18 戸惑う気持ち
「どこに行っていた?」
聞かずとも知っているはずなのに、シンはあえてサラに問いつめる。
「ハルに会いたくて」
「それで、約束を破ったのか?」
「……」
謝らなければ……そう思うのに、声がでなかった。
まともにシンの顔を見ることができなかった。
「あんたは二度とあそこには行かないと俺に言った」
「それは……」
「あの言葉は嘘だったのか? それとも、最初から俺を騙すつもりだったのか?」
シンの厳しい視線に耐えきれず、サラはうつむき、テオの後ろにこそっと隠れてしまった。
「俺は言ったはずだ。約束を破ったら本気で怒ると」
「ごめ……」
「謝ってすむ問題じゃねえ!」
シンの一喝にサラはびくりと肩を跳ね、震えながらテオの背にしがみつく。
思わず涙がこぼれ落ちる。
いつものシンじゃない。
あんなに怒ったシンなんて見たことない。
どうしよう。
「泣いて許されると思うな。あんたにもしものことがあったら、先生やこいつがどれだけ悲しむか考えなかったのか」
ハルにも同じようなことを言われた。
今回の、私のわがまませいで、ほんとうにたくさんの人に迷惑をかけてしまった。
確かに自分に何かあったら、先生やテオがどんなことになったか。そう思うと今更ながらに恐ろしさに震えた。
すでに日もすっかりと沈み、辺りは薄闇に包まれ始めている。
通りを行く者が何事かという顔で、こちらに視線を向けながら通り過ぎていく。
「まあ、今日のところはこうしてサラも無事に戻ってきたんだ。彼女も疲れているだろうし、もう休ませて」
引きつった顔でテオは辺りを気にしながら、まあまあとシンを宥めるが、シンの怒りはおさまらないようだ。
「こいつを甘やかすな。あんただって裏街がどういうところか知らないわけじゃないはずだ。こうして無事に帰って来られたのが奇跡だと思え」
「しかし……サラもこうして反省しているのだし」
「反省?」
腕を組んでシンは薄い笑いをこぼす。
「わからないぞ。そうやって反省している振りをしているだけなのかもしれない。何しろ約束を平気で破るやつだからな」
「それは言い過ぎだ」
「黙れ。サラ、こっちに来い」
シンの鋭い眼差しがサラを射貫く。
テオの背にしがみつきサラはいや、と首を振る。
「いいから来い」
それでもいやだと首を振るサラにシンはわかった、と低い声を落とすと、大股で歩み寄り、テオの後ろに隠れているサラの腕を強引につかんだ。
「いや! もう裏街には行かないから。怒らないで!」
暴れるサラをまるで荷物のように小脇に抱え、シンは診療所の中に戻って行こうとする。
「あんたには、朝までじっくり裏街がどういうところか教え込んでやる。そうすれば二度とあんなところに行く気などおきなくなるだろうからな」
本気でシンの手から逃れようと身動ぐが、その手を振り解くことはかなわなかった。
「シン!」
呼び止めるエレナの声にシンは振り返る。
「ああ、エレナ。迷惑かけちまって悪いな。カイもすまない。みなにも俺から後で謝っておく」
「お願い、サラちゃん悪気はなかったの。だから」
サラを助けようと動いたエレナだが、側にいたカイに肩をつかまれ引き止められる。
「行くぞ、エレナ」
エレナはもう一度サラを振り返り、そして一言はい、とうなずき、歩き出したカイの後に続いた。
「ちょっと待て! 乱暴は……いや、そもそもおまえは彼女を誰だと思ってる! サラは!」
身を乗り出したテオをシンは目をすがめて見据える。
「知るか。てめえは黙ってろ」
「て、て、てめえって! 先生……」
シンの剣幕にテオはあんぐりと口を開け、隣に立つベゼレートを見る。しかし、ベゼレートはといえば、この状況にただ笑っているだけであった。
「せ、先生……笑っている場合では!」
「ですが、彼が怒るのも、もっともですよ」
「だけど……」
「彼は何時間も外であの娘が戻ってくるのをじっと待っていた。本当に心配していたのでしょうね」
「だけど、もしも彼女に何かあったら、僕は絶対にあいつを許さないですからね」
「テオが心配することなど何もないですよ」
そう言って、ベゼレートは養い子の頭をぽんぽんと叩くのであった。
◇
サラを連れて部屋に戻ったシンは、小脇に抱えたサラを近くにあった椅子に座らせた。
シンの怒気にあてられ、すっかりと怯えてしまったサラは、目に涙を浮かべ肩を震わせている。
「その手にしている上着は?」
肩をすぼめ怯えるサラを目を半眼にして見下ろし、シンは低い声で問いかける。
これは……と、サラは口ごもりながらうつむき、ハルの上着をぎゅっと抱きしめる。
「あんたのじゃないよな」
サラのあごに人差し指を添え、くいっと上向かせる。
「顔をあげろ。俺の目を見て話せ」
「……突然現れた男の人たちに、短剣で脅されて」
それで? とシンは目でサラの言葉の続きをうながす。
どこまで知っているの? と探るような顔でサラが見つめてくる。
「隠さず全部話せ」
「男の人たちに……服を切り裂かれたの。でもハルが助けに来てくれて、上着を貸してくれた。服はエレナさんが。だから……」
「なるほど、それでエレナのところに行ったか。誰に入れ知恵されたか知らないが」
サラの瞳が不安に揺れる。
「そういえば、この間、裏街でハルに言われていたな。ひどいめにあわされても懲りてないのかって。口で言ってもわからないのなら、ほんとに怖い思いをすれば二度とあんなところに行きたいと思わなくなるか。その男たちがやろうとした続きを、俺がやってやろうか? 裏街のやりかたで」
シンは薄い笑いを口許に浮かべると、やにわに、サラの腕をつかんで立たせ、乱暴にベッドに転がした。
「シン……っ!」
叫び声をあげ、飛び起きようとしたサラを、シンは覆い被さるようにして押さえつけ、サラの口を手でふさぐ。
「口をふさいで、助けを呼べないようにする」
サラは目を見開き、おおいかぶさってきたシンの身体を両手を突っぱねるようにして、力一杯押しのけた。が、びくともしない。
「どんなに抵抗しても、男の俺の力にはかなわない。それでも激しく暴れるなら、あんたの頬を叩き、その細い両手首を縛りつける」
シンは首の後ろで結わえていた髪を解き、その紐でサラの両手首をひとつにまとめ巻きつけた。サラは足を大きくばたつかせ抵抗する。
「それから……」
「……っ!」
暴れるサラの右足首を強引につかんで持ち上げ、シンは自分の肩にかけた。
サラの目が大きく見開かれ、怯えと戸惑いに揺れる。
無防備になったサラの腰に手を忍ばし、シンは下着に指先をかけた。
やめて! と、訴えるようにシンを見つめるサラの目に涙が浮かぶ。
「そう、泣いても叫んでも、誰もあんたを助けには来ない。そして、あんたの心が壊れるまで何度も抱き続ける」
「あなたはそんな人じゃないもの! 信じているもの!」
「俺もあんたを信じていた」
「お願い、やめて……シン、ごめんなさい……ごめんなさい」
「悲惨な目にあった女たちを、裏街で何度も見てきてるんだ」
シンの指先がサラの腰から離れた。
「あなたもそんなことをしていたの?」
まさか、とシンは顔を歪めて吐き捨てる。
「するわけないだろ。俺は女には手をあげないと前にも言ったはずだ」
「足……おろして……」
真っ赤になった顔を隠すように、サラは両手で顔をおおう。
ああ、と言って、シンはサラの足をつかみベッドにおろした。
サラはほっと息をこぼし、ようやく緊張を解く。
「裏街なんかに行って、何も起こらないと思っていたのか?」
「昨日は何もなかったから……」
「それは、あんたの側に俺がいたから。だから、誰もあんたに手をだそうとばかな考えをおこす者はいなかった。だけど、あんたを裏街に連れて行った俺にも責任はある」
そう言って、シンはサラの腕をつかんでベッドから起こし抱きしめた。
「あんたのことを聞いて、頭に血がのぼった。あんたを傷つけた奴を必ず見つけ出し、もっとも残酷な方法で殺すつもりだった」
「シン……」
サラの手が遠慮がちにシンの背に回る。
「シンにそんなことをさせたくないの。ハルとも約束したの」
「あいつに会えたんだ」
「もう、二度とあそこには行かないって約束したわ」
「あいつとの約束なら守るっていうのか……」
しかし、小声で呟くシンの声はサラの耳には届かなかったようだ。
「シン、本当にごめんなさい」
涙に濡れるサラが見上げるようにして顔を上げた。
シンの胸にちりっとした痛みが走った。
抱きしめているサラの身体から髪から、甘い香りが漂い鼻腔をくすぐる。
「俺、やばいかも」
何が? とサラは小首を傾げる。
どうして、こんなにもこの少女のことが気になるのか。
今、ようやくはっきりと気づいた。
彼女のことが好きだったのだと。
とうに、俺は彼女に惹かれていた。
俺、あんたを抱きたくなった。
この手で優しく彼女を抱き、俺の名を呼ばせたい。
シンはぎりっと奥歯を噛んだ。
だけど、それは叶わぬこと。
何故なら、彼女の心は自分にはないのだから。
それとも、本気で彼女を俺のものにしてしまおうか。
きゅっと腕の中の少女の身体を抱きしめたその時、ぽてりとサラの頭が肩にのかった。次いで耳元で聞こえる穏やかな寝息。
「おい……」
身体を離してサラの両腕をつかみ、軽く身体を揺さぶる。
「寝るな。まだ話は終わってないぞ」
けれど、よほど疲れていたのか、目を覚ます気配はない。
「これだから、お子さまは……」
シンはやれやれとため息をつき、サラを再びベッドにそっと横たえた。
すやすやと眠るサラの寝顔を見つめる。
「頼むから、そんな無防備な姿をさらすなよ……」
シンは困った顔で、サラの頬にかかった髪をそっと指先で払う。そして、サラの顔の脇に手を置きシンは顔を近づけた。
背に流れるシンの長い髪が、眠っているサラの胸元に落ちる。あともう少しで唇が触れそうになった瞬間、シンは苦い笑いをこぼし、サラのひたいに口づけを落とした。
窓の向こう、夜空にかかる月を見上げ、シンは小さなため息をつく。
「俺、どうしたらいい」




