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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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51 胸騒ぎ

 アルガリタの町、夜の歓楽街。

 酒場の片隅でテーブルに頬杖をつき、物思いに沈んだ顔で酒盃をもてあそんでいたシンは、ふと暁色の瞳を揺らし視線を上げた。


「サラ……」


 名前を呼ばれたような気がして、シンは勢いよく椅子から立ち上がった。

 側にいた客や給士が訝しむ目でシンに視線を向ける。


 何故、呼ばれている気がしたのだろう。

 何か彼女の身によくないことが起きたのか、否、起ころうとしているのか。

 が……。


 そんなわけないか。


 サラが自分の名を呼ぶはずがない、と思い直してシンは再び椅子に座り直すと半ばやけになって酒盃を傾けた。

 あの夜会の日、ハルに会わせてやると誓ってからこの数日、何をするともなくぶらぶらと町を歩いては、てきとうな酒場に立ち寄って朝まで飲み、家に帰ってひたすら寝るという、何とも自堕落な生活を過ごしていた。

 カナルを抱いて以来、女遊びもしていない。誘惑してくる女性はそれこそ何人もいたが、適当な理由でかわした。とても、そんな気分になれなかった。

 空になった酒盃の縁に指先を這わせ、シンはせつないため息をついてうつむく。

 首の後ろで緩く結び、背に垂らした長い髪がぱさりと胸に落ちる。

 ここ数日、裏街でハルの姿を見かけることはなかった。サラとハルがうまくやっていることは知っていた。

 二人が仲良く手をつなぎ、笑いながら町を歩いていたのを見たと言う者から聞いたのだ。おまけに町中で堂々と口づけをかわしていたとか、ハルが女のために贈り物を選んでいたとか……。

 とにかく連れ歩いていた女を可愛がっていた。

 そんなハルの姿を見かけた者は、まるで別人のようだった、目を疑ったとも言っていた。

 何はともあれ、このままハルが女を連れてどこかに消えてしまえば、裏街にも平穏が戻るんじゃねえ? なあ、(かしら)? と……。


 なあ、頭じゃねえよ。

 ていうか、いちいち俺にそんなこと報告してくるなよ。


 ハルが連れて歩いていたその少女に、シンが思いを寄せていたことを知らない者たちは、ご丁寧に事細かに、さらにその時の状況を身振り手振りで話して聞かせてくれ、シンを激しく落ち込ませた。


 何が手をつないで、キスをして贈り物だ。

 そもそも、あいつはそういう奴だったか?

 おまけに、笑いながら歩いていただと?

 あいつの笑った顔なんて、いまだに嘲笑とか冷笑しか見たことがないぞ。

 いつも何を考えているのかわからない顔で裏街をふらふらとし、いっさい人を寄せつけない態度で、回りにいる人間の神経を無駄にぴりぴりさせていたあいつが?


 しかし、シンはふっと口許を緩ませた。


 あいつでも笑うことがあるんだな。

 そんなことより、うまくいったんだねサラ。

 サラが笑ってくれているのなら、幸せでいてくれるのなら俺はそれでいいよ。


 そう思いながらも、すっぱり断ち切った恋心であったはずなのに、いまだ心の奥にサラに対する気持ちがくすぶっているのは否めなかった。


 やばいな俺。

 未練がましいにもほどがある。


 サラの思いは相手に通じた。回りが驚くくらい仲良くやっている。そんな二人の間に何か起こるとは考えられなかった。もしも、何かあったとしても、自分が動いたところでどうなるわけでもない。むしろ、邪魔をしてしまうだけだ。いや、今ここでサラに出会ってしまったら、封じ込めた思いがよみがえってしまいそうで……。


 けれど、この胸の奥がざわつくようなこの感覚は何であろうか。

 嫌な予感。

 胸騒ぎ。


 空になった酒盃に酒をそそぐため、今日何本目になるかわからない酒瓶に手を伸ばしたところへ、ふと手元に黒い影がさした。何者かが側に立つ気配に、シンは上目遣いでその相手を見上げる。

 そこに立っていたのは、厳しい表情でこちらを見下ろすカイであった。


「おまえがこんな夜遅い時間に出歩くとは珍しいな。エレナはどうした?」


「仕事だ。まだ店にいる」


「店に? そうか、エレナも遅くまで大変だな。ちゃんと迎えに行ってやれよ」


「言われなくてもそのつもりだ」


 シンは肩をすくめた。

 まあ、俺が言う必要もなかったなと苦笑いをする。


「おまえも飲むか?」


「俺が飲めないのを知っているだろう」


 そういえばそうだったな、とシンはぽつりとこぼし、それでこの男は結局、ここに何しに来たのだ? という目でカイを見る。


「何か用か?」


 まあな、と言ってカイは椅子には座らず、腕を組んでテーブルに浅く腰をかける。ひたいのあたりを結ぶ飾り紐を揺らし、カイは斜めに顔を傾けシンを半眼で見下ろす。


「ちょっとした情報を手に入れた。おまえの耳にいれておこうと思って」


「情報? 裏街で問題がおきたか?」


 仲間たちでおさめることのできない問題が裏街で起こっているのなら、自分が出向かなければならない。しかし、カイの雰囲気からしてそういう様子でもなさそうであった。むしろ、問題でも起きてくれた方が助かる。一暴れでもすれば、くさくさとした気がまぎれるというもの。


「裏街で問題なんて日常茶飯事。今に始まったことではないだろう? そうじゃない。俺の、ちょっとした客から仕入れた情報だ」


「おまえが客のことを口にするとは珍しいな。いいのか? 客の秘密は絶対他人に漏らさないのがおまえの掟だろう?」


「問題ねえよ、世間話に残していっただけだから」


「ふーん」


 で? とシンはカイの言葉を目顔で促し、酒盃を口に持っていく。


「トランティアのご令嬢とどこぞの貴族のお坊ちゃんが、三日後に結婚式をあげると聞いた」


 三日後? と呟いて、シンは持っていきかけた酒盃の手を止めた。


 どういうことだ?


「トランティアの令嬢とは、あの子のことだろう?」


 いいのか? とカイは切れ長の目を細めて問いかけてくる。しかし、シンは答えなかった。いや、答えられなかった。

 サラはあのいけ好かない野郎と婚約していると言っていた。だが、あの夜会の日からまだ数日もたっていないというのに、いきなり結婚とは急展開すぎはしないか。それとも、自分があの野郎を打ち負かしたことで、何か問題を引き寄せてしまったのか。


「何がどうなっているのか俺にはわからないが……」


 俺だってどうなっているかわからねえよ!


「おかげでエレナはここのところ徹夜続きだ」


「エレナが?」


 何故、ここでエレナの話題がでるのだと訝しんだが、カイの次の言葉ですべて納得する。


「急に早まった式とやらのせいで、婚礼衣装の仕上げも急がなければならなくなった。今はほとんど職場に泊まり込んでの作業だ」


 それで、こんなに夜遅くまで仕事をしていたというわけであった。

 エレナは町で王侯貴族御用達の店でお針子として働いている。まさかエレナの店がサラの婚礼衣装を手がけていたとは思いもよらなかったが。


「だが、それは仕事だから仕方がねえ。それよりも泣いているんだよ」


 泣いている……。

 シンは整った眉をひそめカイを見る。


「サラは思う人と結ばれなかったのか、てな。仕事だから衣装は仕上げなければならない。本来なら花嫁のために心を込めて手がけるところだが、素直に祝福することができなくて複雑な気持ちだと」


 シンは持ち上げていた酒盃を口に運ぶことはなく、テーブルに戻した。


 そんなはずがない。

 本当にいったい何がどうなっているというのだ。

 あいつなら、あのいけ好かない野郎の問題も片付けてくれると思っていた。サラをあの屋敷から連れ去ってくれるだろうとそう信じていた。

 なのに、いったい、あの二人に何が起きたというのか。


「それと、もう一つおまえに伝えたいことがある。むしろこっちが俺にとっては本題だ」


 いったん言葉を切り、カイはテーブルから立ち上がると、真っ直ぐにシンを見下ろした。


「しばらくおまえ、おとなしくしていろ」


 シンは肩をすくめ、はは、と笑った。


「見ての通り、最近の俺はおとなしいだろう? こうして毎晩、ひとり静かに酒を飲んでいるだけ」


 何もする気も起きねえしな。


 裏街のシンはどういうわけだかすっかり不抜けてしまった、今なら倒せるかもしれない。という噂をここ数日ちらほら耳にすることもあったが、それで、誰かが何かを仕掛けてくることもなく、いたって穏やかな毎日だ。

 何やらやけ気味に答えるシンに、それもどうかと思うが、と眉をしかめてぽつりとカイは呟く。


「なら、しばらくそのままおとなしくしていてくれ」


「何だ? 何か俺の身によくないことでも起きるとでも言いたげだな」


 カイの空色の瞳に暗い翳が過ぎったのをシンは見逃さなかった。


「どうも胸騒ぎがしておまえの星を読ませてもらった。おまえの星がざわついている。これは忠告だ。俺に限らず、人の意見には耳を傾けろ。余計なことに首を突っ込まなければ、何も起こらずやり過ごせる」


 シンはふっと口許を緩めて笑った。

 星を読み解く占星術師であるカイがそう言うのなら、きっとこの先、何かよくないことが自分の身に起きるのだろう。はっきりとカイは口にしないが、おそらくかなり最悪の出来事が……。そして、未来で起こる最悪の出来事を回避するため、その者に助言を与えるのがカイの本職だ。

 たかが星占い、女じゃあるまいしと馬鹿にすることはできない。

 カイは人の死すらも読み取るという類い希なる能力を持つ占師だ。占師として最高位の称号持つカイの右にでるものなど、おそらくいない。

 いいな、と念を押すカイに、シンは肩をすくめわかったよ、と答える。

 思わず笑ってしまったのは、サラの身に何かあったのではと心配をしていたはずなのに、反対に自分によくないことが起こると言われてしまったからだ。

 シンは複雑な思いで、残りの酒に手を伸ばす。


 しかし、わかったとカイに答えたものの、一度ハルの奴に会って、どうなっているのか問いたださなければならないと思った。

 ハルが今どこにいるのかは、裏街の仲間に呼びかければすぐに見つけ出すことはできる。 それは問題はない。


 シンは暁色の瞳を揺らし、手元の酒盃に視線を凝らす。


 もしも、サラの身に何かあろうとするのなら。

 彼女を守るためならば。

 たとえ、この身がどうなろうと。

 俺は厭わない。

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