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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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24 狂乱の円舞曲

 どうして、こんな展開になってしまったのだろう。

 何故、俺はサラとあいつとの仲を応援するようなことを言ってしまったのだろう。けれど、口から出てしまった言葉をもはや取り消すことも、なかったことにすることもできず、こんなはずではなかったと、シンは戸惑いに心を揺らす。


 せつないな……。


 とはいえ、今は感傷的になっている暇はなさそうだ。


「待っていて、あの野郎を追っ払ってやるよ」


 しかし、サラは激しく首を横に振り、剣を持つシンの腕を自分の腕で押さえ込むようにして、ぎゅっとしがみつく。


「お願い……剣を抜かないで。戦ってはだめ! シンが殺されてしまう」


「おい、勝手に俺を殺すな」


「あの人、ああ見えてとても強いの。剣の名手なの! いつも何かの大会で優勝しているの!」


「優勝? 何だそりゃ? ずいぶん程度の低い大会だな」


 戯けた仕草でシンは肩をすくめ、ついでに失笑をこぼす。

 真剣にとりあってくれないと思ったのか、ますますサラは必死になって訴える。


「嘘じゃないわ! あの人絶対に手加減をしないの。再起不能にされた人だってたくさんいるの!」


「じゃ、俺も手加減なしであいつを再起不能にしてやるけど、かまわないよな?」


「お願い、ふざけないで!」


「ふざけてないよ」


「あの人の強さを知らないから……シンだって、あの人に勝てないわ! ハルに負けたことがあのでしょう?」


 ファルクと絶対に戦わせないようにと、サラは必死になってシンから剣を奪おうとする。


「いや、ハルのあいつの強さが化け物じみているだけで……うーん」


 すっかり、混乱状態に陥っているサラの様子に、シンは参ったな、と頭に手をあて空を見上げた。


 俺、そんなに弱いと思われてるのか?

 そういえば以前サラに、全然強そうに見えないとか、頼りにならなさそうだとか言われたっけ。

 思えば、けっこう散々なこと言われたな。


 そんなことを思いだし、シンはふっと笑った。


「なあ、サラ聞いて」


「絶対にだめ!」


「サラ」


 落ち着いて、とシンはサラの肩に手をかける。


「戦ってはだめ!」


 それでもなお、いやいやをするように激しく首を振るサラの背に腕を回し、シンは自分の胸に強く抱き寄せた。ぽふんと胸に倒れ込んできたサラが、腕の中で小さな身体を震えさせ、もがいて顔を上げる。

 目を真っ赤にして仰ぐようにしてこちらを見上げる泣きそうなサラの顔。

 シンはサラの頭を優しくなでた。


「俺のために心配してくれて嬉しいよ。でも、安心して」


 シンはサラの耳元に唇を近づけた。


「俺、あいつより強い」


 それは自信に満ちた声だった。


「どうしてそんなことが!」


「わかるかって? 見ればわかるよ」


 シンは不敵な笑みを浮かべ、まぶたを半分落とすと、サラのすぐ背中で剣の鞘と柄を握りしめた。


「そんなの!」


「サラ、動かないで。怪我をするよ」


 低い声を落とし、シンはサラの背後でゆっくりと剣を抜いていく。

 鞘を滑る剣の音を背中で聞き、サラは怯えて小さな悲鳴を上げ、シンの胸に手を添えしがみついてきた。

 身体を動かしたら、怪我をしてしまうおそれがあると思って。

 剣を抜いたシンは、腕の中ですっかりおとなしくなってしまったサラを見下ろし、彼女を安心させる言葉を継ぐ。


「俺を信じて」


 迷いのないシンの声にサラはそろりと視線を上げた。

 まだ戸惑いの表情を見せつつも、サラは小さくうなずく。


「そうだ。ひとつだけ、俺のお願い聞いてくれるか?」


「お願い?」


「キスしていい?」


 一瞬、サラの茶色の瞳が動揺するように揺れ動いた。

 いやとは答えなかった。

 ほんの少しためらった後、サラは手を胸の前でそっと組む。上背のあるシンを見上げるようにして顔を上向け、ゆっくりと静かにまぶたを落とした。

 青ざめたサラの顔に淡い月影が落ちる。

 閉じた目の縁に涙をため、サラは濡れたまつげを震わせた。

 シンは形のよい眉をひそめて、視線を斜めに落とす。


 この状況で、サラが断れないとわかっていながら、こんなことを言い出す俺も悪い男だよな。

 それも婚約者だという男の目の前で。


 シンの左手が愛おしげにサラの頬に触れる。

 サラのまぶたがぴくりと震えた。

 かすかに開いた薄紅色の唇から震えるような小さな吐息がもれる。

 耳の脇の髪に手を差し込み、そして、首の後ろを支えるように手のひらを添えた。

 サラの頬にほんのりと赤みが差す。


 サラ……。

 あいつとうまくいくことを祈ってるよ。

 だから、俺はここでさよならだ。


 ゆっくりとサラの顔に近づくシンの唇が、サラの頬に軽く触れた。

 驚いたように目を開け、サラは頬に手をあてる。

 彼女自身も覚悟を決めていたはずなのに、まさか頬に口づけをされるとは思ってもいなかったらしい。

 しかし、驚いたのはサラだけではなかった。

 シンは顔を赤らめ照れたように、でも、嬉しそうに顔に手をあてた。


 何照れてんだよ俺。

 女を知らないわけでもあるまいし、この程度で顔赤くして、がきかよ。


「すぐに片づける。それと……」


 今の表情(かお)よかったよ、と腰を屈めサラの耳元でささやくと、ようやくシンはファルクと向き合った。

 剣を一振りして、シンは再びファルクをかえりみる。

 わずかに反った刀身の切っ先は、まるで、さながら満ちかけた月の鋭さを思わせた。


「すぐに片づけるだと? その言葉が泣き言に変わるのが私は楽しみだよ」


「俺はてめえのその鼻っ柱を叩くのが楽しみだ」


「言っておくが、私は強い」


 ファルクはにやりと口許を歪める。


「なら、こっちも遠慮はいらねえな。まあ、殺しはしないから安心しろ。軽く遊んでやる」


 戯けた仕草でシンは肩をすくめる。だが、その口調と態度とは裏腹に、相手を見据えるその目は笑ってはいなかった。

 ファルクは隙のないかまえで剣を持ち上げた。同時に、シンも剣をかまえる。

 二人はじりじりと間合いをつめ、互いに最初の一撃の機会をうかがっていた。

 先に、動き出したのはファルクの方。

 見かけの逞しさと同じく、彼の操る剣技も剛健の気風。

 土を跳ね上がらせ、飛び込んでくる相手の一撃をシンはまずは刀身で受け止めた。


「シン!」


 サラは悲鳴を上げ、口許を手でおおった。


「どうしよう……私のせいだわ。きっとひどい怪我を負わされてしまう……」


 だが、サラは知らない。

 数日間行動をともにしたシンという男の実力を。強さを。

 振り下ろされた相手の一撃に、シンは片目を細めた。

 普通ならその鋭く重い攻撃に腕を痺れさせ剣を取り落としてしまうところであろう。あながち、剣の名手というのも嘘ではないらしい。

 だけど、このくらいで参ると思ったら大間違いだとシンは相手を剣で押し返す。

 刃を交えてはいったん互いに距離を取り、再び相手に斬りかかろうと躍り出る。シンの剣に迷いはなかった。


 蒼い月の光。

 星のささやき。

 匂い立つ薔薇。

 剣の輝き。

 向かい会う二人の男の影。


「嘘でしょう?」


 サラはぽつりと声をもらした。


「……ファルクとまともに剣を打ち交わせるなんて! すごいわ……シンは本当に強いのだわ!」


 ふと、サラの耳に遠くから円舞曲の楽曲が流れてきた。そして、食い入るように二人の闘いを見る。

 もう怖いことなんて何もない。

 何故なら、どちらが有利であるかサラの目にもはっきりと理解できたから。

 それまで、互角を見せてきた二人の闘いに明らかな変化が表れた。

 シンが攻めの体勢に移り変わったのである。

 遠くから聞こえてくる円舞曲の調べにあわせ、剣を前へと突きだし、右、左、右さらに、右、左、右。一撃、二撃、三撃と……。

 その攻撃はさながら、四分の三拍子を刻む軽やかな舞踏のようでもあった。もっとも、シンの耳に円舞曲が入ってきているかまでは定かではないが。

 最後に鋭い一撃をファルク目がけて叩き込む。

 相手もその攻撃を刀身で受け止めた。

 互いに刃を噛み合わせる。

 シンは相手を剣で押し返し、すぐさま後方へ飛んだ。


 ファルクは肩を上下させ、荒い息を吐く。


「何、もう息切れ? あんたほんとに剣の名手?」


 たいしたことねえな、とシンは息ひとつ乱さず、余裕の態度で腰に手をあて相手を見据える。


「な、んだと……」


「言っておくけど、俺まだ実力の半分もだしてねえぞ。でも、あんたとこれ以上戦ってもつまらないし、もう終わりにするか」


 ファルクは眉をしかめた。剣を握る手が小刻みに震えている。


「小賢しいがきめ! どこまでも、ふざけた態度をとりやがって」


 気色ばみ、剣を振り上げファルクは突進した。

 その攻撃すら、難なくシンはかわしてしまう。


「ふざける? 俺、これでもけっこう腹立ててるんだぜ」


 シンは目を鋭くさせた。


「このまま、てめえをぶっ殺してやりてえとこだけど、そうもいかねえ。だから、あんたの自尊心をずたずたに切り裂いてやるよ」


 シンは相手の剣を一撃のもとに弾き飛ばした。

 さらに剣を横に一閃させ相手の頬を斬りつける。

 月華を弾き、虚空を回転してファルクの剣がどっと地面に突き刺さる。

 勝負ありと、刀身の切っ先をシンは相手の喉元に突きつけた。

 シンの背後で皓々と月が輝く。


「ぶざまだな」


 シンの冷ややかな一言に、ファルクは奥歯を噛み悔しそうな、あるいは恨めしげな顔でシンを凝視した。その左頬から一筋の赤い血がつっと、流れ落ちていく。


「貴様こんな真似をして、どうなるか……」


「俺を役人につきだすって? いいぜ。やれるもんなら、やってみろ。ただし……」


 相手に得物を突きつけたまま、シンはさらに目を細める。


「獄中でも、死刑台の上でもこの命が途切れるまで声を張り上げて言いふらしてやるよ。俺は剣の名手であるあんたを負かしてやったってね。その頬の傷が何よりの証拠だって」


「くそ……」


 立ち上がり、ファルクは憎悪を漲らせた目でシンを睨みつけて去っていこうとした。


「忘れもんだ! 剣士が剣を忘れていくな」


 シンはファルクの剣を足で蹴り上げた。

 剣は虚空を舞い、ファルクの足元の地面へ突き刺さった。

 忘れかけていた剣をとり、そそくさと逃げ去っていくファルクの背を見つめ、シンは嘲笑を浮かべた。


「相手にもならねえよ」


 とっとと消え失せろ、と吐き捨てる。


「シン!」


 サラは息をはずませシンの元へと駆け寄ると、ぎゅっと抱きついた。


「すごいわ。すごいわ! シンがこんなに強かったなんて!」


「だから言ったろ? 俺、強いって」


「だけど、まさかこんなに強いとは思わなかったし、そんなふうに見えなかったもの」


「俺を信じてって言ったのに、疑ってた?」


「だって、私あんな場面見るの初めてだったし、やっぱり怖かったの。でも、あのファルクを負かしてしまうなんて信じられない。私、シンの戦いに見とれてしまったわ。素敵だったわ!」


 興奮して褒め言葉を連呼するサラに、シンは気恥ずかしそうに頭をかく。


「いやあ、そこまで褒められると……俺、照れるよ」


「ありがとう、シン」


「いや、別にたいしたことしてないし。っていうか、あんまり抱きつかれると……」


 決意が鈍るというか、何というか……と、シンはもごもごと口ごもる。

 サラははっとなって、シンから離れた。


「シン……さっきのことだけど……私のことを……」


 言いづらそうに言葉を濁すサラに、ああ、と言ってシンは緩く首を横に振る。


「忘れて。俺もちょっと感情的になっていた」


 どこかほっとしたように肩の力を抜くサラを見て、シンは複雑な気持ちを抱いた。


「ごめんなさい」


「いや、謝らなければいけないのは俺のほうだ」


 あの時は、サラに拒むことを許さず、何としてでもうなずかせて自分のものにしてしまおうと思った。

 たぶん、あのファルクという野郎が現れなかったら、間違いなくそうしていただろう。

 確かにあの時は本気だった。

 だけど今は……。

 だから、これでよかったのだと、無理矢理自分に言い聞かせることにした。


「あのね、私シンのことが好きよ。だけど、その好きはハルの好きとは違うの」


「わかってる」


「でも私、シンと出会えてよかったと思ってる。ほんとよ」


「ああ」


「さっきも言ったわよね。私、シンと出会ってからたくさん笑ったし、すごく楽しかった」


「俺も楽しかったよ」


 振り回されてばかりだったような気がしないでもないけど。

 それでも、楽しかったと思う。


「裏街に行ってとっても怒られたけど、でもカイやエレナさんとも出会えた」


「あの時はひやりとさせられたけどね」


「口紅も嬉しかった。こんな嬉しい贈り物は初めて。それに、星の物語も初めて知ったの。すごくわくわくした」


 しかし、サラは突然表情を曇らせた。


「シン……私ね、もうベゼレート先生の所に戻れないの」


「俺も裏街に戻るよ」


 サラは瞳を揺らした。


「私、八十八の星の物語、全部聞いてない」


 シンは静かに笑って、ごめんなとサラの頭をなでる。


「どうして? どうして、ごめんって言うの? 何故あやまるの?」


 シンは静かにまぶたを伏せた。

 途端、サラの目に大粒の涙が盛り上がった。


「また、会えるわよね?」


 おそるおそる問いかけてくるサラにシンが答えることはなかった。

 ただ、口許にかすかな笑いを浮かべるだけ。

 サラの目からひとしずくの涙が落ちた。


「もっとシンと一緒にいたい」


「そう言ってもらえて嬉しいけど、それは俺に言う言葉じゃないだろ?」


「でも!」


「ごめん。サラを泣かせたくないって言っておきながら、俺が泣かせているんだよな」


 シンはそっと手を伸ばし、サラのこぼれ落ちる涙のしずくを指先ですくいとった。それでも、あとからあふれ落ちる涙で頬を濡らすサラの顔を見て、シンは戸惑いの表情を浮かべる。


「サラ……」


 思わず抱きしめようと伸ばしたシンの手が虚空でとまる。

 とまったまま、手をきつく握りしめ震わせた。

 これ以上サラに触れてしまったら、抱きしめてしまったら、必死で抑え込んでいる感情が爆発してしまいそうだったから。

 みっともない自分をさらしてしまいそうだったから。

 伸ばした手を引き、シンは乱れかけた心を落ち着かせるように息を吸って吐き出した。と、同時にシンの心に一つの決意が過ぎった。


「俺もほんとお人好しだな」


「え?」


「いや……あのさ俺、必ずあいつを、ハルをサラの元に連れてくる。サラに会わせてやる」


「シン……」


 やっぱり、サラには笑っていて欲しい。

 サラが笑顔でいてくれるなら、俺も嬉しいから。

 シンの濃い紫の瞳に切なげな翳が揺れた。


「約束する」


 シンは手にした抜き身の剣を地面に突き刺すと、側の薔薇の垣根から一輪の赤い薔薇を手折り、丁寧に棘をとりのぞいてサラの目の前に差し出した。

 サラはその薔薇に手を伸ばす。


「この薔薇が枯れ落ちるまでに必ず、ハルに会わせてやる。だから、もう泣かないと約束してくれるか?」


 と、シンは微笑んだ。

 サラは手にした薔薇とシンを交互に見つめ、大きくうなずいた。

 うなずいた瞬間、再び大粒の涙がサラの目からぱたぱたとこぼれ落ちていく。


「ほら、涙を拭いて」


 サラはもう一度うなずき、手の甲で目の縁をごしごしとこすった。


「笑って」


 ぎこちないながらもサラは口許に笑みを浮かべる。


「よし」


 もう大丈夫だね。

 その笑顔であいつの胸に飛び込むんだ。

 たぶん、あのファルクとかいう野郎のことも、きっとあいつが何とかしてくれるはず。

 だから、何も心配することはないよ。

 必ず約束するから。

 俺を信じて待っていて。


 シンは剣を手に取り鞘におさめると、すべての思いを振り切り、サラに背を向け歩き出した。


「シン!」


 呼び止めるサラの声に振り返らなかった。

 突如吹く風に、薔薇の花びらが大きく空へと舞い上がる。


 さよなら、サラ──

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