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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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55 サラを手放さない

「どうして……こんな、ひどい……」


 何故、自分がこんな目にあわなければいけないのだといわんばかりの非難の目であった。


「いいから」


 短剣を持つハルの手が振り上げられた。


「早く言われた物を用意してこい」


 ハルの手から放たれた短剣が、音をたて刃を震わせ侍女の耳の脇の壁に突き刺さる。

 最後に、なけなしの侍女の反抗心を打ち砕く。


「ひっ!」


「ハルっ!」


 上がった悲鳴は二つ。

 侍女は腰が抜けた状態のまま、這いつくばって指示された物を取りに部屋から出て行ってしまった。

 誰にも見つからず、必ずひとりでこの部屋に戻ってくるだろう。たとえ、誰かに見とがめられたとしても、うまく誤魔化すはずだ。

 何故なら、もしも、このことが知られてしまえば、無断でファルクをサラの部屋に通したことを咎められ、処罰を受けるのは彼女自身なのだから。

 そうならないためにも必死になるだろう。

 ハルはようやくサラを振り返る。

 困ったことに、泣き出してしまったのは侍女だけではなかった。

 サラに向けるハルのその顔には、先ほどまで侍女に向けていた厳しい色はすっかりと消えていた。

 ベッドから下り、走り寄ってきたサラが飛びつくように抱きついてきた。胸に顔をうずめ声を殺すように泣いている。


「サラ……?」


 サラの両腕に手を添え、ハルは片膝をつく。そして、困ったように眉宇を寄せサラの顔をのぞき込む。

 ファルクに酷い目にあわされても、涙を流さず気丈に振る舞っていたのに、侍女の身を心配してぽろぽろと涙を流すのだ。その侍女のせいでこうなったことも知らないで。


「サラ、どうして泣くの? 泣かないで」


 手を伸ばしてサラの頬を濡らす涙を拭い、あらたに目の縁にたまった粒を指先ですくいとる。


「だって、ハルがミリアに……」


「驚かないでと言ったのに、だめだった?」


「ハルのこと信じていなかったわけではないの。でも怖くて……それにいつもと口調が違うし。もしかしたらハルが本当にミリアのことを……」


「傷つけると思ったの?」


 あるいは殺すかと。


「そんなこと、するわけがないだろう」


 サラの目の前でそんな真似をするわけがない。

 そう、サラの見ている前では。

 言い換えればサラの為ならどんなことでも自分はやるだろうし、それこそ非情にも残酷にもなれる。もし、あの侍女が約束を破ったら、間違いなく殺してやるつもりだ。たとえそれでサラに恐れられ嫌われたとしても。


 だが、俺はサラを手放さない、逃さない、誰にも渡さない。それでも俺から離れていこうとするのなら……俺はきっとこの手でサラを殺してしまうだろう。


 サラの頬をそっと両手で包み込み、涙のたまったその目に口づけをする。


「ほんとう?」


「ほんとうだよ。だから、お願いだからもう泣かないで。怖い思いをさせてしまって、ごめんね」


 女性の涙に動揺して心を動かされることはない。けれど、サラは別だ。サラに泣かれるのは胸が痛んだ。どうしていいのかわからなくなる自分に困惑してしまう。

 サラは唇を噛んであふれる涙を懸命にこらえようとする。そこへ、再び部屋の扉が開き侍女が戻ってきた。

 先ほど、できない、無理だと言っていたわりには、言われた物をきちんと用意して戻ってくるには、さほど時間はかからなかった。

 侍女から冷たいタオルを受け取り、サラの赤く腫れた頬にあてた。一瞬だけ、痛みと冷たさにサラは顔をしかめる。


「冷たい……」


「微熱があるね。痛む?」


「少しだけ」


「頬の腫れはしばらくひかないと思う」


「うん……」


「首の傷の手当てをして、それから着替えるけれど、いい?」


 サラはこくりとうなずいた。


「それから、あの医師のところに行こう」


「ベゼレート先生のところ?」


 そう、とハルは答える。


「きちんと診てもらおうね」


 それから、侍女が持ってきた薬箱から消毒薬と包帯を取り出し、手際よく傷ついたサラの首筋の手当をする。破れた服を脱がせ、用意された服に着替えさせた。

 側にいた侍女はただ立ち尽くして二人の様子を眺めているだけで、まったく、何の役にもたたなかった。いや、役にたたなくても、邪魔にならず、おとなしくしてくれればそれでいい。しかし、侍女は顔に手を押しあて、しきりに涙をこぼして泣き言を繰り返すばかりであった。


「私のせいだわ。私がファルク様に部屋の鍵を渡してしまったばかりに。だけど、まさかこんなことになるとは思わなくて。ファルク様がサラ様にこんな酷いことをするなんて。ああ……どうか許して……」


 ファルクにそそのかされ、部屋の鍵を渡してしまったことを侍女は正直に告白する。


 鍵?


 ああ、なるほどと、ハルは納得した。


「……私、仕事を終えて自分の部屋に戻ろうとしたら、ファルク様と廊下でばったりと会ってしまって……まさか、こんな時間にと最初は驚いたわ。でも、ファルク様はとても思いつめた顔で、最近サラ様と会っていないから、会いに来てもサラ様はいつもお屋敷にはいない。だから、どうしても会いたい、二人きりで話がしたいとおっしゃって。だから、私……それにお二人はご婚約をなさっているから、少しくらいなら問題ないと……私は私なりの考えで、お二人のことを思って……よかれと……」


 よかれだと?


 ハルはかすかに眉根を寄せた。


 侍女はしゃくり上げるように泣きながら、途切れ途切れにファルクに部屋の鍵を渡してしまった時の状況を話した。けれど、その時、ファルクにキスされたことは口にはしなかった。もっとも、婚約者であるサラの前で言えるはずもないであろうが。

 今ひとつ要領を得ない説明であったが、最後はむしろ、自分は気を利かせてやったのだという口ぶりに、ハルは込み上げてくる憤りをぐっと胸のうちに押さえ込んだ。

 とはいえ、ファルクの本質を見抜くことができず、あの男の甘い言葉にそそのかされ、結果、言いなりとなってしまったこの少女も犠牲者であった。


「ミリア、そんなに自分を責めないで。私は平気だから。だから、もう泣かないで」


「でも!」


「ほんとうよ。ハルがいてくれるから、私はもう大丈夫」


「サラ様……あの……」


 あの……と言葉を濁したミリアが渋い顔つきで、ちらりとハルを見る。ここにいる人は誰? サラ様の何なの? とでも言いたいのだろう。しかし、ハルと目が合ってしまった途端、ミリアは慌てて目をそらしてしまった。


「それよりも、ファルクに何かされなかった? ミリアは大丈夫?」


「私は……ああ! すみません……サラ様、どうかお許しください」


 その謝罪の言葉は鍵を渡してしまったことか、あるいはサラの婚約者とキスをしてしまったことか。あるいは両方か……。

 侍女を気遣うサラの横で、ハルは冷え切った眼差しで泣き崩れる侍女を見やる。

 先ほどは少々やり過ぎたかと思ったが、案外そうでもないようだ。どうやら、自分の思っていることを感情のまま口にしてしまう娘のようだ。


「ミリアが無事ならよかったわ」


 侍女の身を案じるサラの優しい言葉に、とうとうミリアはその場にうずくまり、わあ、と声を上げて泣き出してしまった。

 本当に泣きたいのはどちらかも考えずに……。

 そんな侍女の背を、サラは泣かないでと何度も慰めるようにさすっている。


「サラ」


 呼びかけるハルの声にサラは何? と顔を上げた。


「人が好いのと優しさは違う」


 手厳しいハルの言葉にサラははっとした顔をする。何か言いたげに口を開きかけたが、結局何も言えず、しゅんとなってうつむいてしまった。

 それ以上は何も言う必要はないだろう。

 本来なら、勝手な行動をとった侍女を叱りつけて然るべきだ。だが、サラはそうはしない。それが、彼女のいいところでもあり、欠点でもある。後はサラの優しさをこの侍女がどう受け止めるかだ。

 そして、まなじりを細めたハルの目が今度はミリアに向けられる。


「おまえもいい加減黙れ」


 ミリアはびくりと肩を跳ねた。ハルの威圧的な態度と口調に萎縮してしまい、サラと同様、うつむいてしまった。


「おまえの泣き声で他の誰かがやって来たらどうする。黙らないのなら、黙らせてやろうか」


 ミリアの顔がまたしても引きつり青ざめる。


「ご、ごめんなさい……」


「それよりも、これを処分しろ」


 ハルは引き裂かれ、血で汚れたサラが着ていた服を侍女の足下に放った。


「さっさとやれ」


 侍女は足下をふらつかせながら、手にした服を処分するため、胸に丸めて抱え込みこの場から、いや、ハルから逃げるように部屋から出て行ってしまった。侍女が出て行ったのを確認し、ハルは床に投げ捨てられた数冊の本を拾い机の上に戻す。ふと、足下に落ちていた藍色のリボンの片方に目をとめ、それを拾い上げきつく手に握りしめる。

 サラはようやく緊張を解き、細く息を吐き出した。


「きついことを言ってしまって驚いた?」


「ううん、ハルの言うとおりだと思う。でも、ハルごめんなさい……私、ミリアを責めることなんて、どうしてもできなかった……」


 サラの言葉を遮り、ハルは小さなその身体をそっと抱きしめた。サラの両手が背中に回りきゅっと抱きしめ返してくる。小さな身体は震えていた。


「もう、何も言わなくてもいい」


 すべては、サラを守ることができなかった自分のせいなのだから。


「私、大丈夫だから。だから……」


 躊躇する素振りを見せるサラの言葉の先を読み取る。

 だから……ファルクのことにはかまわないで、と言いたかったのだろう。


「わかっているよ。安心して、サラは何も心配しなくてもいい」


 しかし、サラはハルの腕の中でうつむいたまま、黙りこくってしまう。

 ハルの瞳の奥に凄まじい怒りの炎が今にも燃え上がらないばかりにくすぶっていることにサラは気づいているだろうか。

 いや、気づいているはずだ。

 昼間、あの男をどうこうするつもりはない、ただし、サラに危害を加えない限りはと言ったばかりだ。もはや、サラとて、ハルをとめることはできないと、心のどこかでわかっているはず。


「ハル……私、もうハルと離れたくないの」


 私を連れて行って。お願い、と腕の中で切実な声を落とすサラをハルは抱き上げた。


「行こう」


 ハルの声にためらいはなかった。


 ここにサラを残していけるわけがない。

 今度こそ、サラを連れて行く。もう、誰にも彼女を傷つけさせはしない。

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