巻き込むこともなく、戦いに集中することができる。

 だが……。


「おまえの仲間は俺のために手をかしてくれるだろうか」


 裏街の人間に自分はいい印象はないはず。

 ひどく疎まれているのは知っている。


「何を心配しているのか……おまえらしくもない。俺はおまえのために動くが、俺の仲間は俺のために動く。俺の一声で喜んで従ってくれる奴らばかりだ。これも、俺の人望ってやつだな。俺に文句を言う奴なんて誰ひとりいねえよ。だから、おまえは何も心配するな」


「そう、か……」


 心のつっかかりが取りのぞかれた途端、ハルの口許に微かな笑みが浮かんだ。

 その笑みは壮絶になるであろう明日の戦いを微塵にも感じさせない、柔らかい笑みであった。


「おまえが笑ったところ、初めて見た。何ていうか……」


 その後の言葉はなく、シンは口をつぐんでしまった。ただ居心地が悪そうに苦笑いを浮かべているだけ。

 その顔はどこか照れているようにも見えた。


「面倒なことを頼んでしまって、すまない……」


 それに、ずいぶんとわがままを押しつけてしまった。


「何言ってんだ。だけど、本当は俺になんか頼らずとも、おまえならどうにでも……」


 そこまで言ってシンはいや、と首を振る。


「シン」


 腕に抱いた剣を静かに床に置き、立ち上がったハルはシンの左の肩に自分の左手を置いた。そして、その手にひたいをのせる。

 顔を伏せた瞬間、シンが驚いた表情を浮かべたのが目に入った。


「おい……」


 肩にすがってきたハルを反射的に抱きしめようとシンの両手が持ち上がる。が、その手が虚空で止まった。


 ありがとう──


 顔を伏せたハルの唇から、素直に感謝の言葉が出た。

 ごく自然に。

 シンの肩に顔をうずめたのは照れくさかったからか。

 たぶん、それもあったのかもしれない。と、同時に、ほんの少しだけ、目の前の男の頼もしい言葉に、懐かしい人の面影が重なったような気がして……。

 その人が側にいるだけで安心していられた。

 心強いと思った。

 見守ってくれていたから、どんな苦しい境遇にも耐えることができた。

 顔を見ずともシンが動揺しているのが伝わってくる。そして、おかしいくらい声にもその狼狽ぶりがあらわれていた。


「べ、べ、べ、べつに、それくらいのこと、たいしたことじゃねえよ……それよりも、何なんだよおまえっ! いきなりこんな……俺はどうすればいいんだ? おまえが女なら問答無用でこのまま押し倒すところだぞ」


 行き場を見失ったシンの両手が虚空に浮いたまま。その手をどうするべきかといまだ迷っている。


「俺は女ではない」


「わかってるよ! いや、俺……男でも……前にも言ったけど……」


「安心しろ。俺にまったくその気はない。変な気を起こしたら殺すぞ」


「殺すぞって……」


「おまえの背の高さがレイとちょうど同じだから」


 だから、つい……。


「レイ? 誰だよ。知らねえよ……」


 頭の上でシンが微かにため息をもらすのを聞く。

 やや躊躇った後、浮いていたシンの左手がくしゃりと頭に置かれた。


「俺に任せろ。だからおまえは思う存分、戦え」


 シンの肩に顔をうずめたまま、ハルはもう一度心の中でありがとう、と呟いた。

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