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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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61 報復 -4-

 勢いよく真っ正面から駆けてきたファルクの剣が、大きく頭上へとかかげられた。

 空を切って振りおろされるその剣を、正確には剣を握るファルクの手首めがけて、蹴りを放ち相手の得物を一撃で叩き落とす。

 蹴られた衝撃で痛みに呻くファルクの手から剣が離れ床に落ちたと同時に、怯んだファルクの右足を払い、体勢を崩し前のめりになった相手の鼻面にひじを食らわせた。

 容赦なく放たれた鋭い攻撃に、再びファルクの口から苦痛の呻き声。

 まさか、挑んだ相手がこんなにも強かったとは……などと思う隙も、息をつく暇も与えず、目を剥いた相手の頬に素早くこぶしを放つ。

 まさに、一瞬の出来事であった。

 ファルクの身体が勢いよく後方へと飛んだ。

 無意識にソファーの横に置かれていたサイドテーブルをつかんで、崩れそうになる身体を支えようとする。が、勢い余ったその身体はテーブルを倒し、ファルクは背を壁に強く打ちつけて跳ね返り、そのまま床に崩れ尻をつく。

 その衝撃で、テーブルの上のワインの瓶とグラスが床に落ち転がった。

 まだ半分以上も残っていた瓶の中の赤い液体が、とくとくと音をたててこぼれ、床を赤色に染めていく。

 それは、まるで血溜まりのようであった。


「……へ?」


 間の抜けた声がファルクの唇からもれるのを聞く。

 焦点の合わない目で視線を泳がせ、こめかみに手をあて頭を振り、最後に目をしばたたかせた。

 何故、自分が床に座り込んでいるのか、そもそも自分の身に何が起きたのか。状況がわからず、混乱しているという様子であった。だが、身体に受けた痛みがファルクを現実へと引き戻したようだ。

 呻き声をもらし、身をよじるファルクの鼻からつ、と一筋血が流れ、胸元に落ちる。


「血が……かは……っ」


 声を発した瞬間、喉をつまらせファルクは激しく咳き込む。咄嗟に口許に手をあて、そして、赤く濡れた自分の手のひらを見つめ、目を瞠らせる。さらに不快そうに顔をしかめたファルクは、もごもごと口を動かし、何かを口から吐き出した。

 血に染まった歯がころりと床に転がった。


「歯が……折れた……」


 ようやく結んだ視線で、おそるおそる面を上げたファルクの目に、息一つ乱さず、片手を腰にあて、薄く笑いながら悠然と立つハルの姿が映る。

 ゆらりと揺れる蝋燭の、仄かな炎の灯がハルの美しい容貌を照らす。

 その姿はこの場にはそぐわない色香すらまとい、ファルク自身でさえ、思わず息をするのも忘れ、見入ってしまうほどの凄艶さであった。

 どうして。

 そのきれいな顔で、細い身体と腕で、人を殴ったこともなさそうな、女のように華奢な手で、体格差のある相手をたった一撃のこぶしで叩き伏せてしまうほどの攻撃を放つことができるのか。

 優美な見た目とは裏腹に、とんでもない牙を隠し持っていた。

 それも強暴な牙を。

 単純に腕がたつという域を超えている。

 ファルクは喉につまった血をごくりと飲み込んだ。喉を過ぎていく血の嫌な味に、口許を歪める。


「だから、一瞬だと言っただろう。これでも手加減をしてやったつもりだ。そうでなければ」


 殺していた。


 目を細めたハルの瞳の奥に、ちらりと危うい光が過ぎる。


 そう、他愛もない。

 殺そうと思えば、簡単に殺せてしまう。

 それこそ一瞬で。

 そもそも、こんな喧嘩じみた生ぬるい戦い方など向いていないのだ。

 幼い頃から叩き込まれた剣術も格闘術も、それは、暗殺の標的となった者の息の根を一撃で仕留める術。故に、ファルク程度の攻撃など、子どもの遊び。

 相手にもならない。

 ハルは足元に転がる剣を見下ろし、くつりと唇に皮肉の笑みをのせる。再び緩やかに上げた視線がファルクを真っ直ぐに貫く。

 その藍の瞳に浮かぶは嘲弄。

 騎士が己の剣を簡単に手放してしまうとは、情けないと。


「まさか、これでお終いというわけではないよな?」


 挑発を誘う言葉を口にのせ、落ちていた剣をハルはつま先で蹴った。蹴られた剣は床を這うように滑りそして、両脇で垂らし床についていたファルクの利き手にとんとあたった。

 手に触れた剣と、目の前に立つハルを、ファルクは訝しげに交互に見やる。

 どういうつもりだというように。


「もう一度剣をとれ」


 剣を取ってこの俺に斬りかかってこい。

 何度でも貴様を叩きのめしてやる。

 ちらりと横目で、手に触れた己の剣に視線を落としたファルクは、剣に手を伸ばそうとして、いやと、思いとどまり、慌てて引っ込めた。


「聞こえなかったか? とれと言っている」


 有無を言わせぬ口調で、ファルクに圧力をかける。


「頼む……勘弁してくれ。おまえは強い。とてつもなく強い。私の負けだ。そう、負けでいい。それでいいだろう? な? な?」


 ファルクの口から情けない言葉が発せられる。これが、一個騎士団の隊長だと得意げに豪語していた男の姿か。こんな頼りない男が騎士とは、この国の行く末に不安を抱かずにはいられない。


「ずいぶん、あっさりと負けを認めるのだな。この俺に、実力の違いとやらを教えてやると言っていた、さっきまでの勢いはどうした」


 屈辱と羞恥に顔を歪め、ぐっ、とファルクは喉を鳴らした。

 武器は手元にある。けれど、剣を取り立ち上がろうとしないのは、目の前の相手に恐れを抱いたから、もう一度剣を握り、向かっていったとしても、結果は同じ。再び容赦ない目にあわされる。勝算はないと判断したのだ。


 懸命な判断だ。

 だが、この男はひとつ見誤っている。

 それは、こちらに許すつもりはないということだ。


「遠慮するな。いくらでも遊んでやる。それこそ、貴様が立ち上がれなくなるまで」


 遊んでやると、あからさまな侮辱の言葉を投げつけられても、それでも、ファルクは決して剣を取ろうとはしなかった。


「そうか。なら、こちらから行こう」


 足を踏み出したハルに待ったをかけ、ファルクはいやだと首を振る。


「く、来るな……来なくていい。来るなっ! 来てはいけない!」


「次は、どうしてやろうか。ああ、そういえば、俺の顔を切り刻み、苦痛に歪ませてやると言っていたな」


「そ、そんなこと冗談に決まっているだろう! や、やめてくれ!」


「何故、そんな怯えた顔をする。この状況から逃れたければ俺を倒せばいい。簡単なことだろう?」


「簡単なことだと……」


 ははは、と乾いた笑いをもらし、ファルクは両足を交互にばたつかせ、もがいて立ち上がろうする。しかし、腰が抜けてしまっているのか、動かした足は無駄に床の上を滑らせるだけ。逃げたくても逃げることができない。

 もっとも、逃がすつもりはない。

 最初の反撃で、ファルクの意気も矜持も根こそぎへし折ってやった。それでも剣を取り立ち上がる気概があるのなら、むしろこの男を褒めてやろう。しかし、もはや、剣をとらない時点でこの男に戦う意志はない。けれど、そんなことは関係ない。元々、この男を徹底的に叩き潰すつもりでここへ乗り込んできたのだ。


 容赦はしない。

 それこそ、泣き叫ぶまで遊んでやろう。


「立て」


「ひっ!」


 情けない悲鳴上げるファルクの胸ぐらをつかみ、無理矢理立ち上がらせる。


「や、やめろ! 手を離して……く、苦し……」


 膝立ちになったファルクは、歪んだ顔でハルを見上げ、降参だという仕草で両手をあげる。


「ま、待て……待ってくれ。話を聞いてくれ」


「貴様の話に耳を傾けるつもりはない。貴様はただ、俺が尋ねたことにだけ答えればいい」


「違う! 違うのだ。金……」


「金?」


「金が欲しいのだろう?」


「何故、金の話になる」


「おまえに、好きなだけ金をくれてやろう。だから……」


「あいにく、金になど興味はない」


 にべもなく言い捨てるハルの言葉に、ファルクはそんなはずはないと、大きく目を見開いた。


「金に興味がない人間なんてこの世にいるわけがない!」


「貴様の尺度で決めつけるな」


「ははっ! 格好つけるな。どんなきれい事を言ったところで、世の中金だ。最後に金がものをいう。金で解決できないことなどない。おまえだってそのくらいわかっているはず。おまえが働いても、一生稼げないほどの金をくれてやる。どうだ? いくら欲しい? 好きな額を言ってみるがいい。おまえの望み通りくれてやろう」


「アイザカーンの暗殺者を雇うのに、借金までしたのではないか? さっきそう言ったように聞こえたが」


 思わぬ指摘にファルクはうっ、と声をつまらせる。が、すぐにいや、と首を振り、両手を大きく広げた。


「問題ない。私にはもうじきトランティアの財産が手に入る。とてつもない財産が! そうすれば、金などいくらでも私の自由になる」


 頭の悪い男だと、ハルは心底呆れたように息をもらす。

 サラと婚姻を結び、トランティア家を乗っ取ろうとするこの男の計画を阻止してやろうとしているのに、それでもまだ、財産が、と愚かなことを口にするのか。

 それに……。


「貴様から金などもらわなくとも、じゅうぶん稼いだ」


「稼いだ、だと?」


 ファルクはふはっと鼻を鳴らし嘲笑う。


「おまえがいったい何の仕事をしているのか知らないが、庶民のおまえになど想像もつかない額だぞ。それをくれてやると言っているのだ。いくら欲しい? そうだな……」


 これでどうだ? と金額を口にするファルクをハルは冷ややかな目で見下ろす。言葉を発しないハルに、己が提示した額に不満を抱いて首を縦に振らないのだと勘違いをするファルクは、ならばと、少しずつ金額を上乗せしていくが、やがて、その顔に焦りが生じ始める。


「まさか、まだ、足りないというわけでは……」


 いくらでも、好きなだけ金をくれてやろうと言ったわりには、徐々に上がっていく金額にファルクは片頬をひくつかせる。


「俺の価値はその程度か。ずいぶんと安くみられたものだな」


「そ、そ、その程度だと……ばかを言うな。これでも、そうとうな額ではないか! 何が不満だという。汗水たらして働かずとも、しばらくは遊んで暮らせ……」


「俺ひとりを動かすのに、どれほどの金が流れるか知っているか? 貴様になど想像もつかない額だ」


「は?」


 ハルはわずかにまぶたを落とす。


「……昔の話だ」


「昔?」


 言っている意味がさっぱりわからないと、ファルクはぽかんと口を開けている。


「な、なら、この私の側仕えとして雇ってやってもいい。おまえほどの腕のたつ者なら、私の護衛としてもじゅうぶん役に立つ。最高の待遇でおまえを迎えてやろう。悪い話ではないだろう? それだけではない! それだけではないぞ。私の背後には、とてつもない人物がついているのだ」


 金でこの場をおさめようというのならまだしも、この男を叩き潰してやると言っているのに、何故、護衛云々の話を持ち出してくるのか。それどころか、剣術大会で優勝するほどの腕前を持つと自慢しておきながら、どうして、護衛が必要なのかも意味不明だ。だが、そのことには、あえて触れることはしなかった。それよりも、この男が口にした、とてつもない人物とやらが気にかかったからだ。


「とてつもない人物?」


「そうだ」


「その人物とは誰だ」


「ふふふ、今は言えないな。だが、聞けば間違いなく驚く……」


「誰だと聞いている」


 つかんでいたファルクの胸ぐらを、さらにぎりぎりと締めあげる。


「ひっ!」


 声が出せる程度には手加減したつもりだが、ファルクは苦しい喉を潰されると、大袈裟な悲鳴を上げ始めた。


「わ、わかった、わかったから……言うから、だからそんな怖い顔をするな。暴力はいけないよ暴力は。ここは穏便に。そう、聞いて驚くな……」


 相変わらずもったいぶった物言いをするファルクは一呼吸ため、まるで内緒話をするように声をひそめ、そのとてつもない人物とやらの正体を口にする。


「女王陛下だ」


 ファルクは凄いだろうと、得意満面に鼻を膨らませる。


「女王陛下だぞ! 女王陛下がこの私に目をかけてくださったのだ」


 へえ、と興味深そうに声をもらすハルに、してやったりとファルクは口の端を歪める。

 自分の背後には女王の存在がいると明かした途端、話に食いついたのだと思ったのだろう。いや、食いついたのは事実だ。

 だが、この男の思惑とはまったく違う意味でだが。

 ファルクの胸ぐらをつかんでいたハルの手が緩む。すかさず、ファルクは身を引き、背後の壁に背をついて座り込む。

 偽りの女王、イザーラ……と、胸中で呟き、ハルは腰のあたりに手をあてる。

 指先に触れたのは、剣を飾る真紅の紐──


「はは、驚いたか?」


 そこでファルクは、今さらながらにハルの容貌を見てはっとする。


「……女王陛下は北の大陸、レザン・パリューに大変興味を抱いておられる。よくよく見れば、おまえはレザンの人間だな。そうだろう? 間違いないな? よし、この私がおまえを女王陛下に引き合わせてあげよう。そうだ! おまえはレザンにあるという組織を知らないか? 女王陛下はその組織とやらを長い間探しているらしい。何の組織かまでは私も詳しくは知らないが、レザンの人間であるおまえなら、もしかしたら知っているかもしれないだろう? もし、知っていれば、女王陛下はなおいっそうお喜びになるはず。どうだ?」


 どうだ? と問いかけるファルクに、ハルはまなじりを細めた。

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