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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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26 勝負の行方

 すでに卓の上には何本かの火酒の空き瓶が並べられていた。

 その酒をまだ年若い二人が顔色も変えずに、延々と飲み空かしているのだから驚かずにはいられない。おのずと他の客たちの注目が二人にそそがれ、どちらかが酒盃を傾けるたびに、おお……っ! と声をもらしていた。


「おい……あの二人、大丈夫なのか?」


「いやいや、シンはともかく、もうひとりの兄ちゃんが心配だな」


「シンは底なしだ。それ知ってんのか? あの兄ちゃん」


 客たちの間でそんな会話も交わされていた。

 中にはシンが酒豪であることを知っている者もいるようだ。


「で、サラには婚約者がいたんだ。何ていったけ? ファルなんとか……」


「ファルク・フィル・ゼクスだ。ゼクス家の次男。そいつに対してあまりいい噂は聞かない」


「そうそう、そんな名前だった……って!」


 シンは空になった自分の酒盃に酒をみたしながら、え? と不思議そうな顔をする。


「なんでそいつの名をハルが知ってる?」


 シンの問いかけにしかし、ハルは答えない。


「あいかわらず謎な奴だな。サラが貴族のお嬢様だってことも最初から知ってたみたいだし。まあ、いいや」


 シンもまた、そんなハルの不可解な態度には慣れているのか、それ以上追求することはしなかった。


「それで、そいつがまたいけ好かない奴で」


 シンはサラに連れていかれた夜会の日のことを、こと細かに延々とハルに聞かせた。

 向かいの席に座るハルは、テーブルにひじをついて手の甲にあごをのせ、もう片方の手で酒杯をもてあそんでいる。

 半分落としたまぶたの奥の瞳はじっと酒杯に向けられたまま。

 勝手にひとりで喋っているシンの話さえ聞いているのか、怪しいところであった

 不意に、シンは両手を頭の後ろで組み身体をを反らした。


「俺、好きだなああいう()。可愛いよね」


 遠い目をしてぽつりと呟いたシンは、突然身を乗り出すようにして、ハルに顔を近づけた。


「なあ、おまえが相手にしないってなら、俺がもらっていいか?」


 ハルはちらりと視線だけを上げシンを見る。


「もらうも何も、婚約者がいるんだろう」


「いいよ別に。俺、人妻でも気にしないし」


 あっけらかんと言うシンから視線を外し、ハルは酒杯の中身を一気にあおった。その仕草が妙に苛立っているように感じるのは気のせいか。


「何かさ、一緒にいるだけでいいんだ。サラが楽しそうに笑ってくれるだけで嬉しいっていうか、俺にもこんな純粋な気持ちがあったんだなあって。でさ、また会う約束したんだよね」


 テーブルに頬杖をつき口許をほころばせるシンに、ハルは鼻であしらった。


「今度会うとき、サラが俺のためにお菓子を焼いてくれるって。屋敷の敷地内に自分だけしかしらない秘密の場所があるから、そこで一緒に食べようって言ってくれてさ」


 ハルは瞳を揺らし、シンから目をそらすように視線を落とした。


「サラも今はおまえに夢中のようだけど、俺がおまえのことなんて忘れさせてやるさ。人の気持ちなんて変わりやすいもの。冷たくて意地悪で無愛想なおまえよりも、優しい俺の方が好きだって。楽しいからずっと側にいたいって。そう、好きだって言ってくれた」


 俺のことを優しいって言ってくれたのも、一緒にいたいと言ったのも本当だ。それに、好きだとも言ってくれたのも。

 好きの意味合いはかなり違うが、間違ってはいない。


「あと一押しって感じかな」


 シンも手にしていた酒杯を一気にあおる。空になった酒杯をテーブルに置き、不敵な笑みを口許に刻みハルを見据えた。その目には挑発的、挑戦的な光が揺れている。

 ハルはあからさまに眉根を寄せ、不機嫌そうな顔をする。


「あれ、どうした? 険しい顔して。もしかして……」


 薄く笑ったシンが上目遣いにハルの目をのぞき込む。


「妬いてるとか?」


「誰が。それに、別におまえが誰と何をしようと……」


「俺、サラとキスした」


 突然、ハルは酒盃をテーブルに叩きつけた。が、その瞬間、こめかみのあたりを手で押さえ苦しそうに顔を歪める。と、同時に回りの客たちがいっせいに椅子から腰を浮かせた。

 心なしか青ざめた顔のハルを見つめ、シンはにやりと笑った。


 そろそろ限界か。

 こうなったら徹底的に潰してやる。

 さっさと負けを認めちまえ。


 端整な顔を苦しげにゆがめ眉をひそめるハルの顔は何やら艶っぽいものがあった。そんなハルの表情にごくりと生唾を飲み込み見惹れていた客たちであったが、確かに誰かが止めに入らなければまずい状態であった。

 とうとう、客たちがぞろぞろと二人の回りに集まりだした。


「おいおい……兄ちゃん、もうやめたほうがいいって」


「顔色が悪いぞ」


「そもそも、シンにかなうわけないんだ」


「おい、そっちの兄ちゃんもいい加減にしてやったらどうだ? こいつ、ぶっ倒れるぞ」


「あんたらの飲んでる量、半端ないって」


「まだだよ」


 そう答え、シンはテーブルに頬杖をつきながら、空になったハルの盃に容赦なく酒を注ぐ。


「こいつが負けを認めたら、やめてやる」


 シンは自分の杯にも並々と酒をそそぎ一気に飲み干した。まだまだ余裕とばかりに笑ってみせながら、ハルにさあ、飲めと目で合図する。


「しかし、兄ちゃんもそうとう何ていうか、あれだな……」


「そ、俺って聞き分けのない子には容赦しねえから」


 テーブルの回りにはすでに大勢の客で人集りとなり、この成り行きを固唾を飲んで見守っていた。

 酒盃に手を伸ばすハルを見つめ、シンは肩をすくめ軽くため息をつく。


「ほんと、おまえも強情というか、そこまで負けず嫌いだとは思わなかったよ。どうみたってもう勝負はついてるだろ? あんまり意地張ると、どうなっても知らないぞ」


「黙れ!」


 テーブルをばしりと手で叩きつけ、ハルは勢いよく立ち上がった。途端、足をよろめかせ体勢を崩す。すかさず、シンが椅子から立ち上がり、倒れそうになったハルの身体に手を伸ばして支えた。

 ふらりと身体を傾げ、ハルのひたいがシンの肩に添えられた。


「おい、大丈夫かよ」


 っていうか、俺にしがみついてきちゃって、ちょっと可愛い……。


「ハル?」


 シンの呼びかけにハルはゆっくりと顔を上げた。

 伏せたまぶたを縁取るまつげが、目元に影を落とす。

 ハルは閉じていた目をゆっくりと開いた。

 間近で見るその藍色の瞳に吸い込まれていく感覚に、シンは思わずうっ、と声をもらした。


「やべえ、そそられる……このまま、おまえを連れ帰っていいか? 実は俺、男でもわりと問題なかったりして」


 瞬間、ハルの藍色の瞳に苛烈な光が過ぎった。

 上目遣いにシンを見上げるハルのその口許に浮かぶのは嘲笑。


「かまわないぞ。ただし、そんなことをしてどうなるか、おまえ、わかっているんだろうな」


 慌ててハルから手を離したシンは、顔を引きつらせた。


「こ、こえ……冗談に決まってるだろ。冗談」


 いや、ちょっとだけ本気だったけど。

 それにしても、何が夜空のように澄んだきれいな瞳だよ。今の目は獲物を捕らえて容赦なく切り刻む獣の目だよ。


 シンの手を邪険に振り払い、ハルは店の外に向かって向かって歩き出す。


「どけ」


 回りにいた客たちがハルの威圧的な態度に怯え、道を譲るようにしてさっと退いた。


「約束は守ってもらうぞ。サラに会いに行け。いいな」


 ハルの背に言葉を投げかけるシンの表情に一瞬、切ない色が滲んだ。

 胸にちくりとした痛みが突き抜ける。

 サラへの思いは断ち切った。それでも込み上げてくるやり切れない思いにシンは顔を歪めつつも、その感情を無理矢理払いのける。

 多分、これで約束ははたせただろうと息をつき、もう一度椅子に座り直すと、すでに何杯目かわからない酒盃に手を伸ばす。


 俺も飲み過ぎたな。

 だけど、ちっとも酔えやしねえ。


 盃を口に持っていこうとしたシンの手がふと止まった。

 はっとなってもう一度店の外を見やる。


 あいつ、まさかと思うが、あの状態で今からサラのところに行ったりしないよな。

 大丈夫かな、サラ。何か、とんでもない獣の本性を目覚めさせて危険な状態のまま放ってしまったような気がしないでもないけど……。

 まあ、いっか。

 本気であいつを好きだと思うなら、これもまた試練だ。

 いや、でも……やっぱり大丈夫かな。


 そんなことを考えながら、シンは切ないため息をこぼすのであった。



 ◇



 それから、店を出たのはすでに深夜を回っていた。空を仰げば傾きかけた月が冴え冴えとした光を放っている。


「シン」


 さて、これからどうしようか、と思いながら歩き出したところに呼び止められ、シンは背後を振り返った。

 店の入り口に先ほどの女性給士、カナルが立っていた。


「どうした? カナル」


 カナルは小走りでこちらに駆け寄ってきた。


「何か元気がないような気がしたから、心配になって」


「そうか?」


「もしかして、女の子にふられたとか?」


 シンは肩をすくめ、曖昧に笑うだけであった。


「まさか、ほんとに? 嘘でしょう? シンが本気になれば簡単におとせたでしょう」


「そう、うまくいかないよ」


「そっか……」


 わずかに目を伏せたカナルの顔に一瞬だけ、ほっとしたものが過ぎった。


「あたし、仕事終わったの」


「家まで送ってくよ」


「ねえ」


「ん?」


 カナルは肩にかけていた羽織りの前をぎゅっとかき合わせた。そして、ついっと顔をあげ真剣な眼差しでシンを見上げる。


「シンのこと、慰めてあげようか?」


 二人の間に沈黙が落ちた。

 不意に、シンは目の前のカナルの腰に手を回し抱き寄せた。シンの指先がカナルの腰にきつく食い込み、さらに、もう片方の手でカナルの首の後ろに手を添える。

 驚いたように目を見開くカナルの身体をさらに強く抱きしめ唇をふさぐ。

 カナルの手がすがるようにシンの背に回された。

 ふっと、シンの唇が離れる。

 身動きもできないほどに抱きしめられ、息苦しさに喘ぎ息をつぐカナルに、シンはもう一度深い口づけを与えた。熱を帯びた吐息をこぼし、カナルは潤んだ目でシンを見上げる。しかし、カナルを抱きしめていたシンの手が解かれた。


「ごめん……」


「……どうして? 謝らないで」


「送ってく」


 歩き出そうとしたシンの腕を咄嗟にカナルはつかんで引き止めた。


「あたしじゃ……だめ?」


「……そうじゃないよ。そうじゃなくて、俺、今日は自制きかないかも。カナルのこと考えずにいろいろ無理しちゃいそ」


 カナルは緩く首を振ってシンの胸にすがりついた。


「いいの。シンの好きにしていいから。だから……」

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