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あなたの瞳におちて -愛した人は、元暗殺者-  作者: 島崎紗都子


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9 新たな出会い

 その夜、サラが原因不明の熱をだし、屋敷は騒然となった。

 ベッドの上で荒い息を吐き、高熱と吐き気、胃痛を訴え苦しむサラの回りを、トランティア家専属の医師たちが取り囲み、それぞれ顔を青くした。

 原因がわからないと、騒ぎ立てる医師たちの声を、混濁とした意識の中でサラは聞く。

 現実とも夢ともつかない曖昧な感覚であった。

 覚悟を決めてテオが用意してくれた薬を飲んだはずなのに、それでも耐えきれず、何度も助けて、と声をもらす。

 サラが涙を流して苦しみを訴えるたび、医師たちはどうしたものかと、ベッドの側でおろおろとするのだ。


「ああ、サラ……」


 ベッドの側では、母フェリアが悲痛の声を上げて涙を流し、自分の手を握りしめている。

 そんな母の肩に、父、ミストスの手がかけられる。

 ミストスは妻を落ち着かせようと、何度も大丈夫を繰り返していた。

 この一大事の場に祖母の姿はない。

 おそらくこのことは当然、耳には入っているのだろう。だが、わざわざ様子を見に来る必要などないと思っているのか。

 けれど、それはいつものこと。

 むしろ、猜疑心の強い祖母がいないほうが、あれこれうるさいことを聞かれず、すんなりとことが運びやすい。


 お父様、お母様ごめんなさい。


 心の中で両親に謝罪の言葉を述べる。


 でも、どうしても会いたい男性(ひと)がいるの。

 その人のことが、とても好きなの。

 だから、もう一度会って、きちんと私の気持ちを伝えたい。


「ベゼレート医師なら……」


 ひとりの医師がぽつりと呟いた。

 すると、側にいた他の医師たちもはっとする。


「そ、そうだ! 彼ならばサラ様を救うことができましょう」


 もはや、自分たちでは手の施しようがないと判断した彼らは、声をそろえてベゼレート医師の名を口にする。

 ミストスの精悍な顔に厳しいものが過ぎる。

 振り返り、控えている従者たちに視線を据え言い放つ。


「すぐに馬車の用意を!」

「か、かしこまりました!」


 それまで、ただ泣くばかりだったフェリアも、夫の言葉に我に返り、ふらつく足取りで衣装棚へと駆け寄った。

 必要最低限の替えの衣服などを持たせるためだ。

 やっと、先生の所へ行ける。

 そう思った瞬間、安心したのか、ようやくサラは意識を手放した。


 ハル……。


 夢の中で何度もその名を呼ぶ。

 ただひとりの少年の名を……。



 ◇・◇・◇・◇



 目覚めはあまりよいとはいえなかった。

 気怠さが全身に絡みつく。

 サラはひじを使って半身を起こす。途端、目眩と軽い吐き気が襲った。

 ゆっくりと部屋を見渡す。

 屋敷ではないことはすぐにわかった。

 それでもここは見慣れた部屋。

 大好きな場所。

 飾り気ひとつない、けれど、清潔で真っ白な壁と必要最低限の家財道具。

 かすかに漂う消毒液の匂い。

 安堵の吐息が唇からもれる。

 無事に、ベゼレート先生の所に運び込まれたのだ。

 緩やかな笑みを薄紅色の唇に浮かべ、視線を窓の方へと移す。

 出窓に飾られた白く可憐な花が心を和ませる。

 かすかな水滴に濡れる花弁、ぴんとたった茎。おそらく、テオが目覚めたサラのために買い求めたものであろう。

 テオのさり気ない心遣いに、サラは感謝の気持ちでいっぱいになる。


「気分はどう?」


 そこへ、まるでサラの目覚めを予知したかの絶妙さで、テオが姿を現した。

 手には湯気がたつ深皿が乗った盆。

 中身はスープだった。

 テオはその盆をサラの前へ差し出した。


「あまり、食欲ないだろうけど、少しでも口にしたほうがいい。それから、今日一日はおとなしく寝ていること。これは約束だよ。いいね?」


 テオはサラの頭をいたわるようになでた。


「テオ……ごめんなさい」


「うん?」


「薬のこと……」


 テオは困った顔で苦笑した。

 ちょっとやそっとの発熱では、トランティア家の医師たちもあまり深刻にはならなかったであろう。高熱と胃の腑に刺激を与えることで嘔吐を引き起こさせ、苦痛を訴えるという症状を作りだして医師たちを混乱させる、という荒技であった。と、テオは語ってくれた。


「おかげで、僕は先生にひどく怒られたよ。責任として、サラの手伝いをすることだって」


 私の手伝い? と、サラは首を傾げた。


「あいつを探すんだろう? 僕も協力する」


「テオ……」


 心強いテオの言葉にようやく満面の笑みを浮かべ、サラは大きくうなずいた。


「ありがとう」



 ◇・◇・◇・◇



 そして、翌日から、サラのハル探しが始まった。

 とはいえ、実際にハルを探す手がかりとなるようなものは何一つない。それ以上に、ハルがまだ、このアルガリタの町にいるかどうかも怪しいものであった。

 この町だけを根気よく探すのなら、まだどうにかなるかもしれない。

 問題は他の町や村に行ってしまった場合。それ以上に最悪なのは、アルガリタの国を出ていってしまった場合である。

 この広いアルガリタの国で確固とした手がかりがないまま、人ひとりを探そうなどとは無謀極まりないことだから。

 それに、自分に与えられた時間は限られている。

 ベゼレート先生は気を利かせ、一ヶ月ほど様子をみたいと屋敷に申し出てくれたが、祖母は先生の意見に首を縦に振らなかった。

 二週間後に屋敷で開かれる夜会までには、サラを健康な状態に戻すこと。

 それが祖母が出した条件であった。

 孫娘の身体の様態よりも、世間体のほうが祖母にとっては大切らしい。

 与えられた期限はあまりない。

 それまでに、ハルの手がかりを、もちろんできることなら本人を見つけださなければならない。

 テオもすぐに書状をしたため、各地にいる薬組合の仲間たちにこのことを知らせてくれた。

 ハルらしき人物に心当たりがあれば、すぐに連絡を欲しいと。

 テオは仕事を持っているし、自由に身動きのとれる状態ではない。けれど、町に知り合いすらいないサラにとっては、とてもありがたかった。

 夜明けとともに起き、テオにお昼のお弁当をこしらえてもらい、夕方の鐘の音を聞くまでサラは町を歩き回った。

 ハルと同じ年頃の少年たちを見つけては、心当たりはないかを聞いて回った。

 少し勇気がいったが、酒場にも足を運んでみた。

 しかし、結果はサラを喜ばせるものには至らなかった。だが、もしこの時テオから聞かされた、ハルの友達らしき人物、シンという少年の名を出していたら、ずいぶんと違った展開にことは進んでいたのかもしれない。

 歓楽街の酒場のどこかに必ず、ほぼ毎日といっていいほど、シンは現れていたのだから。

 それに彼の容貌も存在もかなり目立つが故、誰の記憶にも強い印象として残っていたはず。

 しかし、サラの頭には、とうにそんな少年のことなど忘れ去っていた。

 ただ、ハルのことしか考えていなかった。

 手がかりがつかめないまま診療所へと戻り、夕飯を食べては疲れて眠る。そんな毎日の繰り返しにやがて、当初の意気込みよりも、刻一刻と過ぎていく時間に焦りを抱き始める。

 やはり、ハルを探すことは無理だったのかと……。

 心のどこかで思い始めるのであった。



 ◇



 この日も、街娘の恰好に扮してサラは町を歩き回った。

 アルガリタの町の地図を片手に、探しもらしたところを見つけ丹念に調べ回る。そうして、地図の上に新たに増えていく×印にため息を覚えるのであった。

 ふと、サラは立ち止まり、歓楽街から脇に外れた向こう、綺麗な花の彫刻で飾り立てられた弓形門の、その奥の路地に視線を向ける。

 そこはきらびやかな建物が軒並み連なる花柳街、娼館が並ぶ通りであった。

 サラは何とはなしに門をくぐり、興味に誘われるまま足を向けた。

 珍しそうな眼差しで辺りを見渡す。

 時間的にはまだ正午を迎える少し前。

 辺りはまだ静かだ。

 時折、上の階から仕事前の女たちが、気怠げな瞳でこちらを見下ろす姿も見られた。

 夜ともなればあちこちの洋灯に火が灯り、建物の窓枠に嵌め込まれた色玻璃があでやかな光を放ち、見事なまでに美しく幻想的な空間を作り出すであろう。


 ハルもこういった所にくるのかな。

 でも、女の子の私がこんなところで立ってたら、絶対変に思われるわね。


 どうしよう、と思いあぐねるサラの回りを突如、どこから現れたのか、数人の男たちが取り囲んできた。


「お嬢ちゃん、こんなところで何をしているのかな?」


 声をかけてきた男たちは、サラの顔を見てにやりと笑った。


「可愛いねえ。もしかして、こういう所で働きたいとか? だったらいい店、紹介するよ」


「お嬢ちゃんならすぐにたんまり金を稼げるさ」


 男たちのとんでもない勘違いに、サラは慌てて違うと手を振った。


「ち、違うの、私は人を探して……」


「いいから、いいから。俺たちについてきなよ」


 男たちはサラの言葉に耳を傾けようとはせず、強引に腕をつかんできた。


「ほんとうに違うの。やめて!」


 取り押さえてくる男たちの手から逃れようと、サラは身をよじり抵抗した。さらに、叫び声を上げようとするサラの口を男の手がふさぐ。しかし、彼女も負けてはいない。ふさいできた男の手に、思いっきり歯をたてて噛みついたのである。


「このがき!」


 なおも暴れるサラの頬に、男は平手を食らわせようと手を振り上げたその時。


「よしなよ。嫌がってるよ、その()


 ひとりの少年が男たちの粗相を咎めに割って入った。


「何だあ? てめえは?」


 男たちの注意が、現れた少年へといっせいにそそがれる。

 取り押さえられたまま、サラも少し離れたところに立つ少年に視線を移す。

 年齢的にはハルと同じ十七、八歳くらい。

 整った容貌はどこか女性的で、明け方の空を思わせる濃い紫の瞳が印象的である。

 無造作に首の後ろで束ねられた腰まである長い髪が、吹き抜けていく風に揺れる。かなり上背のある細身の身体つき、けれど脆弱さは感じられない。

 何故なら、着くずした上着からのぞく胸元は鍛え込まれた強靱さをうかがわせていた。そして、腰には一振りの長剣。


「こっちにおいで」


 少年は口許に笑みをはいて、こちらに片手を差し伸べた。

 一瞬、ためらったサラであったが、すぐに自分を押さえ込んでいる男の手を振り解こうと身をよじる。

 勢い余ってサラのひじが男のみぞおちにはまった。


「いてっ!」


 怯んで腕を離した男から逃れ、その少年の元へと駆け出した。

 駆け寄った途端、少年の腕に抱きすくめられてしまう。

 あまりの驚きに声も出せなかった。


「この娘可愛いから、俺がもらうことに決めたよ。それに、女の子には優しくしてあげないとね」


 少年は笑みを崩さず飄々と言ってのける。


「っんだと貴様! 横取りする気か!」


「俺たちが先に目ぇつけたんだぜ!」


「痛い目みてえのか小僧! てめえも売り飛ばすぞ!」


 サラは表情を強ばらせた。

 つまり、自分はこの男たちによって売り飛ばされるところだったのだ。


「うるさいなあ」


 さわぎ立てる男たちに、少年は鋭い視線を据えて呟いた。

 整った形のいい眉をしかめ、まなじりを細めた濃い紫の瞳の奥に、先ほどまでの軽々しい色が影をひそめ、かわりに剣呑で厳しい光がちらりと過ぎる。


「失せな」


 これまでとは打って変わって、少年は低い声音で男たちに吐き捨てた。辺りの空気さえも切り裂く、寒々しい気配が少年の身体からゆるりと放たれる。

 少年の鋭い目に男たちはたじろいだ。

 目つきだけで敵を萎縮させてしまう凄まじさは普通ではない。

 戦って適う相手ではない。もしも、剣を交えることとなれば、もはやただの喧嘩では済まなくなる。

 それ以上に、相手の瞳が訴えかけてくるのだ。

 刃向かってきたら、殺すぞと。


「おい、こいつ何かやばくねえか?」


「っていうか、俺こいつの顔に見覚えがあるぞ。もしかしてこいつ裏街の……」


 裏街の、と聞いて他の男たちは顔を引きつらせた。


「まさか、こんな優男が?」


「いや、間違いねえ。おまえら行くぞ」


「ま、待てよ。女はどうする? 売るんじゃなかったのか?」


「ばかやろう! 女なんかどうでもいいんだよ! 死にたくなきゃ、その男には絶対にかかわるな。行くぞ」


 舌を鳴らして去っていく男たちの後ろ姿に、少年は肩をすくめた。


「は、離して」


 少年の腕の中でサラは身動ぐ。

 ごめん、と笑って少年は腕を解いた。

 サラは少年を大きく仰ぎ見る。

 ずいぶんと背の高い人だ。見上げるこちらの首が痛くなってくる。


 悪い人には決してみえないけど……。


 サラは眉間にしわをよせた。


「助けてくれたことにはお礼を言うわ。でも、いきなり抱きしめるなんて……」


 言葉の途中で、少年は驚いた表情で目を見開いた。

 暁天色の瞳がことさら明るさを増す。


「あんた!」


「え? 何?」


「あの診療所の! どっかで見たことあると思ったんだよ」


 サラは眉根を寄せ、怪訝な顔をする。

 何やらこの少年は自分のことを知っている口振りだ。だが、少年の次の言葉がサラに大きな衝撃を与えた。


「ほら、あんた何とかっていう医者の家でハルの名前を何度も呼んでただろう? それも泣きながら」


 今度はサラが大きく目を見開いた。

 よもや、目の前の少年からハルの名を聞くことになろうとは思いもしなかったから。

 嘘でしょう? とサラは少年の両腕をつかむ。


「あなた、ハルのこと知っているの! もしかして、あなた……」


 サラはテオから聞かされた、ハルの友達という人物の人相と名前を思い出す。

 確かに、顔立ちも姿も一致するではないか。


「シン……」


「ええ! どうして俺の名前を」


「テオから聞いたのよ」


「テオ?」


 ああ、とシンは納得した顔をする。


「そういえばあの時、ハルと一緒にもうひとり、いかにも真面目そうというか、堅物そうな青年が側にいたな」


「テオの言ったとおりだわ。ほんと、あなた軽薄そう……」


「おい……」


 シンはサラの遠慮のない言葉をたしなめた。そんなシンにはかまわず、サラは相手の腕を強く揺さぶった。


「私って本当に運がいいわ! ねえ、あなたハルのお友達なのよね?」


「いや、お友達って言うか、何て言うか……」


「私、彼を探しているの。あなたならハルの居場所を知ってるでしょう? ハルに会わせて、どうしても会いたいの!」


「会いたいって、言われても」


 まいったなあ……とシンは頭をかき、明るい空を見上げ途方に暮れた表情をするのであった。

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