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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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44 遠出、そして、突然の雨

 屋敷を抜け、町を離れるにつれ、喧噪も徐々に遠ざかっていく。やがてすれ違う人もまばらとなり市街を出る頃には人影すら見あたらなくなった。

 吹く風を切り、二人を乗せた馬が駆けていく。

 力強く大地を蹴って走る馬の振動が心臓にまで響いてくるようだ。

 辺り一面に広がるのどかな田園風景。

 回りの景色があっという間に後方へと流れていく。

 サラは首を傾け背後を振り返り、遠ざかっていくアルガリタの町をみやった。

 こんなにも早く駆ける馬に乗るのはサラには初めてのことであった。けれど、不思議なことに少しも怖いとは思わなかった。むしろ、清々しくさえ思う。すでに、先ほど抱いた得たいの知れない不安も、この頃にはすっかりと胸から消え去っていた。

 頬にあたる風が気持ちいい。

 いっそうのこと、このまま遠くに連れて行ってくれたなら。

 こうしてハルと一緒にいられるのなら、どこへ行ったってかまわない。


 ねえ、いつになったらハルと一緒にいられるようになるの?


 嬉しさとほんの少しの不安がないまぜになって胸を過ぎり、サラはそろりと首を傾けた状態で背後のハルを見上げた。

 どうしたの? と問いかけるハルの目に、サラは何でもないと首を振る。


「そろそろ着くよ」


 ハルの声とともに馬の速度が弱まった。

 たどり着いたところはアルガリタの町を一望できる小高い丘。

 身軽に馬から降りたハルが、おいでと大きく両手を広げる。ハルの首にすがるようにしがみつくと腰のあたりをつかまれ地面に下ろされた。地に足がついた瞬間、ほんの少し足下がふらついて、すぐにハルの腕に支えられる。


「大丈夫?」


「平気。それよりも……」


 素敵、と声を落とし、サラは目を開いて目の前に広がる景色に吸い込まれるように駆けだした。眼下には家々がびっしりと建ち並び、その遥か向こうにはアルガリタの王宮まで望むことができた。

 屋敷を抜け出し町に出ることは何度かあったが、こうして町の外に出て、それも自分が住んでいるところを見渡すのは初めてであった。

 言葉も忘れ、丘から見下ろす町並みをサラは見つめていた。


「気に入ってくれた?」


「もちろんよ……もちろんだわ! こんな素敵な景色を見るのは生まれて初めて」


「日が落ちると町並みが夕陽色に染まって、もっときれいだよ」


「なら、それまでここにいてもいい? 夕陽も見てみたい」


「そのつもりでここに連れてきた」


「ありがとう。ハル大好き!」

 

 ハルの背に腕を回し、胸に顔をうずめてしがみつく。

 ハルと出会わなかったら、こんな光景などおそらく見ることもなかったであろう。

 馬に乗るのも目の前の景色も、すべて初めてのことでサラの胸はすっかり嬉しさに舞い上がっていた。

 顔を上げると、眼差しを和らげて微笑むハルと目が合う。


「髪、風ですっかり乱れてしまったね」


 伸びたハルの手がそっと髪に触れ優しくなでてくれた。

 髪をすくその指先が触れるか触れないか程度で耳をかすめ、サラはぴくりと肩をすぼめる。思わず反応してしまい頬を赤く染めた。


「お弁当食べよう……」


 恥ずかしさを隠すように言って、サラはその場にぺたりと座り込むとお弁当を広げ始めた。

 ハルもその隣に片膝をたてて腰を下ろす。


「素敵な景色を見ながらお弁当を食べるのって最高ね。用意してきて正解だわ」


 はいどうぞ、とサラはふわふわのパンにチーズとハム、卵などたくさんの具を挟んだパンをハルに渡した。

 ハルが口にするのをじっと見つめ、サラはおいしい? と反応をうかがうように顔をのぞき込む。


「おいしい」


「よかったわ! たくさん食べてね」


 ふふ、と笑ってサラもパンを頬張る。

 そうして二人はお喋りをしながら食事を楽しんだ。その会話のほとんどがサラがハルにあれこれ尋ねるものであったが。


「ハルは私とこうして一緒にいない時は何をしているの?」


 前々から気になっていたことであった。

 ちゃんと眠っているのかとか、食事はきちんととっているのかとか……。


「最近は本を読んでいることが多いかな」


 本? ハルが本を読むの?

 何かそういう感じでもないような、あるような……。


「どんな本を読むの?」


「ほんとに、さっきから質問攻めだね」


「だって、ハルのことならどんなことでも知りたいもの。それで、どんな本を読むの? とても興味があるわ」


「本なら何でも」


「……本はどこで読むの?」


 ハルは苦笑する。


「家でだけど」


「えっと……ハルって家あるの?」


 これもずっと前から疑問に思っていたことであった。

 ハルはいつも裏街で特に何をするわけでもなく、ふらふらしているのを見かけると、シンが言っていたし、一度はとんでもない場面を見てしまったし。もしかしたら、裏街のどこかで寝泊まりしているのかなと思ったりしていたんだけど……。


「あるよ。あまり帰っていなかったけどね」


 途端、サラはすっと目を細めてハルを見据えた。


「あまり帰ってないって、それってどういう意味?」


「やっぱり、そこひっかかった?」


「おもいっきりひっかかったわ! じゃあ、今まで家に帰らないでどこで寝ていたわけ?」


「さあ」


「さあって何?」


「聞きたいの?」


「そ、それは……」


 やっぱり女の人のところ、よね。

 きっとそうよね。


 聞きたいけど、聞いてしまったらそれはそれで落ち込んでしまうかも……と、サラはもごもごと口ごもる。


「そんなに知りたいのなら、教えてあげようか」


 不意にハルが身を乗り出し顔を近づけてきた。

 唇が耳元に寄せられる。


「ハル! あ、あのね……」

 

 ついつい詮索するようなことを言ってしまったけど、それは、ただ、ちょっと気になってしまったというだけで、私と出会う以前のハルの女性関係のことを今さらどうこういって咎めるつもりはないし、今は私以外の人とは誰ともつき合っていないと言ってくれたハルを疑うつもりはまったくない。

 だから……。


「やっぱり」


 いい! 教えてくれなくてもいい、と言いかけたところにハルの人差し指が唇にあてられた。


「好きだよ」


「……」


 不意打ちであった。

 耳元で低く、それも甘い声で吐息混じりにささやかれる。

 好きの一言に、他の誰でもない、今は私だけという強い意味が込められているようで……。


「まだ足りない? もっと言って欲しい?」


 パンを持っていた状態のまま空に浮いていた手を取られ、指先に口づけを落とされる。サラの手からパンがぽろりと落ち、膝の上に転がった。


「俺がどれだけあんたのことを好きで、大切に思っているか、教えてあげるよ」


「……男の人ってあまり好きとかそういう言葉、口にしないのかと思った」


「誰がそんなことを言ったの?」


「お屋敷の侍女たちが話をしているのを聞いたことがあるの。好きな人があまり好きって言ってくれないって、だから不安になるって」


「人それぞれだからね。軽々しく言えないとか、言わなくてもわかってもらえていると思っているんだろう。あるいは、その相手に興味がないか」


「ハルは違うの」


「そのかわり、俺も相手に言わせるから」


 そ、その目は私にも好きと言ってという目……。


 間近に顔を寄せ、見つめてくるハルの視線から逃れるようにうつむき、サラは小声で私も好きよ、と言う。


「どうして下を向いてしまうの? 俺の目を見て言って」


「もう! そんな意地悪しないで。あらためて言うのってすごく恥ずかしいから」


「可愛い。でも、あんまり可愛いといじめたくなる」


「い、いじめたくなるって……ハルってそういう人だったの?」


「何? 今頃気づいたの?」


 ハルはふっと口許に笑いを浮かべ、ようやく離れてくれた。ついでにサラの膝の上に落ちたパンを拾い手に握らされる。

 サラはパンをもぐもぐと口にしながら慌てて話題を変える。


「それで、ハルの部屋はどんな感じなのかしら」


「何もない部屋だよ。追われている身だからね。いつこの町を離れてもいいようにと思ってベッド以外何も置いてない」


「そっか……」


 サラは表情を翳らせた。

 胸がつきりと痛んだ。

 ハルは逃げ出した組織から追われている。そして、いつその組織の者がハルを捕らえにやってくるかわからない。

 何もない部屋に、ひとりで帰るのはとても寂しいことだわ。


「一緒に住んだら、あんたの好きなようにしていいよ」


 一緒に住むというハルの言葉に、サラは表情を輝かせた。


「ほんと? じゃあ、たくさんお花を飾ってもいい?」


「いいよ」


「それから……」


 可愛い小物を置いたり、素敵なカーテンを取りつけたり、おそろいの食器を使ったり、など思いつくまま口にするサラの希望に、ハルは嫌な顔ひとつせず、ただにこやかに笑みを浮かべていいよ、とうなずく。

 ハルの家が私の趣味で染まってしまうけど、ほんとうにいいのかしら、嫌ではないのかしらと思って、サラは首を傾げて口をつぐんでしまった。

 もしかして、適当にうなずいているのか、それとも、自分の一方的なお喋りに呆れて退屈してしまっているのではと不安そうにハルを見るが、反対にそれから? と問い返される。

 何だかとても嬉しかった。

 そんな会話をしているうちに、お弁当を食べ終え、最後の楽しみにとっておいたりんごパイに手をつけるハルがとても嬉しそうな顔をする。

 それにしても、ハルって食べ方が上品できれいだわ、と見とれながら、思わず自分の膝の上にぽろぽろとこぼしたパンくずを見て、サラは慌ててぱっぱと手で払う。そして、もうひとつどうぞ、と差し出したりんごパイもたいらげてしまったのを見て、やっぱり男の子の食欲だわとあらためて思った。


「何? じっと俺のことを見つめて」


「何でもないの」


「このりんごパイ、おいしいね」


 サラはふふ、と笑った。

 そんなにおいしそうに食べてくれるのなら、私、料理長にパイの焼き方を教わらなければだわ。ハルに私の焼いたりんごパイはおいしいと言われてみたい。


「私、頑張るわ!」


 握りこぶしを作って意気込むサラの頬に、ぽつりと水滴が落ちた。

 サラは大きく空を見上げた。


「雨……?」


 見上げた青空に灰色の雲が押しよせ地上に影を落としていく。やがて、重くたれ込めた雲が空をおおいつくし太陽の光を遮ると、まだ正午を過ぎたばかりだというのに、まるで夜を迎える直前の薄暗さが辺りを包む。

 突如、一筋の稲妻が天を切り裂き閃光を放った。そして、次の瞬間、空気を震わせるほどの雷鳴が轟く。


「きゃっ」


 耳を突き抜けるその音に、短い悲鳴を上げてサラはハルの胸にしがみついた。


「雷怖いの?」


 ハルの胸に顔をうずめ、サラはこくこくとうなずく。

 再びの雷鳴にサラは悲鳴をあげた。

 身をすくめるサラの頭にハルの手がぽんと置かれ、そして抱きしめられた。すっぽりとハルの腕の中におさまったサラは声も出せずにふるふると肩を震わせている。

 ぽつぽつと降ってきた雨が、やがて徐々に激しさを増す。


「本格的に降ってきたね。この降り方だと一時的だと思うけど」


 そこで、サラはくしゅんとくしゃみをした。

 ハルはすぐに上着を脱ぐと、サラの頭にふわりとかぶせた。


「だめよ。ハルが風邪をひいてしまう」


 上着を返そうと頭に手を伸ばすが、そのままハルに肩を抱かれてしまう。


「俺は大丈夫。来る途中に、誰も住んでいなさそうな小屋があったから、とりあえず、そこで雨宿りをしよう」

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