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1 出会い

 サラは息を飲み立ちつくした。


 綺麗な瞳……。


 思わず心を奪われてしまうほどの美しい瞳であった。しかし、美しいのは瞳だけではない。

 透き通る白い肌に細面の顔貌。ひたいにかかる柔らかな黒髪は、陽光の加減によっては青みがかったようにも見えた。

 まとう雰囲気に色香を匂わせ、どこか儚げな雰囲気さえ感じさせる。

 そして、その容姿から察するに、彼は異国の者。

 おそらく北方大陸の出身か。


 綺麗な男の人……。


 ふと、サラは我に返った。


 私ったら……何、考えているの。そんなことよりも。


 少年に向かって恐る恐る歩み寄り、あとわずかで触れあえる位置へと近づく。


「ひどい怪我……すぐに手当をしないと」


 伸ばしかけたサラの手が虚空で止まる。

 触れようとした瞬間、少年の藍の瞳に峻烈な光が浮かび上がったからだ。

 先ほどまで瞳の奥で静かに揺れていた蒼い炎が、全てのものを巻き込み、容赦なく喰らいつくす激烈な炎へと変化しサラを射抜く。

 身にまとう雰囲気さえ一変し、放たれる気が回りの空気をも一瞬にして変えてしまった。

 これ以上、自分に近づく者はたとえ誰であろうと容赦しない、といわんばかりの鋭い気であった。

 たおやかな見かけとは裏腹に、この少年は危険だとサラは瞬時に悟る。

 さらにサラは背筋を凍りつかせた。剣の鞘を握る少年の手に、力が込められたことを見逃さなかった。


「ま、待って! 私は味方よ!」


 わかるでしょう? と両腕を大きく開いてまったくの丸腰であることを相手に示す。

 そんなことをせずとも、見ればわかるだろうが、それが彼女なりの精一杯であったのであろう。


 こ……言葉、通じているかしら……。


 切羽詰まった表情がサラの顔ににじむ。

 自分を信じて欲しい。

 どうすれば、それを相手に伝えることができるのか。


「あなたを助けたいの」


 意を決して足を踏み出す。

 少年を挑発しないよう、ゆっくりと近づき膝をついて座り込む。


「心配しないで。私はあなたの味方よ」


 ささやいて、片手を少年の白い頬へと伸ばす。相手は瞬きもせず、凄絶さを増した眼差しで見返してくる。


「こんなに傷ついて……」


 そっと、触れた少年の頬は冷たかった。


「もう、大丈夫だから……ね?」


 サラはにこりと微笑んだ。同時に、少年の藍色の瞳が戸惑いに揺れる。


 信じてくれたの?


 安堵の息をつこうしたその時。


「サラ様、離れて下さい!」


 背後で叫ぶ護衛たち三人が馬から飛び降り、いっせいに剣を抜いて切っ先を少年に突きつけた。


「待って! 彼、怪我してるの!」


 だが、男たちは耳をかそうとはしない。

 今にも斬りかからんばかりの勢いと気迫でじりじりとつめ寄ってくる。


「だめよ! この人重傷なの!」


「サ、サラ様……早くこちらへ」


「そいつは危険です」


 何を根拠にしてか、明らかに男たちは少年を危険人物だと決めつける。

 その時、少年の忍び笑いが背後から響きサラは驚いて肩越しに振り返った。

 数人の男たちに剣を向けられているにもかかわらず、少年は怯えるどころかその口許には不敵な笑みさえ刻んでいる。

 いや、それ以上に余裕すらうかがえる悠々たる態度はどういう意味か。それとも、単なる強がりか。


「危険なのは、まあ、あたっているけど……」


 再び少年は両肩を小刻みに震わせ、声を押し殺して嗤う。

 可笑しくてたまらないという様子であった。

 サラは驚きに目を瞠らせた。

 少年の態度もそうだが、それ以上に驚いたのは、少年の口から出た言葉が見事なアルガリタの言葉であったから。

 異国の人間がここまで流暢にアルガリタ語を操るのも珍しい。おまけに重傷を負っているわりには、口調も明瞭としていた。

 思わずサラは身体を震わせる。

 少年の冷たい指先が首筋へと伸びてきたからである。


「こんなに細い首なら折るのも容易い。絞め殺すにしても片手でこと足りる」


「あなた言葉……」


「あんたみたいな、何不自由ない貴族のお嬢さんが偽善者面するのは嫌いなんだよ」


 首にかけられた手にほんの少し力が加わる。


「引き裂いてやりたいくらいだ」


「あ、私……殺されてしまうの?」


 けれど、それは杞憂に終わった。

 不意に少年に肩を押され、サラは尻もちをついて倒れる。

 すかさず、護衛のひとりがサラの腕をつかんで立たせ、引き寄せた。

 剣を支えに少年はゆらりと立ち上がり、険しい形相を浮かべる男たちに一瞥をくれ鼻白む。そして、何を思ったのか、少年は肩に突き刺さった矢に手をかけ、一気に引き抜いた。

 サラは悲鳴を上げ口許を手で押さえる。

 少年は引き抜いた矢を無造作に男たちの足下に投げ放った。肉が裂かれ、飛び散った血が、大地に点々と赤い染みを作る。なのに、少年は顔色ひとつ変えようとはしない。それどころか平然としている。

 流れる幾筋もの血が少年の右腕を鮮烈な赤に染め、指先を伝い落ちていく。

 痛みを感じないのか。いや、そんなはずはない。その証拠に少年の顔は血の気を失い青褪めていた。

 男たちの腕を強引に振りほどき、サラは少年の元へと走り寄り、持っていたハンカチを少年の肩に押しあてた。


「どうしてこんなことを……無茶しないで、お願いだから……」


「俺にさわるな」


 乱暴に手を払いのけられても、サラは決して引こうとはしなかった。

 むしろ、いっそう声を張り上げ目の前の少年を叱りつける。


「動かないでって言ってるでしょう!」


 どうして、こんなにもこの人のことが気にかかるのか。

 本当は怖くてたまらないのに、それでも放っておくことができない。


「お願いだから、私の言うこときいて……」


 衣装が血で汚れてしまうのもかまわず、サラは冷えた少年の細い身体を抱き込むように両腕を回した。


「おまえ……」


 サラは肩越しに、護衛の男たちを振り返って厳しい視線を放つ。


「彼をベゼレート先生の所へ連れて行って」


 男たちは困惑顔で互いに目を見交わす。


「彼を見殺しにするなら、私もここで死ぬ!」


 無茶なことを言っているのはわかっている。


「サラ様……ご冗談は……」


「本気よ! 先生の所に連れていってくれるまで、私、彼から離れない」


 サラは少年の胸に顔を埋め、ぎゅっとしがみついた。


 小柄だと思ってたけど、以外と背が高いのね。

 華奢に見えるけどそうでもない。

 ふと、血の臭気に混じって別の香りがサラの鼻腔をかすめていった。


 甘い香り……香水?

 いいえ、違う。

 花の匂い。


 途端、目眩を覚えて足下をふらつかせる。


 どうしよう……頭がふわふわする。


「お願い、この人を……ベゼレート先生の所へ……連れて……」


 こらえるように歯を食いしばり、再度男たちをかえりみる。

 その表情は相手を怯ませるほどの凄まじさがあった。


「お願い!」


 声を張り上げると同時に、サラの身体が崩れ落ち、支えられた少年の腕の中で気を失ってしまった。



◇・◇・◇・◇



 診察室の扉を食い入るように見つめ、サラは落ち着かない様子で椅子に腰をかけていた。扉の向こうでは先ほどの少年が傷の治療を受けている。

 かれこれもうずいぶんと長い時間が経過していた。

 いったい、どういう状況になっているのか全くわからないだけに、いや増しに不安がいっそう濃くなっていくばかりであった。

 無事であって欲しいと、何度も心の中で祈りを唱え、胸のあたりで組んだ手を強く握りしめる。

 窓の外に視線を転じると、外はすでに夜の闇。

 ここへ運ばれてきたのはおそらく夕刻頃。おそらくというのは、気を失っていたため、運ばれてきた時の状況を知らないからだ。


 お願い、あの人を助けて。


 指先が白くなるほどに組んだ手を握りしめ、再び、サラは診察室の扉に視線を据えた。

 王都アルガリタ。

 その都の一角に、医師ベゼレートの小さな診療所がある。

 お世辞にも立派とは言い難い建物だが、患者を診る医師の腕は最高。

 彼は二十年ほど前まで、王家専属の医師を務めていたという。

 当時、まだ二十歳なかばであったベゼレートは、若き天才医師として王侯貴族の間で大変な噂に昇り、その活躍ぶりは目を瞠るものであった。

 だが、彼は突然、専属医師の任を辞し、都で人々のために小さいながらも診療所を開業するようになった。

 何故、先生が王家の専属医師から降りたのかという事情はサラは知らない。何か失態を犯したというわけでもないらしい。けれど、そのことに触れることは禁忌という暗黙的なものがあったため、サラもあえて詮索はしなかった。

 心にかかる闇を振り払う。


 大丈夫。

 先生なら、きっと助けてくれる。


 ひたすら少年の無事を願い続けるサラの目の前で、診察室の扉が開かれた。

 中から四十代後半の男が姿を現した。

 彼こそこの診療所の医師、ベゼレートその人であった。

 咄嗟にサラは椅子から立ち上がり、今にも飛びつきかねない勢いで少年の様態を問う眼差しをベゼレートに向けた。

 ベゼレートは彼女の気鬱を取り除く穏やかな笑みを口許に浮かべ、目尻に皺を刻んでゆっくりとうなずいてみせた。

 何一つ語らずともそれだけで、じゅうぶんであった。


「よかっ……」


 口許に両手をあて、サラは肩を小刻みに震わせた。

 緊張と不安に張りつめていた心の糸が一気に解け、涙がこぼれ落ちる。


「しばらく安静ですが、心配はいらないですよ」


 何より彼はまだ若く体力もある、とベゼレートはサラの細い肩に手を置き安心させるように言った。


 よかった。

 本当によかった。


 少年に治療を施してくれたベゼレート医師に頭をさげ、サラは手の甲で涙を拭った。

 ベゼレートは緩やかな笑みを浮かべたまま側の椅子に腰を降ろした。

 少年のことで頭がいっぱいのサラは気づかなかったが、ベゼレートの顔はひどく憔悴しきっていた。

 そこへ、ひとりの青年が憤激も甚だしく診察室から現れ、乱暴な仕草で扉を閉めた。

 青年の名はテオ。

 ベゼレートの養い子であり薬師である。

 年の頃は二十歳くらい。陽光にさらせば金髪にも見える、少し癖のある薄茶色の短めの髪に、瞳は澄んだ碧。

 争い事や揉め事を好まぬという、穏やかな顔貌つきと雰囲気を持つ青年である。

 そんな彼が怒りもあらわにするなど珍しく、サラは首を傾げた。


「あいつ……薬を飲ませてやろうとしただけなのに、隠し持っていたナイフで……」


 斬りかかってきた、とテオは顔をしかめ吐き捨てた。

 頬を押さえていたテオの手のひらから一筋の血が流れ落ちていくのを見て、サラは小さな悲鳴を上げた。

 何とか、平常心を取り戻そうと装ってはいるが、テオの碧の瞳は押さえきれない怒りの感情に揺れているのがはっきりと見受けられた。さらに、たたみかけるようにテオは言葉をついた。

 矢継ぎ早にでる彼の言葉をまとめると。

 治療に時間がかかってしまったのは、あの少年が治療を受けさせまいと抵抗して先生を困らせたせいであること。

 そんな少年を何とか宥め、いざ、治療に取りかかろうとしたら今度は麻酔はいらないとごね始めたなど……。

 テオの言葉を確かめるように、サラはベゼレート医師をかえりみる。

 どうやら、嘘ではないらしい。


「テオ、わたしは大丈夫なのですから」


 心配げな顔をするサラを気遣って、ベゼレートはテオを軽く宥めた。

 不意に意を決したようにサラは唇を堅く引き結び、診察室へと向かって歩き出す。しかし、すぐにテオに腕をつかまれ引き止められる。


「やめた方がいい」


「でも、会いたい」


 必死な目をするサラの両肩に手を置き、テオは真っ向から瞳をのぞき込む。そして、まるで幼い子どもに言い聞かせるように彼は言う。


「だめなものはだめだ。あいつとかかわってはいけない。それに……」


 テオの眼差しが厳しいものへと変化した。


「あいつは……」


「テオ。ここは彼女に任せてみてはどうでしょうか」


 相変わらず穏やかな微笑みと、柔らかな口調で、ベゼレートは何かを打ち明けようとしたテオの言葉を遮ってしまった。

 やむを得ずテオは口を噤んだ。否、噤むしかなかった。

 険しく眉をしかめるテオと目を細め微笑むベゼレートを交互に見つめ、サラは身をひるがえし、小走りに診察室へと飛び込んでいった。

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