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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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32 勘違い

 続きって……。

 ど、どうしよう、やっぱり心の準備がまだ。

 サラはううん、と心の中で首を振る。

 初めては好きな人と結ばれたいと思っていたわ。それに、ハルなら女の人の扱いに慣れてるだろうし、私が初めてだってことも言ってないけど、知っているだろうから……きっとひどいことはしないと思うけど。でも、手加減しないって。

 待って、そもそも手加減しないって、何をどう手加減しないの?

 わ、わからないわ。


 またしても、頭の中でぐるぐると考えを巡らせる。


 でも、ここで私がうなずいたら。

 私、ハルと……。

 そろりとハルの目を見つめ返したその時、突然、ハルが肩を震わせ笑い出した。

 サラはきょとんとして首を傾げる。


 えっと……ここって笑うところかしら。

 私、何か変だった?


「ころころ表情変えておもしろい。だけど、あんた、おもいっきり勘違いしてる」


「勘違い?」


「俺は、間違えた宿題の続きをやろうかっていうつもりで言ったんだけど」


 サラはぽかんと口を開けた。が、次の瞬間、かっと顔を真っ赤にする。


「宿題の続き! だって、今のは宿題って雰囲気じゃなかったわ!」


 嘘よ……何が宿題の続きよ。

 ぜったい、私のことからかってた!


「そうだった?」


 ハルはしれっとした顔で言う。


「そうだったって……手加減しないって言うから、私……」


「一度、丁寧に教えたんだから、次、間違えたら許さないよっていう意味」


 ハルはにやりと口許に笑いを浮かべ、サラの目をのぞき込む。


「手加減しないって言われてどきどきしたの?」


「だって」


「それで、何を想像したの?」


「それは……」


「教えて」


 目を細め、どこか意地悪な笑みを落とす。


「あんたが想像した通りのことをしてあげるよ」


「そ、そうじゃなくて! だって、あの流れであんなまぎらわしい言い方するかしら? ハルまで私のことからかうなんて!」


「俺まで?」


 サラはあっという顔で口許を両手で押さえ込み、何でもないと慌てて首を振る。

 何となくほっとしたような、そうでないような複雑な気持ちだった。しかし、そんなサラの表情まで、ハルには見抜かれてしまっているようだ。


「もしかして、がっかりした?」


「してないわ。でも、すごい意地悪! 信じられない! ハルなんか嫌いだわ」


 ハルの身体の下でサラはじたばたともがく。


 あんなキスしておいて!

 あんなどきっとするようなこと言って。

 まだ身体が落ち着かない感じがする。

 もう、ハルなんか知らない。


 サラは唇を尖らせた。


「そんなに怒るなら」


 ハルはサラの胸元に人差し指をあて、にこりと微笑んだ。


「どうして欲しいか素直に口にしてみる?」


 サラの胸がとくんと鳴った。

 胸元にあてられたハルの指先がサラの唇に添えられた。


「今からでも遅くはないよ。素直に言ってごらん」


 サラはいやと首を振る。


「意地悪するハルなんか嫌いって言ったでしょう! 絶対に言わないんだから……」


 サラは頬を朱に染めたまま、ぷいっとハルから顔を背けてしまった。


 私、すごく可愛くない態度とってる。

 ハルを怒らせてしまうかも。


 けれど、ハルはくすりと笑い、サラのひたいに口づけを落とした。


「そう。なら、怒らせてしまったお詫びにその身体を鎮めてあげる」


「鎮める?」


 きょとんとして聞き返すサラの耳元に唇を寄せ、ハルは小声で何かをささやいた。

 サラは目を見開く。


「ゆ、指でって!」


 え……?

 いつの間に!


 サラが驚いた声を上げたと同時に、ハルの指先が夜着の下、腿の内側をそっと滑らせるようになぞり徐々に上へとあがっていく。

 サラは慌ててハルの手をがしりとつかんで押さえ込んだ。

 色香さえ漂わせるハルの静かな藍色の瞳にじっと見つめられる。


 動けない。少しでも動いたら、ハルの指が……。


「また私のことからかってるの?」


「そんなつもりはないよ」


「ハルのこと嫌いって言ったこと怒ったの?」


「どうして怒るの? 拗ねたあんたも可愛いと思っているよ」


「じゃあ、この手は」


「このままだと、かわいそうだと思って」


「あの……」


「指なら怖くないだろう?」


 何か、さらりとだけどもの凄いことを言われた気がする。

 ぴくりと動いたハルの指にサラは激しく首を振り、さらにぎゅっとその手を握りしめる。


「だ、だめ!」


 これ以上はいや、と懇願する目でハルに訴えかける。


「いや?」


 お願い……とか細い声をもらし、サラは涙目でうなずいた。


「そう」


「私、宿題の続きする! だから……この手をどけて」


「あんたが俺の手を押さえ込んでる」


「手を離しても何もしない?」


「嫌がるのなら、これ以上は何もしないよ」


「さっき、無理矢理泣かせるって言ったわ」


「〝なかせる〟の意味が違うけどね」


 サラはゆっくりと押さえ込んでいたハルの手を離した。

 手が腿から離れたと同時に、サラはほっとしたように大きく息を吐く。

 けれど、おそらくハルも本気ではなかったと、何となくだがそう思った。もしも本気だったら、私に嫌だと言わせる隙など与えなかったはず。

 何だか、本当にからかわれているのか、それともほんの少しは自分のことを思ってくれているのかわからなくて、複雑な気持ちだった。

 サラはちらりとハルを見上げる。

 あまりにもびっくりして、身体や心のうずうずした感じも一気に吹き飛んでしまった。なのに、こっちが焦ったり驚いたりしているというのに、ハルは涼しい顔であった。


 私、やっぱりハルにはかなわないわ……。


 身を起こしたハルに腕を引かれ、サラは起き上がった。

 立ち上がった瞬間、軽い目眩に襲われ足下をふらつかせた。すぐに目の前のハルにしがみつく。

 何だか一晩でいろいろなことがありすぎて、頭の中がもういっぱいであった。


「大丈夫?」


「……ただの立ちくらみ。もう平気」


 気遣ってくれるハルの声に、サラはふと思い出したように顔を上げた。そして、ハルの胸に顔を埋めた。


「ねえ、そういえば初めてハルとカーナの森で出会った時、ハルの身体からとても甘くてお花のようないい香りがしたわ。でも、あの匂いを吸い込んだ途端、意識が遠のいてしまったの。でも今はあのお花の香りはしない。どうして?」


 首を傾げて問いかけるサラをしばし見つめ、ハルはさあね、と素っ気なく答える。

 サラはぷっと頬を膨らませた。

 何となくハルとの距離が縮まった気がして嬉しかったのに、また遠ざけられてしまったようでがっかりとする。だけど、ここで無理矢理聞き出そうとしても、絶対に口を開いてくれるわけでもないだろうし、話せることだけでいいと言ったのも自分だし……。


「そう……語りたくない、あるいは語れないのね。いいわ」


 ハルのことはゆっくりと知っていけばいい。

 そして、サラは渋々といった様子で机に座り、宿題にとりかかり始めた。が、数分も経たずして大きなあくびを一つ二つと繰り返し、とうとう、首をこくりこくりとさせ始めた。


「寝るな。まだ終わってない」


 前のめりになるサラの首根っこをつかんで、ハルは強引に引き戻した。


「間違えた問題をやり直せ」


「でも、もう眠くなってしまったわ……それに、少し疲れてしまったかも」


 半分落ちかけたまぶたで、サラはハルを見上げ、そのまますとんとハルの胸にひたいを寄り添える。


「おい……」


 ハルの手が頬に添えられ無理矢理上向かせられる。


「ハル、大好き……ねえ、明日も会いに来てくれる?」


 それだけを言うのがやっとだった。


 視線を落としたハルはやれやれといった表情でため息をつく。サラの唇から寝息が聞こえ始めたからである。

 ためらった後、サラの身体を軽々と両腕にかかえ、安らかな眠りを妨げないよう、そっとベッドの上へ横たえさせる。

 まるで壊れ物を扱う丁寧さであった。

 一気に深い眠りに落ちていってしまったのか、目覚める気配はない。

 穏やかな寝息が薄紅色の唇から規則正しくもれる。

 机の上の燭台の蠟燭がつきかけ、じっと音をたてて消えた。

 たちまち辺りを包む暗闇に、ただひとり取り残されハルは立ちつくす。

 安らかに眠るサラの顔を、静かな眼差しで見下ろした。

 頬にかかる髪を払いのけようと手を伸ばしかけた時、うんと声をあげて小さな身体が寝返りをうつ。その拍子に、枕元に置いてあった白いうさぎのぬいぐるみが床へと落ちた。

 安らかな寝顔を見つめるハルの表情に滲んだのは穏やかな微笑ではなく、その端整な顔に浮かぶのは、煩悶に彩られた深い翳り。そして、憂いに沈む瞳。

 伸ばしかけた手を強く握り、ハルは小刻みに肩を震わせた。

 首をうなだれて立ちつくすハルに、漆黒の闇がまとわりつく。

 深遠の闇は腕を広げ、解けない鎖となってゆるりと彼を束縛していった。まるで、彼を手離しはしないというかのように。あるいは、光に焦がれようとする彼に嫉妬するかのように。

 夜の口づけにその身を委ね、ハルは空虚で乾いた笑いを口の端にのぼらせた。

 闇が深ければ光は押し潰され、光が闇以上に満たされれば闇はその存在を失ってしまう。


「光と闇は決して相容れることはない」


 ふっと肩の力を抜き、まぶたを落とす。しばしの間、あどけないサラの寝顔を見つめ、床に落ちたうさぎのぬいぐるみを拾い、枕元へと置く。

 サラの頬に手をあて、ハルはそっとその滑らかな頬に口づけをしようとして、思いとどまる。

 その顔に浮かぶのは苦い表情であった。

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