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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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11 やっと再会できたのに

「ああ、止まって。そこ」


 それからしばらく無言で歩き続けていた二人であったが、突如、シンは立ち止まり、一軒の古びた廃屋をあごで示した。


「たぶん、あいつはここにいる。あの診療所から戻ってきて以来、ずっとここに入り浸りだ」


 サラは睨み据えるように、その古びた家の扉を見つめた。


「ここは?」


 問いかけるサラに、シンは口許に意味ありげな笑いを刻むだけ。

 はっと、はじかれたようにサラは辺りを見渡した。

 見れば何人かの女たちが、あられもない格好で、ぼんやりと道の端に座り込んでいる。 生気の感じられない彼女たちの目は虚ろで、そのせいか、みな同じ表情に見えた。

 そこへ、ひとりの男が女たちの元に近寄っていく。

 しばらく品定めをするように彼女たちを見下ろしていた男は、一番端に座っていた女を選び、近くの家へ入っていってしまった。


「まさか、ここって!」


 サラは大きくシンを振り仰ぐ。

 相手は何も答えない。

 つまり、それは自分の考えがあたっているということ。


 ハルがこんなところにいるなんて……。

 どうしよう、怖い。

 でも、この扉の向こうに、ずっと会いたかったハルがいる。


「やめておくか? まあ、そのほうがあんたのためだ」


「いいえ……」


 ここで引くわけにはいかないと、そろりと震える手で扉に手を伸ばそうとしたその時。


「あれ? (かしら)、そんなとこで何してんですか?」


「こんな真っ昼間に頭の姿を見かけるなんて、珍しいっすね」


 緊張感の抜ける陽気な声が背後から響いた。

 振り返ると、二人の年若い少年たちが、こちらに向かって小走りでやって来る。


「頭? 頭って何?」


 サラはシンと現れた少年たちを交互に見て、何のこと? と首を傾げる。


「何でもない。気にするな」


「あれ? 女の子がこんなとこに。まさか頭の新しい女ですか? にしては……」


 少年たちは遠慮のない目でサラを頭から足下までざっと見下ろし、最後に胸元に視線を固定する。


「顔は可愛いけど……こう言っちゃなんですが、それ以外はぜんぜん、足りてないっすね……ぜんぜん……」


「ぺったんこ」


「ちょっと! どうしてそんな気の毒そうな目で私の胸を見るわけ?」


「頭、女の趣味変えたんですか?」


「そんなんじゃねえよ」


 ですよねーと、少年たちは納得したように揃ってうなずく。


「あなたたちずいぶん失礼じゃない。何なの!」


 少年たちに食ってかかろうとするサラを、シンはまあまあ、と手で制してなだめる。それでも唇を尖らせるサラの頭にぽんと手を置きなでた。


「おまえらも、面と向かって女にそういうこと言うもんじゃねえぞ」


「す、すみません」


「ごめんなさい!」


「でも、頭の女じゃないとするとそのお嬢ちゃん、ここで何してるんすか?」


「ここにいる人物にちょっとな」


 と、シンは親指を立て、背後の家を差す。

 少年たちは互いに目を見合わせ、そして、ぎょっとする。


「え? ええーっ! ち、ちょっと待って、そこはまずいって」


「そうですよ。まずいですよ!」


 扉に手をかけようとしているサラを、慌てて少年たちはだめだだめだと、引き止める。


「何でとめないんですか、頭! そこにあいつがいるんですよね?」


 あいつと言って、少年たちは露骨に顔を歪める。


「ていうか、頭なんとかしてくださいよ。あいつがこの裏街にいるだけで、もう空気がぴりぴりしちゃって、居心地悪いったらありゃしない」


「しばらく見かけなかったから、どっか行っちまったんだとほっとしてたのに、またふらりと戻ってきやがったんすよ」


「かかわらなければ、害はねえだろ?」


「……そうは言いますけど、もう、存在自体が害ですよ、あいつは」


「そうそう、この間も我慢ならねえって、仲間のひとりがあいつに刃向かったら、反対に腕へし折られて泣きべそかきながら帰ってきたんすよ」


 シンは、はははと愉快そうに声を上げて笑った。


「笑いごとじゃないっすよ、頭」


「腕折られただけですんだんなら、そいつは幸運だと思っておけ。俺はあいつとやりあって、死にかけた」


「し、死に……?」


 え? という顔でサラはシンを仰ぎ見る。


「それはまあ……」


 そうだけど……と少年たちは渋面顔を作る。

 何とも重苦しい空気が落ちた。


「ほら、おまえらもう行け。いや……俺ももう少ししたらこの子を連れて帰る。それまでにおかしな奴らが通路にいたら追っ払っておけ」


「はい!」


「了解っす!」


 シンの言いつけに嬉しそうに少年たちは応え、それぞれ散っていってしまった。

 遠ざかっていく彼らの背中を見送り、シンは再びサラに向き直る。


「すっかり邪魔がはいったな」


「ねえ、頭って?」


「そんなことはどうでもいいんだよ。で、どうするんだ? 中を確かめるのか、それともやめるのか?」


「決まってるでしょう!」


 おかげで迷いは振り切れた。


 何を見てしまったとしても、ハルに対する私の気持ちは変わらない。

 それが答えだわ。


 サラは扉に手をかけ、勢いよく開け放った。


「だけど、お子さまには刺激が強すぎるかもね」


 汚れた壁に背中をあずけ、腕を組んでシンは皮肉めいた口調で低く呟いた。



 ◇・◇・◇・◇



「これでわかったか? あんたみたいな娘が相手になるような奴じゃないってことを」


 ハルがいる廃屋から少し離れた場所、石畳の上にサラはじかに座り込んでいた。

 抱えた膝の間に顔を埋め、しゅんとうなだれるサラの姿に、どこか憐れむ眼差しでシンは見下ろす。

 落ち込むのも無理はない。

 好きな男が他の女性と抱き合う場面を目の当たりにして、衝撃を受けないはずがない。

 それでも、よくあの場で騒ぎ出さなかったものだとシンは感心した。

 酷なことをしてしまった、という後悔にも似た思いを抱いたことも否めない。

 だが、こうでもしない限りおそらくこの少女はあきめようとはしないだろう。これでよかったのだと、シンは自分の心に言い聞かせた。


「あのお部屋から、さっきのよくない薬と同じ匂いがしたわ。相手の女の人もどこかおかしかった」


 表情を曇らせるサラの心情を読みとったシンは眉根を寄せる。

 ハルがよくない薬に手を出していると思っているのだろう。


「違う、あいつじゃない」


「でも……」


「薬をやっているのはここにいる女たちだ」


 サラはそっと、先ほどの女性たちを見やった。


「彼女たちはみんなそうだ。薬に手を出し、後戻りができなくなって身を持ち崩している。まともに働くこともできず、ああして身を売ってる。あいつはどういう体質だか知らないが、何でもないらしいぜ。そういったものは一切受けつけないんだとか」


「あなたはほんとうに薬はやってないのね?」


 顔を上げ、どうなの? とじっとこちらを見つめるサラに、シンは嫌悪もあらわに顔を歪めた。


「あんたもしつこいな。あんなものに手を出すほど、俺は落ちぶれちゃいない」


 サラは考え込むように、視線を膝の上に落とす。


「テオが言ってたの。ハルが怪我をして診療所に運ばれた時、治療をするための麻酔も鎮痛剤も眠るための薬もいっさい効かなかったって」


「つまり、そういう体質に身体が作りかえられているんだろう。まあ、普通じゃ、考えられないけどな」


「誰に? 何のために?」


 サラの問いかけに一拍おいてさあ、とシンは首を振る。


 詳しいことは知らない。

 だが、想像がつかないわけではない。

 けれど、そのことを滅多に口にするべきではないと思った。


「ねえ、ハルは何者なの?」


「俺も、ここへ来る前のあいつの過去は知らない」


 そもそも海を隔てた遠い北の大陸の人間が、このアルガリタにいること自体が珍しいことだ。


「お友達なのに?」


 友達か……と呟き、シンはどこか遠い目で空を見上げた。


「あいつと出会ったのは一年ほど前だ。突然、この裏街にふらっとやって来て、居着くようになった。ここに流れてくるのはたいてい、わけありの人間だ。まともな者が来るようなところじゃない。あいつも、会ったばかりの頃はひどく思いつめ、何かに怯えているような、それでいて、回りの人間を苛立たせる空気を常に放っていた。裏街に来た新参者は目をつけられやすいし、あいつの容貌は特に目立つ。俺も最初はあいつが気に入らなくて、ここから追い出してやろうと喧嘩をしかけたが、ただの喧嘩のつもりが殺し合いになって、見事にやりかえされた。さっき、死にかけたって言ったのはこのこと」


「ばかねえ。ハルは強いもの、あなたなんかではかなわないわよ」


 サラの言葉にそうだな、とシンは苦笑する。


「それ以来あいつに興味を持って、あれこれかまをかけて探ろうとしたけど、あいつは絶対に自分のことを語らない。いや……」


 語らないのではなく、語れないんだ。

 あいつは自分などには想像もつかない、もっと黒くて暗い何かに心を囚われている。


 ふと、サラは決心した表情でシンを見上げた。


「決めたわ。私ここでハルが出てくるのを待つ」


 予想外のサラの発言に、まだ懲りないのかとシンは呆れた。

 あんな場面を見ても、それでもあんな奴のことを気にかけるのかと。


「なあ、目を覚ませ。あいつはあんたの手に負えるような奴じゃない。あんただって本当は気づいているはずだ。あいつと自分との大きな隔たりを。どんなことをしたって、誰もあいつの心を動かすことはできない。悪いことは言わない、あいつのことはあきらめろ」


「どうしてそう、言いきれるの?」


「今まで誰ひとりとして、あいつの心を開かせた者はいない」


 だから、あんたじゃ無理だ。


「寂しいのよ」


「寂しい?」


 突然、脈絡のないことを言い出すサラに、シンは形のよい眉を上げる。


「寂しくて誰かの温もりが欲しくて、抱きしめて欲しくて、だから、ああいうことをしているのよ」


「す、すごい都合のいい解釈だな。あんた、何も感じないのか? あんな場面を見せられて」


「見せたのはあなたじゃない!!」


 シンはうっと声をもらした。


「それに、何も感じないわけではないわ。でも、ハルみたいな人なら、女の人の一人や二人や三人……それ以上いてもおかしくないって覚悟はしてた。だけど、あなたの話を聞いて安心した」


「安心?」


「ええ、ハルに特別な人がいないなら、私にも望みはある。だから、絶対にあきらめない。いつかハルの腕に抱きしめてもらえるのは、他の誰でもないこの私。いいえ、 私が彼の全てを包み込んであげるの」


「お子さまとはいえ、女にそこまで言ってもらえるあいつが正直、羨ましいよ」


「あなたにはいないの?」


「残念ながらね」


「それはあなたが悪いのよ。あなた、人を真剣に好きになったことがないのでしょう?」


 サラの言葉がちくりと胸に突き刺さった。


「はは、まさか、あんたみたいなお子さまに諭されると思いもしなかったよ」


「ねえ、さっきから聞いていれば、お子さまお子さまって、子ども扱いしないでくれ……」


 不意に、サラはあっと声を上げて立ち上がった。

 先ほどの場所からハルが姿を現したからだ。

 つい今しがたまで色事に没頭していた様子など微塵もうかがわせない、それどころか、そんな羞恥な場面を他人に見られてしまったという気まずさも見せない、涼しい表情であった。


「ハル!」


 ハルの元へと駆け出していったサラは、大きく手を広げ、相手の一歩手前で思いっきり飛び上がり首筋へと抱きついた。


「会いたかったの! すごくハルに会いたかった。ずっと、探していたの。どうして、何も言わずに出ていってしまったの。私、すごく心配したんだから」


 抱きついてきたサラの身体を抱きとめたものの、ハルの表情には何の感情も表れてはいない。

 そんな光景を見せつけられて、シンは口許に苦い笑いをにじませる。

 ハルはゆっくりと視線を上げシンを見る。

 その目には、何故こいつをここへ連れてきた、と咎める色が浮かんでいた。

 対して、シンはだって、仕方がないだろう、と肩をすくめて答える。

 抱きついてきたサラの身体をハルは無理矢理引きはがした。

 藍色の瞳が目の前の少女を冷ややかに見下ろす。


「どういうつもりでこんなところに来たのか知らないが、俺はあんたとこれ以上かかわるつもりはない。帰れ」


「いやよ。私はもっとハルのことが知りたい、一緒にいたいの。前に、ハルを好きだという私の心を見せてと言ったわよね」


 サラは大きく手を広げた。


「私がどれほどハルのことを好きか、教えてあげる」


「迷惑だ」


 即座に切り返してきたハルの冷たい一言に、サラは泣きそうな顔をする。


「どうしてそんな冷たい態度をとるの? 他の女の人なら相手をするのに、どうして? ハルは私のことが嫌い?」


 ハルはまなじりを細めた。

 静かな深い湖の底にも似た藍色の瞳が、目の前の少女を射る。


「言ってる意味がわかっているのか? 一度怖い目をみて、まだ懲りてないのなら、今ここで本気であんたを滅茶苦茶にしてやろうか? あんたを絶望の底に叩き落として、それでも俺のことが好きだと言えるか試してやろうか」


「どうしてそんな意地悪なことを言うの? わざと私を遠ざけようとしているでしょう。ねえ、どうしてしまったの? 先生の所にいたときはもっと笑ってくれたじゃない。たくさん……でもないけど、お話もしたじゃない。テオの薬のことも、カーナの森のことも全部聞いたわ。なのにどうし……っ!」


 サラの声が途切れた。

 その目が驚愕に見開かれる。

 すっと、伸ばされたハルの右手が、喉元にかかったからだ。

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