67 会いたい
ベッドの上に膝を抱えて座っていたサラは、そろりと顔を上げ、窓の外へと視線を転じた。
丸い月が物憂げにこちらを見下ろしている。
屋敷に連れ戻されてから、自室ではない別の部屋に押し込められ、決まった時間に食事を運びにやってくる侍女以外、誰とも会うこともなく、ろくに会話もしていない。
その侍女でさえ、祖母にきつく言い聞かされているのだろう、話しかけても困ったように視線をそらし、曖昧に笑い最低限の言葉しか返してくれなかった。
屋敷を抜け出したことで、祖母から厳しい叱責をくらうだろうと覚悟はしていたが、よほど自分とは顔をあわせたくないのか、姿を見せることもなかった。
もちろん、部屋の外にも出してくれない。
式の当日まで部屋から一歩たりとも出すつもりはないようだ。
何度か扉の向こうで娘に会わせて欲しいという父と母の声が聞こえたが、やはり、祖母の言いつけか、扉の前にいた見張りたちはがんとして受けつけず、父と母を追い返してしまった。
この屋敷は祖母が支配しているといっても過言ではない。
誰も彼女の命令に逆らうことはできない。見張りの者たちも、やむを得ずだったのであろう。
まるで、ここは牢獄。
私は罪人。
処罰は望まないあの男との結婚。
窓の外には常に何人かの見張りがつめ、とうてい逃げ出すことはできない。さらに、部屋の扉には鍵がかけられ、廊下にも数人の見張りがはりついているという物々しさであった。
でもね、たくさんの見張りをたてても、どんなに腕のたつ男たちを置いても、ハルには通用しないと思うの。ハルが本気になって私のことを連れ戻しにやってきたら、いつだってこの部屋から簡単に抜け出せるのよ。
そんなことを考え、サラは肩を揺らしてくすくすと笑った。しかし、その顔からすっと笑みが消えていく。
屋敷に連れ戻されてから二日が経とうとしたが、ハルがここへ姿を現すことはなかった。
そして、いよいよ明日、ファルクとの結婚式を迎えようとしていた。けれど、式前日の夜だというにもかかわらず、屋敷内はお祝い的な空気はなく、しんと静まり返っている。
結婚式とはいっても、明日の式は一日でも早くサラと一緒になりたいというファルクのたっての希望で、ひとまず、内輪だけであげる簡単な式である。
正式な結婚式は当初の予定通り夏の終わり。
それにしても、祖母がよくそんなファルクのわがままな願いに首を縦に振ったものだと驚かずにはいられない。それほど、ファルクは祖母に信頼されているのか。
あの男の本性を見抜くことができずに。
残念だけど、お祖母様は人を見る目がまったくないわ。だって、ファルクは女性には人気があるみたいだけど、ただそれだけだもの。人当たり良く振る舞っているけど、目を見れば何となくわかるわ。それにファルクが人望に厚いという噂も聞いたこともないし。あの男の本性を知ったら、絶対この家に迎え入れようなんて考えはおこさないはず。
お祖母様はあの男に騙されているのよ。
ファルクのことを祖母に話したところで、おそらく聞いてはもらえないだろう。
祖母は決して自分の意見を曲げない人だ。我が強く、いつだって自分は正しいと思っている。
サラは小さいため息をこぼし、立てた膝を抱えてうずくまる。
結婚か……。
結婚って、お父様とお母様のように愛する者同士が結ばれて、嬉しくて泣きたくなるくらい幸せいっぱいな気持ちになれるのだと思っていた。そんな憧れを子どもの頃からずっと抱いていた。もっとも、両親の場合が特別なのであって、本来なら、結婚する本人の意志など関係なく、顔もわからない相手と結婚させられるのが普通なのだ。
それこそ、家のために。
道具として。
だから、ハルと一緒になれると思った時は、それこそ、泣きたくなるくらい嬉しかった。
ハル、どうしているかな。
ハルに限って何かあるとは思えなかったが、それでも心配であることには変わりはない。
会いに来てくれないのは、きっと何か事情があるのだ。
でも、何の事情?
ふと、サラの表情が憂いに沈む。
自分を連れ戻しに、屋敷の者がベゼレート先生の診療所に現れた時には、ハルの姿は見あたらなかった。もし、あの場にハルがいたなら間違いなく自分を連れ出し逃げたはず。つまり、すでにその時、ハルはファルクのところへ行っていた。
何をしに向かったのか考えるまでもない。
ハルはいったいファルクに何をしたのだろう。
どんな姿でファルクが自分の前に現れるのか、それを想像すると恐ろしさに身が震えた。
私、明日あの男に会うのが怖いかも……。
初めてハルとカーナの森で出会った時、子どもを助けるためとはいえ、襲ってきた賊を皆殺しにしてしまったという非情さもハルは持っている。
そのことで、ハルとは言い合いをした。
初めてハルと出会った時のことだ。
だが、ファルクの身に何かあったとも、式が中止になったということも聞かされてはいない。
予定通り、明日の式が行われるということは、生きてはいる、ということだろう。
けれど、生きてはいるが──
そこで、サラはそれ以上のことは考えまいと、ふるふると頭を振った。
とにかく、ハルがファルクを手にかけなかったということだけは、よかったと胸をなでおろすべきであろう。
これ以上、ハルに人殺しなどさせたくはない。
ふと、サラは右耳のあたりに手を持っていき、髪を結んだリボンに触れる。
ハル、ごめんね。
もう片方のリボン、気づいたら髪から解けてなくしてしまったみたいなの。
私、どこで落としてしまったのかな。
ハルからの贈り物なのに。
大切にするって約束したのに。
ファルクと部屋でもみ合った時に、とれてしまったのだと思い、部屋から出ることのできないサラは、食事を運んで来た侍女に頼み込んで部屋に見に行ってもらった。しかし、侍女が言うには、片方のリボンはどこにも見あたらなかったという。
なくしてしまったのは片方のリボンだけ?
何故かそんな不安にかられ、サラは唇を噛みしめ、泣いてしまいそうになるのをこらえる。
会いたいな。
ねえハル、今どこにいるの?
何をしているの?
寂しい思いをしていない?
私は大丈夫よ。
だって、必ず迎えに来てくれると信じているから。
夜空にぼんやりと浮かぶ月を見上げ、サラは寂しそうに瞳を揺らした。




