第9話 強さ
一斉に飛び出す。同じタイミングで両者は飛び出した。だが、両者が狙っているものはまったく違う。
アルフが狙っているのは名付きの魔物であるスカーのわき腹に突き刺さったままの自らの剣であった。今持っている武器は素材などのはぎ取りなどにも使用する予備の短剣。
グレーウルフ。それ自体はそれほど強い魔物ではない。だが、名の付いた相手は普通の魔物とは一線を画す。それだけ長生きして人を殺してきたということだからだ。
そんな圧倒的な魔物を相手にするには短剣一本では心もとなく貧相に過ぎる。本来ならば最低でも目の前の名付きは地方級になってから戦えるような高ランクの魔物なのだ。
地方級はアルフの冒険者ランクである街級の一つ上。だが、その差は断崖の如く圧倒的な隔たりがある。街一つの規模の強さとして、相手は地方級以上。少なくともスカーは複数の村や街を束ねた地方一つを滅ぼせるほどまで成長しているのだ。
ゆえに、武器がいる。街級の中でも極小都市級と称される程度の冒険者でしかないアルフがこの短剣でどうあがいたでも名付きのグレーウルフであるスカーに勝てるわけがないのだ。
普段なら魔物の討伐を行うとあれば予備の剣や弓矢を持って来るが、孤児院での手伝いということで護身用の剣と短剣しかもっていない。時間を優先したツケだ。
高ランク冒険者と違って身体能力が劣るアルフは武器を一つだけに絞らない。いくつも予備の武器をもっていく。それらを状況に合わせて使い分ける。
だが、今はそれができない。ゆえに、まず寛容なのは突き刺さったままの剣を取り返すこと。剣を抜けば戦術が広がる上に相手の血が流れる。少しくらいは相手の動きを鈍らせることが出来るのだ。
もともとのグレーウルフが村級の魔物。再生力もそうはない。見た限りでスカーが元のグレーウルフよりも強化されているのは速度と力。
この二つ。それでもアルフにとっては脅威でしかない。それでもだ、それでも戦わなければならない。子供たちを守るために。ミリアが来る時間を稼ぐために。
剣を取り返せる確率は低いだろうが、生き残るために子供たちを守るためには武器がいる。だからこそ、アルフは全力で地面を蹴っていた。
一歩、二歩。全力で。想像通りに動かない自らの遅い身体をもっと速く動けと叱咤しながら走った。その中でもただの一挙動も見逃さないと瞬きすらせずにスカーに視線を合わせ続ける。
相手の武器は牙と爪。一つは顔先、一つは手の先。最初の一撃が鍵だ。爪にしろ、牙にしろ。まずは、最初の一撃。それを躱さないことには始まらない。
ゆえに、相手の眼が見えているであろう相手から見て、右側、自分から見て左側を疾走している。スカーは左目を失っている為左側が見えない。
だが、見えないのは相手がそれだけ警戒していることに他ならない。そんな場所に飛び込めば飛んで火にいる夏の虫である。
ゆえに、見えている方に移動する。どの道、剣はそちら側に刺さっているのだ。こちらにいた方が都合が良い。見えないで警戒されるよりは、見られて警戒されている方が動きやすいのだ。
『ガウッ――!』
スカーの唸り。跳躍と共に、彼の爪がアルフへと迫る。スカーの狙いはシンプルだ。単純に、ただ殺す。牙を爪を振るうだけ。それだけだ。
ただし入念に。下手に牙を立てれば弱点である頭を晒すことになる。頭は柔らかい部位が多いからだ。目、口内、鼻、耳。それらの場所は他の場所に比べて総じて柔い。そんなことは本能的にわかっている。
ゆえに、スカーが選ぶ攻撃は爪だ。何よりも爪は前足の先にある。つまり、頭よりも前にあるということ。柔らかい部分が少なく安全だ。
更にこれには保険もついている。もし爪での一撃が交わされた場合、牙による追撃が可能になるのだ。二段構えの戦法。
大抵の獲物はスカーが攻撃した場合、必ず避ける。横や後ろに。そこを牙で狙う。着地と同時に飛び出せばそれに反応できる者は少ない。
だからこそ、初撃は爪だ。仕留める、仕留めないは考えない。ただ振るう。己の力だけを信じて振るうのだ。そうすれば自ずと結果はついて来る。
「――――!」
爪による一撃。おそらくは高確率で来るだろうと予想していたグレーウルフの攻撃方法。彼らの攻撃方法はそれほど多いと言うわけではない。
自らの牙、爪、人間などの人類とは隔絶した構造を持つ獣としての肉体もそうだろう。そして、魔物としての権能。魔法がある。
選択肢は四つ。その中で魔法はないとアルフは斬り捨てていた。こんな弱者相手に強者たる者が魔法を使うわけがない。そもそも魔力の動きが魔法を使う動きではない。
ゆえに、選択肢は三つ。更にそこからアルフの経験から二つに絞り込む。絞り込んだ選択肢は自ら突っ込んでくる突撃か爪による攻撃の二つ。
あとは観察していれば自ずと答えははっきりする。結果は爪。予測通り。爪の攻撃が来た瞬間には避け始めていた。横でも後ろでもなく、前により深く踏み込むように姿勢を低くして前に出る。
アルフは前に出た。爪にしろ、牙にしろ、そこには打点とも言うべきポイントがある。威力が最も効果を発揮するポイントだ。
そのポイントを外れれば十分な威力を発揮できない。スカーの場合身体の内側に入ってしまえばその大きな威力を発揮することはできないのだ。それにそこに行かなければならないのだ、剣を取り戻すには。
だから、前に出た。この一撃を躱さなければ話にならない。だからこそ、アルフはこの一撃を躱すことに全霊を賭ける。
「おっ、オオオオオオ――――!!!」
全力で前へ。温存すら考えずたった一瞬でも良いと青の輝きを滾らせてただ前へ。横や後ろへ避けることなど考えない。何をしたってアルフの身体能力では躱しきれないのだ。この前に出ているのだって全力で助走をつけなければ入り込めない。
だからこそ、本来ならば待ちの姿勢を取るところをスカーと共に動き出して前にでた。少しでも助走をつけるために。
声をあげてさながら地面へと飛び込むようにスカーの一撃を躱す。間一髪、もぐりこんだアルフの背をかするようにしてスカーの爪が通り過ぎていく。
最も威力の高くなる点をズラされた上に懐に入られたためにその威力は十全なものにはならない。されど、その一撃強大な事にはかわりなくアルフの身体を傷つける。
「ぐおっ――!」
背中がぱっくりと斬られた感触に呻きをあげる。振るわれた爪が引き裂いた大気はそれだけで凶器だ。その凶器がアルフを襲う。吹き抜けた風によって背中が斬られた。
だが、そんなことは些末なことであった。今更その程度で悲鳴をあげたり、動きを止めるほど初心ではない。
『GRAAAAAA――――!』
躱された。己の爪が躱された。人間が前に出たのだ。それは驚くべきことだった。彼が相手をした人類はどれもこれも攻撃を横か後ろに避けてきた。前に出てきた者はいない。
懐にも入られた。このままでは不味い。懐に入られることの危険を本能が叫んでいる。本能にスカーは従う。己を生かして来た本能は即座に行動をとらせた。
跳ぶ。振るった足が地面に下ろすそこに力を込めたのだ。長い時間を生きて強化された肉体によって地面を叩き蹴る。
生じた衝撃は振り下ろした腕を伝って全身を後ろへと宙へ浮かして跳ぶ。
「オオオオォォオオオォオオオオ――――!!!」
それにアルフは追従した。離されればまた最初からだ。そんなことはできない。だから、アルフは前に出る。
一瞬だけ青の軌跡を描いて一歩踏み込む。狙うは腹。そこに刺さった剣。集中していく。アルフの集中力は極限の壁と通り越す。
極限の集中は、時の歩みを遅らせる。停滞する時。その遅れた時の中で、アルフは自分を飛び越える姿勢で後ろへと跳ぶスカーの真下に入り込んだ。
狙うはただ一点。投げられ突っ込んだ時に突き刺した自分の剣。それが付けた傷だ。躊躇いなどなく、その傷口に向けて短剣を突き刺す。
『GRAAA―――――!!!』
苦悶の声を上げるスカー。されど躊躇いもせずに一瞬で短剣を捻り、更に片手で長剣の柄を握り短剣と共に引き抜く。
目的は達した。色気など出さない。転がるようにしてスカーから距離を取る。傷口を抉られ、更に捻りを加えられた確かな痛みに着地を誤ったスカーは地面を転がる。
だが、すぐにスカーは立ちあがった。息を吐くもそこに宿る熱量は未だ莫大。高熱。灼熱。燃えている。いいや、前以上に燃え滾っていた。
傷口から血が流れ出す。短剣で広げた傷口からどぷりと血液が流れ出すが、スカーの戦意は衰えない。むしろ滾っている。
「ああ、くそ、逃げてくれりゃあ、いいのに」
まあ、無理か、とアルフは自嘲する。
見るからに弱い相手なのだ。名付きが逃げるはずがない。むしろ、弱者にこれだけやられればプライドを傷つけられたとして、必ずアルフを殺しに来る。
それだけは勘弁願いたいものであるが、どうにもそうは問屋が卸さない。だからこそ、短剣を左逆手に持ち替えて、引き抜いた剣を構える。
投げられてスカーにぶつけられた衝撃とぱっくりと切り裂かれた背中の傷のおかげで剣先が震える。万全の状態でも勝てない相手。
本来の装備もなければ、道具も十分ではない。普段であれば逃げる。問答無用で何があろうともここは逃げの一手しかない。
だが、それは出来ない。それをするわけにはいかないのだ。なぜならば、自分の背にはレオたち三人の命が乗っているのである。
「子供の前で、それは出来んだろ」
二十年も冒険者をやっていて、いまだに中堅冒険者でしかないアルフ。名付きの相手などしたくはない。本当ならば逃げたい。
それでもアルフは男という生き物なのである。たとえ弱くとも、力がないと嘆いていても男という生き物にはどうしようもない意地と見栄がある生き物なのだ。
だからこそ、意識に喝を入れて己の身体を叱咤する。余裕そうに顎をあげて、まるで見下しているかのように手を伸ばして手招きするのと同時に言葉を投げた。
「おら、来いよ狼。ぶっ倒してやる」
『――――』
その言葉に咆哮の返事が返ってくる。
――良く言った人間。ならば望み通り殺してやろう。
それは攻めてもの戦士として前に立った男への礼。皆殺しの命令を受けているが戦士としての矜持がスカーを突く動かす。
目の前に立った獲物を狩るために、スカーは全身に力を滾らせる。負傷など関係ない。この程度はいつもの事。
ただ、肢体に力を入れてスカーがアルフへと突撃する。牙と爪。己の持つ武器は確かにそれだけであるが、攻撃手段はそれだけではない。
高い身体能力から来る突撃もまた破滅的な威力を持つ。地を抉るほどの踏み込みから放たれる突撃はそれだけでアルフを殺す威力を与える。
「おわあ――!!」
それをアルフは相手が飛び出した瞬間に横へと飛び退いてギリギリで躱す。地面を転がり、急いで体勢を立て直して立ち上がる。
そこにスカーが飛びかかっていた。振るわれる爪。アルフはそれを上体を反らし、地面を転がった時に握り込んでいた砂をスカーの右目へと投げる。
弱い。己は弱い。二十年も冒険者をやっていて未だに中堅でしかないことがそれを物語っている。自分に才能はなかった。
己が育てた弟子はすぐに自分を抜いていく。それを様々と見せつけられて、自分に才能がないことを悟ったのだ。
だが、それでも諦めない。己は弱いのだ。斬撃が山を割ることもなければ、天を引き裂くこともしない。強大な魔法が使えるわけもなければ、弓の一射が夜空の落ちる星を射ぬくこともない。
それでも、それでもアルフは諦められなかった。だからこそここにいる。己は弱者。ここに立つべき者ではないだろう。
だからといってやられてやるわけにはいかない。自分の後ろには未来ある若者がいるのだ。守る。必ず助ける。
己の命を賭けて。そのためならば何でもやる。決闘ではないのだ。どんなに卑怯なことでも呑み込んで勝つ。それが次の困難にぶち当たり挫折を味わうとしても。
勝つのだ。そのためにやることはわかっている。相手を弱くすること。自分が強くなれないなら相手を弱くする。
そのために奪う。相手の五感を。まずは視覚。目つぶし。
『――――!?』
隻眼である以上、片方は常に開いている。むしろ、健常な獣以上にそこには気を張っている。ゆえに、目つぶしは効果的であることをアルフは経験から知っていた。
無茶苦茶に振るわれる前腕。それらは目つぶしされたことによって目測を誤りアルフを捉えない。だが、高い身体能力によって生じた衝撃波がアルフを吹き飛ばす。
全身を引き裂く大気の刃。赤い血と赤黒い血が舞う。だが、それでいい。血は臭いを持っている。鉄の臭い。鋭い嗅覚を妨害する。
そして、再び距離が空いた。だが、それでいいのだ。時間を稼げればいい。時間を稼いでいれば、ミリアが来る。
場所が分かるかどうか不安であるが、これだけ騒いでいればあの怪物並みの感覚を持っているミリアならば気が付く。
問題は、それまでアルフがもつか。いいや、持たせるのだ、命に代えても。
頭を振って立ち上がるスカー。ここまでコケにされては怒りも心頭だろう。しかし、目を怒りに血走らせ唸りをあげているが、狂乱の様子はない。
怒りはあるが、怒りに身を任せるようなことはするつもりはないらしい。流石は名付きとして長年生き残ってきただけのことはある。
「厄介だな、ちくしょう」
頭の良い魔物ほど厄介なものはない。知恵をつけるほど長生きしているためだ。スカーもかれこれ十年以上はギルドで手配書が出回っているような大物。怒りに我を忘れ狂乱した者の末路をよく理解している。
ゆえに、冷徹に、冷静に、狩人として本能の赴くままにスカーは行動するのだ。
森へとスカーの姿が消える。しかし、逃げたわけではない。気配は常にそこにある。強大な気配は、ただアルフのみを狙っていた。
刹那、背後からスカーが飛び出す。半ば勘だった。二十年の冒険者生活によって磨き抜かれた危機察知能力は、咄嗟にアルフに行動させる。
アルフは背後へと飛ぶ。
「――グッ!」
刹那、本来ならば当たるはずだった爪ではなく、飛んだことによる脚の一撃がわき腹に突き刺さる。骨の砕ける音が響き、視界がブレた。
自らの身体が宙を飛んでいたことを理解したのは、木々を突き破り泉に落ちることで止まった時。
「ガハッ――」
凄まじすぎる衝撃に内臓をシェイクされて、血反吐を吐く。咄嗟に打点をずらしたから致命的な爪の一撃を避けることはできた。
それでも一撃でズタボロにされた。
「ああ、クソ」
爪を受けて胴体が真っ二つになるよりはましだろうが、一撃でこのざまである。
肋骨は粉砕。更に全身打撲。だらだらと血が流れて泉を赤に染めていく。満身創痍だ。
視界がゆれて、立ち上がろうとしても立ち上がれない。
高ランク冒険者であれば、このくらいの一撃を受けても問題ないというが、中堅冒険者でしかないアルフにとっては、まさに致命傷。
剣も半ばで折れている。
「で、も、な!」
それでも倒れるわけにはいかないのだ。歯を食いしばる。己の肉体を叱咤して、立ち上がって剣を構える。
諦めない。何があろうとも。ここでアルフが倒れれば子供たちが死ぬ。だから、倒れるわけにはいかない。
――諦めない、何が在ろうとも。
強い意志。強靭な意志は運命を引き寄せる。諦めない心は奇跡すら起こせるのだ。運命は見捨てない。強い意志を持つ者を。
そう言う者こそが試練を与えるにふさわしく、諦めない者こそが先の時代を生きる人間になれるから。ゆえに運命はやってくる。
――風切音。
咄嗟にアルフは手を伸ばしていた。手につかむ二つの感触。その瞬間、振るわれるスカーの一撃。躱すことなどできず吹き飛ばされるアルフ。
それでも手の中の二つは手放さない。
「ぐ、おおおおぉおぉおお!!!」
手に持った二つ。それは弓と矢だった。そこに響く声はまさに天使の声。
「アルフせんせいやっちゃえ!!!」
弓と矢を投げ渡し、スカーへと走りそれを押さえつけるミリア。最後のトドメはアルフせんせいにと視線が語る。
別にミリアならば簡単に倒せるだろう。だが、アルフにやらせてくれるという。本当に勿体ない弟子だ、本当に。だから、それに応えるために最高の一撃を放とう。
――おう、任せろ。
己の弓と矢。折れた左腕では射れぬ。だが、それがどうした。矢を口に咥えて弓を引く。ぎちぎちと引き絞り、射る。
快音を響かせて飛翔する矢。誰もが羨む弓鳴りの調べ。放たれた矢はまさに神速。それは真っ直ぐにスカーへと向かう。それは一瞬にしてスカーの脳天を貫いた。
轟音を立てて倒れるスカー。脳を貫けば名付きであろうとも死ぬ。元が村級であるから。これが高ランクの魔物であったならば再生能力があってこうはいかない。
だが、スカーにはこれで十分。終わった。もう動かない。脳を貫かれ、心臓はその動きを止めた。これでわったのだ。
「やったアルフせんせー! 大丈夫ですか!」
ミリアが駆け寄ってくる。大丈夫ではないが、大丈夫だ。
「ははっ! どうだ狼野郎!」
アルフはそう勝ち誇った。勝利だった。見たかそう言う。勝ったのだ。ミリアが弓を持ってきてくれて、更に押さえつけてくれていたとはいえどアルフが、普通ならば勝てない相手に勝ったのだ。
ぼろぼろの満身創痍だが、それでも勝った。まぎれもない勝利。これで終わり。そう思った。思ってしまったのだ。その瞬間が最も危ないことを知っていたのに。
突然、生じたかのような強大な灰色の影がアルフを吹き飛ばす。
「――ゴハッ!?」
「アルフせんせー!!?」
動かないはずの死体が動く。死んだはずのスカーが動く。さっきまでとはまったく違う強大で莫大な魔力を放ち、ゆらりと立ち上がって、
『GRAAAAAAAA――――!!!』
咆哮をあげる。何かが違う。まるで中身が変わったかのように先ほどまでとは違う知覚不能の速度でアルフの前へと現れる。アルフが何とか動こうとする前にその右手を踏みつけてへし折った。
「ガアアアア――――!!!?」
それでもアルフは見た、どこからかスカーの死体に魔力が送られてきていることを。何かがスカーの死体を操っていることを。
だが、わかったとしてアルフには何もできない。
(ああ、くそ、これで、終わり、かよ)
ここまで来て終わりなのか。アルフは動けない。動こうとしても身体は満足に動かない。
動かないアルフを殺そうと、そのままスカーが頭を咥えて噛みきろうとしたその瞬間、
「あああああアルフせんせえええええええええええ!!!」
凄まじい衝撃を撒き散らしながら、ミリアがスカーへと突っ込んだ。スカーを吹き飛ばした。木々をなぎ倒しながら吹き飛んでいくスカー。
それはバラバラになるような衝撃。普通ならば死ぬはずの一撃だった。だが、スカーは立ち上がる。全身から血を撒き散らしながらもまるで痛みを感じていないかのように頭から矢を生やしながら立ち上がった。
突っ込んでくるが、ミリアはそんな場合ではないと
「アルフせんせー! 大丈夫! 生きてる?!」
ぶんぶんと、アルフを振り回す。それじゃ、逆に死ぬ。だが、アルフはそれすらいえないほどに満身創痍だ。
辛うじて、生きていることだけは示す。
「良かったあー! じゃあ、ちょっと待っててねアルフせんせー! ぱっと、倒して来るから、それ飲んで待ってて!」
そう言って一本の瓶をアルフの彼の前に置いて、彼女は突っ込んでくるスカーへと向き直る。その背の巨大な斧に手をかけて引き抜く。
そして、その姿が掻き消えた。
「りゃあああああああ!!!」
現れたのは突っ込んできていたスカーの背後、轟、と音を鳴らして大斧が振るわれる。周囲の木々を薙ぎ払い、それはスカーへと迫った。
死んで何者かに操られているスカーは魔法を使ってそれを受け止める。グレーウルフの魔法灰色の風が吹き荒れて大斧を受け止めて弾く。
このように魔物はただの怪物ではない。その身に宿った魔力を用いて、力を使うことが出来るものが魔物と呼ばれる。
灰の風。これがグレーウルフに与えられた魔力の恩恵。灰色の風を操ることが出来るのだ。風の刃くらいしか使い道がないそれも、今や操られている為かその力はミリアの大斧を防ぐほどになっていた。
だが、防がれるや否や返す要領でミリアは二撃目を放つ。しかし、それもまたスカーが纏う灰の風によって防がれ逆に灰の風がミリアを襲う。
それにミリアは笑みを浮かべて、二撃目を弾かれた勢いに身を任せて身体の回転を利用させて大斧を薙ぐ。大地が爆ぜたかのように土を巻き上げる。
「っう、相変わらず、滅茶苦茶だな……」
身体を引きずり、瓶を一飲みしたアルフがそう呆れたように呟いた。
瓶の中身は回復薬と呼ばれるものだった。糞苦いどろりとした粘性の強い淡緑色の液体を嚥下すると、アルフの傷の全てが治って行く。
回復薬はその名の通り傷を回復させる魔法薬だ。錬金術と呼ばれる魔法分野の技術によって作られる高級品であり、これを買えるのは一流の冒険者だけだ。
アルフも一応、粗悪品レベルの安物ならば所持しているがミリアが置いていったのはそんなものではなかった。
回復薬の中でも最上位の最高級品だろう。アルフが数十年以上も働いてようやく一本買えるか買えないかくらいの代物だった。
その効果は劇的だ。アルフの全ての傷がたちどころに治癒してしまう。後遺症もなく全快。先ほどまでぼろぼろだったのに今や爽快感すら感じるほどだ。味覚だけは酷いまずさを主張し続けているが。
「……どうせ、金払うって言っても受け取ってはくれないんだろうな」
それを感じつつ呟く。きっと、払うと言っても困っている人、助けを求める人、命の危機に瀕している人をシルドクラフトの冒険者は絶対に見捨てない、だから、渡したとでもミリアは言うだろう。
それは他ならぬアルフが教えたことだった。だから、それを言われてしまえば何も言い返すことはできないのだ。
「もうすぐ、終わるな」
轟音が上がり、土煙が上がる。月明かりに大斧が照らされ、その軌跡が輝いている。灰色の風は、その全てを受けているように見えるがそうではない。
アルフでは超高速で戦う彼らの動きを目で追うことなどできないが、それでもわかることはある。
辺り一面に撒き散らされる血の雨。それはどちらかが傷ついていることを教えてくれる。ミリアではない。それだけは確信できる。
傷ついているのはスカーだ。あの州級冒険者であるミリアが村級でしかないグレーウルフの名付き程度に負けるはずがないだろう。
何より他ならぬアルフ自身が指導した。その際に彼女の強さは身に染みてわかっている。アルフが必死で身に着けた技術を軽々とただの力で凌駕していく彼女らの戦いは、すぐに終わる。
結局のところ、より強い方が勝つのだ。
「りゃあああ――!!」
ミリアの声が木霊する。巻き上がる土煙を切り裂いて上空へその姿を現した。輝きを帯びたその超質量、超重量を彼女は、ただ叩き付ける。
下手な技術などいらない。技術は力のない者が強くなるために身に着けるものだから。素手で山を割ることが出来れば、丸腰で竜に勝てるのであれば技術など必要ないだろう。
ゆえに、それは決着の瞬間だった。スカーへと叩き付けられた大斧はその頭蓋を叩き潰し、その身体を真っ二つに両断した。
地面は割れ、その衝撃波アルフにも伝わってくる。決着。隠れていたレオたち三人にもその事実はわかった。それだけの衝撃だったのだ。
「にひっ、終わりました!」
そんなミリアは、血の付いた斧を振るって血を落とし、そう言ってアルフの下へとやって来た。
満面の笑顔を浮かべている彼女は、名付きの魔物を倒したとは思えないほどの穏やかさでアルフを助け起こす。
それから何かに期待したようにミリアはアルフを見上げる。
「ああ、助かったよ」
だから、アルフはそう言って、彼女の頭を撫でた、指導時代を思い出しながら。
「すげえー!」
「凄かったっす」
「すごかた、です」
「え、っとぉ――」
そんな様子を見ていたレオたち三人は、終わったとわかるや否やミリアへと駆け寄って来た。恐怖などミリアの戦いを見てすっかり忘れたと見える。
高ランク冒険者の戦いを間近で見れたのだ。冒険者を目指しているレオはもちろんのことハッサンやサミュエルまで興奮した様子で彼女を取り囲んでいる。
それにミリアは、少し困った様子を見せる。こういうのには慣れていないのだろう。
高ランク冒険者をしていると付き合うのはほとんどが依頼人であり、彼女よりも年上だ。こんな子供たちに純粋なまなざしを向けられたことなど少ないのだろう。
だから、今まで戦っていた時の勇ましさはどこへやら、アルフに助けて下さいとでもいうような情けない視線を送ってくる。
それにやれやれと、アルフは思いながらも言う事があるので腰を落として彼らに目線を合わせた。
「さて、ミリアに詰め寄るのは後だ。お前ら、どんだけ心配したと思ってんだ」
「う……」
「あーあー」
「うぅ――」
そう言われた彼らは先ほどまでの興奮はどこかへと吹っ飛び、ばつの悪そうな表情になる。心配をかけたことはわかっているし、目の前の男がどれだけ自分たちの為にしてくれたのかは見ればわかる。
だから、ばつの悪い表情をしておずおずと、
「ごめんなさい」
そう謝る。
「もう二度とするなよ。あと、シスターの説教があろうだろうがきちんと受けるんだぞ」
こてんと一発ずつ額を叩いてやってアルフはそう言った。
アルフは実感する。これで本当に終わったのだと。そう息を吐いたのであった。
10話に関してはもうしばらくお待ち下さい。