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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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34 知りたい

『あまりレザンに関心を持つのはおやめになったほうがよろしいかと思われます』


 マイネラー先生のその言葉をサラは思い出す。

 今から三年前、当時十四、五歳のレザンの少年。それがハルの姿と重なってしまった。

 そして、学問所に行ったことがある? という問いかけに、何故、そんなことを聞く? と反対にハルは聞き返してきた。

 行ったことがないのなら、はっきりないとそう言えばいい。

 なのに、否定しなかった。

 もし、先生の言っていたその少年がハルだったら。レザンの秘密を知ろうとした学問所の人たちを殺害したのがハルだったら。

 レザンの危険な組織……。

 どんな組織かわからないけど、ハルがその組織の人間だったら。

 私……自分が思っていた以上に危険な何かに踏み込みかけようとしていることになる。

 いいえ、もう踏み込んでしまっているのかも。

 にわかに心臓の鼓動が速まるのを覚えた。

 ハルの腕にしがみついていた手が震えていたことに気づく。怯えいているのを悟られまいとして、それを隠すようにさらにぎゅっと腕にすがりつく。


 ううん、私どうしてハルだと決めつけてしまっているの。

 まだそうだと決まったわけではないのに。


 物思いにふけるサラの隣、わずかにまぶたを落とすハルの表情に、暗いものが過ぎっていたことにサラは気づいていなかった。

 肩に回されたハルの手の指先にきつく力が入ったことに気づき、サラは落ちかけた思考の底から浮き上がり我に返る。


「そう、それでね。私いつかハルの故郷に行ってみたいなって思ったの。だからね、だから……私にハルの国の言葉を教えて。ああ!」


 待って、と慌ててつけ加えながら、サラはハルの口許に手をあてた。

 ハルのことだから、きっといやだ、と素っ気なく切り返してくると思ったからだ。

 ハルの口に添えた手が握りしめられそっと取り除かれる。


「……ハル?」


「(もう、あの場所には戻ることはできない。レザンの地を再び踏むということは、己の死を意味することだから)」


 ハルは呟くように異国の言葉を口にする。

 意味を知らないサラは、わあー、と感激の声を上げ目を輝かせた。


「私、初めてレザンの言葉を聞いたわ! すごく素敵な響き。きれいな言葉! ねえ、何て言ったのか教えて」


「物覚えの悪いあんたの頭じゃ、新しい言葉を覚えるなんてとうてい無理。無駄な努力だからやめておけって言った」


「相変わらずね。私はてっきり、素敵な愛の言葉を呟いてくれたのかと思ったわ」


「ぜんぜん違ったね」


「でも、いいの。レザンの言葉を覚えたら、私がハルにたくさん愛の言葉をささやいてあげる」


「へたくそな発音でささやかれても、気持ちが萎える」


「照れてるのね」


「俺が照れているように見える?」


 サラはハルの胸につんと指先をあてた。


「ハルをどきどきさせてあげるんだから」


「へえ、何て言ってくれるの? あんたがレザンの言葉を覚えるまでなんて待ちきれないよ。今、聞かせて」


「だからそれは……言葉を覚えてからよ。今は恥ずかしくて言えないからいや」


「一生覚えられないかもしれないだろう?」


「……」


 サラは目を細めてじっとハルを見据えた。


 うう……やっぱりいつものハルだわ。


 よかったと、心の中でほっと息をもらす。


「でも、とてもやる気が出てきたわ。ね、私頑張って覚えるから。お願い、教えて。興味のあることなら、すごく一生懸命になれると思うの」


「興味のないことも少しは一生懸命になりなよ」


「努力する」


 ねえ、だめかな? と首を傾げるサラを、ハルは立てた片膝にひじをついてじっと見つめる。


「あんた、ほんとうに可愛いね」


 真顔でハルに可愛いと言われ、サラは頬を赤らめる。


「照れてるの?」


「だって、そんな真面目な顔で言うんだもの」


「そう、ならもっと言ってあげる。可愛いよ」


「い、いい! もうやめて! 嬉しいけど、あまり言われると恥ずかしすぎて心臓が……どうしよう、顔が熱いわ。そうだ、宿題の続きしなければ」


 腰を浮かしかけたところに腕をとられ、再びぺたりと床に座り込む。


「宿題はもう終わったよね」


「そう、そうだったわ……」


 くすりハルが笑った。

 サラもそれに答えようとするが、うまく笑みを作ることができなかった。何故なら、ハルの口許にのぼるその笑いがどこか空々しいものに見えたからだ。何より、目が笑っていなかった。

 サラの顔が凍りつく。

 取り巻く空気まで一瞬にして変わってしまったようで、一気に身体の熱が去っていく。


「ところで」


 不意に腕を引かれ、すとんとハルの膝の上に座らされた。まるで逃がさないとばかりに二の腕をきつくつかまれる。


「な……」


 何? と言いかけたサラの口が半分開いたまま、表情が固く強ばる。

 ハルの瞳の奥に底知れない深い闇を見た気がして、とてつもない不安と焦燥にかられる。

 間近で見つめ合う二人の間を支配するのは、物音一つない静謐な夜の気配と張りつめた空気。


 どうして、そんな冷たい()をするの。


 声を出すことさえできなかった。

 指ひとつ動かすことができなかった。

 息をすることすらままならなくて苦しい。


「さっき、俺が学問所に行ったことがあるかって聞いてきたね。どうして?」


 きつくつかまれた二の腕の痛みに、サラは顔を歪めた。

 心臓が握りつぶされるようだった。

 つい今まで笑いながら普通に会話をしていたと思っていた。

 学問所のことなど、ハルは気にもとめていない素振りをみせていた。

 なのに、まさかの不意打ちだった。

 そしてきっと、今自分が動揺していることをハルは見抜いているはず。

 真実を知ってしまうのは恐ろしい気もしたが、けれど、これはハルのことを知る大きなきっかけなのかもしれない。

 たとえ何を聞かされたとしても、驚くかもしれないけど、それでもハルに対する気持ちは変わらないという自信はある。

 何もかもすべて受け入れるつもりだ。

 口を開きかけ、しかしサラは咄嗟に思いとどまる。

 学問所でレザンの秘密を知ろうとした者たちは、ひとり残らず殺されてしまった。

 マイネラー先生が自分に語ってくれたことを思い出したからだ。


 もし私が、先生から三年前の学問所で起きた事件のことを聞いたと言ってしまったら、先生は殺されてしまうかもしれない。

 殺される?

 殺されるって誰に殺されるというの。

 ハルに?

 もしかして、私も殺されてしまうの。


「どうしてって……特に意味はないってさっき言ったわ」


 ハルの冷えた眼差しに射貫かれ、背筋に冷たいものが這い、顔が引きつりそうになった。

 まるで心の中をのぞき込まれているようで怖かった。

 慌てて特別意味はないと言いつくろったつもりだが、もしかしたら、自分は触れてはいけないことに触れてしまったのかもしれない。

 声に怯えがでないよう気をつけたつもりなのに、それでも隠し通すことはできなかった。

 自分でも発した声の響きは情けないくらい震えている。

 先生にあんなこと聞かなければよかったと、ほんの少し後悔しているところも正直あった。


「俺に嘘をつくのは難しいよ」


「嘘なんか……」


「何か聞いたんだな?」


 ハルの冷たい口調にサラは身を震わせる。


「私……」


「誰から聞いた?」


 言えない。

 先生のことは絶対に言えない。

 だけど、間違いなく私が誰から聞いたかなどハルはすでにわかっているはず。


「何を聞かされた?」


「何も……」


 聞いていないと、ハルの目を見つめたままサラは頼りなく首を振った。


「口を割らせるのは簡単だよ」


 ハルの目が細められる。


「どうやって……」


「どうやってと聞く?」


 口許に薄い笑いを刻みながらハルの手がすっと頬へと伸びる。

 恐ろしさに身がすくみそうになった。


「ど、どうしてそんな怖いこと言うの。これじゃ、まるで……」


「まるで?」


「ハルが……」


「俺が?」


 サラは口をきつく引き結んだ。

 口を開けば余計なことを喋ってしまいそうだったから。

 ハルの怖さを決して忘れていたわけではない。

 賊に襲われた子どもを助けるためとはいえ、ハルはカーナの森で二十人近くもいた賊をひとり残らずその手で全員殺してしまったのだ。

 自分の頬に触れているこの手で。

 初めて出会ったあの森で、本気だったのかそうでないのかわからないが、ハルは私のことも殺そうとした。

 それでも、私はハルに出会って一瞬にして好きになってしまった。

 今だってハルを好きだという気持ちは変わらない。


「三年前のことを聞かされたんだな。あんたの家庭教師に」


 サラの顔に絶望的なものが浮かび上がった。

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