60 報復 -3-
ハルの反応を確かめるように、ファルクはサラが屋敷に連れ戻されたと言い放つ。
さらに……。
「ついでに、二度と外へと抜け出さないように、屋敷の奥深くに閉じ込めておくようにと伝えてやったよ」
握りしめていた手から力が抜けていった。けれど、目の前の男がさも、どうだ悔しがれと得意げになっているほどに、心は冷静になれと言い聞かせてくる。
影でアイザカーンの暗殺者たちが密かに動き自分たちを見張っていたのか。否だ。何者かに見張られていたという気配はなかった。たとえ、相手が気配を殺そうとも、ずっとこちらを見張っていたのなら、間違いなく気づいた。
単純に、屋敷の誰かがサラが部屋から消えてしまったことに気づき、探したのだろう。そして、屋敷に姿がないとわかると、彼女が行くと思われる場所は限られている。
いや、ひとつしかない。
ベゼレート医師のところだ。
迂闊だったかもしれない。だが、こんなにも早く屋敷の人間にばれてしまうとは予想外であった。
「あの娘を、ベゼレートとかいう、しみったれた町医者の家に連れていったのは聞くまでもなくおまえだね? しかし、無駄なあがきだったようだな。ご苦労さまなことだ。その町医者も、医者の弟子とおぼしき男も、迎えに来たトランティアの屋敷の使者たちに、怪我の状態がよくないから、せめて一日だけでも様子を、などと言ってずいぶんと抵抗したらしいが……」
そこで、ファルクはおや? と首を傾げる。
「あの娘は怪我をしていたのか? それはつまり私が叩いたせいだというのか? あの医者め! 大袈裟なことを言って……まるでこの私が悪いみたいな口ぶりではないか。だいいち、私はそこまでひどくした覚えはないよ。それに、あの娘は叩かれて当然のことをしたのだ。この私に生意気な口をきき、逆らったから。どうせ、他人に同情してもらおうと、あることないこと言ってあの娘が騒ぎたてたのだろう。まったく、誰にも言ってはいけない、自分で転んだと言いなさいと、あれほど念を押してやったというのに……あのばか娘が! 私の印象を貶めるつもりかっ!」
言うことを聞かない子には、きついお仕置きが必要だ、とファルクは忌々しげに吐き捨てると、親指を口許に持っていき噛み始めた。が、すぐにハルの視線があったことに気づき、慌てて口許から指を離す。
「そうそう、あの娘、誰によって医者のところへと連れて来られたのかと問いつめても、最後まで決して、おまえの名をあかすことはなかったそうだ。おまえのことをかばったのだろうね。何とも健気なところもあるではないか。しかし、女にかばってもらうとは、男として実に情けない」
そうだな。
貴様に言われたくはないが、事実だな。
「さて、これでじゅうぶん、理解できたかね。どこへ逃げても無駄だということが」
サラ……。
目覚めて俺が側についていなかったことを怒っているだろうか。それとも寂しがっているだろうか。不安で泣いているだろうか。いや、きっと俺のことを心配して心を痛めているだろうね。
つらい思いをさせてしまって、ごめん。
結局、離れてしまうことになってしまったけれど、この男の手から、必ずサラを守るから。
「あの娘が連れ戻されたと聞いても、それでも、おまえは冷静なのだな。顔色ひとつ変えようとはしない。今すぐ引き返して、あの娘の元へ駆けつけるかと思っていたのだが。それとも、私が思っていたよりも、おまえはあの娘に対してそれほど思い入れはなかった。大切ではなかったということかな? あの娘はもう用なしかね? 薄情な男だ。まあ、確かに捕まってしまうかもしれないとわかっていながら、危険をおかしてまでわざわざ取り戻しに行こうなどという、そんな酔狂なことは普通では考えないだろう」
大切に思っていなければ、サラをあんな酷い目にあわせたこの男に、報復してやろうと、単身ここへは乗り込んでは来ない。だが、大切に思っているからこそ、側にいてあげるべきだったのかもしれない。
「それにしても、ベゼレートとかいうあのいんちき医師、何が元王家専任の医師だ。何をやらかしてその任を解かれ、町で下民ども相手に、しょうもない開業医なんぞ始めたのか知らないが……まあ、どうせ、王宮にあがってもうまく馴染めず、要領よく立ち回ることもできず、せっかくの好機をものにすることもできず、圧力に押し潰され脱落してしまったくちであろう。まさに、人生の脱落者、敗残者! 王家専任医師とはいっても、しょせん元はただの下民。まあ、その下民の分際が少しでも華やかな王宮でいい夢をみられたのなら……」
「アイザカーンの暗殺者二十人だな」
延々とベゼレート医師を罵り続けるファルクを遮るように、ハルはようやく言葉を発した。もはや聞くに堪えがたいとばかりに。
発した声はあくまでも静かであったが、その胸のうちに孕んだ怒りは、いまかいまか、早く解き放てと、いっそう膨れあがるばかり。そして、解き放った瞬間、怒りの業火は容赦なくファルクを一気に飲み込んでしまうであろう。
「そう、二十人だよ。暗殺者二十人をどうにかしない限り、おまえはあの娘を救うことなどできない。だが、そんなことはとうてい無理。つまり、おまえにはどうすることもできないということ。これがおまえの現実だ」
そう、これが俺の現実だ。
できることなら戦いとか殺しとか、そんな血なまぐさい事から遠ざかって、サラとともに静かに穏やかに暮らしていきたいと思った。それができると思っていた。
一緒に住むようになったら、たくさんやりたいことがあると楽しそうに、嬉しそうに語ってくれたサラの言葉を、ともに叶えていきたいと思っていた。
俺も、楽しみにしていたんだよ。
本当だよ、サラ。
しかし、それは叶わぬこと。
自分には許されない願い。
結局、戦う運命から、逃れることなどできないのか。
ようやく手に入れかけようとしていた幸せが、崩れ落ちていく。
静かにけれど、急速に。
目の前の男ひとりを懲らしめ地獄の底に叩きつけてやるつもりが、よもやこんな事態に向かうことになろうとは、まったく想像もしていなかった。
ハルは静かにまぶたを伏せ、己の手のひらに視線を落とす。
サラが屋敷に連れ戻されてしまった。だが、悲観することはない。むしろその方が都合がいいと考えるべきかもしれない。このままサラを連れて逃げ、追いかけてくるこの男が雇った暗殺者を細切れで倒すよりも、カーナの森でこの男の企みごと、ひとり残らず、一気にまとめて叩いてしまう方が、何度もサラを危険な目にさらすことなく、無関係な者を巻き込むこともなく効率がいい。
戦いはカーナの森。
相手は暗殺者二十人。
アイザカーンの暗殺者すべてを倒し、この男の計画を阻止してサラを守る。
相手がレザンの者でないのなら。
本気になった自分ならやれる。
アイザカーンの暗殺者など、何人、いや、何十人相手になろうと、恐れるに足りない。
やらなければ、サラを守ることはできない。
だが……。
そんなことをしてしまえば──
間違いなく、組織に自分の存在がばれてしまうだろう。
ハルは見つめていた己の手を握りしめ震わせた。その瞳に表情に、一瞬だが痛々しくせつない色が過ぎる。
それに……。
本性を剥き出しにしたもうひとりの自分を、壮絶になるであろう自分の姿をサラにだけは見られたくはなかった。
サラを怖がらせてしまうかもしれない。
もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。
サラの心が自分から離れていくかもしれない。
いや、むしろそれでいい。
確実に組織にばれてしまうとわかっていながら、サラと一緒になることなどできない。
サラを巻き込むわけにはいかない。
何をためらうという。
大切な人を守る為に俺は戦う。
俺の力は、強さは、そのためにある。
口許に笑いを刻むハルの予想外の反応に、ファルクは眉根をひそめ訝しむ。
絶望に突き落とされ、悲痛と悲壮に満ちた顔が見たかった。なのに、相手の笑いに余裕さえ感じられるのは気のせいだろうか。
余裕? いや、単なる思い過ごしだ。ファルクの顔はそんなふうであった。
ハルはゆっくりと落としていた視線を手元から外し、まなじりを決する。
迷いもない。
ためらいもない。
恐れもない。
その藍色の瞳に宿るのは決意の色。
「その笑いは何だね? 何が可笑しい?」
底知れぬハルの態度にファルクも何やら不穏な気配を感じたのであろう。それでも、自分が目の前の少年に負けるわけがないという、己の間違った自信と確信が、この後自身の身を滅ぼすとも知らずに。
「なるほど。もはや笑うしかないというわけだな。そう、地位も権力も金も力もないおまえに何ができるという。そうさ、何もできやしないのだ。足掻きに足掻いて、己の無力さを知れ。そうして、自分の女がこの私のものになっていくのを、悔しさに身を悶えさせながら指をくわえて見ているがいい!」
得意げに、己の勝ちを疑わない自信満々の態度で、ファルクは持っていた剣をハルに向かって真っ直ぐに突きつける。
どうやら、相手の長々とした自分の素晴らしい計画語りは終わってくれたようだ。
そうやって何もかも、相手に手の内を明かしてしまうとは愚かな男だ。
俺が何者かも知らずに。
さあ、反撃してやろうか。
「それで?」
「それで、だと?」
「喋りたいことは、すべて喋り終えたか」
「何?」
「満足したのかと聞いている」
突然、態度を豹変させたハルに、ファルクは一瞬、惚けた顔をする。
「どうやら少しばかりこちらも状況が変わってしまった。いくつか貴様に尋ねたいことがある。答えてもらうぞ。もっともお喋りな貴様のことだ、俺が知りたいことはすべて快く語ってくれそうだな」
「そう言われると、こちらも絶対喋るものかとかまえてしまうではないか。駆け引きの下手な男だ。では、ここから先は堅く口を閉ざすとしよう。うっかり、よけいなことを口走ったりしないようにね」
「駆け引き? そんなもの必要ない。喋らずにはいられない状況にしてやる」
「ほう? まさかこの私を拷問にかけるつもりかね?」
「言うことをきかない子には、きついお仕置きが必要なんだろう?」
お仕置きという言葉に反応したファルクは、にやりと口の端を持ち上げる。
相手をいたぶることに愉悦を見いだす嗤いであった。
「ふふふ、おまえはまだ自分の置かれている状況、立場というものが理解できていないようだね。頭の悪い男だ。人の屋敷に乗り込んできて、お仕置きが必要なのはむしろおまえの方ではないのかね?」
「悪いが、俺はお仕置きとやらをされるより、する方が得意だ」
ハルに突きつけていた剣をいったん下ろし、ファルクはかまえる。
数々の剣術大会で優勝をしていると自分で言うだけあって、そのかまえに隙はないように見えた。強いというのもあながち嘘ではないのであろう。だが、たとえ、この男が本気でかかってこようとも、それでも、自分の敵ではない。
「おまえは剣を抜かなくていいのかな? その腰にさげている剣がお飾りでないのなら、抜いてみるといい。そして、この私と戦ってみろ」
「どうして?」
「どうしてだと? 子どもみたいに、いちいち聞き返すな! 私とおまえの実力の違いというものを、はっきりとわからせてやろうということだ」
もはや笑うしかなかった。
根本的に話にならないのだ。これだけ側にいながら殺気を放っても、この男はまったく気づこうともしない。相手の実力をはかることもできない。
「だから何なのだ! その笑いは」
「可笑しいから笑ったんだ」
「だから、何が可笑しい! つべこべ言わずに早く剣を抜け!」
「どうして貴様ごときに、この俺が剣を抜かなければならない」
「それはどういう意味だ!」
「わからないのか? 剣など使うまでもないと言った。頭の悪い男だな」
「な……な! 今何と言ったのかね? 頭が悪いだと?」
「ちゃんと聞こえているじゃないか」
「それは、私のことを言ったのかね? こ、この私の頭が悪いと言ったのか?」
「他に誰がいる。いちいち聞き返すな」
「くそがきが! ああ言えばこう言うと減らず口を叩きやがって! いちいち癇に障る!」
「わざと貴様の神経を逆なでして反応を愉しんでいるんだ」
そのくらい気づけと、肩をすくめるハルに対し、ファルクは片足を踏みならした。よほど、頭が悪いと言い返されたことが悔しかったのか、たちまち、ファルクの顔が怒気色に染まっていく。
「さっきまで、一言も口を開かず、間抜け面でおとなしくしていたと思えば」
「貴様が得意げに何もかも喋りつくすのを、邪魔をしないようにと耐えていただけだ。おかげで、見逃せない事実も手に入れることができた。貴様は自分で自分の首を絞めたことに気づいていないだろう」
「暗殺者のことか? あの娘のことか?」
さあ、と答えるハルに、ファルクは一瞬考え込むように眉をひそめた。案の定、いろいろなことを思いつくまま喋りすぎて、自分で何を口走ってしまったのかわからないという顔だ。
「くそ……黙れ黙れ!」
「騒いでいるのは貴様の方だろう」
「く……あくまでも剣を抜かないというのだな」
「だから、俺に遠慮などせずに、かかってくればいい」
「後悔させてやるぞ」
「後悔? 誰にどう後悔させるという?」
「そのきれいな顔を切り刻み、苦痛に歪ませてやる。この部屋から無事な姿で帰ることができるとは思わないことだ。だが、安心するといい。殺しはしない。私の足下にひれ伏させ、捕らえてしばらくの間、この私が飼ってやろう。鎖にでも繋いでな。そうだ、二度とこの私に減らず口が叩けないように、おまえを厳しくしつけてやる。そして、あの娘が徐々に弱って死んでいく姿を、その目で見るのだ」
目を剥き、唾を飛ばしてファルクは憤る。
ファルク自身は気づいていないであろう。それはどこか追いつめられた犬がむだに吠えているようにも見えた。
ハルは右手の指の関節を鳴らした。
ぱきりと小気味よい音が鳴る。
「一瞬だ」
「は?」
「一瞬で貴様を沈めてやる」
「沈めてやるだと? ふ、偉そう……」
「しっかり気を張っておけ。でないと、意識を飛ばすことになるぞ。もっとも、気を失ってもすぐに目を覚まさせてやる。そう簡単には楽にはさせない。許しはしない。覚悟しろ」
「武器も持たず、女のような細腕で、この私をどうにかできると思っているのか」
「すぐにわかる」
「そうやって余裕の顔でいられるのもいまのうちだ!」
そして、ファルクは剣を手に一気にハルの元へと踏み込んできた。




