第8話 剣聖と竜人
魔物に追われている最中、レオは、どうしてこんなことになったのかと後悔の渦中で、こうなった経緯をさながら走馬灯のように思い起こしていた。
始めはただの好奇心だった。ただの出来心であったのだ。それがこんなことになるだなんて彼らは思ってもいなかった。
全ての始まりは一人の男に行き着く。
孤児院の前で遊んでいる時に出会ったローブにフードという如何にも怪しげな姿の男に道を尋ねられたので案内してやると、その男からお礼として地下水道にある外に続く道の話を聞かせてくれたのだ。
男の話によれば、そこを通れば安全にリーゼンベルクの外に出ることが出来るという話であった。
都市の外は如何に冒険者たちが常日頃から魔物を狩っているとは言っても、盗賊など危険が多い。それに対抗する力を持たない子供は街の外に出してもらえない。
都市の外を噂や酒場の冒険者たちの冒険譚、吟遊詩人たちの英雄譚でしか知らない子供たちにとって街の外という場所は憧れの場所でもある。
そんな場所に安全に行けるとあれば、子供ではその好奇心には勝てないだろう。それが危険であることは知っていてもだ。
そこがどんなに危険な場所であろうとも、話の中では冒険者たちが華麗に戦う物語の舞台。子供たちにとっての憧れの場所であるのだ。
レオはいつか冒険者になると言う夢を抱いていた。
だからこそ、この程度の冒険が出来ないでどうするのだという子供特有の考えでハッサンとサミュエルと共に外へ出ることに決めたのである。一人でないところが子供らしい。
その計画は、一週間ほど前から練られ、いつも目聡くレオたちが何かしようとする度に現れるシスターがいなくなる定期浄化の日に決行することに決めていたのだ。
丁度良く、市場に出ることが出来る日。奇しくも、街の外に行くための旧水道の道は奴隷市場の裏通りから地下水道に入った所にある。
目を欺くべきはシスターである。本当は日中に市場で散策している時にやる計画であったが、レオたちが何かをたくらんでいることを悟ったシスターがアルフを雇ったことで変更せざるを得なかった。
レオが物心ついた頃からあの孤児院で手伝いをしてるが、その頃からまったく変わらず冒険者ランクが街級の雑魚冒険者である彼を撒くことなど、実際はどうあれ簡単で、計画通りレオたちは地下水道へと誰にも見とがめられずに入ることが出来たはずなのだ。
だが、シスターに貼りつかれてはそれも不可能。だから、一度逃げ出して、それがさも目的でしたとでも言わんばかりに怒られてシスターたちが夕飯の用意をしている間にこっそりと抜け出したのだ。
作戦はうまくいった。そのまま裏通りへ入り男に言われた通りに存在した地下水道への入口へ入ったのだ。
過去の魔法使いの魔法によって作られた継ぎ目すらない壁は、長年の使用と水によって苔むしており薄汚れている。歩けばたむろしていた鼠や虫が逃げ出す。
冬明けということもあって、流れる水量は多いものの最近は雨が降っていないために水音は静かに流れていく。
地下であるため暗く、光源虫と呼ばれる虫を入れられているというローブの人物から貰ったランタンがなければすぐ近くですら見通すことはできないだろう暗闇に少しばかり恐怖を感じて、
「うぅ、だいじょうぶ、かなあ」
泣きそうな声でサミュエルがそんなことを言う。
「へいきへいきって。あの人も言ってたろ。この道は子供しか通れない代わりに魔物は出ないって」
「うぅ、ほんとうかなあ」
サミュエルが見る限り、この道が子供しか通れないようには見えない。だが、初めての冒険に対して興奮しきっているレオはそんなことにすら気が付いていない。ハッサンもどうようである。
「灯りさえあれば大丈夫って言ってたっすから大丈夫だって。サミュエルは心配し過ぎっすよ。ね、兄貴」
「ああ、いいから、俺について来い。お前も外は気になるだろ」
「う、うん」
しかし、サミュエルも外は気になるので、二人の言葉を聞いているうちにそんなことは次第に忘れてしまった。
「よし、じゃあ、行くぞ」
三人はレオを先頭に言われた通りに道を歩く。このような場所にはたいてい蜘蛛やネズミといったものの多いが、それ以上に水という多量に魔力を含むことのできる物質が流れているだけあって非常に魔物も多い。
しかし、魔物の気配はあれど、姿は見えない。襲ってくることはない。薄い壁の向こう側にいるという
近くにいるような気配はあるのだが、三人を避けているかのように近寄ってはこない。どうやらあの男の話は本当のようであった。
子供の足では二時間ほどかかったものの、三人は無事に城壁の外に出ることが出来た。
すっかり辺りは日が暮れかけているが、夕日ははるか遠くまで届きわずかな間ながらも大地の全てを見渡せる。
雄大な山脈、その麓まで広がっているように見える平原、青々とした森。何よりも話に聞いていた以上に輝いて見える。
それらは話に聞く以上にとても新鮮にレオたちの目に映った。暮れかけた夕日は平原を朱に染め上げている。
「すげえ……」
そんな言葉が自然と口を付いた。ずっと、それらを日が暮れるまで見続けていた。すっかりと日が暮れてしまい、月明かりが辺りを照らし出した時だった、
「おやおや、無事に出て来れたようですねえ」
目の前に安全に外に出ることが出来る道を教えてくれたローブの男が現れたのは。
「あ、ローブの兄ちゃん! 兄ちゃんに聞いた道、魔物出なかったぜ!」
レオは、さっそく彼にそんな報告をする。
「ふふ、それは良かった。きちんとランタンは持って行っていたのですよね?」
「おう、ちゃんと持って行ったぜ!」
言われた通りにやったぞ、とランタンを掲げて見せる。ローブの男はそれを受け取って何やら確認すると、
「ほうほう、それは上々。試した甲斐がありましたね」
そんなことを小さく呟いた。
「? なんの話だ?」
「いいえ、なんでもありませんよ。ああ、そうだ。ここまで来たのですから、ついでです案内しますよ。良い場所があるんです。ついてきて下さい」
「おう!」
レオは彼についていく。地下水道の話が本当であったために疑うということすらしない。
レオがさっさと行ってしまったので、ハッサンとサミュエルはそれについていくしかない。
男についていった先は、森の奥であった。それほど歩いたわけではないはずであるが、気が付けば最奥とも呼ばれる広場にいた。
「え? あれ?」
流石のレオたちもその異常には気が付く。森の最奥は、木々が天を覆い夕暮れ時であることもあってそこは既に夜のように暗い。
いや、既に日は落ち、今や魔物の時間。
子供でも分かるほどに地面や木々から湧き上がる魔力は、ここが森の最奥であることを伝えているし、それによって魔物が活性化しているのがわかる。
レオたちの本能が警鐘を鳴らす。逃げよう、そう二人にレオが伝えようとした。
――だが、遅い。
――恐怖が姿を現す。
片目の潰れた傷顔の巨大な狼の魔物――グレーウルフが唸りをあげて広場へと躍り出る。
レオたちなど一飲みにできるほどの巨躯の怪物は、森中に響き渡る咆哮をあげた。
あまりの迫力、恐怖に三人はへたり込む。恐怖にがたがたと震え、ただただ死を待つだけの木偶となる。
「さて、実験は君たちのおかげで成功だ。だが、そのおかげでこういう、口封じの手間もあるわけだが。
そういうわけだ、君たちのご褒美をあげよう。冒険者になりたいのだろう? ならば、これくらいの相手と遊べるようにならないとなあ――やれ、生かして帰すな」
それに対して、実に滑稽だと笑うような口調の男。それが命じるままにグレーウルフは哀れな少年たちに牙を剥いた。
悲鳴が森を貫いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
リーゼンベルクへと続く街道を歩く二人組。長い金髪を背中側で三つ編みにした軽い皮の胸鎧を纏い腰に剣を吊った小さな子供のような男――ランドルフと対照的に背がかなり高い人型の竜である竜人の男――ゼグルド。
ランドルフは気軽な雰囲気で、ゼグルドは少しばかり緊張した面持ちで歩いていた。
「いや、お前ってすげーのな。流石は竜人って感じだ」
「そ、そうか?」
「そうだって、そんな重そうな大剣を軽々とぶん回せるんだもんな」
まあ、俺もできるけどー、とランドルフは言う。細腕で、子供のように見えるランドルフではあるが、それでもリーゼンベルク王国に現在九名しかいない王国級冒険者だ。
それくらい軽くできるだけの力は持っている。だが、竜人は素でそれだけの力を持っているというのだから竜人とは恐ろしい種族だ。
「う、うむ、ランドルフ殿も凄まじい、剣技だった」
途中何度かわざと敵の攻撃に当たりに行っていた気がしたが。
「ハッハッハ、それほどでもねえけどな! ん?」
「ランドルフ殿? む――」
和やかな会話の最中、不意に二人の鋭い感覚は森の異変を感じ取った。
「…………」
既に日も暮れかけという時間。街道から少しばかり離れた森には魔物が出る。森の奥地には魔力だまりがあり、強力な魔物が出るのだ。夜が近づく時間ということもあって魔物が活性化している。
森の外縁の広場辺りならばまだそうでもないが、奥地は人外魔境と言ってよい。森のざわめきは当然のことではあるが、不穏な気配はそこから漂ってくる。
漠然とした予感。何か悪いことが起きているのかもしれないという予感。
「ど、どうするランドルフ殿?」
「そうだなあ……」
何が起きているのか。それを知る術はない、見に行かない限りは。
「良し行くか」
ランドルフは、葛藤すらなく森の中へ入ることに決めた。己の予感、己自身の思うべきことに従うべし。自分の中に定めたルールだ。
「う、うむ」
二人は森の中へと入って行った。
まず感じたのは違和感だ。この辺りに土地勘はないゼグルドであるが、森など似たような場所はリーゼンベルクに向かうまでの旅の中で通ってきた。
それらの森とこの森は異なっていたのだ。土地勘のあるランドルフもいつもの森との違いを感じている。明確な違和感だ。
まず、獣がいない。深い森だ。それなりの豊かであるし、生物も豊富だろうことは、見るだけでわかるが、生き物がまったくと言ってよいほどいないのだ。
小さな昆虫すらいない。明らかにそれはおかしい。それをゼグルドもランドルフも知っている。強者がある領域に入ると、一斉に弱い者が領域から逃げ出して領域は静かになる。それと同じ状態。
つまり、この場にはそれだけ強者がいるということ。ランドルフはそんなものが出たという話は聞いた覚えがなかった。
朝には一応、この付近の魔物の出現についてギルドで情報を集めることにしている。この近辺に森の生き物が逃げ出すほど強大な魔物が出たとは聞いていない。
ランドルフとゼグルドはいつでもその己の得物を抜けるように手をかける。
そのまま警戒しながら進んでいるが魔物は出てこない。森の生き物を逃げ出させるほどの魔物ならば気が付いていてもおかしくないはずだ。
ランドルフとゼグルドの侵入はバレているはずだが、出てこない。
何か別の獲物でも狙っているのか。
「……日が暮れてしまった、な。ら、ランドルフ殿、何もないけど、気のせいだったのか? でも、確かに異変は起きているみたいなんだが……」
「さて、どうしたもんかねえ。何も起きないってのは不気味だ」
さて、どうしたものか。とりあえず奥地まで行って何もなければ戻ろうかともランドルフは考える。
「暗くなってしまったし、最奥まで行って何事もなければ、も――」
その時、咆哮が森を貫いた。びりびりと木々を震えさせるほどの咆哮。圧倒的強者の咆哮が、森を貫いた。
森の最奥から響いてくるそれと、もう一つ。風に乗って聞こえてくるのは、子供の悲鳴だった。
「――!!」
「行くぞ!」
ランドルフが駆ける。ただの一瞬でトップスピードまで加速。森の中の木々を避けながらも速度は落とさず、むしろ更にあげて進む。
まるで木が避けて行っているかのようにも感じる。人間離れした脚力はランドルフの身体をただ一陣の風へと変えた。
それと同時にゼグルドは即座に足に力を入れる。地面を抉る勢いで蹴りだし、さながら砲弾のように森の木々をなぎ倒しながら最奥へと向かう。
竜人族の脚力によって、一瞬のうちに景色が背後に流れていく。それほど時間がかかることなく彼とランドルフは森の最奥へと辿り着くことが出来た。
そこで見えたのは、巨大なグレーウルフに今にも丸呑みにされそうな三人の子供たちであった。
「チィ!
「おおおおおおおお――!!」
このまま行っては間に合わないと判断したゼグルドは、竜人族としての権能を発する。瞬間、巨大な火柱が子供たちを包むように生じた。
そんな突然生じた火柱に、当然ながらレオたち三人は困惑する。さらに、目の前にグレーウルフから立ちふさがるように立ったゼグルドに驚きの声をあげる。
それも当然だろう。いきなり話の中でしか聞いたことのない竜人が出てきたのだ。これで驚かないのは、よっぽどの馬鹿か、アホくらいのものである。
「え? え?」
「逃げろ!」
「ど、ドラゴン!?」
「竜人だよ!」
「逃げろ、人の子!」
「いいからいけっての!」
グレーウルフをけん制するランドルフも叫ぶ。何が何だかわからないと言ったレオであったが、助けられたということはわかった。
だが、それについて礼を言う前に、
「に、逃げるぞ!」
「すたこらさっさー!」
「う、うん!」
三人が逃げ出す。死の恐怖が三人の背を押したのだ。ただ逃げる。一目散に、とにかくこの場所から逃げる。
無論、それをローブの男が見逃すはずがない。
「おやおや、まったく千客万来だ」
「てめえ、何者だ?」
「答えると御思いで?」
「いや、だから力ずくで聞いてやるよ」
ランドルフが剣を抜く。清廉な澄み切った濁りも淀みもなにもない闘気が放たれる。剣が放つ剣気は流麗な水のよう。
その刃はただの鋼でありながら水に濡れたように輝いている。
ゼグルドもまたその竜骨の大剣を抜いている。無骨な大剣。そこに宿るのは古の魔力。竜が持つ強大な魔力。
磨き上げられた骨の光沢は業物の刀剣に勝るとも劣らない。その無骨な輝きが月明かりに煌めいている。
どちらも実力は高い。そんなものを相手にグレーウルフと男だけで勝つなど不可能。
「やれやれ大変だ。剣聖に竜人とは……。ですが、まだ手はあるのですよ」
ローブの男が指を鳴らす。それと同時に、空間に歪みが生じる。莫大な魔力が空間に穴をあけようとしてとしていた。
それに反応したのはゼグルドだ。
「やらせないぞ」
走り込み、歪みに大剣を走らせたゼグルドによって魔力がかき消される。
竜種の骨にはその強大な巨体を支えるための強靭さのほかに、様々な力がある。ある一定以下の魔法をかき消すと言った力だ。今見せたのがそれ。
「相変わらず、竜人族の竜骨の大剣は厄介ですね。まったく、変わっていないようで何よりです」
しかし、男は余裕を崩さない。そんな、左手を背に隠した男をゼグルドとランドルフは注意深く観察する。男の一挙手一投足を視る。男の意図を見逃さないように。
「ふふ、良いのですか。私のみに集中していて」
「なんだと?」
「子供たち、スカーを送り込みましたよ」
「なに!」
「馬鹿、陽動だゼグルド!」
だが、男の言葉にゼグルドが反射的に子供たちを助ける為に振り返ったその瞬間、
「甘いですよ」
ゼグルドのその無防備な背へとローブの男が魔法を放つ。必要なはずの詠唱すらなく、一瞬のうちに生じた漆黒の刃がゼグルドへと迫る。
振りかえった姿勢では避けることが出来ないだろう、普通であれば。しかし、竜人族は普通の人族ではない。
竜人の証の一つである尾を振る。その勢いに身を任せて身体を回転させて、そのまま竜骨の大剣を振るう。刃は竜骨の大剣によって全て霧消した。
その間に、飛ばされた男にランドルフが走っていた。
「お前は、子供たちを追うんだ!」
ローブの男は自分が相手をするから、お前はまずは子供たちを助けるべきだ。そうランドルフが言う。斬撃を放つ。剣聖と呼ばれる男の斬撃は男に向かう。
「わかった!」
ゼグルドは頷き火柱をグレーウルフに向かって放つが、隻眼であることを感じさせないほどの動きでグレーウルフはそれを躱す。
ランドルフの一撃を受ける男は笑って、指を鳴らした。
「――っ!」
刹那、消える男。そして、男が現れるのはゼグルドの背後だ。
「本当に、あなた竜人族ですか? 命令されて子供を優先するとか甘いと言っているでしょう」
ゼグルドは咄嗟に、横へ転がるようにして躱す。
鋭い金属音。何かが閉じたような音が響く。巨大なトラバサミが地面から生じていた。一瞬でも飛び退くのが遅ければ胴体が真っ二つになっていただろう。
「く、邪魔をするな!」
「邪魔なのはそちらなのですよ」
ローブの男が長剣を抜く。右手を前に構え、左手は身体の後ろへ。そのままの姿勢でゼグルドへと切りかかる。
それを大剣で受け流し、横薙ぎに大剣を振るう。轟音と響かせて、大気を切り裂いた剣閃は、されど当たらない。
後方へと飛び退いたローブの男はそのまま左手からナイフを取り出して投擲する。三本のナイフが飛翔する。
それらは真っ直ぐにゼグルドへと向かう。小さなナイフ程度ゼグルドの竜麟を傷つけることはできないだろうが、
「おおおおおおお――――!!!」
ゼグルドは咆哮をあげて、それらを弾き飛ばす。
ローブの男はニヤリと、笑った。
左手の指を引く。その瞬間、四方へと弾き飛ばしたナイフが意思を持ったかのようにゼグルドへと飛翔を開始。
魔法による物体操作。男の左手に生じた円形魔法陣がその証拠である。軒並み視界から飛翔するナイフ。それを切り裂いたのはランドルフ。
「お前の相手は俺だって言っただろうが!」
言葉少なく放たれる斬撃は飛翔する全てのナイフを砕く。その間に、男は次の行動に移っている。
「開け、出ろ」
ただの二言によって生じるは結果。
普通ならば魔法言語による詠唱によって呪文を生じさせなければならないはずの魔法をこの男は、詠唱という必要な工程を省いて、呪文すら生じさせずに結果だけを捻りだす。
巨大な門がそこに生じる。男がそこに飛び込むと同時に、それは姿を現す。
剛腕が振るわれた。竜人をして、王国級冒険者をして避けなければならないと思わせるほどのそれ。かつて失われたはずのもの。
巨人鎧と呼ばれる魔物が姿を現した。大鎧だ。長い年月を経た巨人の鎧が自らひとりでに動き出すことがあるというそれ。それが数十体も。しかも、圧倒的存在感があるはずなのに気配を感じないという厄介な魔物。
「さて、終わらせよう。どうにも、大食いが近づいているようだし。まあ、この場合は、仕方がないだろう。あの方も許してくださるさ。おかげで、一つ手間が減った
――だから、ここからはオレの時間だ」
門の中で男はそうランドルフとゼグルドに告げる。
『オオオォォォォォォオオ――――!!』
振るわれた剛腕が全てを薙ぎ払う。
避けたその隙に男はランドルフに向かって刃を振り下ろしている。雰囲気が武人のそれに代わり、剣技でランドルフに追従する。
「こいつ、いきなり動きが!」
だが、斬り、突き、払い。巧みに織り交ぜて放たれる斬撃。これほどの使い手がいるのか。捌ききれなかった攻撃が少しずつ身を削って行く。
そんな驚きの中でランドルフが感じるのは快感だった。そして、ああ、そうこれこそが望んだものだと言わんばかりに知らず笑みを深める。
「ああ、くそ、そう言う場合じゃねえってのに」
――剣閃が煌めく。
そこには何もない。普通ならば存在するはずの魔力の青い輝きすらなく、武神に祝福された形跡もなくそれらしい技も何もないというのに、ただの一撃は男を吹き飛ばし巨人鎧を数十は消し飛ばす。
数は力である。だが、圧倒的な質においては意味を成さないことをランドルフという男は自ら体現していた。
しかし、無限に湧き出す巨人鎧。もはや最初の数百すら超えて生まれる。ランドルフによってつぶされていくが増殖は止まらない。
完全にここに釘付けにする作戦。子供たちを追いたいが追えない。ご丁寧に追おうとすれば即座に街へ向かおうとするそれを止めている隙に別の奴らが子供たちの方に向かう。
それを潰せばまた街の方へといういたちごっこ。それはゼグルドの方も同じで。別の場所で同じことが起きていて二人とも身動きが取れない。
ランドルフが本気を出せば一瞬で全てを斬り捨てることが一応は、可能だ。だが、それをすればリーゼンベルク城壁すら巻き込んで両断しかねないし、何より子供たちも巻き添えになるだろう。
斬撃が当たらずとも衝撃だけで子供は死ぬ。それだけの力の差がある。だからこそ、チマチマと潰すしかなく。
笑みを浮かべていた顔は陰る。
「…………」
「く、この!」
その上、自分と同等の実力を持つかもしれないローブの男の相手をしなければならない。傷を受けるのは大歓迎ではあるが。
「おいおい、くそ厳しいな!」
どうやっても子供を追わせない作戦。物量をうまく使ってランドルフとゼグルドの足止めに終始する。嫌な相手だった。
リーゼンベルクにいるベルの力を信じてリーゼンベルクに巨人鎧を向かわせて、こちらは子供たちを追うという選択肢もあった。
だが、そんな選択をランドルフは選べない。ベルだって一瞬で襲ってきた全ての巨人鎧を破壊することはできない。巨人鎧にはばかげているレベルで高い魔法耐性があるのだ。
まだリーゼンベルクの外には街に入りきれず野営している人たちもいる。そんな人たちがいる中で巨人鎧を破壊できるほど高威力の魔法を放てば巻き添えで野営している人たちは蒸発だ。
障壁を張りながらでも彼女ほどの魔法使いならば魔法は使えるだろうが、片手間で殲滅できるほど巨人鎧は甘くはない。
魔法耐性を貫くほどの魔力を込めなければならない。流石のベルでもそれには全力を出さなければならず、そうすればやはり野営している人たちは助からない。
だからこそ、ここを動くわけにはいかなかった。竜人との役割分担も考えたが、ゼグルドとは距離が離れすぎている。
近づいて相談したいが、そんなことをさせてくれるほど相手は甘くない。近づこうとすれば巨人鎧が壁になり、それを斬ったところにローブの男が待ち構えている。容易に近づけない。
そもそも新人である彼に一人で何かをやらせるのはどうだろうか。緊急事態とは言えども彼は新人なのだ。
如何に実力があろうとも新人だ。未だ冒険者ではない彼を一人にするわけにはいかないだろう。
「けどまあ、なんとかなるか?」
近づいてくる、というか半ば飛んできているような何かの気配。それは見知ったものだ。師匠の気配。彼が動くならば大丈夫だ。
「だから、俺はこっちってね!」
ランドルフとはまた別の場所で剣を振るうゼグルドも同じ状況になっていた。権能を用いて焼き殺すことはできない。それをやるには本気でやらなければならないが、森が燃えてしまう。
そうなってしまえば子供たちも焼いてしまうことになる。だから、一つ一つ丁寧に破壊せねばならなかった。
「人の子、頼む、生き残っていてくれ」
本当ならば子供を襲いに行ったグレーウルフを追いたい。だが、それは出来ない。そうしようとすれば街に向かう。
それが無理だとわかっていながらも、ゼグルドは祈らずにはいられない。自らの危険などどうでも良い。ただ、子供たちの安否だけが気にかかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「はあ、はあ、はあ!」
息も絶え絶えに、レオたちは森の中を走っていた。魔物相手に未だに子供が捕まって喰い殺されていないのは、ひとえにゼグルドのおかげであった。
彼が放った火柱は確かにグレーウルフを傷つけはしなかったが、それでも足止めにはなったのだ。だからこと、いまだに彼らは生きていられる。
だが、それもここまでであった。もうすでにグレーウルフは背後に迫っている。子供の足では、これ以上逃げることなどできはしない。
もう限界なのだ。死の恐怖。それが体力を奪っている。極度の緊張は、肺に酸素を取り込むのを邪魔させる。
もう逃げられない。走れない。苦しい。それでも、死にたくないから走る。願うのは誰かの助けだった。誰でもいい。誰でも良いから助けてほしい。
彼らは願った。何よりも。
それを神は見捨てない。願う者を、助けを求める者を、彼の守護聖人は見逃さないように。
その瞬間、背後で飛びかかろうとするグレーウルフに何かが突っ込んだ。
もつれ合うかのように吹き飛ばされたグレーウルフ。レオたちには何が起きたのかわからない。土煙が辺りを覆う。その中に動く影がある。人型のそれ。月明かりが差しこみ、その姿を映し出す。
それは、レオたちが良く知る人物であった。
「――っぅ、投げろとは言ったが、あいつ手加減なしで投げやがったな! あれが堅い魔物だったらどうするつもりだったんだよ、おい!」
短刀、片手に、土煙の中から姿を現すのは、一人の男だった。
冴えない男。どう考えても強いとは思えない男だった。だが、それでも、レオたちにとっては、彼は救世主に他ならなかった。
まるで、物語の中の英雄のように出てきた男は良く知る男だ。
「あ、アルフ!?」
「よう、無事か。つぅ、体中がいてえ。下がってろよ。お前ら。まだ終わってねえ。その木の影から動くな、絶対にだ」
そう言って、アルフはレオたちに背を向ける。注視するのは土煙の向こう。土煙が風にのって、いや、咆哮に引き裂かれる。
姿を現すのは、わき腹に深々と長剣の刺さったグレーウルフ。だが、その姿は手負いのそれではない。圧倒的強者のそれだ。
アルフは油断なく、短剣をグレーウルフに向ける。
「隻眼のグレーウルフ……スカーか。名付きか。ツイてないぜ」
そうぼやきながら油断なく、アルフはグレーウルフを見る。視線を外さず、瞬きすらせず、呼吸も同じく。ただ、グレーウルフの一挙手一投足を注視する。
グレーウルフもまた同じであった。突然の闖入者。自らのわき腹に深々と剣を突き刺してくれた男だ。まったく強いとは思えない男。
されど、グレーウルフに油断はない。相手の眼がそれをさせない。追いつめられた獣の眼だ。何をしてでも子供を守るという母の眼だ。
いつか見た、母親と同じ目。それの厄介さを彼は良く知っている。そういう相手はしぶとい。例え、腕を切ろうが、腹を裂こうが、最後まで抵抗してくる。
この眼を抉った奴のように。ゆえに、グレーウルフ、いやスカーには油断はない。四肢に力を込めて、いつでも飛びかかれるように力を漲らせていく。
一瞬の静寂。風も止み、まるで時が止まったかのよう。だが、それも一瞬。次の瞬間には、互いに動く。身を低くした両者がまったく同じタイミングで飛び出す。
一方は爪を振るい、一方はただ駆け抜ける。
――ここに、戦いの火蓋が切って落とされた。