65 報復 -8-
にたりと笑って指を突きつけてくるファルクを無視し、敵意を剥き出しにこちらを凝視する男たちに、ざっと視線を走らせる。
いかにも戦いに慣れているといった風情の、強面の男たちばかりだ。剣をかまえる姿も隙はなく、何より彼らの身から放たれる殺伐とした気は本物。
見せかけではなく、それなりに腕はたつようだ。
ハルは緩く首を振り。
「困ったな」
と、ため息交じりの声を落とす。
加勢が現れたことによって立場は逆転、相手が窮地にたたされたと勝手に思い込んでいるファルクは、困ったと嘆くハルのその言葉に、そうだろう、そうだろう、と二度、三度とうなずく。
先ほどまでハルの足元で泣いて許してくれと、情けない姿を見せていたこの国一番の剣の名手だが、どうやらすっかり元の調子を取り戻したようだ。しかし、ハルが困ったと言ったのは、ファルクの思っているような意味ではない。
どうやら、ここまでのようだな。
知りたいことは聞き出した。
これ以上、ここにいる意味はない。
今この場でファルクをどうこうするのは得策ではない。
わかってはいる。
それこそ、この男に何かあってしまった場合、アイザカーンの暗殺者がいっせいにサラの命を狙うために動き出してしまう。それに、イザーラ自身が毒を所持しこの国の法に触れているという罪を問いただすためにも、この男にはまだ少しばかり役にたってもらう必要がある。けれど、頭で理解していながらも、ベッドの上で震えながら短剣を握りしめ、頬を赤く腫らしたサラの姿が脳裏を過ぎるたび、抑えきれない怒りの感情が、この男を徹底的に打ちのめしてしまいそうで……。
男たちの登場は、この場から退くいいきっかけとなった。
今は耐えろ、と強く自分自身に言い聞かせ、ハルは手をきつく握りしめこの場から立ち去ろうとファルクに背を向けかける。その瞬間、相手は慌てたように腰を浮かせた。
散々な目にあわされた挙げ句、結局、奪われた毒の瓶を取り戻すことができなかったのだ。いや、三日後に返すと言われ、なおさらその意図がわからないと苛立ちと焦りを抱いているはず。
「その瓶をどうするつもりなのか知らないが、私が持っていたとおまえが言いふらしたところで誰ひとり信じやしない。そんなものなど私は知らないと言い切ればいいだけのこと。誰も私を疑ったりはしない。下民の、それも、この国の人間ではない異国のおまえなどより、みな私の言葉を信じるに決まっている。むしろ、そんなものを持っているおまえの方が怪しまれることになるだろう! 疑いをかけられ、罪を問われて処刑台にいくのはおまえだ!」
最後の足掻きとばかりに早口でまくしたてるファルクを、もはや何も言うことなどないと一瞥し、ハルは背を向けバルコニーへと向かい歩き出す。
ここへ現れた時と同様、バルコニーから退散するつもりだ。
「待て! 誰が帰っていいと言った。このままおまえを無事な姿のままで帰すと思っているのか。待てと言っている! 聞こえないのか!」
床に這いつくばったまま、ファルクは手をあげ、護衛の男たちに合図をする。
「おまえら! ぼうっと突っ立っていないで、早くそいつを殺せ!」
ファルクの命令に従い、男たちが足を踏み出そうとした瞬間、彼らに背を向けたまま、ハルはさっと右手を横に払うように伸ばして男たちの動きを制する。
「やめておけ。おまえら全員まとめてかかってきても、この俺を倒すどころか、傷一つ負わせることさえできない。死にたくはないだろう?」
男たちはごくりと唾を飲み、喉を鳴らした。その顔に緊張が走る。ひたいにはじっとりと汗すらにじんでいた。
「できることなら、無関係な者を巻き込みたくはない」
ハルが困ったと呟いた理由はこのことであった。
刃を向けてくるのなら容赦はしない。けれど、関係のない者まで手にかけるのは望むところではない。このまま男たちがおとなしく引き下がってくれるのなら、無駄な血を流さずに済む。
しかし、ファルクは黙ってはいなかった。
「殺れというのが聞こえなかったか。これは命令だ! 私の命令に従えない者はクビだぞ。クビだ! この屋敷から追い出してやる。いや、私が手を回しておまえら全員、この国では働けないようにしてやる。それでもいいのか!」
自分の思い通りにならない、まるで駄々をこねる子どものように、ファルクは男たちをけしかけ怒鳴り散らす。
ずいぶん、たいそうなことを言ってはいるが、屋敷から追い出すというのはともかく、この国で働けないようにするとは、この男にそれほどの権限も影響力もないはずだ。だが、そんなことなど知らない男たちは、働き口を失ってしまうことを恐れ慌てたようだ。
ひとりの男が動き出した。
「く、くそっ!」
剣を振り上げ、半ば自棄気味に男はハルの元へと走っていく。
背後に迫る男の気配。
殺気は感じられない。
むしろ、ファルクに命じられてやむなくといった態だ。が、すぐに、男は足を止めてしまった。それどころか、顔を引きつらせ一歩、さらにもう一歩と後ずさる。
「そんなに、俺に剣を抜かせたいのか」
振り返らず、彼らに背を向けたまま、ハルはゆっくりとした動作で右手を剣の柄へと持っていく。
「剣を抜いて俺が振り向いたその瞬間、おまえら全員あの世行きだ。それでも、いいのか?」
ささやくような低い声音と、ハルの身から放たれる気にあてられ、男たちはぶるっと身体を震わせた。
ハルのしなやかな指先がすっと、なぞるように剣の柄をすべり、握りしめられる。
男たちの視線がハルの右手にそそがれた。
その女性のようにほっそりとした手で、本当に剣を振るい人を傷つけるというのかと。
誰ひとり声を発する者はいない。
静寂に包まれた部屋と張りつめた空気の中、鞘から剣を抜く乾いた音。
柄に結ばれた真紅の飾り紐がゆらりゆらりと揺れた。
徐々に鞘から姿をあらわす濁りのない銀色の刀身。
剣を抜き振り向いた瞬間、殺される──
さらに緊迫した気配が男たちを震え上がらせ、この場を恐怖に染め支配する。
「待てっ! 待って……くれ」
すぐ背後にいる男がかすれた声で呟く。男の緊張が背中越しに伝わってくる。
それでいい。
この男のために、無駄に命を投げ捨てる愚かな考えは起こすな。
「滅多なことでは剣を抜かないようにしている。何故だかわかるか?」
「そんなこと、この私が知るか!」
「人が変わるからだ」
刃を向けてきた者は容赦なく殺せ。
敵とみなした者はひとり残らずその息の根をとめろ。己の姿を見られたら、あるいは、正体を知られたら、誰も生かすな。たとえ、女や子ども、ものを言わぬ赤子でも、例外なく殺せ。
そう、教え込まれてきた。そして、その教えを違わず忠実に従ってきた。それが自分がいた暗殺組織の掟であったから。だが、組織を抜けた今となっては、その定めごとに従う必要はない。けれど、身についた習性は簡単には抜けきれるものではない。ひとたび、剣を抜いてしまったら、自分でもどうなってしまうかわからない。
「ひ、人が変わるだと……じ、じ、じ……じゅうぶん、変わっているではないか! どれだけこの私に酷い真似をしたと思っている。普通の人間の感覚を持った者がやることではない! この外道、悪魔、鬼畜め! おまえのような悪辣な人間など見たこともない」
思いつく限りの悪態をつくファルクに、ハルは肩を震わせて笑う。
サラを殺そうと考えた貴様は普通の感覚を持った人間だといえるのか。
「貴様に悪辣と言われるとは、心外だな」
「黙れっ! おまえら、何をしている。相手はただの餓鬼だぞ!」
しつこいくらいに行けと護衛たちをけしかけるファルクを見下ろす男たちの視線は冷たい。
ファルクの言う、そのただの餓鬼に、これほどまでに惨い目にあわされたのではないか? と、すっかりと冷え切った男たちの視線が言外にファルクに訴えかけている。
「何だおまえらその目は。何が言いたい? 言いたいことがあるならはっきりと言え!」
「いえ、何も……」
「いいか、奴は背を向けている! そのままばっさり、後ろから斬りつけろ! 卑怯でも何でもないぞ。そいつは賊なのだから。そ、そうだ、そいつを殺った者には褒美をとらす。金でも何でも、望むものをおまえらにくれてやろう」
またしても金の話を持ち出すファルクだが、けれど、褒美と聞いて目の色を変える者はいなかった。それどころか、男たちの顔に浮かぶのは渋面色。
「無理だ……」
最初にハルに斬りかかろうとした男は剣を引き、両手をあげ戦う意志がないことを示す。 他の男たちも同様であった。
「おまえらどういうつもりだ!」
「ファルク様は気づかないのですか」
「気づかないだと? 何がだ!」
「この男の放つ殺気を!」
「こいつ、かなりやばい……」
「俺たちでかなう相手じゃない!」
ファルクには気づくことのできなかったハルの身から放たれる気を、護衛の男たちは察した。戦いに慣れているからこそ、相手の実力を見極めることができたのだろう。
自分たちではかなわないと。
褒美につられて命を失ってしまっては意味がない。たとえ、この屋敷をクビになり働き口を失ったとしても、生きていればどうとでもなる。
ハルは抜きかけた剣を鞘におさめ薄く嗤う。
「三日後」
「三日後?」
「カーナの森で貴様の企みを潰し、貴様が雇ったアイザカーンの暗殺者二十人、ひとり残らず俺がこの手で始末する」
ファルクがぽかんと口を開け、間抜けな顔をする。
「ば、馬鹿が……っ! 本気で二十人の暗殺者を相手に戦おうというのか? そこまでしてあの娘を救おうと。あんな小娘のために、自分を犠牲にしてまで」
自分を犠牲に、か……。
ハルの瞳に暗い影が落ちる。
己の存在を組織に知らせてしまうかもという犠牲を払うことになったとしても。
それでも、俺はこの手で愛する人を守りたい。
「どんなにおまえが強くて腕に自信があったとしても、おまえに勝ち目などない。無駄死にするだけだ! そうだ、無駄死にだ!」
「ああ……」
バルコニーへと降り立ったハルは、何かを思い出したというようにああ、と声を落として立ち止まり、今一度ファルクを肩越しにかえりみる。
「その時、カーナの森に現れるのは、盗賊二十人を皆殺しにしたという頭のいかれた馬鹿者ではない」
「何……?」
「闇を駆け、一瞬にして敵を死へと誘う……黒い疾風だ」
「黒いかぜ?」
何のことだ? と首を傾げるファルクにハルは唇に緩やかな笑みを刻む。
もうひとりの俺を、貴様にだけは特別に見せてやろう。そして、死よりも深い闇へと貴様を引きずり落としてやる。
二度と這い上がることのできない、闇の奥底へと……。
さっと風が吹く。
バルコニーに面する窓、カーテンのひだが風を孕んで大きく揺らぎ、ハルの身体を覆い隠す。風がやみ、ふわりとカーテンが元に戻ったとき。
そこにはもう、ハルの姿はなかった。




