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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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57 深い闇へ、落ちていく

 診療所の扉を叩いてすぐに、その人物は現れた。

 時刻は丁夜。

 こんな時間に人がやってくるとは思わないだろうし、訪ねるにしても、非常識な時間だ。当然、この家の住人も眠っているはず。もしかしたら扉を叩いた音にすら気づかないかもしれない。ならば、夜が明けた頃にもう一度出直そうかと思っていたその時、奥から急いで駆けつける足音が聞こえ、診療所の扉が開かれた。

 現れたその人物は夜着姿に上着を羽織った格好であった。こんな時間まで起きていたというわけでもないらしい。その証拠に薄茶色の髪にはほんの少し寝癖のあとがついている。


「どうされました……か……?」


 いったい今何時だと思っているんだ、と不機嫌な態度をとるかと覚悟はしていたが、扉から顔をのぞかせたその人物は意外にも真剣な顔で、今まで眠っていたとは思えないほど、口調もしっかりとしていた。


「おまえ……」


 中から現れたその人物──テオは、まさか、訪ねて来たのがおまえだったとは……とでもいうように心底驚いたと目を丸くし、口を開けていた。

 よもやこうして再会することになるとは相手も思わなかったのだろう。自分とて、再びこうしてやってくることになるとはここを去るとき、少しも考えもしなかった。

 カーナの森で、名も知らない小さな男の子を、突然現れた賊から守る為に戦い、不覚にも傷を負ってしまった。そして、そこで初めてサラと出会った。彼女によって、なかば強引にこの診療所へと連れられてきたのは、ほんの数ヶ月前。まだ、新緑が眩しい初夏の頃だった。

 賊二十人近くを倒すという派手な行動をとってしまい、もしや抜け出した組織に自分の存在がばれやしないかと恐れ、傷が治ったと同時に、これ以上長居をすれば迷惑をかけることになると危惧を抱いてこの診療所を去った。

 いつ、組織の者が現れるかもわからない。

 どこの誰ともわからない得たいのしれない自分に親切にしてくれたここの人たちを、巻き込むわけにはいかないと思ったから。


「こんな時間にすまない」


「いや、急患が訪れることだってあるからね。僕たち医療にたずさわる者に時間など関係ないさ。そんなことより……」


 いったいどうしたのだ、と言いかけたテオの視線が、ハルの腕の中でくったりとなっているサラにようやく気づく。そして、その目が何てことだと言わんばかりに大きく見開かれた。


「サラ! これは、いったい……」


「怪我をしている」


「怪我って……」


 あまりにも痛々しく腫れ上がったサラの頬に伸ばされたテオの手が、触れることを躊躇うかのように固まり、虚空で止まってしまった。


「サラ……」


「首筋と顔、口の中も切っている。それと身体中に痣が。ひどい痛みは訴えていないから骨に異常はないはず。だが、よく診てあげて欲しい」


「ま、待ってくれ……まさ、まさかとは思うけれど、サラはその……」


 サラは一度裏街に出向き、ごろつきどもに絡まれ危険な目にあいそうになった。その時のことをテオは思い出し、重ねてしまったのだろう。

 考えたくもないことだが、と言葉を濁らせテオはひどく狼狽える。目の前の青年が言いたいことを察したハルは、それはないと強く否定した。

 それは断じてないと。

 テオはほっと息をつき肩の力を抜いた。


「お願いだ。どうかサラを……」


 頼む、と声を落としてハルはテオに向かって深く頭を下げる。


「や……」


 そんなハルの態度に、テオは言葉をつまらせ面を食らったようだ。その顔は、まさか頭を下げられるとは思いもしなかったという驚きの顔であった。


「やめてくれ……頭を下げなくても、病人や怪我人を診るのが僕の仕事だ。ましてや、サラは僕にとっても大切な友人」


「すまない」


「だから、やめてくれと……」


「あんたになら、安心してサラをあずけられる」


 その言葉は半分は本当で、半分は偽りであった。

 本当なら、誰の手にも彼女を渡したくはないというのが本音だ。けれど、今はそんなことを言っていられない。

 抱えていたサラをテオに託そうとしたその時、サラがゆるりとまぶたを開いた。頼りなく揺れる視線でハルを見つめる。


「ハル……?」


「先生の所だよ」


 屋敷を抜け、こうしてサラの信頼する医師の元へとやってきた。なのに、安心するどころか、ハルの目を見つめるサラの表情が何かの不安に怯えるように、泣きそうに辛そうに歪んだ。


 気づいているのだ。

 俺がこれから何をしようとするのかを。


「いや……側にいてハル。どこにもいかないって、約束したでしょう」


「どこにも行ったりしないよ」


「お願いだめ。いか……ないで」


 両腕を伸ばしてサラがきつく首筋に抱きついてくる。


「ハル、お願い」


「サラの側にいるよ。だから、安心して」


 いつも以上に甘えてくるサラのこめかみに優しく口づけをすると、サラは小さくうなずいて、再びすっと眠りの底へと誘われるように沈んでいく。

 二人の様子を無言で見ていたテオは思わず息を飲んだ。

 シンとの約束を破り、ひとり、ハルを探しに裏街へと向かったサラだったが、その後すぐに屋敷へ戻ってしまい、結局、サラとハルの二人がどうなったのかテオは知らない。しかし、腕に抱いたサラに愛おしげに口づけをするハルを見て、サラの思いが相手に通じたのだとようやく、この瞬間、テオは知る。

 これだけの怪我を負いながらも、安心しきった様子でハルの腕の中で眠っているサラの顔に苦痛の色はない。むしろ、幸せそうに微笑みさえ浮かべていた。

 手放したくないとばかりに、ハルはテオの腕にサラをあずけた。

 消えてしまった腕の重みに、ふと、心をかすめたのは寂しさと虚しさ。


「それにしても、誰がこんな酷いことを……」


 サラを腕に抱いたテオは顔を歪め声を震わせる。

 一見、冷静沈着で、争いごとなど好まない穏やかそうに見える外見とは裏腹に、その内面に彼自身では御しきれない激しい感情を持つ一面もあることをハルは知っている。

 この診療所で、サラを無理矢理抱こうとしてこの青年に見られてしまった時、彼は持っていた短剣を抜き放ち、怒りに任せて刃を自分に向けてきたこともあったのだ。


「いったい、誰が……っ!」


 ハルは答えることができなかった。まさか、婚約者によってこんな酷い暴行を受けたなど、サラの世間体を考えれば、たとえ、彼女が信頼を寄せているこの青年でも言えなかった。


「女の子の顔を身体を、こんなになるまで……」


 怒りをみなぎらせていたテオの目が、今度は悲しみの色でサラを見つめ、抱え直すようにして小さなその身体を抱きしめた。

 ハルはわずかに眉を寄せ、静かに二人から視線を外した。

 サラに対する特別な感情はテオにはないとわかっていても、それでも、他の誰かの腕に大切な人が抱かれるのを見るのは、何とも複雑な気持ちであった。


「誰がっ!」


 声を荒げかけたテオははっと我に返る。今はそんなことを言っている場合ではないことに気づいたようだ。


「とにかく、早く」


 中へと、テオは身体を傾け入り口を開けて促す。が、しかし、ハルはいやと首を振り、一度だけサラに目をやると、それ以上は何も言わず青年に背を向けた。


「おい待て、どこに行くつもりだ」


 引き止める声にハルは立ち止まり振り返る。サラを腕に抱えたテオが心配げな視線を向けてくる。


「少しばかり、用がある」


「用って、こんな時間だぞ、いったどこへ行くという。それにサラの側についているとさっき言ったばかりでは」


「夜が明ける頃に……サラが目覚めるまでには戻る」


「しかし……」


「サラをひとり残していくつもりはない。だから、それまでサラを……」


 頼む、と、ハルわずかに目を伏せた。


「本当だな? 本当に戻ってくるんだな」


 しつこいくらいに念を押してくる相手に、ハルは苦笑をこぼしつつも、偽りのない眼差しでテオを見つめ返し必ず戻ると約束を誓う。

 その言葉に目に、嘘はないと信じ納得してくれたのか、テオはわずかに緊張を緩めた。そして、自分の抱える、何かしらの心境を、わずかな感情の揺れを感じ取ったのであろう。


「おまえこそ、大丈夫なのか?」


 と、目を細め、まるで探るように尋ねてくる。


「何が?」


「……いや、何でもない」


 今度はテオがその顔に苦い笑いを刻んだ。

 聞いたところで素直に答える相手ではない、聞くだけ無駄であったというように。

 テオから視線をそらし、ハルは背を向けた。


「ハル!」


 再び呼び止める声に、今度は振り返らずハルは立ち止まる。


「僕はおまえに礼を言いそびれてしまっていた。……あの時、僕が薬の調合を間違えていたのをおまえはわかっていたのだろう? 僕はおまえに救われた。なのに、僕は……」


 すまなかった、ありがとう、と低く呟くテオの声を背中に聞き、ハルは口許にかすかな笑みを刻む。


「サラを頼んだ」


 それだけを言い残し、ハルはわだかまる深い夜の闇へと向かい歩き出していく。



 ◇



 暗い夜の町をハルはひとり歩いた。

 その足が迷いなく向かうはファルクの元。

 ふと、立ち止まり、ハルは己の手を見つめた。

 腕と手に残るサラの温もり。ふわふわとした柔らかい感触。まだ幼い感じを残す甘くて優しい香り。

 吹く風にどこかの家の窓に飾られた植木鉢の花の花びらが舞い落ち目の前を過ぎる。その花びらをつかみとり強く握りしめる。


 大切なものを壊されて、許せるわけがないだろう。


 昼間、サラの屋敷の薔薇園で初めてファルクと出会った時、相手の意気を挫かせるほどの気を放ってやった。こちらに近づいてくるな。近づけば容赦はしないと。

 己の放つ無言の警告を相手が気づいたかどうか。しかし、あの場であの男は一歩も動けずに、自分たちが薔薇園から去っていくのを、ただ見ているだけだった。だが、あの男は結局、相手の力量をはかることはできなかった。

 つまり、それだけの男だったということだ。


 サラを傷つけられて、俺がおとなしく黙っていると思っていたか。

 それとも俺の見かけに騙されたか。

 俺が何もできないと思い込んでいるのか。

 ファルク・フィル・ゼクス。


 握った手をさっと勢いよく横に払う。

 開いた手のひら、指先から、無残にも握りつぶされた花びらが風に舞い飛んでいく。

 ハルの口許に酷薄な嗤いが刻まれた。


 待っていろ。

 今すぐ貴様の元へ行く。

 貴様はいったい誰を怒らせてしまったか、その身をもって思い知らせてやる。サラにあんな酷い真似をしたことを、この俺が後悔させてやる。

 さあ、貴様をどうしてやろうか。


 すがめる藍色の瞳の奥にちらつくのは逆鱗の炎。


 殺しはしない。けれど、生かしもしない。この先のおまえの未来をこの手で握りつぶしてやる。今度は俺が貴様を壊してやる。

 徹底的に。

 あと数刻で夜が明けるだろう。

 貴様が向かえる夜明けに、希望も絶望もない。


 ただの無だ。

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