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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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22 抱きたい

 会場から流れる優雅な楽曲が、二人の間に落ちた沈黙を彩る。手を伸ばせば届きそうな星たちが、その音楽にあわせて瞬いているようだ。

 さわりと風が吹き抜けていく。

 バルコニーの向こうに広がる薔薇園から、風にのってふわりと甘い香りを漂わせ二人を優しく包み込む。


 サラはにこりと微笑んだ。


「ねえ、私もっと星の物語が聞きたいな」


「お望みとあれば夜空を描く星座、全天八十八の物語を全て聞かせてあげるよ。少しは退屈しのぎになるかな」


 サラは目を瞠らせた。


「全部知っているの? 八十八もあるの? すごいわ。じゃあ、あの星にも物語があるの?」


 サラは夜空の一点、蒼白く瞬く星を指さした。


「天白星の西側、波形にうねった星の群れがあるだろう? あれが黒龍座(こくりゆうざ)。黒龍座は、地上に災厄をもたらした悪い龍が天帝によって天に封印されたんだ。そして、その黒龍を常に監視するのが、サラが言った蒼い星、天慈星(てんじせい)。若き弓の名手だった男が星になったもの。その男は生前大きな過ちを犯し、それを悔いて自ら命を断ってしまった」


「あやまち?」


「男には恋人がいたんだ。でも、その恋人を他の男に奪われてしまった。嘆いたその男は愛する女性を取り戻すため、相手の男に向けて自慢の弓を引いた。しかし、放たれた矢は憎い相手ではなく恋人の胸を貫いてしまった」


「弓の名手なのに?」


「そう、だから過ちなんだ。弓の名手と謳われた男の奢りが、結果、最愛の女性(ひと)を失う羽目となってしまった。男は心を痛め、愛する者の後を追い、自らも命を断った。さまよう男の魂を哀れんだ天帝が、天に封じた悪しき龍を監視するという条件で、男を天へと導いた。その時、天帝は男に弓を与えたんだ。それは、どんなに堅い龍の鱗も貫くほどの特別な威力を持つ弓。その弓はいつでも龍の心臓を狙っている」


 シンの口から紡がれる星の物語に、サラはきらきらと瞳を輝かせた。


「すごいわ! どうして、シンはそんなに星のことに詳しいの?」


「小さい頃、母さんに教えてもらったから……」


「お母様に……」


 サラの目がシンの左耳に揺れる紫水晶の飾りに向けられた。

 ひとつだけしか見つけることができなかった母の形見。


「ねえ、お母様のこと聞いてもいい?」


 遠慮がちに問いかけるサラに、シンはかすかに微笑んでうなずく。


「シンのお母様ってどんな方だったのかしら? あ、待って、想像してみる。あのね、とってもきれいで優しい人」


「どうしてそう思う?」


「だって、シンのきれいな顔立ちは絶対、お母様似だわ! それに、シンが優しいのもお母様ゆずり」


 シンは照れたように笑い、サラのふわふわの髪をなでた。

 手入れの行き届いた艶やかな髪が、するりと指先を滑っていく。


「それでね、お料理もとても上手なの、もちろんお裁縫とかも得意で、とにかく女性らしいの」


 シンはそっとまぶたを半分落とした。

 そのまぶたの奥の濃い紫の瞳が切ない感情をともなって揺れる。


「しっかりとした人で、でも、怒ると怖いのよ。あたってる?」


 シンは緩やかに顔を上げ、夜の空に視線をさまよわせた。

 夏の夜空に星が冷たく光る。

 天頂に一際明るい光を放つ星は天白星。

 その天白星がいつもりも強い光を放っているような気がした。


「シン……?」


「ああ、ごめん。久しぶりに母さんのことを思い出して……」


 遠い昔のことだ。

 今となっては、母のおもかげすら薄れてしまったほどに遠い過去の記憶。

 しばしの沈黙の後、シンは再び口を開いた。


「殺されたんだ。俺の目の前で」


 途端、サラは表情を強ばらせ、口許に手をあてた。


「八歳の時だった。突然現れた賊に村を襲われて……村も村人も俺の父も母も友達も……全員、奴らに殺された。生き残ったのは俺ひとりだけ。その後、俺は生きるためならどんなこともしてきた……」


「シン……」


 両手を伸ばしてきたサラにふわりと抱きしめられた。小さな手が優しく背をなでてくれる。


 こんなこと、話すつもりなどなかったのに。


 シンはサラの肩にひたいを添えた。

 サラの身体から仄かに甘い香りが漂ってくる。

 香水でもない、お化粧の香りでもない、彼女自身の甘い香り。

 サラの腰に回した手にそっと力を入れてみる。

 女の子特有の柔らかい感触が手に伝わってくる。


 もしも、あいつよりも先に俺と出会っていたら、サラは俺のことを好きになってくれただろうか。

 いや、それでも、サラはきっとあいつを選ぶだろう。


 サラの肩にひたいを添えたまま、シンはせつない笑いを浮かべる。


「サラ」


「何?」


「愛してる」


 サラの肩にひたいを寄せていたシンが、濃い紫の瞳を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。


「サラを抱かせて」


 抱きしめていたサラの身体が強ばったのが手に伝わってきた。

 真っ直ぐすぎるシンの思いにサラは戸惑いをみせる。が、いつもの冗談だと思ったのだろう、すぐに唇を尖らせ。


「もう! また……」


 突き飛ばそうとしてきたサラの右手をやんわりと捕らえ、シンは自分の指に絡ませた。


「ふざけてなどいない」


 絡ませた手を口許に持っていき、シンはそっとサラの指先に口づけを落とす。


「本気だよ。サラを愛したい」


 ようやく、シンが冗談などではなく、本気なのだということを察したサラは、かっと顔を真っ赤にして、視線をそらす。


「私、そういうのよくわからないからっ!」


 シンは口許に笑いを浮かべ、サラのあごに手を添えそらした視線を元に戻す。


「わからないだけ? つまり、俺に抱かれるのは嫌ではないと、そう、とらえていい?」


 サラはあっ、と声をもらした。


 今度こそ、逃がさない。


「私……」


「サラが嫌だと思うことも、怖がらせるようなこともしない。痛い思いもさせない。サラの表情や声や仕草でどうして欲しいか読みとるから。俺がどれだけサラを愛しているか伝えたい。優しくしたい」


 このまま有無を言わせずさらっていきたい。と、加速していく思いをぎりぎりのところでこらえる。


「どうしても無理だと思ったら、必ずやめると約束する」


「だって、私は……」


 口を開きかけたサラの唇に、その先は言わせないとシンは指先をあて言葉を遮る。


「俺に抱かれながら、あいつのことを思ってもいい。あいつの名前を呼んでもかまわない」


 だけど、あいつのことを考える余裕なんてあたえない。


「それでも俺はかまわない」


 サラの心に身体に、俺の思いを刻みつける。

 時間をかけてゆっくりと。そして、いつかあいつのことを忘れさせてやる。


 いや、と首を振りかけたサラの頬に、拒ませないとばかりにシンは手を添える。


「サラ、俺ならサラの望む世界に連れていってあげられる。ここから逃げ出したいと思っているなら、今すぐにでも。何があっても俺がサラを守る。大切にする。だから俺を選んで」


 愛してる、サラ。


「俺に抱かれてみて」


 戸惑いに瞳を揺らすサラをじっとシンは見つめる。しかし、次の瞬間、サラの視線が自分を通り越していることにシンは気づく。

 サラの小さな身体がかたかたと震え、指に絡ませていた手がきゅっと握りしめ返された。

 明らかに様子のおかしいサラに、シンはどうした? とその震える瞳の先を追う。

 視線の先、ひとりの男が厳しい面持ちで真っ直ぐに、こちらへと向かってくる。

 年は二十五、六。精悍な顔立ちでかなり上背のある男だった。衣服を着ていてもわかる筋肉質の身体つき。濃紺の天鵞絨の生地に、金の刺繍を施した衣装を身にまとい、膝まである鞣し皮の黒いブーツ。

 衣服をみるだけでもその男がそうとうな身分であることは知れた。


「誰、あいつ?」


 しかし、サラは顔を青ざめさせひたすら首を振るだけであった。


「サラ、こんなところで何をしているのかな?」


 男は冷ややかな声でサラに問いかける。そして、鋭い目でシンを一瞥しあざ笑った。


「婚約者である私に対するあてつけかね」


「婚約者?」


 と、聞き返すシンにサラは違うと首を振る。


「私はあなたを婚約者だと認めてないわ!」


 男は眉間にしわを刻み、口を歪ませた。


「まだ、君はそんなことを言うのか? これはすでに決まっていること。まあいい」


 男は呆れたように肩をすくめた。


「さあ、こっちに来て私と踊ってもらおうか。きちんとダンスは覚えてきたかね? この間のように私の足を踏むようなへまはしないだろうね」


「いやよ! 誰があなたなんかと踊るものですか!」


「聞き分けのない子は嫌いだよ」


 男がゆっくりとこちらに近寄ってくる。

 そこへ──


「まあ、ファルク様、こんなところにいらしてたのね。探しましたのよ」


「ファルク様、わたくしと踊ってくださらない」


 数人の女たちが男の姿を見つけ、わらわらと寄ってきた。

 ファルクと呼ばれたその男は軽く舌打ちを鳴らしつつも、すぐに爽やかな笑みをその顔に張りつける。


「美しいお嬢様方に誘われるとは光栄。私でよろしければぜひ」


 集まってきた女たちは、ファルクの笑顔にさっと頬を朱色に染める。


「まあ嬉しいわ。ファルク様」


「ファルク様、いきましょう」


 ファルクは目をすがめて一度だけサラを振り返ると、彼女たちをともない会場へと戻っていった。

 去って行く男の後ろ姿を見つめ、シンは苦笑いを浮かべてやれやれと頭をかく。


 まったく……どうしてこう、ことごとく邪魔が入るかな。


「サラ?」


 サラは顔を青ざめたまま、まだ小刻みに身体を震わせていた。


「とりあえず、ここから逃げ出すか?」


 シンの提案にサラはようやく顔を上げ、静かにうなずいた。


「よし!」


 バルコニーの手すりにあがったシンは、サラの身体を軽々と抱き上げ、そのまま大きく跳躍して手すりの向こうの地面に降り立つ。


 走って行く二人の姿が薔薇園の、夜の闇へと消えていく。

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