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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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13 裏街の頭

 街一番の名医と名高いベゼレートの診療所でのこの日の夕食はいつになく賑わい、盛り上がった。

 常ならば、ベゼレートとその養い子であり助手のテオ、ここ最近はサラも加わり、和やかな夕食をとるのだが、今日はもうひとり、サラが連れてきた客が夕食の席をともにしたからである。

 とにかく、その客がよく喋るのであった。

 おまけにその話がたいそう面白いらしく、サラは声を上げて笑い、師にいたっても例外ではなかった。

 おかげで、いつもならとっくに後片づけが終わっている時分であるにもかかわらず、食事はまだ終わる気配もない。

 そう、サラの連れてきた客──シンという少年と師が、酒を飲んでいたからである。

 普段、お酒など飲まない師が、この日はとても上機嫌に次々と酒瓶を空にしていくのであった。

 それどころか、すっかり師とシンは妙な具合に意気投合をしている。

 テオはちらりとサラが連れてきた少年を見やった。

 テオも一度は会ったことのある人物だ。

 以前、ハルがこの診療所を去っていこうとしたときに現れたその人、本人。

 それにしても、サラが彼をここへ連れてきたときには驚いたものであった。

 サラはシンと出会った経緯をかいつまんで話し、遠慮する彼をなかば強引に中へと招き入れたのであった。

 物怖じすることもなく、師とは初対面だが変な遠慮をするわけでもなく、かといって無礼さはなく、色々と世間を見てきたのであろう、話題も豊富であった。

 師とサラは喜んで彼の話に耳を傾けていた。

 もっとも、テオから見れば、ただ調子がいいだけの男にしか見えないのだが。


「おやシンくん、君、なかなかいける口だね」


 ベゼレートは嬉しそうに、シンの空になったグラスになみなみと葡萄酒を注ぐ。

 かたわらではサラがほんのり顔を赤くして、林檎酒を舐めていた。


「先生こそ、なかなか」


 お返しとばかりに、シンもベゼレートの空になったグラスに赤い液体をそそぎ返す。

 その繰り返しが何度となく続いた。

 眉をひそめ、テオはなかば呆れた顔で二人のやり取りを眺めていた。

 まさか師がこれほどの酒豪だとは思わなかったという驚きもある。

 だがそれ以上に……。

 眉をしかめたまま、テオは斜め向かいに座るシンに視線を据える。

 テオにとって大切な師が、ひょっこり現れたこの男に取られてしまった気がして、少々面白くなかったのだ。


 何なんだこいつは?

 こっちは明日も仕事があるというのに、いつまでも図々しく居座って。

 ああ、先生そんなにお酒を飲まれては、明日の仕事に差し支えが……。

 く……それもこれも、すべてこいつのせい。

 いや、元をたどればあいつのせいだ。


 こいつといって、テオはシンを睨みつけ、そして、あいつといって、ハルの姿を思い浮かべるのであった。

 そんなテオの心情など知らず、シンはグラスの赤い液体に視線を凝らし。


「ところで、先生。この葡萄酒、年代物ですね。この芳醇な味と香り、微かな酸味……これはサレシア南部原産〝太陽の恩恵(めぐみ)〟」


 シンは葡萄酒を口に含み、あたりでしょう? と、得意げな笑みを口許に浮かべた。


「まさに、太陽の讃歌が聞こえるようですよ」


 テオは心の中でおもいっきり吹き出した。


 何が太陽の讃歌が聞こえるだ。

 顔に似合わないこと言って、恥ずかしくないのか?


 などと、辛辣な言葉を胸の中で吐き捨てる。

 一方、ベゼレートは目を瞠らせた。


「君! よくわかったね」


 テオはうんうん、とうなずいた。

 ですよね、先生。

 嗤ってやってくださいよ……。


「ええ!」


 テオは立ち上がって、シンと師を交互に見る。


「俺、けっこう詳しいんですよ」


「あなた、葡萄酒のことなんてわかるの?」


 まあね、と得意そうな表情をするシンに、サラはふーんと感心した様子でうなずいている。

 テオは顔をしかめたまま、く紅茶のカップを口に運んだ。

 ふと、何やら含むような眼差しでこちらを見つめているシンと目が合う。


「お兄さんは、飲まないのですか?」


「僕はこれからまだ、やらなければいけないことがあるからね」


 だから早く帰れと言外ににじませる。


「この子はお酒が飲めないのですよ」


「へえ」


「飲むとすぐ寝てしまうの」


「子どもみたいですね」


 棘のある口調で言い、シンは目を細めて笑う。

 その態度にテオは眉根を寄せた。


 こ、こいつ、あきらかに今僕をばかにしたぞ。


 よもや、テオは知らない。

 テオに軽薄と言われたことをシンが少しばかり根に持っていることなど。


 ふん、こいつの酒に毒でも盛ってやろうか。


 と、考えテオははっと我に返る。


 僕は今、すごくとんでもないことを考えてしまったのでは。

 毒を盛ってやろうだって。

 ああ、何てことだ……。

 人の命を救うはずの、薬師であるこの僕が。

 と、とにかく少し落ち着こう。

 冷静になるんだ。


 と、紅茶のカップを再び口に運ぶ。


「ところで、シン君、君はこのアルガリタに住んでいるのかね?」


 ベゼレートがシンに尋ねる。


「はい。といっても『裏街』ですけど」


 突然、テオは飲んでいた紅茶をぶわっと、勢いよく吹きだした。


「う、裏街だって!」


 三人の視線がいっせいにテオに向けられる。


「お兄さん、汚い」


 シンは整った眉をしかめてテオを見た。

 テオは慌てて手の甲で口許を拭う。


「う、裏街っていったらあの犯罪者の巣窟。そこに身を落とした者すべてが極悪非道だという……お、おまえ、そんなところに!」


 裏街といえば、浮浪者や、表社会に顔を出せない犯罪者たちの巣窟となった暗黒街。

 窃盗、麻薬、暴行、強姦、殺人が日常茶飯事におき、役人たちですら足を踏み入れたがらない、よどんだアルガリタの裏の世界。

 確かに、初めて会ったとき、何となくただ者ではない気配を感じはした。が、まさか裏街の住人だったとは、テオは驚きに目を瞠らせた。


 女みたいな顔で、たいして強そうにも見えないこいつが……?


 対して、ベゼレートは特に動じた素振りも見せず、シンの話を聞いてもそうですか、とにこやかにうなずくだけであった。


 先生、そこは穏やかに笑うところではないと思います!


 だが、こんなことで驚くにはまだまだテオは甘かった。

 さらに驚愕の事実が、テオを打ちのめす。

 シンはそこで考え込むような仕草で腕を組む。


「俺、先生に隠すのも嘘つくのも気が引けるから、正直に言いますけど……実はその裏街で、頭をやってます。数ある派閥の中でも、俺が束ねる一派は百余名、裏街の中では最大かも」


 先生は感心したようにほう、と答える。

 もはやテオは開いた口がふさがらず、紅茶のカップを手に硬直している。


「もちろん、噂には聞いたことがありますよ。裏街の男たちを率いる頭のことを。その腕っ節の強さから徐々に頭角をあらわし、暗黒街を仕切るまでにのしあがったと。裏街の頭の名前があがるだけでみな、恐れおののき、その姿を見かけただけで、気の弱い者は失神する者がいると。シンくん、それがあなたでしたか」


「いや先生! でも、そいつは裏街の人間。つまり極悪人ですよね」


「テオ」


 ベゼレートはテオの言葉をたしなめるように首を横に振る。


「それでも彼の存在が、裏街の犯罪を抑えられているところもあるのですよ。確かに、裏街の評判はあまりよいとはいえないかもしれません。けれど、裏街に住むすべての者があなたの思っている人たちばかりとは限らないのですよ」


 ですが……と言いかけ、テオはしぶしぶといったていで椅子に座り直し、シンを見やる。

 それにしても、本当に、ただ者ではなかったのだ。

 テオは恐る恐る、サラに視線を向ける。

 どうやら、少しばかり酔いが回っているらしい。

 彼女は顔を赤く染めて無邪気に笑い、頭って何? と、裏街の、それも頭の男の袖を引っ張っている。

 サラは自分が連れてきた少年がどんな人物なのかよく分かっていないらしい。いや、そもそも裏街がどういうところなのかも、実は理解していないのだろう。

 そこらの少年たちと一緒だと思っているのなら、それは大きな勘違いだ。

 だがそれも仕方がないこと。

 彼女は由緒あるこのアルガリタの貴族のご令嬢。

 闇の世界とは今まで無縁に生きてきたのだから。

 テオはひたいに手をあて、大きなため息を一つついた。

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