17 カイの秘密
仲間とともにサラを連れて裏街へと出たカイは、そこで胸のあたりで手を組み、落ち着かない様子で待機していたエレナを見つけた。
年は十五、六ほど。長い茶色の髪を緩く三つ編みにし、両耳の脇で垂らした華奢で小柄な少女だ。
「エレナ、呼び出してすまない。仕事中ではなかったか?」
もっとも、エレナをここに来るよう指示したのはハルの奴だが。
「そんなこといいの。仕事もちょうど終わってあがるところだったから。それにしても、ひどいわ……」
裏街で何が起きたのかすぐに察したのだろう、エレナはサラの姿を見るなり、目を瞠らせた。そして、サラの元に駆け寄り眉根を寄せ心配そうにのぞき込む。
「怖い思いをしたのね。大丈夫? 怪我はない? 痛いところは?」
サラは大丈夫、何でもないと首を横に振った。
「でも、みんなに迷惑をかけてしまった」
「それでも、あなたが無事ならよかったわ」
心から安堵の息をもらし、エレナはサラの身体をきゅっと抱きしめた。
一瞬、驚いた顔をするサラであったが、すぐに頬を赤らめエレナの肩に顔をうずめるようにして目を閉じた。
「エレナ、俺はこの子をシンの元に送っていく」
「それはだめ!」
「だめ……?」
「女の子をこんな姿で歩かせるわけにはいかないわ」
「いや、しかし……必ず連れて帰ってこいと、シンに頼まれて……」
「今すぐでなくてもいいのでしょう?」
エレナが小首を傾げてカイを見上げる。
「それはそうだが、遅れればそれだけシンが心配……」
しかし、すでにエレナはカイの言葉を聞いていなかった。
「私はエレナよ」
「私はサラ。エレナさんも裏街の人なの?」
エレナは口許に手を持っていき、くすりと笑った。
「私は違うわ。でも、カイや他のみんなと、とても親しくさせてもらっているの。だから、気持ちは彼ら裏街の男の人たちと一緒よ。いつか、この裏街を少しでもいい方向に変えていこうって……」
そうなの? とサラは側で難しい顔をして立っているカイを見上げた。
「エレナ」
エレナのお喋りをカイは止める。
「そうだわ。ねえ、サラちゃん、私の家に来て。ここからそう遠くはないの。イゼル通りに住んでるわ」
イゼル通りならばここから歩いて数十分といったところだ。
「私がそのお洋服を直してあげる」
サラは裏街の男にからまれ、引き裂かれた服の胸元を押さえこんだ。
「エレナさんが? 直せるの?」
「ええ、私、町でお針子をしているの。だから、そういうのとても得意よ。ねえ、カイいいでしょう?」
カイは困ったように頭に手をあてたが、すぐにあきらめたようにため息をつく。
シンの右腕、そしてシンが率いる一派の中では実質二番目として、みなから恐れられ頼られている裏街の男でも、どうやら可愛い恋人のお願いには弱いようだ。
それにしても、とカイは腕を組み考え込む。
すっかりあいつの、ハルの思惑通りになったと。
エレナがこういう行動をとるとあいつは予想して、いや、わかっていてエレナをここへ呼ぶよう指示したのだ。
確かにエレナがいなければ、このままサラをあの診療所へと帰しただろう。
だが、命は無事だったとはいえ、裏街のごろつきに囲まれ、服を切り裂かれたとシンが知ればどうなったか……。
冗談じゃねえな。
それこそ、あいつの言う通り裏街がとんでもないことになる。
カイは苦い表情を浮かべ、サラをちらりと見る。
それに、この子もこっぴどくシンに怒られるところだったろう。
少しでもシンの怒りを緩和させるためにも、あいつはエレナを間に挟んできた。
それに……。
カイはちっと軽く舌打ちをしながら渋面顔を作る。
「カイさん、あの子どうします?」
「エレナさんはああ言ってますけど……」
仲間がカイの顔色をうかがうように尋ねてくる。
本来なら頭であるシンに従い、彼女をすぐに連れて帰らなければならないところだ。
が……。
「……エレナがそういうなら、仕方がない」
俺がエレナに甘い、エレナの頼み事を断れないってことを、あいつは知っているのか。
くそ! 弱みを握られているみてえで気分が悪い。
「そうですよね」
「エレナさんの言うことも一理ありますもんね」
カイの回りにいた裏街の男たちは、どこかほっとした口調で声を揃えて言う。
「あとは俺が引き受ける。おまえたちはもう散っていい」
「ところでカイさん、さっきの奴ら見かけたらどうします?」
「放っておけ、女に手を出すような小者だ。実力もたかが知れている。そんな奴らなど、この裏街では生きてはいけない。だが、今度同じようなことをしているのを見かけたら、かまわない」
カイの細められた瞳の奥に、刃のごとき鋭さが放たれる。
「殺れ」
男たちは緊張した面持ちでうなずいた。
そんなやりとりをしている間に、エレナはサラの手を引き家に向かって歩き出してしまった。
カイは組んでいた腕を解き、腰にあてた。
シンといい俺といい、何やら面倒ごとをあいつに押しつけられている感じがするのは気のせいだろうか。
カイはやれやれと肩をすくめ、エレナたちの後に続くのであった。
◇・◇・◇・◇
アルガリタの町、イゼル通りの一角にカイとエレナの住む家があった。
エレナに導かれるまま中に案内され、サラはそろりと辺りを見渡す。
ベゼレート先生の診療所以外、他の誰かの家にこうしてお邪魔するのは初めてで新鮮な感じがした。
入ってすぐに居間、奥には台所、さらに扉の閉まっているもうひと部屋は、おそらく寝室だろう。
きちんと整理整頓され、家の中はさっぱりとしている。どうやら二人は恋人同士らしく、この家で一緒に住んでいるようだ。
エレナは普通にこの町でお仕事を持った人。一方、カイは裏街の人間。
それもシンの次に偉くて凄いらしい。
エレナさんとカイさんはどうやって知り合ったのかしら。
二人の関係にサラは興味を持ち始めた。
「どうぞ」
落ち着かない様子で椅子に座るサラの前に、エレナはカップを差し出した。
湯気の立つカップから、ほっとするような香りが漂い、サラは大きくその香りを吸い込んでふうと息を吐く。
「とてもいい香り」
「ハーブティーよ。サラちゃんのお口に合うといいのだけれど」
裂かれた服を繕ってもらうため脱いだ服はエレナにあずけている。今はエレナの服を借りているのだ。
サラ自身は気取ったところもなく、どこにでもいる街娘に見られがちだ。だが、着ていた服の素材と仕立てから、サラがいいところのお嬢さんだとエレナは見抜いたらしい。
カップを両手で包み込み、サラはこくりと一口飲む。
「すごく、おいしい」
嘘でもお世辞でもない。
いれてくれた人の愛情が伝わってくるようだった。
「よかったわ」
手にした盆を胸に抱え、エレナはふわりと微笑んだ。
エレナさんが微笑むと、サラまで心がほわりとするような気がした。
「サラちゃん、少し待っててね。すぐに服を直してあげる」
「ありがとう、エレナさん」
とても優しくて、幸せそうに笑う人。
「エレナさんは天使みたいに笑う人だわ」
ぽつりと呟いたサラの声に、目の前に座るカイという人の口許がふっと和らいだような気がした。
きっと、この人にとても深く愛されているんだわ。
いいな。
うらやましいな。
サラはエレナにぺこりと頭を下げ、次に目の前に座る人物にそろりと改めて視線を向ける。
相手はテーブルに頬杖をつき、椅子に浅く腰をかけ足を横に投げ出した格好でこちらを見ていた。
年の頃は十七、八歳。
短めの髪は漆黒。
ひたいに飾り紐を巻きつけ左耳の脇で結んで垂らしている。
顔立ちは勇ましいと言うにはあたらないが、それでもかなりの男前であった。
つり上がったまなじりの奥に宿る瞳。
その瞳は雲一つない、晴れた青空を思わせるほどに澄んだ空色をしていた。
このカイという人も、綺麗な瞳だなとサラは思った。
ハルが夜空でシンが明け方、目の前のカイという人は青空といったところかなと、そんなことをぼんやりと考える。
この人もハルやシンみたいに過去にいろいろあって、だからこうして裏街に身をひそめているのかしら。
サラははっとして居住まいを正した。
そんなことよりも、まず言わなければいけないことがあった。
「あの……迷惑をかけてしまってごめんなさい」
「おまえが無事ならそれでいい。俺からは何も言うことはない」
何もない。
突き放すような相手の物言いに、サラはしょぼんとうなだれる。
あれだけ迷惑をかけてしまったのだ、きっと、もの凄く怒っているのだろう。
それとも、呆れて口もききたくないとか。
私嫌われてしまっているのだわ。
そこへ、エレナがカイをたしなめた。
「カイ、言い方が冷たいわ」
針を動かしていた手をいったん止め、エレナは眉宇をひそめ、咎めるようにカイを見る。
「いや、そんなつもりは……どのみち、家に帰ればシンに嫌というほど説教される。俺が今ここでとやかく言うことでも……」
それでも、無言でじっと見つめるエレナの視線に、カイは脱力したように肩の力を抜き、サラに向き直る。
「俺は怒ってもいないし、おまえを責めるつもりもない。それに、今回の件で裏街がどういうところか、身にしみてわかったはず」
うん、とうなずき、サラはそろりと顔を上げた。
その視線がカイの少し開いたシャツの胸元からのぞく、きらりと光るペンダントにとまり、サラは驚きに口を開けた。
こ、この人……。
嘘でしょう!
今さら気づいたとでもいうように、サラはテーブルの脇に置かれている両手のひらにのっかるほどの大きさの水晶と、無造作に置かれた奇妙な絵柄のカードに視線を移す。
「水晶……タロット……」
サラは小首を傾げ、訝しむように目の前に座るカイをもう一度見る。
「あなた、占い師?」
エレナさんは街でお針子をやっていると言っていた。
だとしたら、これらを使用する人物は目の前のカイという男しか存在しない。
「俺が占い師に見えないって顔だな」
「違う。そうじゃないわ」
カイはにやりと笑った。
「占いに興味があるか? もっとも、占いが嫌いな女なんていないだろうがな。どうせ俺も手持ち無沙汰だ。何なら暇つぶしに占ってやってもいいぞ。たとえば、おまえの恋の行方でも」
しかし、サラはふるふると勢いよく首を振った。
「私、占いにはとても興味あるけど、自分のこと占って欲しいとは思わないの」
へえ、とカイは興味深そうに眉をあげた。
「だって、悪い結果が出たら落ち込んでしまうし、それに占いなんかで私の未来を左右されたく……」
そこまで言って、サラは慌てて口許を手で押さえた。
占い師を前にして、占いなんかとは失礼な言い方であったと思ったからだ。
「気にするな」
「それに、カイさんに……」
「カイでいい」
「えっと……カイに占ってもらうなんて恐れ多すぎるし、占いの代金を支払う大金なんて、私持っていないもの」
カイはついた頬杖に軽くあごを沈め、上目遣いでサラを見る。
「カイはただの占い師じゃない。だってそれ」
サラはそれといって、カイのシャツからのぞくペンダントを指さした。
艶やかな光を放つ白銀のペンダント。
そのペンダントの表面には精密に彫り込まれた絵柄、そして、宝石が嵌められていた。
「私、そのペンダントを知ってるの。表面には十二個の宝石が嵌められていて、それは十二の星座を表しているのよね」
サラは確認するようにカイに問う。
しかし、カイは答えない。
サラの服を繕うエレナの手も止まったのが視界のすみに入った。
「祖母様が時々お屋敷に招く占い師が、それと同じものを身につけていた。祖母様は大事なことを決める時は必ず占い師を呼んで占ってもらうの。その占い師を家に呼ぶ日取りだって占い師に占ってもらうんだから。それに、お父様の結婚相手でさえ、占いで決めようとしていた。それから……」
ううん、とその先の言葉を飲み込み、サラは恐る恐るカイの目をのぞき込む。
「カイは王侯貴族専門に占いをする、国が認めた占師」
サラが不可思議な顔で、水晶やタロットを見つめていた理由はそれだった。
「水晶とかタロット占いじゃない。カイは世界でも数少ない、星を読み解く占星術師、占師様。カイはとってもすごい人だわ!」
サラは両手を広げ、興奮した声を上げた。
「だけど……」
「どうして俺みたいな奴が占師……かって?」
サラは言葉を飲み込んで、椅子に座り直す。
「だって、占師といったらほんの一握りの選ばれた人しかなれないのでしょう? それに、占師の中でもさらに最高位の称号を持つ人は、滅多にお目にかかることすらできないと聞いたのだけど……」
そこでサラは、まさかよね? とカイに目で問いかける。
カイは肩をすくめただけであった。
「俺はすごくも何でもないし、好きで占師になったわけでもない。裏街で行き倒れとなった俺を拾ってくれた先代の婆に技術を仕込まれた。婆が死んで、まだ餓鬼の俺が、無理矢理この称号を受け継がされてしまった。ただ、それだけだ」
カイは簡単に受け継がされたと言うが、才能や素質がなければ占師にはなれないのだ。
「でも、王宮にも占い専門の官職があるくらいだし、占師なら王宮にあがることもできるのでしょう? 出るところに出れば、生涯お金に困らない生活ができるっていうわ」
「金? 興味ないな」
「お屋敷にくる占師様たちはみな、とんでもない金額を要求してくるのよ。でも、それがあたりまえなんだって」
カイは嫌悪もあらわな表情を浮かべる。
「人から大金巻き上げて占いをするなんざ、邪道だ。本当に悩んでいる奴、困っている奴のほんの手助けとして、星が導き出す運命を読み解き、人生の改善法を示してやるのが俺たちの役目。なのに……あいつらはどうかしている。いい気になりやがって」
あいつらとは、貴族に雇われ悠々と優雅な生活に身も心も浸りきってしまっている同業者たちのことをさして言っているのであろう。
何だか私、とんでもなくすごい人と出会った気がするわ。
「……カイにはお弟子さんはいないの?」
「いるように見えるか? 弟子なんてとるがらでもないし、そもそも、俺は占いを生業にするつもりはない」
サラはもったいない……と呟いた。
「それと、わかっているとは思うが、このことは他の奴には言うな。知っているのはエレナとシンだけだ」
サラは口許に両手をあて、うんとうなずいた。
そこへ。
「サラちゃん、仕上がったわ。どう?」
と、言ってエレナはサラの前に服を広げて見せた。
「すごいわ! どこが裂かれていたのかさっぱりわからない」
エレナはうふふ、と笑った。
「私、子どもの時から手先が器用だったから」
「羨ましいわ。私はお裁縫とかとても苦手で……エレナさん、ありがとう!」
「さて、着替えたら、家まで送る」
途端、サラは表情を翳らせた。
「このこと、シンに知られてしまった……よね」
「ああ、とっくにな」
「私、帰りたくない。ううん、帰れない。シンが怖くて帰れない。きっと、怒ってる」
どうしようと小声で声を落とし、サラは顔を青ざめさせる。そんなサラを、カイはテーブルに頬杖をついてじっと見つめる。
「そうだな」
「ねえカイ、今日はサラちゃんにうちに泊まってもらったら? もう日も暮れてきたし、サラちゃんも疲れていると思うの」
エレナの提案にサラはぱっと表情を明るくさせる。
が……。
「だめだ」
即座に返ってきたカイの答えに、サラは再びしょんぼりとする。
確かに帰りたくないからといって、いつまでもここでこうしているわけにもいかないのだ。
「きちんと謝ればシンも許してくれるわ」
「うん……」
慰めの言葉をかけてくれるエレナに、サラはこくりとうなずいた。
そうして着替えたサラは、カイとエレナとともに診療所までの道のりを歩いていた。
「ねえ、エレナさんはカイとどこで、どんなふうに知り合ったの?」
「私たちが出会ったのは子どものときなの」
「子どものときからずっと一緒なの!」
それは素敵だわ、とサラは瞳を輝かせる。しかし、エレナの次の言葉にサラは表情を強ばらせた。
「私もカイも家が貧しくて、幼い頃に奴隷商人に売られたの。カイと知り合ったのはその奴隷商人の馬車の中よ」
「え?」
奴隷商人……?
貴族の家に生まれ、これまで何不自由なく育ったサラには、あまりにも馴染みのない言葉だった。
「売られた先での生活は本当に地獄のようだった。でも、カイが一緒にいてくれたのが唯一の救いだったわ。カイがいなければ今の私はなかった。だから、彼にはとても感謝しているし、私にとってかけがえのない人」
「エレナさん……」
「そんな顔しないで。私は今とても幸せだから」
そんな話をしているうちに、やがて診療所が見えてきた。
ずっと、自分のの帰りを待っていてくれたのか、テオとベゼレートが診療所の前で心配そうに迎えてくれた。
「サラ! よかった。心配したんだぞ」
サラの肩に手をかけ、テオがよかったよかったと繰り返す。
「テオ、ごめんなさい……」
「いいんだ。君が無事ならそれで。本当によかったよ」
次に、サラはベゼレートを見上げる。
「先生ごめんなさい」
ベゼレートはサラの頭を優しくなで、柔和な笑みを浮かべうなずいた。
そして──
扉に寄りかかりながら腕を組み、厳しい顔つきでこちらを見るシンの姿に、サラは泣きそうな顔で口を引き結んだ。




