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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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10 裏街へ

 アルガリタの町、もっとも賑わう繁華街イゼル通り。

 道の両端にはさまざまな店が並び、町の中心部の広場まで連なっている。

 ちょうど昼時ということもあってか、あちこちの飲食店からは、食欲を誘う匂いが漂ってくる。

 往来は大勢の人で混み合い、買い物客を誘う呼び子の声が通りを賑わせていた。


「だから、やめた方がいい、っていうか髪の毛引っ張るなよ。いててて……」


 シンは情けない声をあげ、背後を振り返る。そこには唇を引き結び、真剣な目でこちらを見上げるサラの姿があった。

 サラの手が、シンの腰まである長い髪の毛を強く握ったまま離さないのだ。それどころか、握ったまま、いつまでも後をついてくるのだから困った。

 道行く人たちの視線が二人に向けられ、くすりと笑って通り過ぎていく。

 はたから見れば微笑ましい、恋人同士に見えるであろう。


 いや、違うな。

 兄妹だな。


 と、心の中で呟きシンはため息をつく。


「私の決心は堅いの。ハルに会わせてくれるまでこの手、離さないから」


 立ち止まり、シンはやれやれと力が抜けたように肩をおろす。

 この様子では本当に、どこまでもついて来かねないと思ったからだ。

 眉根を寄せ、シンは心底困ったという顔をする。

 花柳街でサラに絡んでいたごろつきどもを、ひと睨みで追い払った凄まじさは見る影もなく、鋭利な刃のごとき気配もすっかり抜け落ちてしまった。

 まるで別人のようだ。

 とても同じ人物とは思えない。


「もう、帰れ。家の人が心配してるぞ。送ってやるから」


「帰らないって言ったでしょう」


 振り切ろうと思えばいつでも振り切れるのだが、何となく放っておけない気がした。

 見た感じ、そこそこいいところのお嬢さんという雰囲気だ。

 そんなお嬢さんが会ったばかりの、どこの誰とも知れない男にいつまでも付きまとうわけがない、そのうちあきらめて帰ると思っていたのだが、これが予想に反してなかなか剛胆な少女であった。

 いや、警戒心がなさすぎる。


「あんたさ、あいつがどういう奴だか知ってるのか?」


「ええ、知ってるわ」


 間髪入れずに笑顔で答えるサラに、シンは嘆息する。


 わかってないよ。

 全っ然、わかってない。


 シンは片目を細め、ちらりとサラを斜眼に見る。

 するとサラは無邪気に微笑みかえしてきた。


 色気の欠片もない、子どもじゃないか。


 シンはいや、と器用に片方の眉を上げた。


 でも改めて見てみるとすごく可愛いかも?

 もっとも、俺の好みじゃないけど。


「あの人ね、あんなに綺麗で女の人みたいに細いのに、でも、すごく強いのよ」


 だけど、確かにもう少し大人になったら見違えるほどの美人になるかもしれないな。


「それにね、とても優しいの。笑うととても素敵だし」


 まあ、それまで何年かかるかだが。


「ねえ、あなた聞いてる?」


 サラは握っているシンの髪を揺さぶった。


「え……? ああ……まあ」


 我に返ったシンは、わけもわからず、いちおう首だけを縦に振ってうなずく。


「ハルの笑った顔、ちょっとかわいかったな」


「か、か、かわいいっ……」


 あいつをかわいいなんて言った女は、あんたが初めてかもしんないぞ。っていうか、あいつ、あの診療所でこの子相手に何やってたんだよ。


「だから私、もっとハルのことを知りたいの。もう一度会いたくてずっと、ハルを探していたの」


「だからって、女の子がひとりであんなところに踏み込むなよ。それに、あいつはああいうところには行かないよ」


 ふと、サラは思い出したように顔を上げ、上背のあるシンを見上げた。


「そういえば、どうしてあなたはあそこにいたのかしら?」


 う……っ!


 突然、話題の矛先を自分に向けられ、シンは答えに窮する。

 まさか、あの娼館からちょうど出てきたところでした……とは、どうにも言いづらい。

 サラは眉をひそめシンを睨みつけた。


「やっぱり、あなたって軽薄だわ」


 おかげで、危ないところを助けてもらったということも、すっかり忘れているようである。


「軽薄って……あんたはハルがあそこにいるかもしれないと思って、花柳街に足を踏み入れたんだろ? そういうあいつは軽薄じゃないのかよ」


 今度はサラの方が言葉につまらせた。

 ふいっ、とシンから目をそらして頬を膨らませる。


「ハルは別よ」


「ああそうですか。とにかく、その手を離せ」


「いや」


「わがままもたいがいにしろ」


 すっと細められたシンの厳しい目に、サラは一瞬怯んだ様子をみせる。


「私だって、あなたみたいな軽々しい人と一緒にいるなんてごめんだわ。でも、ここでこの手を離してしまったら、ハルに会えなくなるもの」


「いいから離せ。でないと、さすがの俺も怒るぞ」


「怒ったって、あなたなんか怖くないわ。それに、あなたハルと違って弱そうだし」


 シンの顔からすっかり笑みが消えた。そして、突然サラの手首を強くつかみ上げる。


「痛いじゃない。離して!」


「だったら、わからせてやるよ。あいつがどういう奴かを。そのかわり、あまりの衝撃に泣き出しても、俺は知らないからな!」


「望むところよ。さあ、早く連れていってちょうだい。今すぐに!」



 ◇・◇・◇・◇



 このアルガリタの町によもや、こんな場所が存在するとは、サラは思いもしなかった。

 さながら、迷路となった昏い路地は、迷い込んだ者を捉えるための罠か。

 路地の両脇に並ぶ密集した家々からは、人の気配も生活の匂いも全く感じられなかった。

 壊れかけた扉から中を覗けば、汚れた壁と抜け落ちた床板。朽ちかけた粗末な家具が埃をかぶって残されているばかり。窓にかけられた幕はぼろとなり果て、風になびいて揺れている。

 どの家も同様であった。

 迷路をさらに奥へと進んでいくと、強烈な腐臭が空気を浸食する。

 吐き気をもよおす匂いの元は、地下水路からのようだ。汚物の匂いか、それとも犯罪者の贄となり放置された死者の放つそれか。

 相容れぬ光と闇が存在するように、美しく豊かで暮らしやすいと謳われるアルガリタの町にも闇の部分がある。

 それが、誰もが恐れる犯罪の巣窟、暗黒街『裏街』であった。

 陽光さえも遮るほどに高く巡らされた壁が、外の世界を断遮し、この裏街をぐるりと取り囲む。

 その昔、裏街はヤーナという小さな町であった。やがて町は徐々に肥大し、元々あったヤーナの町を取り囲むように、高い壁が張り巡らされ、次第に町を丸ごと呑み込みこんでしまった。

 つまり、裏街はアルガリタの町ができる以前の、小さな町の名残であった。

 当時、その町に暮らしていた人々は、住み良い環境を求めて壁の向こうへと移り住んでいった。が、金銭的に余裕のない者は、その場から動くこともできず、豊かになっていく外の世界を複雑な気持ちで眺めているしかなかった。

 そして、いつしか小さな町は疎隔され、やがて、犯罪者の住処(すみか)となり、今に至るのである。

 高い塀に囲まれた裏街では外の喧噪さえも届かず、不気味な静寂と病んだ気配が辺りを支配する。

 そんな禁断の領域に踏み込んだサラは、ただ呆然とするばかりであった。

 なんて腐敗した所なのだろう。

 これがアルガリタの町の一部なのか。

 町も荒んでいるが、そこに住まう人々も同じくらい、いや、それ以上に荒んでいた。


 路地脇では気怠そうに力無く座る者。

 涎を垂らし、無意味に笑っている者。

 苦痛を訴え、もがき苦しんでいる者。

 さらに、古びた家屋の中からは、男と女の淫らな喘ぎ声が聞こえてくる。

 そんな光景がそこかしこで見られた。


「怖じ気ついたか? まあ、無理もないな。あんたみたいなお嬢さんが、踏み込めるような場所じゃないからな」


 シンの言葉に、サラはまなじりをつり上げる。


「本当に、ここにハルがいるのね」


「嘘は言わないさ。もっとも、あいつがまだここにいればの話だけどね」


 両手を頭の後ろで組み、口許に薄い笑いを刻んでシンは言う。

 本当なのか嘘なのか、どちらとも計りかねるシンの表情と口調に、サラはわずかなためらいをみせる。

 もしかして、彼は自分を試しているのだろうか。

 それほどまでに思う相手に会いたいのなら、あんたの勇気を示してみなと。

 サラはきつく唇を引き結ぶ。

 とにかく今は、たった一つの手がかりにすがるしかない。

 シンというこの男を信じるしか。

 それでも、胸に落ちる不安を完全に拭い去ることはできなかった。もしも、騙されていたら自分はどうなってしまうのか。

 考えただけでも恐ろしい。


 いいえ、大丈夫。

 だって、彼は私のことを悪い男たちから助けてくれたもの。

 だから……。


「……っ」


 そんな思いに気をとられて歩いていたせいか、サラは石畳の継ぎ目が盛り上がったところに足をつまずかせてしまった。前のめりに倒れそうになったところを、背後からシンに抱きとめられる。


「あ、ありがとう」


「いいや。でも、いいの? 俺のことを信じてしまって」


 思わずサラは息を飲む。

 まるで心の中をのぞき込まれたようで、胸がどきりとした。


「得たいの知れない男に、それもこんな場所に連れ込まれて、俺が悪い男だったらどうする? 二度と外には帰れないよ」


「でも、あなたは悪い人ではないのでしょう?」


「素直なんだね。人を疑うことを知らない」


「だって、さっき私のことを……」


「そう、さっき、あんたを助けたのも下心があってのことかもしれない。それなのに、あんたは俺のことを少しも疑いもせず信じきって、のこのここんな所までついてきた」


 お腹のあたりに回されたシンの手に、くっと力が込められたのを感じる。


「あんた、ほんとに小さくて軽そうだね。このまま、その辺の廃屋に無理矢理かついで引っ張りこむなんてわけもない」


「私を脅して楽しい?」


「そもそも、俺が、あんたの言うシンって奴じゃなかったら、どうする?」


 背中に落ちたその低い声音に、サラはこくりと喉を鳴らした。


 この人が、シンでなかったら?


 ぞくりとしたものが背筋に走った。

 そんなことなど、考えもせず、少しも疑いもせずにここまでついてきた。しかし、すぐにサラはいいえ、と首を振って否定する。


「あなたは間違いなくシンよ。テオはとても珍しい紫の瞳だと言っていた。そんな色の瞳を持つ人なんて、ここではあまり見かけないもの。ねえ、あなたアルガリタの南、アスラット草原地方出身よね? そこの者たちは、おおむね紫の瞳を持つとテオのお話で聞いたことがあるわ。それに草原の民はとてもおおらかで、心が優しいって。あなたは優しい人よ。ねえ、どうしてあなたはこのアルガリタの町に来たの?」


 シンの手が緩み、身体から離れた。


「私の行動を軽率だと思うかもしれないけど、考えなしだと呆れるかもしれないけど」


「まあ、その通りだな」


「それでも、私は本気でハルを探したいの。どうしても会って、私の気持ちを伝えたいの。あなただけが頼りなの」


 サラは勢いよく振り返って背の高い相手を見上げる。


「それにね、これでも私、人を見る目はあると思うの。だから、あなたは絶対に悪い人ではないわ。それに、ハルのお友達なのでしょう?」


 シンは肩をすくめ、ぱっとサラの身体から手を離した。


「そこまで言われたらかなわないよ。悪ふざけがすぎた。謝る。ごめん」


「それで、どうしてあなたはこのアルガリタに来たの?」


 サラはもう一度問いかける。

 一瞬、シンの濃い紫色の瞳に悲しげなものが過ぎった。


「いろいろあったんだよ」


「いろいろって何?」


「いろいろだよ。もう、いいだろ。行くぞ」


 そして、二人は再び裏街の奥に向かって歩き出した。

 突き進むにつれ、腐敗はよりいっそう濃くなっていく。時折、好奇な目でこちらに視線を送る者たちがいたが、近寄っては来なかった。

 しかし、サラは気づいてない。

 背後で彼女を守るべく、睨みをきかせているシンの姿を。万が一のために彼の右手が油断なく、剣の柄にかけられていることを。

 そうとも知らず、サラは緊張した顔でよどんだ空気をかきわけるように歩き続けた。が、突然目眩を覚え足をよろめかせる。

 背後から、力強い腕に抱きとめられたがため、地面に倒れ込むことはなかったが。

 まるで身体の力が抜けていくようだ。

 先ほどまでの腐臭とは別の、耐え難い強烈な匂いが鼻をつき、サラは鼻をおおうように手をあてた。

 これ以上この匂いを嗅いでいると、どうにかなってしまいそうだった。


「しっかり、気をもった方がいい」


「何なの、この匂い……」


「まあ、よくない薬だな」


「よくない薬? 何それ?」


 にやりと笑ったシンは、見てみろというように視線を横へ移す。

 シンの視線につられ辺りを見渡したサラの目に、そこかしこで、堂々と薬を吸飲している者たちの姿が目に飛び込んだ。


「この匂いを嗅いでどうして、あなたは平気でいられるの? さては、あなたもよくない薬の常習犯ねっ!」


 そこまで決めつけなくともよいものを、顔を歪めサラは険しい目でシンを睨み上げる。


「冗談言うな。俺だって、気分が悪いんだ」


 それでもサラは疑いの目をやめない。


「あやしいものね」


「ここで俺が倒れたら、あんたどうするつもりだよ」


「あなたなんか捨てて、急いで逃げるに決まってるでしょう?」


「ひとりでこんな所を歩いて見ろ、即、頭のおかしい連中に取り囲まれる」


「そうは言うけど、あなた全然強そうに見えないし、頼りにならなさそうだもの。そうね、あなたの武器はそのきれいな顔くらいかしら」


 あまりにも可愛くないサラの態度と言葉に、シンは目を細めた。

 サラにしてみれば、軽い冗談のつもりで言ったのであろう。しかし、シンはそう受け止めたようではなかったらしい。

 突然、シンの手がサラのあごをきつくつかみ、ぐいっと上向かせる。


「何よ……乱暴する人は嫌いよ!」


「俺は何があっても、女には絶対に手をあげない」


「やっぱり、私をその辺りの家に連れ込んで……」


「無理矢理も好まない。あんたがそれを望むなら別だけど。っていうか、あんたに手をだすほど俺は女に困っていない。けれど、その生意気な口を黙らせる方法はいくらでも知っている」


 濃い紫色の瞳が真っ向からサラの瞳を捕らえた。

 その瞳の奥に、ちらりと怪しい光が過ぎる。


「ど、どうしようっていうのよ」


「どうして欲しい?」


 シンはにやりと笑った。


「どうしてって……どうもして欲しくないわよ!」


 サラは腕を振り上げ、シンのあごに渾身の力を込めてこぶしを叩き込んだ。

 うわっ、と情けない声を上げてシンはあごを押さえ込む。


「な、殴るか、女がこぶしで殴るか……」


 信じられない、とシンは怯える目でサラを見返す。


「口ほどにもないわね」


 埃を払うように両手を叩き、サラは勝ち誇った笑みを浮かべた。そして、ふいっと視線をシンからそらし再び歩き出す。

 消沈した顔の哀れなシンは、怒る気も失せたのか、もはや何も言い返すことができず、黙って彼女の後に続くのであった。


「もっとも、そうやって強気でいられるのも、今のうちだからな」

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