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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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14 星夜の語り

 俺も何をやってんだか……。


 客室に通されたシンは虚脱したようにがくりと肩を落とした。

 何だかひどく疲れたような気がする。

 それも精神的にだ。

 サラの言いなりでこの診療所へと連れてこられ、夕食まで馳走になり、さらに、もう遅いからと引きとめられ、結局、こうしてこの診療所に泊まる羽目となってしまった。

 時刻はすでに深夜。

 本来なら、酒場や町で知り合った女性と誘い誘われるまま肌を重ね、偽りの愛をささやく時分なのだが、どうやら今夜はそれもおあずけである。


 仕方がねえな。

 することもないし、寝るか。


 たまにはこんな日があってもいいだろうと無理矢理納得し、シンは上着に手をかけするりと脱ぎ落とした。

 あらわになった肩幅は思っていたよりも広くしなやかな逞しさ。

 鍛え込んだ身体だ。

 だが、驚いたのは、服を着ていては決してわからなかった彼の逞しさではなく、その広く滑らかな背中であった。

 首の後ろで緩く束ねられた濃い茶の、腰まである長い髪が揺れるその下には──

 そこへ、窓にこつんと小石がぶつかる音を聞き、シンは窓辺へと歩み寄る。

 すでに家々の灯も消え、外は暗闇に包まれていた。

 窓を開け放ち、すぐ真下の通路をのぞき込む。

 星明かりの下、腕を組み憮然とした顔でこちらを見上げているひとりの少年の姿があった。

 よく知った顔だ。


「カイか、どうした?」


 シンの問いかけに、カイと呼ばれた少年は険しく眉根を寄せる。


「それはこっちが聞きたい。おまえこそ、そんなところで何をしている」


 問い返すその言葉は厳しい。

 シンは参った参ったと頭に手をあてた。


「いやー、成り行きでこんなことになっちまって」


「ああ、昼間のことは聞いた」


「もうおまえの耳に入ったか?」


「当然だ。裏街のシンが、たかがひとりの小娘に振り回されているとな」


 シンは大仰に肩をすくめ、窓の縁に腰をかけた。


「振り回されてるか……ま、本当のことだから、何も言い返せねえな」


「おまけに、あいつがからんでいるということもな」


 カイが言うあいつとは、言わずもがなハルのことだ。


「戻って来い」


「それが、いろいろ面倒ごとに巻き込まれちまってだな」


「なら、その面倒ごと、俺が引き受けてやる。あいつをぶちのめせばいいんだな」


 シンははは……と空笑いを浮かべた。


 もうこれ以上、話を複雑にされるのは勘弁して欲しい。っていうか、どこでどうハルをぶちのめすという話にすり替わったのか。

 全然そういう話じゃないんだが。

 まあ、いいか。

 説明するのも面倒くさい。


「それはそうとハルの奴はどうしてんだ?」


「俺が知るか」


 シンの問いかけに、カイは顔を歪め即座に切り返す。が、すぐに挑戦的な眼差しをこちらに向けてにっと笑った。


「それとも、あいつに会ってくればいいのか?」


「いや、いい!」


 シンは慌てて手を振った。

 会えば会ったで、ただでは済まないことはわかりきっている。

 これ以上、血なまぐさいことも勘弁だ。


「悪いが俺は当分、裏街には戻れそうにもない。しばらくおまえに任せた」


 けれど、カイは無言だ。


「おまえの他に頼める奴はいないだろ? 頼りにしてるぜ、カイ」


「わかった。それにしても……」


 まったく、おまえほどの男が何やってんだ、と小声で呟き、カイはふいっとそっぽを向く。

 裏街の頭であるシンに頼りにしていると言われ、どうやら照れているらしい。が、すぐに真っ直ぐな目でこちらを見上げる。


「で、しばらくというのはいつまでだ?」


 うっ、とシンは言葉をつまらせた。

 おそらくこの調子だと、すぐにあの少女から解放されるとも思えない。

 二日、三日? それとも一週間? それ以上?

 まったく検討もつかなかった。


「それはだな、まあ、あれだ……」


「シンおまえ、女難の相が出ている」


「え! まじか? どうりで最近ついてないと……」


「冗談だ」


 シンははあ、と大きな息をもらす。


「勘弁してくれ……おまえがそれを言うと、洒落にならねえことくらい自分でわかってるだろ?」


「とにかく、さっさと面倒ごとを片付けて戻って来い」


「わかってるよ」


 そこへ。


「はいるわよ」


 突然、サラの声がしたかと思うと、こちらの都合もかまわず、扉を開けするりと部屋へすべり込んできた。

 シンはやれやれとため息をつきながら、ちらりと窓の下に視線をやる。

 すでにそこにカイの姿はなかった。

 それにしても、いったい、何時だと思っているのか。男の部屋に訪ねてくる時間ではないことは承知しているはずであろうに。

 燭台の蠟燭一本で揺れる炎の明かりが、仄かに部屋を照らす

 シンは肩越しにサラを振り返る。

 その口許には困った笑いが刻まれていた。そして、シンが予想していた通り、サラは目を見開き口をぱくぱくとさせていた。


「そ、そ、それ……それ……それは……それは……っ!」


 シンの背中を指さし、サラはぺたりと腰が抜けたようにその場に座り込む。


「あんたに見られたくはなかったんだけどな。とにかく……」


 騒がないで、とシンは立てた人差し指を口許にあてた。

 シンの仕草に、サラは口許に両手をあて、うんうんと何度もうなずく。

 彼女が驚くのも無理はない。

 何故なら。

 シンの背中から腰にかけて一面に彫られた、凄まじい刺青が目に飛び込んだからだ。


「ね、ねえ、もっと側に寄って見てもいい?」


 ようやく落ち着きを取り戻したサラの瞳に、珍しいものを見たという子どものような好奇心が過ぎっていた。

 少し驚いた顔で、シンは別に構わないけど、と苦笑混じりに声を落とす。

 大抵の者はこれを見て、腰を抜かして逃げてしまうものであったが、どうやら彼女はそうでもなかったらしい。

 何より、刺青を彫ること自体も凄いのだが、それ以上に彫られた絵が相手の度肝を抜く絵柄であったから。

 恐る恐る、サラはシンの背中に近づいてその彫られた絵を眺めていた。

 大きな漆黒の翼を広げた堕ちた女神。

 その女神の身体を焼き尽くすように、紅蓮の炎が燃え上がる。

 苦悶に歪む女神の表情。

 シンの背中のそれは禍々しくも一枚の絵画の如く、鮮やかで美しかった。


「ねえ……」


「なんでこんなもの()れたの? なんて、質問は遠慮して欲しいな」


 図星さ故に、サラは言葉をつまらせてしまう。


「……痛くなかった?」


「多少はね」


 ふーん、と声を落としながらも、サラは食い入るようにシンの背中を見つめている。


「触れてもいい?」


「別にかまわないけど」


「触っても色落ちしない?」


「するか!」


 そっと、遠慮がちに触れるサラの指先の感触。まるで、そこだけが熱を持ったように熱く感じられた。

 胸にちりっとした痛みを感じる。


「想像するだけで身がよじれそうだわ。これをいれた時、もしかして痛くて泣いた?」


 シンはわずかにまぶたを落とした。

 濃い紫の瞳がかすかに揺れ動く。

 泣いたのは刻まれていく身体の痛みではなく、心に巣くった遣りきれない痛み。

 幼い頃の、過去の忘れられない出来事を思い出して……。

 だが、それも遠い昔のこと。


「ねえ、あなた泣きそうな顔してるわ。大丈夫?」


 不意に、強く腕を揺さぶられ、シンは我に返った。

 目の前で心配な顔をしながらサラがのぞきこんでいる。

 彼女の薄茶の瞳は心からシンを気遣うように揺れ動いていた。

 意外にも、可愛いところがあるのだと、シンは口許に緩やかな笑みを浮かべた。そして、心配はないよ、と目の前の少女のふわふわの柔らかい髪をなでる。

 今度ばかりは子ども扱いしないで、とは言われなかった。


「ほら、もう部屋に戻れ。こんな遅い時間に男の部屋にひとりで入って来るな。そんなこともわからない年じゃないだろう?」


「あら、信用している人でも?」


 首を傾げるサラに、シンは緩く首を左右に振る。


「ああ、信用している奴でもだめだ」


「あなたでも?」


 思わず答えに窮してしまった。

 相変わらず、無邪気な顔をするサラに苦笑いを浮かべて頭をかく。

 よくわからないが、これでもいちおう俺は信用されているのかと。

 さっきはあなたなんか大っ嫌いと言っていたのに。


「俺のこと嫌いじゃなかったのか?」


「もう、許してあげるわ」


「だけど、そうして無防備になるのは本当に、好きな男の前だけにしな。他人に見せる顔ではないだろ? いいね」


 しんとした静寂に、言い含ませるようなシンの優しい声音が溶けていく。

 じっとシンを見上げていたサラは、ふいっと視線を逸らし、窓の外に視線を向け目を輝かせた。


「あ! 流れ星が見えたわ!」


 嬉々とした声を上げ、サラは窓から身を乗り出し大きく空を仰ぎ見る。


「おまえ、人の話を全然聞いてないな……」


「綺麗な夜空ね。とっても澄んでて綺麗……ほら、見て」


 サラは高い夜空を指さし、もう片方の手でシンを手招いた。


「あの川のように見える星の群が星河なのよ。あなた知ってる?」


「ああ、夏の星河はことさら見事だからな。とくに今夜は新月。月明かりがないからなおさらだ」


 少し驚いたように目を開き、サラはシンを仰ぎ見る。

 シンも窓際へと寄り、片手を窓の縁へと添え夜空に視線をさまよわせる。


「無数の星が折り重なって、迫力のある眺めを作り出す」


「あなたがそんなことを言うなんて、すごく意外」


 サラも窓の縁に頬杖をつき、再び夜空を見上げた。

 シンはベッドの脇に備えつけられた卓の上の蠟燭に、そっと息を吹きかけた。

 途端、部屋に闇の幕が落ちる。

 原始のままの暗夜に眺める星空は、いいようもない荘厳さがあり、それと同時に、夜空に吸い込まれていくような怖ろしさにも似た感覚を抱いた。


「ねえ、一年に一度だけ、恋人同士が出会うことができる星があるって聞くけど、どれがそうなのか知っている?」


 ああ、とシンはうなずき夜空の一点を指さした。


「天河を挟んで東岸、明るい光を放つ星があるだろう? あれが〝ペレイスの乙女〟それに対をなして星河を越えた反対側の岸、三角形を作っている星の塊が〝アルタスの騎士〟あの二つの星がそうだ」


「へえ、あれがそうなのね」


「しかし、あの二つの星は言い伝えとは違って、本当は一生出会うことはできない」


 何故? と、サラは首を傾げて聞き返す。


「ペレイスの乙女が動けば、アルタスの騎士も動く、二つの星座が重なることは決してあり得ない。だけど、この二つの星は、星空でももっとも面白い動きを見せるんだ。たとえば、ペレイスの乙女が東の空から姿を現すのに対し、アルタスの騎士がその姿をみせるのは数刻たってのこと。ところが、アルタスの騎士が南中を過ぎる頃から、お互いに見える方角は違っても、地平の高さを同じくらいに保ったまま西空低くまで、仲良く並んで輝いている」


「つまり、離れていても心は一緒てことね。じゃあ、あの一番輝いてる星は?」


「あれは天白星(てんぱくせい)。天白星にまつわる星の物語を知ってるか?」


「星の物語? 素敵! あなた知っているの?」


「聞きたい?」


 サラは瞳を輝かせ、大きくうなずいた。

 シンはもう一度夜の空を見上げる。

 天頂に一際明るい光を放つ星は天白星。

 その星が今日はやけに明るいと思うのは、気のせいであろうか。

 天白星にまつわる星の物語は、やりきれないほどに悲しく切ない。


「叶わぬ恋の運命(さだめ)と知りながら、たったひとりの女性を愛し続け、その女性のために命をなげうった男の物語。そんな彼の純粋さとひたむきさに心を打たれた天帝が、男を天の星へと導いた。夜空を彩る星々の中でも、鮮やかな光を放っているのは、己の存在に気づいて欲しいという訴えか、あるいは願望か」


 届かぬ想い。

 叶わぬ恋。


「悲しい物語ね」


 サラは瞳を翳らせた。


「それにしても驚いたわ。あなた、お星様のことずいぶんと詳しいのね。もしかしてそうやって、女の子を口説いてるのかしら?」


 サラは目を細めてふふと、含み笑いを浮かべた。

 不意にシンの両手がサラの頬へ伸び、軽くつねるようにぐいっと引っ張っる。


「痛い、痛い……」


「まったく、この口はろくでもないことしか言わないな」


「ひどい……ひどい……意地悪!」


 サラはほんの少し赤くなった両頬を手で押さえて、シンを睨み上げる。


「もういいだろ? 今度こそ部屋に戻れ」


「そうだったわ!」


 サラは思い出した、というように、突然ぱんと手を叩いた。


「忙しいな、今度は何?」


「私、あなたに聞きたいことがあったの」


「だから何?」


「あのね、テオが朝食に干しぶとう入りのパンを焼くって言っていたの」


「……」


 一瞬の沈黙。

 シンの片方の頬がひくついた。


「で?」


「あなた、干しぶどう好きかしらと思って」


「おい……そんなことを言いに、深夜にわざわざ俺の部屋に来たのか?」


「だって、干しぶどう苦手な人って、けっこういるって聞くじゃない? 私は好きだけど」


「そうじゃなくて、そんなこと、明日でもかまわないだろ」


「だって、テオはとっても早起きだから、きっと私たちが起きる頃にはパンが焼けてしまうわ」


「じゃあ、俺が干しぶどう嫌いって言ったらどうすんだよ」


「テオに伝えなければ」


「だけど、あいつはもう寝てるよな。さっき、寝間着姿で部屋に入っていくのを見たぞ。わざわざ起こして、俺が干しぶどうは苦手だと言ってたって伝えにいくのか?」


 サラは、あ……という顔をする。


「どうしよう。もしかして、干しぶどう嫌い?」


 何なんだよ、干しぶどう干しぶどうって。


「俺は好き嫌いはない。干しぶどうでも何でもかまわないから。ていうか、はいはい、もう、帰った帰った」


 だめだ。

 もう疲れた。

 寝たい。


 サラの両肩に手をかけぐるりと一回転させる。そして、そのまま扉の方へと押して歩く。


「ねえねえ、私ね、最近夜が大好きになったの。何故だか知りたい?」


 まだ喋り足りないのか、サラは口を開く。

 知りたくないと言っても、どうせ勝手に喋るのであろう。

 シンは適当に返事をして受け流す。


「澄んだ夜空を見ると、ハルの瞳を思いだすからよ」


「ああそうだ。ひとつ言い忘れた」


「何かしら?」


「裏街には二度と行くな」


「わかってるわ」


「おい、ずいぶん即答だな。いや、その顔はわかったって顔じゃない」


「行かないわよ。行くわけないでしょ」


「約束だ。破ったら、俺は本気で怒るからな」


「ほんとに行かないから安心して」


「絶対だぞ」


「あなたもしつこいわね」


 サラを追い出すため扉を開いたシンは息を飲んで立ちつくす。先ほど自室へと入っていったはずのテオがもの凄い形相で目の前に立っていたからだ。

 寝る前の読書か、小脇に分厚い本をかかえていた。


「おまえの部屋で話し声が聞こえると思ったら」


「えっと……」


 テオは上半身裸のシンの姿にまなじりを細める。


「こんな時間に部屋を暗くして、それも、おまえ裸じゃないか! いったい何をしていた!」


 何とも間が悪かった。

 この状況でこの恰好で、純粋に星を見ていましたと言ってもこの男は信じてはくれまい。


「テオ、まだ起きていたのね。明日の干しぶどう入りのパンとても楽しみにしているから。じゃ、二人ともお休みなさい」


「おい、ちょっと待て!」


 慌てるシンの誤解を解くこともせず、そのまま置き去りにして、サラはさっさと自室へと戻っていってしまった。


「おまえ、サラに何もしてないだろうな」


「あ、あたりまえだ! 何もしていない。するわけがないだろ!」


「ほんとか? って、な、な、な……何なんだよおまえ! それ、その背中!」


 テオが悲鳴にも似た声を上げ、持っていた分厚い本を振り上げる。


「いや、これにはいろいろとわけがあって……ひっ、その本やめて……それ凶器だから! 凶器凶器! そんなんで殴られたら痛いだけじゃ済まないから!」


「黙れ! 悪党!」


「それにその本、医学書じゃねえか。それで人を殴るか!」


「うるさい!」


「待って、ちょっと待って!」


 と……シンの情けない声が深夜の診療所内に響き渡った。

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