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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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21 夜会へ

 夜会用の衣装に身を整えたシンの姿を見て、サラは満足げにうなずいた。

 深い緑の生地に黒と金の刺繍で縁取った膝まである丈の長いコート。

 深く折り返した袖は黒貂。

 コートの下は黒いズボンにブーツ。

 長い髪はやはり首の後ろ一つで束ねられ、黒いリボンでまとめた。

 サラも、今日この日ばかりは見違えるように可愛らしかった。

 白く滑らかな肩と胸元が人目を惹きつける白のドレス。胸元、腰、裾に水色の小花とリボンを飾った衣装。袖ぐりにも水色のレースを惜しげもなくあしらわれている。

 緩やかに波打つ鳶色の髪にも水色のリボンを器用に編み込んで、ところどころに小花を飾っている。


「ずいぶんと衣装でかわるのね。どこから見ても立派な貴公子に見えるわ」


「まあ実際、俺は何を着ても似合っちゃうからね」


 鏡の前で姿勢を作り、シンもまんざらではない様子である。

 最初はこんな重そうな服など着たくない、嫌だとごねていたシンであったが、実際に来てみると思いの他気に入ったのかこの調子だ。それどころか、楽しそうに見えるのは気のせいか。

 呆れながらサラは肩をすくめた。

 とはいえ、違和感がないのは事実であった。

 元々の見栄えがいいというせいもあるのだろう。

 顔立ち、背の高さ、均整のとれた身体つき、どれをとってもシンの容貌は魅力的だった。


「ほんと、とてもよく似合っているわ。素敵よ」


「もしかして、惚れた?」


 言ってシンはサラの頬に手を添えた。


「そういうサラも可愛いよ」


 ささやくシンの声にサラはかっと頬を赤く染める。


「照れてるの?」


「そういうふうに言ってくれる人なんて、今までいなかったもの……」


「俺ならいくらでも言ってあげるのに」


 サラの頬に手を添えたまま、シンは唇を寄せた。


「好きだよサラ。このままどこかに連れ去ってしまいたいくらい」


「だ、だからふざけないでって言ってるでしょう!」


 サラはおもいっきりシンの顔に手をあて、遠ざける。

 シンは肩をすくめた。

 本気なんだけどな、と呟くシンの声はどうやらサラの耳には入っていないらしい。


「ほんとに俺を夜会とやらに連れて行くわけ?」


「そうよ」


「で、俺は何したらいいんだ?」


「てきとうに笑顔を振りまいていたらいいのよ」


「笑顔? そんなことしたら他の女が寄ってくるな」


 サラはじろりとシンを睨みつける。


「うそうそ。俺、サラ以外の女興味ないしっていうか、もしかして妬いちゃったた?」


 だとしたら嬉しいんだけど、とシンはつけ加える。


「冗談はそのくらいにして、さあ、行くわよ」


「お、おう!」


 意気込むように握りこぶしを作り、二人は夜会へと向かうのであった。



 ◇



 大貴族トランティア家の夜会はそれは見事な華やかさであった。

 招待客たちの馬車が続々と到着し、従者たちが馬車の扉を開け、主人を出迎える光景がそこかしこに見られた。

 会場に踏み込むと、まるで別世界に誘われたよう。

 床は艶やかに磨き上げられた大理石。

 天井を見上げれば、豪華なシャンデリア。飾られた水晶に無数の蠟燭が反射し、辺りを眩しいくらいに照らし出していた。

 会場の入り口ではサラの父ミストスが笑顔で招待客を出迎え、その横ではフェリアが微笑みながら控えめに立っている。


「あれがサラの母さん? 美人だなあ」


 シンは感嘆にも似た声を上げ、そして、首を傾げてちらりとサラを見る。

 どうして、あんな美人で清楚な雰囲気を漂わせる女性から、こんな跳ねっ返りが生まれるのだろうかと。


「自慢のお母様よ。きれいでしょう?」


 サラは自分の母親を褒められ、嬉しそうににこにこ笑っている。

 二人は大階段を登った手すりに寄りかかり、途切れることなく現れる招待客を上から眺め見下ろしていた。

 シンも肝が据わっているのか、意外にも堂々とした態度であった。

 さすがに、会場に来る前までは怖じ気づき逃げ腰だったシンであったが、いざ華やかな場にでると思いの外慣れたような素振りで振る舞い、それなりに溶け込んでいる。

 誰ひとりシンのことを不審に思う者はいなかった。それどころか、彼は彼の知らぬ所ですでに女性たちの注目の的であった。

 多くの貴婦人がサラの横に立つ少年に目を奪われていた。


「見てごらんなさいな。トランティア家のサラが男を連れているわよ」


「サラが? まあ、それもあんな若くていい男を……」


 女たちは揃ってごくりと唾を飲み下す。


「わたくし、彼を誘ってみたいわ。後で声をかけてみようかしら」


「まあ、あなたときたら、いい男を見るとすぐに手を出したがるのだから」


「あら、そういうあなたもずいぶんと物欲しそうな目をしているのではなくて?」


「ねえ、誰が彼を落とせるか賭をしなくて?」


 ふふふ、と艶めいた笑いが女たちの唇からこぼれた。


「今夜の夜会はとても愉しみだこと」


 口許を隠した扇の下で、はしたなくも、そんな密やかな会話が彼女たちの間で交わされていようとはシンも知る由がなかった。



 ◇



 つ、疲れた。

 もう嫌だ。こりごりだ。

 帰りたい……。


 端整な顔に疲労感を滲ませて、シンは息をついた。

 会場の外、バルコニーの手すりに頬杖をつき、ぼんやりと夜空を眺めるサラの姿をようやく見つけ安堵する。


「こんなところにいたのか? やっと見つけた。探したんだぞ。急にいなくなるから心配したじゃないか」


 サラの横に並んだシンは、手すりに腕と背を預け、顔を上向かせて長いため息を吐きだした。

 そんな仕草も様になるシンは、存在自体が華であるし、容貌も必要以上に人目を惹くというのもあってか、貴婦人たちの垂涎の的であった。

 サラがシンの側を離れた途端、女たちは遠慮というものを捨て、シンの元へと詰めかけてきたのである。

 代わる代わる、それこそ、途切れることなく躍りを申し込まれたり、耳元で何やら秘密めいた誘いまでも。

 次から次へと物珍しげに群がってくる貴婦人たちを振り切り、適当な理由をつけて何とか逃げ出してきたのだ。


 踊りに誘われても、俺踊れないし。

 夜の相手にと誘われても、応じるつもりもない。


 外の空気がひんやりとして心地よい。

 バルコニーの手すりに頬杖をついたまま、サラがちらりと横目でこちらを見る。


「ずいぶんと楽しそうだったわね」


 何やら棘の含んだ口調だった。


「冗談じゃない。脂粉ときつい香水の匂いで吐き気がしそうだ。胸がむかむかする」


「そう? たくさんの美女に囲まれてほんとは嬉しいくせに」


「俺が嬉しそうにしていたか?」


「していたわ」


 即座に、それも素っ気なく切り返してくるサラを、シンは首を傾けて見下ろす。


「あれ? もしかして拗ねてるの?」


「拗ねてなんかないわ!」


 やはり、頬杖をついたまま唇を尖らせ視線を遠くへと向けるサラの表情は、どう見ても面白くなさそうであった。

 これのどこが拗ねてないといえるのか。


「顔にかいてあるよ。ひとりじゃつまらないって。どうして、側にいてくれないのって」


 シンは人差し指で、ぷっと膨らんだサラの柔らかい頬を突つく。途端、サラはきっとシンを睨み返した。


「別に、あなたのことなんかどうでもいいもの! 何よ、みんなにちやほやされて、だらしがなく鼻の下伸ばしちゃって」


「機嫌悪いな……」


 それに、鼻の下など伸ばしていたつもりはないのだが……と、困ったようにシンは肩をすくめた。


「わかったよ、俺は退散するよ。また、後で様子を見に来てあげるから。それまでにご機嫌直してよ」


 じゃあ、と手を上げサラの側を離れようとする。ところが、歩き出そうとしたシンの足が止まった。


「いたたっ……」


 引っ張られる髪の痛みに顔を歪め、振り返ったシンは言葉を飲んだ。

 自分の髪の毛の先端を握りしめたまま、サラが唇を引き結び、じっとこちらを凝視している。

 シンはわずかにまぶたを落とした。

 群がってくる女たちから、サラのことをいろいろと聞かされた。

 それは、悪口と言っても過言ではなかった。

 貴族の風習にあわない変わり者だから近寄らない方がいい。男たちも彼女には近づかない。近づいたとしても、財産目あての不細工な男ばかりだとか。でも、その方が彼女にはあっているとか。

 女性は大好きだが、陰でこそこそ悪辣なことを言う者など、どんなにみてくれが良くてもこちらの方からごめんだ。

 だから、シンもお返しとばかりに、サラがどれだけ可愛くて優しくて、いい娘であるかを散々と語ってやった。

 最後に驚く相手の顔に馬鹿と吐き捨てた。

 もちろん、心の中でだが。

 シンは瞳を揺らした。

 見栄と虚飾にまみれた世界。

 確かに、サラには向いていないのかも知れない。

 華やかな場に溶け込むこともできず、年頃の娘なのに誰かの誘いを受けるわけでもない。ましてや、友達とお喋りをするわけでも。

 たったひとり、ぽつりと会場の外のバルコニーで空を見上げて……。

 そんなサラの気持ちを考えると身につまされる。


「どこにも行かないよ」


 だけど、もう少し素直になってくれるといいのに。


 シンは微かに笑った。そして、サラの前に片膝をつき胸に手をあてた。


 サラは俺のことを誤解しているよ。

 女なら誰でもいいってわけじゃない。

 ここに来てから沈んだ顔ばかりしているサラの側に、俺はずっとついていてあげるつもりでいたのに。

 それなのに、勝手に俺の前からいなくなって。


 サラは不審そうに目を細めた。


「今宵一晩、あなたの騎士になりましょう。私をあなたのお側に置いていただくことを許してもらえますか? 小さなお姫様」


 思いを込め、慣れない言葉と精一杯の仕草でシンはサラを大きく見上げた。

 サラは少し驚いた顔で、でもどこか嬉しそうに頬を薔薇色に染め微笑んだ。


「いいわ。側にいること、許してあげる」


「誓って、お姫様を守るよ。ついでに、心の憂鬱も」


 とりのぞいてあげる、とささやいて、シンはサラの手をとりそっと、手の甲に口づけを落とした。


「慣れているわね。私、少しどきどきしたわ……」


 胸に手をあて、サラは頬を赤らめる。

 シンは口許に緩やかな笑みを浮かべた。


「俺は奉仕する男だから」


 奉仕? とサラは小首を傾げて聞き返す。


「そう、女の子が喜んでくれると俺も嬉しい」


 シンは立ち上がり、サラの身体を軽々と抱き上げ、バルコニーの手すりに座らせた。サラが手すりから転がり落ちないようしっかりと、細い腰に腕を回して支える。

 サラとシンの目線の位置ががほぼ同じとなった。


「でも、あなたがそれを言うと、いやらしく聞こえるのは何故?」


「まったく何を言い出すのか。サラは一言多い」


 シンは苦笑してサラのひたいを小突いた。


「ああそうだ、サラ、ちょっと手を離すけどいい?」


 うん、とうなずくサラの手をとり、シンはその手を自分の肩に持っていく。


「少しの間、俺の肩につかまって」


「うん」


 サラの身体から手を離したシンは懐から何かを取り出した。

 手にしたのは小さな可愛らしい花柄の絵が描かれた容器。

 サラは何? と首を傾げ興味深そうにシンの手元をのぞき込む。

 容器の蓋を開けると、練り状の薄いピンク色の口紅が入っていて、かすかに甘い花の香りが漂ってきた。


「昨日、お化粧してみたいって言っただろう?」


 サラは瞳を輝かせた。


「もしかして私に? いつの間に!」


「あの後、町に行って選んできた」


「わあ、かわいい色」


 シンは右の薬指で口紅を薄くなで、もう片方の手でサラのあごに指先を添え少しだけ上向かせる。

 サラの肩が一瞬強ばった。


「緊張しなくてもいいよ。口紅塗るだけだから」


 サラはこくりとうなずき、ふっと肩の力を抜く。


「ほんの少し、口を開いて」


 言われるまま、素直にサラは薄く唇を開いた。

 シンの顔が少しだけサラの顔に近づく。目のやり場に困ったのか、サラはわずかに視線を下に落としそして、目を閉じた。

 紅をとったシンの薬指が、サラの唇をゆっくりとなぞっていく。

 くすぐったそうに、サラの肩が一瞬ぴくりと震えたのがわかった。

 紅を塗りおえたシンの指先が唇から離れる。


「似合ってるよ」


「ほんとう?」


 もともとの唇の色と艶を損なわない程度に、ほんのりと薄紅色に染まったサラの唇に視線を落とし、シンは紅の入った容器をサラの手に渡した。


「ああ、きれいだよ」


 慣れない言葉に戸惑ったのか、じっと見つめてくるシンの眼差しが恥ずかしかったのか、サラはうつむいてしまった。


「これ、私に?」


「サラのために選んだ」


 頬まで薄紅色に染め、サラは嬉しそうな表情で口許に指先をあてた。そして、手の中の小さなそれを大切そうにぎゅっと握りしめる。


「ありがとう。大切にする」


「安物だよ」


 サラは首を振った。


「ううん! すごく嬉しい! ほんとうに嬉しいの」


「やっと、笑ってくれたね」


 はっとなってサラは顔をあげた。


「私……」


「サラが笑ってくれると俺も嬉しいよ」


「シン」


 シンの指先がサラの髪を優しくすく。


「泣かせたくないんだ。サラにはずっと笑っていて欲しい」


 シンの瞳がせつなげに揺れる。


 俺なら、サラを泣かせたりなどしないのに。

 なのに……。


 どうして、あいつじゃなきゃだめなんだ。

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