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4 ハルが好き

 家中、響きわたる派手な音に、テオは何事が起きたのかとベッドから飛び起きた。

 夜着姿のまま部屋から転がり出ると、再び何かが床に落ちる音とともにサラの悲鳴が聞こえた。

 どうやら派手な音の現況は、厨房からのようだ。

 テオは急いで厨房へと駆けつけ、目を丸くした。


「サラ……」


 床に転がった鍋の数々と、野菜のくず。サラが台所に向かい懸命になって料理らしきことをしていたのだ。


「あらテオ、おはよう。ちょうどいいわ、朝食ができたところなの」

「朝食って……」


 朝早くから妙に元気なサラとは対象に、心なしかテオの声が怯えている。


「ハルが目を覚ましたの。きっとお腹が空いてると思って、じっくりと煮込んだ野菜スープを作ったの。よかったら、テオも食べて」


 いや……でも、とテオは口ごもる。

 そんなテオのことなどおかまいなしに、サラはできあがった野菜スープを器によそい、嬉々と小走りで厨房から出ていってしまった。

 テオは鍋のふたをつかみ、恐る恐る中をのぞき込む。


「いや……煮込むってのは……」


 テオはやれやれと緩く首を振った。



 ◇



 ハルはスプーンを握ったまま硬直していた。

 強引に押しつけられた器の中身は湯気のたつ野菜スープ。

 具も沢山で確かに豪勢で贅沢なスープであったが、浮かんでいる野菜がどうみても生だった。

 ハルは横目で嬉しそうに笑うサラに視線を向け、顔をしかめた。

 何で……俺がこんな目に、というより、何でこいつに振り回されなければならないいのだと、納得のいかない疑問が過ぎる。

 かたわらではサラが早く食べてという目で急かしてくる。

 ハルはスプーンを持つ手にぐっと力を込め、再び器の中身を凝視する。

 これを食べるということは、ある意味、勇気のいる行為だと思いつつも、覚悟を決め椀の中にスプーンを入れる。

 見るからに生の野菜を避け、スープだけをすくって口に運ぶ。


「まずい、無理」


 にべもなく言い捨てるハルに、サラは強い衝撃を受けたというように、あんぐりと口を開けている。


「そんなことないわよ! 失礼ね」


 憤慨もあらわにサラはハルの手からスプーンを奪い、自分もスープを一口飲んでみる。

 途端、サラは顔をしかめた。


「ほんとだ……」


「ほんとだって……おまえ、味見もせずに俺に食べさせたのか」


「味見ってするものなの?」


 と、首を傾げるサラに、ハルはやれやれと肩をすくめる。


「てっきり俺はあんたの味覚が麻痺しているのかと思ったよ」


「ごめんなさい」


 すっかり消沈してうなだれてしまったサラを見下ろし、ハルはため息をつく。

 そもそも彼女は貴族のお嬢様。

 ここでの生活は知らないが、屋敷に戻れば身の回りのことはすべて使用人が世話してくれる。

 そんな彼女に料理の腕を期待するほうが間違っていた。いや、そもそも最初から期待などしてなかったが。

 サラはハルの手から器を受け取り、脇へそれも手の届かない場所へよけた。


「……あれは身体に良くないわ」


「匂いだけで気分が滅入りそうだ」


「でもね、もっといいものがあるの」


 サラは足元に置いてあった籐の篭からみずみずしい水蜜桃を取り出し、果物用のナイフを手に桃の皮を剥き始めた。が、案の定、サラの手つきは危なっかしい。

 皮を剥くというよりは、肝心の実を削っているという感じだ。

 それでも。いびつながらも、ようやく時間をかけて皮を剥き終え茶色く変色した桃が果汁でべたべたになったサラの手から滑っていく。

 二人は無言で転がっていく桃を目で追う。

 呆然としたサラと、唖然とした表情のハルが言葉もなく見つめ合う。

 けれど、落ちて正解だ。

 あんな手垢にまみれた桃など、口にもしたくない。


「大丈夫。まだあるから……」


 気を取り直し、サラは新たに篭から桃を取り出すと、こりずにまた皮を剥こうと試みる。


「もういい! よこせっ!」


 ぎこちないサラの手から桃とナイフを奪い、ハルは器用に桃の皮を剥き始めた。

 鮮やかな手つきにサラは目を輝かせ、手元をのぞき込んでくる。

 ハルは手の中で食べやすい大きさに切り分けた桃をサラに差し出した。

 サラはそれをつまみ口に放り込む。


「おいしい!」


 満面の笑みを浮かべるサラの表情を見て、ハルも自然と笑みをこぼす。


「あ!」


 サラは身を乗り出し顔を近づけてきた。


「何だよ」


「ねえ、今笑ったでしょう。笑ったわよね? とっても素敵な笑顔だったよ。ねえ、そうやっていつも笑っていればいいのに。私、ハルの笑顔大好きよ!」



 ◇・◇・◇・◇



 それから、サラのかいがいしくも迷惑な看病は毎日、それこそ朝から晩まで続いた。  ハルもこの診療所から突然、姿を消してしまうのではないかと恐れたが、それもなく、意外にもおとなしくしてくれた。


「傷もだいぶよくなったって先生が言ってたわ。よかったね」


 サラの看病云々は置いておくにしても、確かにハルの怪我の具合はほとんど快復したといってもいい状態になった。

 これなら、もう歩き回っても差し支えはないであろう。

 ハルはベッドから起き上がり、寝間着を脱ぎ捨てると、かたわらに置いてあった清潔なシャツに手を伸ばす。

 サラは息を飲んだ。

 窓から差し込む陽の光が、しなやかで筋肉質なハルの身体に陰影をつくる。

 細身だが、筋の浮き上がった腕はしなやかな逞しさ。

 首筋から肩にかけての線も滑らかだけれど脆弱さはない。

 まるでため息のでる強靱な美しさ。


 きれいな身体……。


 思わず見とれてしまったことに気づき、サラは頬を朱に染め、慌てて視線を自分の足下に固定する。


「まさか、もう行くなんて言わないよね。すぐに動いたら、また身体を悪くするのよ」


 寂しげに声を落とすサラをハルはかえりみる。


「あいにく、少しばかり動かなかったくらいで衰えてしまうような鍛え方はしていない」


「でも……」


「物好きな女だな。忘れたのか? 俺は人、二十人殺した。怖くないのか?」


 サラは勢いよく首を横に振った。


「怖くなんかない!」


 本当に? 正直心のどこかでハルを恐れていない?

 へたに近寄ったらこちらが傷つきそうで。

 だけど、離れたくない。

 側にいたい。

 私、ハルのことが……。


 サラはしっかりとした眼差しで、ハルの瞳をのぞき込むように見上げた。


「ほんとうよ! それに私、ハルが本当に悪いことをする人だとは思えないもの。あの時、カーナの森で賊を殺したのだって何か理由があってのことでしょう? 私はそう信じてる」


 サラはスカートの裾をぎゅっと握りしめた。


「私、もっとハルのことを知りたい。私……ハルのことが好き。だから、行かないで」


 言ってしまって、サラは耳の先までかっと赤く染めた。

 それは、あまりにも突然すぎる告白だった。

 ふと、ハルは何やら思いに沈むような顔つきでサラから視線をそらす。

 その瞳に揺れるのは動揺の色。

 だが、それは一瞬のことだった。

 ハルは手にしていたシャツをベッドに放り投げ、ゆっくりとした足どりでサラの元に歩み寄る。

 怖いくらい真剣なその表情に、サラは胸をどきりとさせた。


「ハル……?」


 思わず片足を一歩引こうとした瞬間。


「何故、逃げる?」


 サラの足がまるで呪縛にかかったようにその場で止まった。


「違……っ」


 ハルの指先がサラの緩やかに波打つ髪の一房を絡めとりもてあそぶ。さらに、ハルのもう片方の手がサラの腰に回され引き寄せた。

 抗う間もなく、とすんとサラの身体がハルの胸へと倒れ込んでいく。

 互いの心臓の鼓動がわかるほどに、密着した状態であった。


「いいよ。俺のことを知りたいのなら教えてやる」


 ハルの指先が、サラのあごにかけられた。


「かわりに、俺を好きだという、あんたの心を見せて」


 サラの耳元に唇を寄せ甘い囁きを落とす。

 あごに指先を添えたまま、ハルは唇を近づけていった。


「抱かせて」


 半分伏せたまぶたの奥から、藍色の瞳が妖しい光をおびて揺れる。

 あとわずかのところで唇が触れ合うその刹那、サラは顔をそらしてかわした。


「からかうなんてひどい……」


 抵抗をみせたサラの声の響きは頼りない。

 ハルは薄く笑い、そらしたサラの顔を正面へと向け、もう一度斜めに顔を傾け、微かに震える薄紅色の唇に自分の唇をゆっくりと重ねた。

 いっこうに離れない唇に焦りを生じて身動ぐが、相手の強い力に抱きすくめられ、逃げることはかなわなかった。

 目を堅くつむりハルの両腕にしがみつく。やがてを唇を離したハルの胸にサラは力が抜けたようにとんと、頭を寄り添えた。

 艶やかに濡れたサラの唇から、甘くせつない吐息がこぼれ落ちる。

 ハルの唇が触れるか触れないか程度に、サラの細い首筋に寄せられる。


「これでわかったか? からかってなどいないってことを」


 サラはびくりと身体を震わせた。

 首筋に口づけられたまま、甘い低音で囁かれ、背筋にぞくりとした震えが走った。さらに、ハルの唇が首筋から肩口へとゆっくりと落ち、サラの胸元、衣服の飾り紐を唇にくわえた。

 瞳に悪戯げな翳を揺らし、ハルは上目遣いでサラを見上げる。

 怯えの交じった表情を浮かべるサラの様子を愉しむように、そうして、唇にくわえた紐をゆっくりと器用に引く。

 するりと、サラの衣服が両腕から滑り、まだ膨らみきっていない幼い胸がこぼれた。

 慌ててサラは露わになった上半身を手で覆い隠そうとしたが、それよりも早くハルの手によって両腕を押さえ込まれてしまう。


「やめて……どうして、意地悪するの……」


「意地悪? 本当に嫌なら、俺の手を振り払えばいいだろう? 大声を出して助けを求めればいい」


 違うか? とハルは喉の奥で含み嗤った。

 確かに、その通りだ。

 別に強引に押さえつけられているわけでもなく、無理を強いられているわけでもない。 ただ、サラ自身がハルを拒まないだけである。

 嫌だと思いながらも、心の奥のどこかで彼の危険な誘惑に身を委ねてしまいたいと思っている。

 ハルの唇が胸元に寄せられた。

 サラはきつく目を閉じる。


「いや……」


 けれど、いやだという抵抗の言葉に説得力はない。


「ほんとうに、いや?」


 ハルはふっと笑い、腕の中で半ば放心状態となったサラを軽々と抱き上げ、ベッドの上に横たえる。

 柔らかいベッドに沈むサラの上に覆い被さるようにしてハルは両手をつく。

 垂れた前髪から、妖しいまでに熱を帯びた藍の瞳がサラを見つめる。

 相手を捕らえ、捕らえたなら決して逃さない危険で妖しい瞳。

 一度捕らわれたなら、もう逃げられない。

 サラのまなじりから、たまっていた涙が一筋こぼれ落ちる。


「今頃になって、俺を好きだと言ったことを後悔したか? 俺が怖くなったか?」


 頬を濡らすサラの涙をハルの指先が拭いとる。


「泣くにはまだ早いだろう?」


 それはまさに獲物を狩る瞳。

 途端、ハルの全身を包む空気が一変する。


「やめて、お願い。やめて……」


 サラは恐怖に顔を強張らせた。


「知らないのか? その言葉は本気で拒む言葉ではない」


 堅く閉じていたサラの両脚を、いとも簡単にハルは割る。

 サラはいやいやをするように首を振った。


「やだ……」


「本気でやめて欲しいのなら、その手で俺を退ければいい。でないとあんた、ひどく後悔することになる」

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