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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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50 薔薇の棘

 ゆっくりと、サラを追いつめるようにファルクが歩み寄ってくる。サラは距離をとりつつ、相手を刺激しないよう、少しずつ少しずつ、ベッドから離れ扉へと向かう。


「さて、どんなお仕置き与えてあげようか」


 サラはきつく手を握りしめた。

 何としてでもこの部屋から、目の前の男から逃げなければ。

 サラは扉に向かって走り出した。が、腕を大きく伸ばしたファルクに難なく捕らえられてしまう。


「いや、離して!」


 つかまれた相手の手を渾身の力で振り解く。勢い余って側にあった文机に手をついたサラは、目の前にあった本をファルクめがけて投げつけた。さらに、もう一冊。

 手に触れたものを手当たりしだい相手に向かって投じる。しかし、投げつけた本も何もかも、いとも簡単に振り払われてしまい、他に投げるものはないかと机に視線を這わせた瞬間、一気につめ寄ってきたファルクに両肩をつかまれた。

 ファルクはにやりと薄い嗤いを刻み、サラを見下ろした。

 机の上に置かれた蝋燭の炎がファルクの瞳に映り込む。

 嗜虐的な色を滲ませるファルクのその瞳は、まるでこんなことをして、許さないといっているようでもあった。

 肩を上下させ、荒い息を吐きながらサラは相手を睨みつける。


 そんな目で私を見下ろしても、怖くなどない。

 私はもっと、この身が凍りつくほどの凄まじい目をする人を知っている。

 そう、出会ったばかりの頃のハルの目の方がもっと凄烈な目をしていた。

 他人をいっさい寄せつけない、近寄る者すべてを容赦なく喰らいつくそうとするほどの峻烈な炎を孕んだ藍色の瞳。

 殺されるのでは思ったほど、あの時のハルの目は怖かった。それでも、惹きつけられて、ハルの側にいることを許されたくて……。

 だから、どんなにファルクが凄んでみせたところで、あの時のハルとは比べようもない。


「その態度はいったい何だね? それにその反抗的な目。まったく、あなたは女性としてのしとやかさがない。それとも男を知ったら少しは女らしくなるのかな。あるいはもう抱かれたのか? 昼間のひ弱そうな男か? それとも夜会の時の生意気な男か? 両方か?」


 ファルクはにやりと口の端を上げて嗤う。


「どちらにしても、性欲だけはいっちょまえの、女の経験も浅い若造に突かれたところで満足などできなかっただろう? この私が大人の男の味というものをその身体に教え込んであげよう。たっぷりとよがらせてあげるよ」


 足下からぞわりとしたものが這い上がり、サラはぶるっと身体を震わせた。

 鳥肌がたった。


 何?

 この人、何を言っているの。

 すごく気持ちが悪い。

 吐き気がする。

 いや!


 肩に置かれたファルクの手に力が入り、サラは目を見開く。

 次の瞬間、ファルクの手が肩から二の腕へと勢いよく落ち服を引き裂かれた。

 剥き出しになった両肩にひやりとした夜気があたる。


「どうせ私たちは夫婦となるのだ。今この場であなたを抱こうと何の問題もない」


「誰があなたなどに! 誰か……」


 助けを呼ぼうとして、サラははっとなる。侍女たちはみな引き上げてしまったことに気づいたからだ。

 声を張り上げ助けを求めても誰も来ない。

 そして、ファルクは先ほど何と言ったか。

 しばらくこの部屋には近寄らないよう侍女に言いつけた、と。


「あきらめるのだね。叫んでも誰も来ない。しばらく間、この部屋にはあなたと私の二人きり。邪魔者が入ることは決してない。それにね。私はあなたを抱くことを許されているんだよ。誰にかって? そう、あなたの祖母だよ。私に抱かれれば、孫娘も少しは女らしさに目覚めるだろうってね。まさに、同感だよ」


「誰か来て、誰か!」


 それでも助けを求め、あらん限りの声でサラは叫ぶ。


「離して!」


 つかまれた腕を振り解こうと、サラは激しく身をよじった。

 手が机の上に置かれていた一輪挿しを倒してしまい、花瓶が机の上を転がりごとりと床に落ちる。

 叫びながら再び扉に向かって走り出そうとするが、背後から髪を乱暴につかまれ強引に引き戻される。


「痛……っ!」


 髪を結んでいた藍色のリボンの片方が解け、するりと床に落ちた。


 リボンが!


 咄嗟にリボンを拾おうと手を伸ばすが、髪をつかむファルクの手が緩むことはない。サラはその手に逆らえず首を仰け反らし呻き声を上げる。

 ぶちりと髪が抜ける音。

 ファルクの指の間に、抜けたサラの髪が絡まる。それを見たサラは泣きそうに顔をゆがめた。


「暴れるあなたがいけないのだよ」


 指に絡まった髪を、鬱陶しいとばかりにファルクは手を振って払う。


「おまえなんかに触れられるのはいや!」


 這いつくばった状態で逃げようとする。が、足首を取られ、強引に引きずり戻されると、身体を転がされ仰向けにされる。

 ファルクの手がねっとりと身体を這い、その不快な感触にサラは眉をしかめ身をよじった。


 やめて!


 サラは右手を振り上げ、おもいっきりファルクの頬を平手で打った。


「このがき!」


 突如、左頬に強い衝撃が走り、耳の奥がじんと痛んだ。

 一瞬、自分の身に何が起こったのか、しばらく理解することができなかった。

 ファルクに頬を叩かれたと気づいた瞬間、再び、返す手の甲で反対の頬を叩かれ、側の壁に背をぶつけその場にうずくまる。


「この私に生意気な口を利きやがって!」


 ファルクのつま先が脇腹に入った。

 痛みに呻いて身を丸めると、今後は背中を踏みつけられ、さらに再び脇腹を蹴るを何度も繰り返された。


「私を怒らせたらどうなるか、嫌というほどわからせてやる!」


 ファルクの攻撃はおさまる気配はない。

 抵抗できない、それも女性を痛めつけることに何の良心の呵責すら感じさせないファルクの表情。否、少しでもその気持ちがあるのなら、こんな真似などできようはずがない。

 ファルクの攻撃はさらに激しさを増しサラを打ちのめす。あろうことか、ファルクの足がサラの頭をじりじりと踏みにじる。


「やめて……」


「ずっとおまえのことが気に入らなかったのだよ!」


 容赦なく繰り返されるその攻撃から、サラは身体を小さく丸めて身を守った。

 身動きをとることもできず、ただ、ファルクの暴力がおさまるのをじっと耐えて待つしかなかった。それはとてつもなく長い時間のように感じられた。

 ようやくファルクの蹴りがおさまる。

 頭上で、ファルクが荒い息を落としているのが聞こえてきた。

 髪をつかまれ無理矢理、身体を起こされる。


「……っ」


 呻き声をもらし、壁に背をつき力なく両手をだらりと脇にたらして座るサラを見下ろすファルクの目に、いまだおさまらない怒りがくすぶっていた。

 身体中が痛み、悲鳴をあげていた。

 口の中に嫌な味が広がり、つっと、唇の端から血が流れ落ちていく。

 力が入らない。

 動けない。

 ふと、サラの指先にそれが触れた。

 机から転がり落ちた、一輪挿しに差していた一本のしおれかけた薔薇。

 数日前の夜会の日、シンがハルと会わせてあげるから、だからもう泣かないでと約束にくれたもの。

 サラは指先を動かし、落ちた薔薇を手にする。


「ついつい、本気になってしまったではないか」


 目の前にしゃがみ込んだファルクの手に頬をざらりとなでられ、あごを強くつかまれる。


「痣ができてしまうかもしれないね。だけど、決して私に叩かれたとみなには言ってはいけないよ。自分で転んだと言うのだよ。いいね」


「……」


「わかったね?」


 返事をしないサラの態度に、ファルクは眉根を険しく寄せた。


「この私がわかったかと聞いているのだ! どうして、答えられない!」


 語気を強め、ファルクの手が容赦なく喉元を押さえ込むようにしてあごをつかみ、ぎりぎりと締め上げてくる。

 気道を圧迫され、苦しさにサラは喘ぎ目に涙をためる。

 押さえつけられたファルクの手を退けようとしたいのに、手を持ち上げることもできなかった。

 叩かれた頬がじんと痛む。

 頭がくらくらとして、意識が混濁する。

 返事をしなかったわけではない、声がでなかったのだ。

 しきりに目の前の男が凄まじい形相で自分を怒鳴りつけているが、何を言っているのかさえ耳に入らなかった。


 助けて、ハル……。


 もし、この場で意識を失ってしまったら、自分はどうなってしまうのだろうか。

 おそらくこの男は……。

 それ以上のことを考えるのが恐ろしかった。


 でも、もう………動けない。

 ごめんなさい、ハル。

 ごめんね。

 私、最初の男性(ひと)がハルでほんとうによかった。


 もはや、抗う気力さえもなく、サラのまぶたがゆっくりと落ちていこうとしたその時。

 朦朧とする意識の中、ちくりとした痛みが指先に走り身体が反応する。

 落ちかけた意識がその痛みによって現実に引き戻される。

 サラはまぶたを震わせ、ゆっくりと目を開けた。

 指先に痛みを与えたそれは、握っていた薔薇の棘であった。


 シン──

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