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2 診療所にて

 テオは深いため息をつき、診察室の扉が閉まったことを確認してから、厳しい眼差しを師へと転じた。


「先生……」


 深刻な面持ちで、師であり育ての親でもあるベゼレートを見下ろす。

 うむ、と低く唸るベゼレートの声に、やはりとテオは確信する。

 師自身も、あの少年に不可解な疑問を抱いているのだと。

 あの少年には不審な点がありすぎた。

 少年の肩の矢傷から、猛毒植物フレイラの毒とおぼしき症状が見られた。

 おそらく、矢じりに塗られてあったものであろう。

 狙った敵の息の根を確実に仕留めるため、賊たちがよく使う方法である。


「何故彼は……とっくに死んでもおかしくない状態だというのに。それに、麻酔も身体が受けつけないなんて、僕には理解できません」


 テオは奥歯を噛んだ。

 つまりあの少年は麻酔の効かない状態で、治療を受けていたのである。

 なのに、少年は一声も上げることはなかった。だが時折、奥歯を噛み締め眉を震わせているところを見ると、痛みは感じているようだった。

 悲鳴もあげず、耐え難い苦痛をこらえ続けるなどとてつもない精神力である。

 フレイラの毒に関しても、考えられることはただ一つ。

 毒の耐性をあの少年は持っている。

 信じられないが、そうとしか説明がつかない。

 テオは眉間にしわを刻み、親指の腹に軽く歯をたてる。

 薬師として、物心ついた時からベゼレートの元で学び修行を積んできた。故に、彼は薬物のことに関しては詳しく、もちろん、毒物に関してもだ。が、果たしてフレイラの毒の耐性を身につけるなど可能だろうか。


 それに……あの少年の左腕に彫られた花の入れ墨。

 あれはいったい何を意味するのか。

 東方の大陸なら入れ墨は奴隷の証であるが、それとも違うような気がした。


 不意にテオは勢いよく顔を上げた。

 そもそも何故、毒の耐性を持つ必要がある。

 いくつもの何故がテオの脳裏を過ぎる。


「テオ、よけいな詮索はおよしなさい」


 ベゼレートは静かに、けれど有無を言わせぬ強い口調でテオの思考を遮った。それでも、反論の意を示す養い子に、ベゼレートは手を制して押しとどめる。


「テオ、世の中には知ってはいけないことだってあるのですよ」


 決して踏み込んではいけない世界がある。その世界のいったんを垣間見ることすら許されないことも。

 いいですね、とベゼレートは釘をさしてテオをたしなめた。

 師のこんな厳しい表情は珍しい。


「先生は、何か知っているのですか?」


 テオの問いかけに、もはやベゼレートはそれ以上何も語ろうとはしなかった。ならばとテオは質問を変えてみる。


「よろしいのですか? あの少年をこのままにしておいて」


「彼は怪我人ですよ。怪我人や病人を救うのが我々医師たる役目」


 違いますか、とベゼレートはいつもの穏やかな笑みでテオを見つめ返した。

 テオは言葉につまらせる。

 納得はいかなかったが、それでもうなずくしかなかった。



◇・◇・◇・◇



 部屋に一歩足を踏み入れた途端、サラは思わず身をすくませ、息を飲んだ。

 部屋を包む空気が明らかに外と違うのだ。

 ベッドの上に片膝を抱えた少年が、峻烈な瞳でこちらを睨みつけている。

 己の領域に踏み込もうとする者を容赦なくずたずたに切り裂いてやる。まさにそんな目であった。


 機嫌が悪い……?


 困惑しつつも、意を決してベッドへと近づいていく。

 少年は上半身裸で肩のあたりに白い包帯を巻きつけていた。

 あらわになっている素肌は見かけの華奢な感じからは想像もつかないほど、引き締まっていて、首筋から肩、そして二の腕に流れるしなやかな線に思わず視線がいってしまい、サラは頬を熱くした。

 辛うじて平常心を装い、側にあった椅子をベッドの脇に引き寄せ腰をおろす。


「ベゼレート先生は大丈夫だって。だから、ゆっくり休んで早く傷を治して。ええと、私はサラ。あなたは?」


「剣をよこせ」


 少年は壁のすみに立てかけてあった己の剣に視線を向ける。


「でも……」


 ためらうサラの様子に、少年は片目をすがめ、ならば自分で取りに行くとばかりに身動ぐ。


「わ、わかったわ。だから、動かないで」


 サラは戸惑った表情で立ち上がり、厳しい顔の少年と剣を交互に見つめた。

 テオはいきなり隠し持っていたナイフで斬りつけられたと言っていた。

 けれど、サラは素直に少年の言葉に従うことにした。だが、その前に用意されていた清潔な上着を少年の肩に羽織らせる。

 指先が少年の素肌にほんの少し触れ、再び頬を赤くする。

 心臓がどきどきと音をたてて鳴っているのが、自分でもわかった。

 動揺を隠して少年の剣を手に取る。

 瞬間、サラは眉をしかめた。

 直身細身の優美な剣である。しかし、そのたおやかさとは裏腹に、実際手にしてみるとずいぶんと重量があった。

 サラは剣を大切に胸に抱き、少年の元へと戻るとそれを差し出した。

 剣を受け取った少年は、酷薄な笑みをゆるりと口に刻む。

 藍色の瞳に、狂気を垣間見せる怪しい炎がちらりと揺れた。


「これで俺が斬りつけたらどうする?」


「あなたはそんな人ではない」


 すかさず、サラは大きく首を横に振って答えた。


「何故、そう言いきれる」


「それは……」


 サラは言葉をつまらせた。

 勝手な思い込みでもいい。そう信じたいと思ったから。

 それ以外に理由などない。

 それに、こんな剣がなくても、この人ならきっと簡単に私を殺せるはず。

 そう、あっさりと容易く。

 嘲笑い少年は剣を枕元に置いた。

 どうやら自分を傷つけるつもりはないという少年の意思を読み取り、サラは内心ほっと胸をなでおろす。


 見かけと全然違う。

 肩だって細いし、腕の太さだってもしかしたら私と変わらないかも。

 女の人みたいに華奢で綺麗な顔をしてるのに。

 でもきっとこの人、とても強いんだわ。


 その時であった。

 かすかに扉が開き、テオが顔だけをのぞかせこちらに来るよう手招きをする。

 サラは立ち上がり一度だけ少年に視線を向け、そして、テオに招かれるまま部屋から出た。

 何かしら? とテオを見上げると、相手は渋面顔を作る。


「たった今、情報が入って」


 神妙な顔つきでテオは低く声を落とした。


「カーナの森で、賊の集団が発見されたそうです」


 サラは目を開いてテオを見つめ返した。

 カーナの森に現れた賊の集団。

 傷ついたあの少年。


 やっぱりあの人、賊に襲われたのだわ。


 黙りこくったまま考えにふけるサラの思考を読みとったのか、テオは重いため息とともに違うのだと首を横に振る。


「驚かないで聞いてください」


 テオはいっそう声をひそめた。


「賊たちは死体で発見されたのです」


「死体?」


「そう、約二十人……それらすべてが無惨な状態で」


 サラはさらに目を見開いた。

 それは見るに堪えられない有様であったという。死体を処理する役人たちは込み上げてくる吐き気をこらえきれなかったと。

 青ざめた顔でサラは信じられないと首を振る。

 たった一人で、二十人近くの賊と戦い、葬ってしまうなど、そんなことができるというのだろうか。


「僕は今から役人のところへ行く」


「待って。まだ彼がやったと決まったわけではないわ!」


「いや、間違いなくあいつの仕業だ」


「どうして? どうして確かめもしないでそんなことを言うの?」


「それは……! とにかく、あいつには近寄ってはいけない」


「でも、彼は怪我をしている」


 テオは言い聞かせるように、サラの両肩に手を置いた。


「サラ! あいつは危険なんだ。君だって、本当は感づいているはずだ。あいつが僕たち普通の人間と違うってことを」


「普通って何?」


 問いかけるサラにテオは眉根を寄せる。


「頼むから僕の言うことを……」


 けれど、サラは肩に置かれたテオの手を、きつくつかんで引き離した。


「……私が真実を確かめるから」


 だからお願い待って、とテオをとどめた。



◇・◇・◇・◇



 再び部屋に戻ったサラの顔は浮かない。

 無遠慮に投げかける少年の視線から逃れるよう目をそむけ、うつむき加減でベッドの脇に立ちつくす。

 真実を確かめると大言を吐いたものの、いざ少年と向かい合うと躊躇いを覚えた。

 あからさまに聞けるわけがない。

 いや、本当は事件のことを肯定されるのが恐ろしかったのかもしれない。

 思案に暮れるサラの心を見透かすように、少年は肩をすくめた。


「そろそろ、事件の一報が入る頃だ。あんた、俺が殺したのかって聞きたいんだろう?」


 相手の言葉の一撃が、サラの胸を突く。

 何か言いかけようと口を開きかけたものの結局、声にはならなかった。

 言いたかったこと、聞きたかったこと、それら言葉の断片が、思考の渦となって脳裏を駆け巡る。


「そう、奴ら全員俺が殺した」


 淡々と言う少年の声の響きに、罪の意識は感じられなかった。


「……二十人の賊を、あなた一人で?」


 サラの声が上擦る。

 少年はくつくつと小刻みに肩を震わせ、二十三人だよ、とご丁寧にも訂正し、続けて言った。


「人を斬り殺し、これで何人目と心の中で数えるのさ。想像できるか? 肉を切り裂く感触。吐き気を誘う血のにおい」


「もうやめて!」


 あきらかに自分が怯える反応を愉しんでいるとしか思えなかった。けれど、少年の言葉は止まらない。


「大の男が涙を流して懇願するんだ。命だけは助けてくれと」


「なのに、あなたは彼らの命乞いをはねつけた」


「生きるか死ぬかの戦いに、情けは無用。相手に刃を突きつけるということは、自分にも最悪の結果がおとずれるということを覚悟するべきだ」


「ひどい人。人として最低だわ!」


 少年はまなじりを細め、突然、加減のない力でサラの手首を強く握り自分の元へと引き寄せた。

 その瞳に殺気を揺らして。


「二度とそんな口がきけないようにしてやろうか」


 一瞬、殺されるのかと思いひやりとした。


「脅してもむだよ」


 すかさず、そんな脅しには動じないという強気な姿勢でサラは言ってのける。


「脅しかどうか、試すか? 女だからといって容赦はしない」


 ぐっと喉を鳴らし、サラは握られていないもう片方の手を、相手の頬めがけて振り上げた。が、その手も難なく封じられてしまう。


「よほど泣かされたいみたいだな」


 さらに力が込められた手首にサラは顔をしかめた。けれど、この痛みのおかげで、かろうじて冷静を保つことができた。


「手を離してちょうだい。それに、そんな傷をおった身体で何をするつもり」


 しばしの間二人は視線をそらさず睨みあっていたが、やがて、根負けしたのは意外にも少年のほうであった。


「あんた、震えてるよ」


 サラは顔を赤くして、握られていた手首を払いのけた。


「犬や猫でも拾う感覚で俺をここへ連れてきたのだろうが、だとしたらとんでもない拾いものをしたな。なんなら、俺を役人につき出せば?」


 別にかまわない、と落ち着き払った声で少年は言う。もっとも、おとなしく役人に引き渡されるつもりはないであろうが。

 サラの表情から、先ほどまでの強気の色が失せていく。

 不安だった。

 怖ろしさのあまり足がすくみそうだった。

 自分のくだした決断が正しいわけがない。

 立ち上がったサラは扉へ向かって歩き出し、勢いよく戸を開け放つ。


「テオ、入って」


 外で待機していた薬師の青年を部屋へと招き入れる。

 ゆっくりとした足取りで少年に近づいていくテオの表情は厳しい。

 剥き出しの敵愾心に彩られたテオの碧い瞳。

 テオは静かにサラの言葉を待った。だが、彼女の答えは見事にテオの期待を裏切った。


「賊を殺したのは彼ではないわ」


 少年は緩やかに眼差しを上げた。

 サラは震える手でスカートの裾を握りしめる。

 嘘を貫き通すなら、もっと堂々たる態度をとるべきであろう。


「今の言葉をもう一度、僕の目を見て言えますか? サラ」


 サラは顔を上げた。

 据えられてくるテオの視線を真っ向から受け止める。

 決して視線を逸らしてはいけない。

 動揺を悟られてはいけない。

 唇を震わせ、嘘を真実に塗りかえるためにサラは言葉を紡ぐ。


「言えるわ。彼はやってない」


 きっぱりと言い切ったサラの態度にテオは首を振る。もちろん、サラの言葉を信じたわけではないということはその表情からうかがえる。


「そうですか……わかりました」


 あきらめたように、テオは肩を落とし静かに部屋を去っていった。

 扉が閉ざされると同時に、サラは力が抜けたようにその場に座り込む。両手を胸の前で交差させ、震える己の肩を押さえつける。

 緊張感が弛んだのか震えは止まらない。


 いつも私に親切にしてくれたテオに嘘をついてしまった。

 あんな怖い顔をしたテオは見たこともない。

 でも、後悔はしてない。


「何故、俺をかばう?」


 少年の問いかけに、うなだれたままサラは力なくわからないと、首を振るだけであった。


「ねえ、あなたの名前を教えて?」


 しばしの沈黙の後、ハルは薄く笑い小声でつぶやいた。


「ハル……?」


 耳にした言葉をサラは繰り返す。


「本当に変わった女だね」


 サラの答えはない。

 少年、ハルはまあいいか、と肩をすくめた。


「助けられた礼に、一度だけあんたが困った時に手をかすと約束してやる。それで貸し借りはなしだ。何でもしてやるよ」


「何でも?」


「たとえば、消えて欲しい奴のひとりや二人くらいいるだろう? あんたに疑いがかかることなく、この世から消し去ってやる」


 立てた膝に片腕を乗せ、ベッドの背もたれに尊大な態度で反り返るハルに、サラは表情を険しくさせる。


「簡単に人を消すだなんて言わないで! それに私、貸しを作るつもりでハルのこと助けたわけではないわ!」


 手を握りしめ、サラは声を張り上げた。が、ふと何か考えが思いついたとばかりに目を細め目の前のハルを見据える。


「今、何でもすると言ったわよね」


「言ったよ」


「私のお願い、何でも聞いてくれるのね?」


「ああ」


「本当ね?」


「嘘は言わないさ」


「そう」


 サラは腰に手をあて、半眼でハルを見下ろす。


「だったら、傷が癒えるまで絶対にここから逃げ出さないこと。それが私のたった一つのお願いよ。いいわね、約束よ!」


 語気を強め、サラはハルに向かって指を突きつけた。

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