62 報復 -5-
厳しい表情をするハルを見たファルクは、慌てて言いつくろう。
「何故探しているのかと聞かれても、そこまでは私も知らないよ。本当だよ。だが……」
話に食いついてきたのなら、後はひたすら相手が落ちるまで口説くのみと考えたのだろうファルクは、息をつくのも惜しいとばかりにさらに言葉を継ぐ。
「ここだけの話だ」
おまえにだけは教えてやろうと、ファルクはわずかに身を乗り出してくる。
「今からそう……三年前のことだ。おまえは当然知らないだろうが、女王陛下はレザンの何かを探るため、学者たちを学問所に集めた。だが、研究にたずさわった学者たちすべてが何者かによって殺害され、さらに、レザンに関する資料も焼かれ、失ってしまった。さらに、内密に何人かの人間を北の大陸へと送り出したが、誰ひとり戻ってくる者はいない。だが、それでも女王陛下はレザンに対する興味をいまだ失ってはいない。だから、きっとレザンの人間であるおまえを、女王陛下も特別目にかけてくれるはず。いまだ謎の多い大陸、レザン。彼の地のことなら、どんな些細なことでも女王陛下は知りたいとお思いになるだろう」
ここだけの話としたり顔で語るファルクの目の前にいる人物こそ、三年前、レザンのことを探ろうとした学者全員を抹殺し、資料を焼いた本人だとは、よもやファルクも思っていないだろう。
知るよしもないことだ。
それに、秘密ごとを打ち明けるように語るファルクの内容は、学問所にいた人間、またそこにいた者から聞いたのなら、誰でも知っている表面上だけのもの。特に、特別な情報をつかんでいるというわけでもなさそうであるし、たとえ、そうであったとしても、とうに組織を抜けた自分にとって、そんなことはどうでもいいこと。
それにしても、これ以上、レザンの秘密を探ればどうなるかと、警告を促したつもりであったが、それを警告と受け止められていないのなら、女王はいつかレザンの暗殺者に命を狙われることとなるだろう。
自業自得だ。
もともと、王となったダルバスを退け、なかば強引に玉座を奪い取り、この国を支配する偽りの女王だ。たとえ殺されたとしても、この国にとっても、民たちにとっても、何ら支障をきたすことはない。
何故なら。真の女王となるべき、正当な人物がいるのだから。
ハルは握りしめていた真紅の飾り紐から手を離す。
「ますます、貴様を見逃すわけにはいかなくなった」
「見逃すわけにはいかない?」
またしてもファルクはどういう意味だ? と訝しげに首を傾げる。が、そのことについて特に気にとめたふうでもなく、気を取り直し再び説得を続けようと口を開く。とにかく、今は自分に危害を加えようとする、目の前の危険人物を手懐けることだけが目的だというように。
「悪い話ではないだろう? 庶民のおまえがのし上がる好機をこの私が与えてやるのだ。さらに、おまえを女王陛下に引き合わせれば、私の好感度も信頼も一気に跳ね上がる。おまえも私も、いいことずくめというわけだ。だから、私の元へ来い。おまえにいい思いをさせてやる。おまえが口にしたこともない豪華な食事も、高級な酒も飲ませてやろう。きれいな女もあてがってやる。極上の女だ。おまえはどんな女が好みか? 胸のでかい女か? それとも、床技の達者な女か? そういう女はたくさん知っている。私の好みでもあるからね。私のお気に入りの女をおまえに何人か回してやろう」
自分の抱いた女をよこすというのか、気色悪いにもほどがある。おまけに、聞きたくもないこの男の性癖まで聞かされ、心底気分が悪い。不愉快だ。
「あっという間に気持ちよくさせてもらえるぞ。女に気を遣う面倒も必要もない。女の方が勝手にいろいろしてくれるのだ。思う存分奉仕してもらえる。つくしてもらえるぞ。気に入った女がいれば、好きなだけおまえにくれてやる。抱きたい放題だ」
黙っていればいつまでも喋りかねない様子だ。そのお喋りが自身の身を危うくさせているとも知らず。だが、おかげで思いもよらなかった情報も手に入れることができたのは、好都合ととらえるべきだろう。
報復のためにこの男の元へとやって来たが、まさか、ここでイザーラに繋がりのあるやからを見つけ出すことができるとは思いもしなかった。
この男は偽りの女王の犬。
もっとも、どうしようもない駄犬だが。
「何だね、そんな渋い顔をして。まさかとは思うが、女にも興味がないというわけではないだろう?」
当然のことながら、ファルクのくだらない問いかけにハルは答えない。
「まさか、そうなのか? 本当に女に興味がないのか。もしや男の方がいいと? いや、あの娘といい仲になっていたのだから、そういうわけではないはずだな。それとも、ふっ、男も女も両方いける口かね? まあ、そのきれいな容姿なら、男でも食いつきたくなるだろうね。いや……」
そこで、ファルクはわかった! と膝をぱしりと叩き、歯の抜けた間抜け面でにたりと嫌らしい笑みを作る。
「わかったぞ。ふふふ、おまえは先ほど、お仕置きをするのが得意だと言っていた。つまりそういう性癖の持ち主だというわけだ。ははは、そうか、そうか。もちろん、いたぶられて泣いて喜ぶおかしな趣味の女もいる。ならば、そういう女を……ひっ!?」
突然、ガラスの割れる音に、ファルクは引きつった悲鳴を上げ言葉を飲み込んだ。怖々と視線だけを動かし、ガラスの割れた音、ハルの足元へと目をやる。
テーブルから落ちて床に転がったワイングラスを、ハルが足で踏みつけていた。
「金の次は、女の話か……品性の欠片もないな」
聞くにたえがたい。
蔑む言葉と軽侮の込めた目でファルクを見据えていたハルは、ゆっくりとした動作で身をかがめ、砕けたガラスの破片の一部を拾いあげる。
欠けたガラスの一片がきらりと鋭い光を放つ。
手にしたそれで、いったい、どうしようというのか。
「な、何を……そんなものを手にして、何をしようというのだ。まさか、それで私の顔を切り刻もうと……そんなことをしたら、怪我だけでは済まなくなるだろう?」
やめて、と唇を戦慄かせファルクは首を振る。
「そんな恐ろしいことはやめよう。な?」
「恐ろしい? 俺の怖さはこんなものではない」
「いやいや……待ってくれ。少し冷静になろう。落ち着こうではないか」
「俺は冷静だと思っているが」
「それのどこが冷静……ぐっ!」
ファルクのあごをつかんで、無理矢理口をこじ開け、手にしたガラスの破片をすばやく口の中へと押し込んだ。そして、ファルクの口を手でふさぐ。
何をされるのかわからず、ファルクはただ、怯えた目をするばかり。
けれど、ひとつわかったこと。
それは。
自分がとんでもない相手を怒らせてしまったと気づいた時には、もうすでに遅かったということだ。
「間違っても飲み込むな。貴様にはまだいくつか尋ねたいことがあるからな」
目を瞠らせるファルクを半眼で見下ろし、その頬にすかさず鋭い平手打ちを放つ。さらに、反対の頬にも。
悲鳴は上がらなかった。
喉の奥からくぐもった呻きがもれるだけ。
含んだガラスを誤って飲み込んだりしないよう、唇を引き結び、懸命にこらえているのだ。
たちまち、ファルクの口の端からだらりと鮮血が流れ落ちる。さらに、ハルは手を振り上げた。すかさず、容赦ない攻撃から己の身を守ろうと、ファルクは身体を折って丸め、両手で頭を抱え床にうずくまる。
ハルは静かに振り上げた手をおろした。
攻撃がとまったその隙に、ファルクは急いで口の中のガラスの破片を血と、血で染まった涎とともに吐き出した。
「うう……っ」
「無様だな」
「もう、やめて……ゆるして……」
涙を流しながら、ファルクが足元にすがりついてくる。床にひたいをこすりつけ許してくれと懇願するファルクの姿を見下ろすハルの目に、冷徹な光が過ぎる。
己の足下におまえをひれ伏させると言ったファルクだが、反対にひれ伏したのはファルク自身であった。
身をかがめたハルの手が、ファルクの顔へと伸ばされあごに添えられた。ファルクはびくりと肩を跳ね、怯えた目でハルを見上げる。
ハルの口許に緩やかな笑みが浮かぶ。
「忘れたか? そう簡単に、楽にはさせないと言ったことを」
これで許されると思っているのか。
「貴様がサラにしたことを思い出せ」
思い出せ。サラも今の貴様と同じように助けを求めたはずだ。
だが、貴様は……。
「悪かった。謝る。私もあの娘に対してあんなひどいことをするつもりはなかったのだ。ついかっと頭に血が昇ってしまって……暗殺者たちの依頼は取り消す。あの娘にもいっさい手を出さないと誓おう。それでいいだろう? だから、許してくれ」
「もう、遅い」
依頼した暗殺を簡単に取り消せるなどと、この男は本気で思っているのか。いや、この男の言葉など信じない。信じるほど、ばかではない。この場しのぎの、苦痛から逃れるために、口からでまかせを言っているのだ。
「何でもするから。許してくれ……頼む」
「何でも?」
そうだと、何度もうなずくファルクのあごから手を離す。
そして──
「貴様がすることはただ一つ」
ハルはもう片方の、握りしめていた手をゆるりと相手の眼前に持ち上げた。
「後悔だ」
だが、その後悔すらもできないほどに貴様の何もかもを壊してやる。
握っていた手の指を、相手に見せつけるように小指から順にゆっくりと開いていく。手の中から現れたそれを見たファルクの顔が、明らかに凍りついたのがわかった。
「そ、そ、それは……っ!」
ばかな、そんなはずはない、あり得ないと、ファルクの目がこれ以上はないというほどに開かれていく。
ハルの手のひらから現れたもの。それは、ファルクがサラに飲ませようと画策していた毒の入った小瓶であった。
ファルクは慌てて懐に手をあてる。そこにあるべきはずの瓶がない。間違いなく、さっき懐にしまったはず。いや、もしや、無意識に違うところに入れてしまったのではと、小瓶の存在を確かめるように、あちこち身体中をまさぐる。けれど、それは無意味な行動。どんなに探したところで見つかるはずがない。
正真正銘、ハルの手の中にある瓶は、さっきまでファルクが持っていたものなのだから。
「な、ない……瓶がない。私の大切な瓶が! それがないと、私の計画が……計画が進められなくなる」
思わず苦笑がこぼれる。
暗殺者の依頼を取り消し、サラには手を出さないと誓ったばかりのその口で、毒の入った瓶を大切な瓶とは、それがないと計画が進められないとは、まったくもっておかしなことを言う。
どうせこの男のことだ、自分で何を口走ってしまったかなど、気づいていないのだろう。
「おまえ、いつの間に……いつの間に盗ったのだ!」
「最初だ」
「最初……だと」
「そう、最初に貴様と接触した時、手に入れさせてもらった」
最初に接触といえば、ファルクがハルに斬りかかったとき。
あの一瞬の隙に……。
「気づかなかったのか?」
鈍いな、と揶揄を込めて呟くハルに、それまで、相手の顔色をうかがい、ひたすらご機嫌とりに忙しかったファルクは、強ばった顔から一転して、目を吊り上げ怒りに肩を震わせる。呆気なく反撃されたどころか、気づかぬ間に懐の奥にしまい込んだ毒の入った瓶まで奪われてしまったのだ。
それも気づかぬ間に。
こぼれ落ちんばかりに見開いた目を血走らせ、口から血を流しているその様は、まさに悪鬼さながら。
気の弱い者が見たら失神しかねない、凄まじい形相であった。
「くそ! 人の物を勝手に盗るとは、これだから下民は手癖が悪い! 他人の物をすぐに欲しがって奪い取ろうとする。さあ、それを返せ。返すのだ!」
身に刻まれた痛みも、恐怖すらも忘れてしまうほど、それはよほど大切な瓶なのか。剣を取るのは嫌だと、涙まじりに情けない言葉を吐いていたファルクだが、咄嗟に手元の剣を握りしめ、ハルに斬りかかろうとした。いや、斬りかかるはずであった。だが、剣を振り上げるよりも早く、ハルの足がファルクの手を、握った剣ごとぎりぎりと踏みにじる。
ハルの足元でぎしりと指の関節が悲鳴を上げている。そして、ファルクの口から迸る絶叫。
指の何本かは折れただろう。
「負けを認めたのではなかったのか」
「く……」
「負けを認めた時点で、貴様は俺のいいなりになるしかない。逆らうことは許さない。今度こんな真似をしてみろ。次は貴様の指を切り落とす」
「……」
「俺が脅しで言っているのかどうかは、貴様自身が判断しろ」
けれど、ファルクも瓶を取り返すために必死のようだ。
こめかみに青筋を浮き上がらせ、小瓶を取り戻そうと腰を浮かせて手を伸ばしてきたファルクの右肩に、そうはさせるかと、ハルは足をかけて動きを封じる。
「ぐあっ!」
再びどすんと壁に背を打ちつけ、ファルクの口から苦痛の声が上がった。
手を伸ばせば瓶はすぐに届く位置。なのに取り戻すことができずに悔しがるファルクの鼻先に、これ見よがしに瓶を振ってちらつかせる。
何故、そこまでしてこの瓶を取り返そうと躍起になる?
まあいい。
聞き出せばいいことだ。
「馬鹿なおまえでも、この国の法は当然、知っているな」




