第6話 孤児院
ところで教会孤児院とは親のいない子や捨て子といった不幸な子供たちの為に教会がつくった施設のことだ。教会のある大きな街には必ずと言っていいほど存在している。
ただ、それほど孤児の数は多いわけではない。このリーゼンベルク王国は比較的肥沃な大地が多いため、生活苦から子供を捨てたり売りに出したりすることもなく、隣国との関係も良好であるため戦争も起きていないからだ。
このリーゼンベルクに貧困街がないことがそれを証明しているが、如何に生活苦から子供を捨てることがなくとも孤児は確かに存在している。
子供が孤児となる理由として一番多いのは親が何らかの理由で死んでいるという場合である。
その多くが怪我や病による死だ。魔法によって治療ができる貴族と異なり、魔法を用いない未だ発展途上である医療技術によって治療しなければならない平民の死亡率は貴族と比べて数倍以上も高い。
魔物による襲撃や災害、流行病などによって怪我を負ったり病気にかかってしまえば、平民にとって死は逃れられないものとなる。
そうやって親を失えば、身寄りがない子供は孤児となるしかない。
また、望まれない子供だから捨てるというのも多い、リーゼンベルクのような大きな街では特に。
なぜならば、大きな街には決まって欲望のはけ口である娼館があり歓楽街がある。
その手の街は、男が女に情欲の限りを注ぐ場所であることを考えれば、望まれない子を孕むことなど日常茶飯事であろう。
堕胎といった行為は宗教的に禁止されているため、子を孕めば生まなければならない。
だが、彼女ら娼婦は、娼婦以外の生き方など知らない。
娼婦であるためには、子供など育ててなどいられない。そのため歓楽街のある街では教会の前に子が捨てられることなど毎日のようにあるという。
他にも、リーゼンベルクのような港町のある都市特有の理由もある。外国船からおろされる子供だ。
別段奴隷というわけではない。時折、奴隷船以外の船から生まれたばかりの子供が見つかることがある。
外国で、貧困や望まれな子を殺すのが忍びないという者が外国船に勝手に乗せているのだ。
そういう子供が発見されると、それが航海中で余裕があれば次の港で下され、余裕がなければ魚の餌にされる。停泊中であれば、停泊中の港町で下され孤児院に託される。
その他にも様々な理由で孤児は出る。そんな孤児たちの遊び相手がアルフの受けた依頼の内容である。
「なんどもすみません」
いつものシスターがやってきたアルフにそう言う。
「いいや、別に俺も子供は苦手ってわけじゃないからな」
「今日は市場にみんなを連れて行こうと思ってまして、生憎今日は私しかいないので困ってしまってて」
本当、こまったわ、と頬に手を当てるシスター。
「そのための冒険者だ」
「ふふ、頼りにしてます」
いつも以上に気合いを入れてアルフはいつもと同じ、見知った六人の下へシスターと向かう。
孤児院の通路を一人で奥へ奥へと進めば、遊び場である塀に囲まれた広場に着いた。子供たちの遊び場である。
そこに生えている木に登っている生意気そうな少年が目聡くアルフを見つけて声を上げた。
「あ、万年雑用のアルフだ! なんだよ、また来たのか? そんなにシスターの姉ちゃんに会いたかったのか?」
そう言って彼は手で弄っていた果物を齧る。
「こら、レオ。アルフさんに失礼でしょ」
「まあまあ、ようレオ。お前は相変わらずだな」
名前はレオ。この孤児院一の悪がきだ。アルフも何度も悪戯されている。
その度に大人げなく追い回すものだから、すっかり悪戯が病みつきなり、アルフを当然のように下にみているのだ。
「当たり前だろ。俺は冒険者になって英雄になる男だぜ? 万年雑用のアルフとは違うんだよ」
「ほう、ならもう少しいい子にしてるんだな」
「うっせーよアルフ!」
「コラ、レオ!」
シスターの注意などなんのその。自信満々に言い切ったレオが木から飛び降りると二人の少年がやって来る。
彼の取り巻きと彼に付き合わされている哀れな被害者というのが正しい風情の少年たちだ。悪戯三人組とは彼らの事である。ハッサンとサミュエル。それが彼らの名前。
「さっすがは兄貴、どこまでもついていくっす! あ、アルフさんどもっす」
「こら、ハッサン。なぜあなたはそんなに軽い口調なのですか。良いですか、年上の――」
取り巻きの方であるハッサンは慣れた様子でレオにそう言って、アルフにも一応のあいさつをする。といっても本気ではなく、年上だから一応というくらいのような感じだ。
それでもシスターはハッサンを注意する。悪びれた様子もなくハッサンもまたスルー。もう、と頬を膨らませるシスターの姿は本当に妙齢の女性かと疑ってしまう。
「あ、あの、すみません」
そんな彼ら二人に対してサミュエルの方はいきなり謝っている。三人の中で比較的どころか、もはやなんでこの二人と友達なんだレベルでまともな彼はレオの悪戯などを悪いことと思っているが、気が弱いため言い出せないでいるのだ。
そんなサミュエルの頭にアルフはぽんと、手をおいて気にするなと告げようとするが、その瞬間、
「あたっ――!?」
「アルフさん!? こら、レオ! なんであなたは!」
顔面に果実がぶち当たる。まっかな果汁が顔面一面に広がって、大惨事である。シスターがハンカチでふき取ろうと悪戦苦闘していた。
それを見てサミュエルはわかりやすいほどに狼狽してあわあわして慌てるばかり。その果実を無事当てた張本人であるレオは腹を抱えて大笑いだ。
「あははははあっははは! おいおい、アルフ! お前、このくらいも避けれないのかよ! そんなんで良く冒険者やってんな!」
などと馬鹿にしたことを言っていると、
「コラ、レオ!」
シスターの代わりと言わんばかりに少女の怒った声が彼にぶつけられる。見れば、全速力で少女が走って来ていた。
アルフからすれば少女の顔は非常に可愛らしいものであるのだが、レオからすれば鬼の形相にでも見えるのだろう。
明らかに狼狽し、慌てた様子で、、
「――っべえ! アンナだ! 逃げっぞ、ハッサン、サミュエル!」
「逃げるっすー!」
脱兎のごとく逃げ出すレオとハッサン。
「え、あ、えと、ちょ、ま、まってよぉー!」
サミュエルはアルフに謝るか、それとも逃げるかの選択肢の間で揺れに揺れて、結局、アンナと呼ばれた少女が走ってきているのを見て怖くなってしましい追うように二人の下へ行ってしまった。
三人の逃げ足の速さは一級品で、アンナがアルフのところにやって来る頃にはすっかり影も形もなくレオたち三人組の姿はなくなっている。
アルフはそれを追いかけることはしなかった。何かのはずみで孤児院から出て行っては事であるが、アンナがやってきたということもあるし、それほど心配せずともすぐに出て来るので追うことはしない。
アルフの前にやってきたアンナは腰に手をあててもう! と怒っている。十歳という歳の割にすっかりとその姿には子供を持った母親のような貫禄がある。
しっかり者で大人びた風なのは彼女がこの孤児院で誰よりも年長だからだろう。それから、すぐにアルフに向き直って彼女は頭を下げる。本当、良くできた子である。
「もう、子供なんだから。――すみません、アルフさん、レオがまた悪戯して」
「私からも謝ります。本当に申し訳ありません」
シスターとアンナのダブル謝り。そんなことをさせてしまうと逆に恐縮してしまう。
「良いよ、良いよ、前よりマシだから。ありがとう」
それに前よりはマシなのだ。シスターが拭いてくれたとはいえ、まだ残っている顔面にぶちまけられて血のようになってる果汁を自分の服でふき取りながら、前を思い出してそうアルフはしみじみとそう思う。
アルフは毎回来るたびに色々と投げつけられている。
仮にもベテランと呼ばれるくらいには冒険者をやっているのだからいい加減避けれるようになってもいいと思うのだが、どうにもあのレオという少年の投げ方はいい感じに意識の死角をついて来るのだ。
そのため、わかっていても避けれない。これは一種の才能なのだろう。レオは至って無意識にやっているらしいので、本物である。
その才能をいかんなく無駄に発揮して、色々なものをアルフに投げつけてくるのだ。
今回は果汁多めの甘ったるい果物だが、前回は、中々落ちない塗料であったり、あるいは馬の糞だったりと散々なものを投げつけられていたが、最近では果物など可愛い物ばかりで、非常にマシになってきているので、飽きてきたのだろう。
しかし、そうはいってもアンナもシスターも納得しない。
「申し訳ありません」
「本当にすみません」
というか、アンナはアルフと同じように思い出したのか、またも頭を下げる。
アルフとしてはこれはやめてほしいことだ。なにせ、他人から見たらひたすら子供とシスターに頭を下げさせる大人である。
どう見たところで好意的には受け取られることなどないだろう。下手したら衛兵に突き出されても文句は言えない。
実際問題、前に一度市場に子供たちを連れて遊びに行った時に本当に衛兵に連れて行かれそうになったのだ。
その時はシスターによって事なきを得たのだが、留置場とはいえど牢屋の中の居心地を体験してしまった。アルフにしても、アンナにしても、シスターにしても嫌な思い出である。
それでも謝ることがデフォである辺りアンナはしっかり者なのだろう。
「だから、良いって。子供が元気なのは良いことだからね」
まあ、それらを含めても子供がやっていること。むきになって追い回すこともあるが、基本的には気にしない。まだ、この程度ならば可愛いものである。
アルフが子供の頃は、仲間たちと共に野山を駆けまわり、ひたすら村の人たちに迷惑をかけ続けていたものだ。それもあまりシャレにならないようなこともやってきた。
それに比べればここの子供たちはとてもマシで可愛いものなのである。とか、思いつつも投げられたら追い掛け回すあたり、アルフは大人げないのだが。
「すみません。あ、ええと、――では、今日は宜しくお願いします」
「本当、アンナちゃんは良い子ですね。みんなも見習ってくれれば――」
「はい、どーん!」
「――どわっは!?」
「アルフさん!?」
話していると後ろから誰かにぶっ飛ばされる。驚愕するアンナとシスター。地面を滑りながらも背後をアルフが確認すると、ああ、やっぱりかと納得の犯人がそこにいた。
赤いフリルの洋服を着こなした、どことなく気品あふれる偉そうなお子様が偉そうにそこに立っている。
その後ろには、隠れるようにして、このリーゼンベルクでは港町の外国船でしかお目にかかれない長い黒髪で顔を隠した少女。
この場合、犯人はどう考えてもお子様の方である。というか、いつもの事なので、もはや見なくてもわかる。
背後からの接近には気が付いていたが、避けれない辺りアルフである。まあ、子供のやっていることなのだから、避けるのはどうかとも思う。
それに結構な勢いで、ぶつかるつもりで来ているので、避ければこけて怪我をするかもしれない。そう思うと避ける選択肢は必然的に選べなかった。
というわけで、少女のタックルを喰らったわけであるが、
「あら、アルフじゃない。そんなところで寝ているなんて、無様ね」
その件の少女はというと、彼女の中では、アルフにタックルしたことすらなかったことのようでそのまま素知らぬ顔で腕を組んで、そんなことを言ってくる。
「誰かに後ろから押されたもんですからねえ」
「あら、怖いわ。誰かしらそれ」
しらばっくれることも忘れない。イラっとするよりもその豪胆さに感心してしまう。
「ファニアちゃん! アルフさんにそんなことしたら駄目でしょ!」
しかしシスターの方はそうではなく、偉そうな少女――ファニアを叱りにかかるのだが、
「やられる方が悪いのよぉ!」
ファニアは即座に逃走。レオたち三人組を思わせるような脱兎の如き逃走だった。
彼女の背後に隠れるように立っていた少女ラーシャの方は、悪いと思っているのか、ぺこりと頭を下げてからとててとファニアを追って行った。
「もう! すみませんアルフさん」
「ああ、良いっていいって」
このくらいの子供などこれくらいの方が元気で良い、と言いながら服に付いた砂を払う。
それからシスター、アンナと共に、逃げて行った五人を追っかけて集めて今日の予定を伝える。市場に行けるとあって子供たちは乗り気。
今すぐ行こうというレオを昼くらいに行けばいいとなだめて広場で遊ばせる。女の子たちは、シスターとその他三人で寄り集まって何やら相談をしているらしい。
男子禁制とか言われているので、必然的にアルフはレオたちの相手である。
「なあ、アルフ。面白い話はねえのか? お、そうだまた、誰かの武勇伝話してくれよ」
さて、しばらく遊んでいるレオたちを見ているだけであったアルフだったが、遊ぶのに早々に飽きたレオたちがアルフのところにやって来た。
何か面白い話はないかとせがんでくる。
「そうだなあ、もうあんまり話すことないんだよなあ」
「まだあんだろ?」
「ぼ、ぼくも聞きたい」
「あっしもっす!」
三人に詰め寄られてさて、何かあっただろうかとアルフは考える。ほとんど毎日何かしらの雑用依頼ばかりやっているアルフに武勇伝などあるはずもない。
必然的に、彼が話すのは他人の武勇伝になる。それに関してはどういうわけか事欠かないアルフなので、良いのだが正直なところあまり話したくはない。
なにせ、レオたちに話しやすい武勇伝は全て話してしまっているのだ。残っている武勇伝は、アルフがごく個人的な理由からあまり話したくないようなものばかり。
なぜかと言えば、本当にごく個人的なプライドの問題なのだ。なにせ、残っている武勇伝というのが自分よりも年下のものばかりなのだ。
しかも、自分よりも年下で冒険者暦が一年や二年の奴らばかり。それも全てアルフ自身が冒険者の先輩として指導した奴らばかりなのである。
何が嬉しくて、そんな奴らの話をしなければならないのか。そういう奴らを認められないやっすいプライドのおかげであまり話したくはない。
しかし、だ、子供はそんなことは関係ない。
「ほら、早くはなせーよー」
「兄貴の為に早くするっすよ」
「あー、わかった、わかったよ。話してやるよ」
結局、根負けしたアルフは、一番最後に冒険を共にした冒険者について話すことにした。
身の丈以上の大斧を振るうまでに成長した少女――つまりはミリアなのだが――の武勇伝を語る。
伝説の中に語られるようなまさに英雄の如き活躍にレオたち三人は聞き入った。
さて、それを語り終わると。ちょうど六時課の鐘が鳴る。アルフは、全員を集めて老シスターに市場に行くと報告してから子供たちとともに市場へと向かう。通りを二つほど越えたところにあるメインストリートが目的の市場だ。
港から南第一門、南第二門を越えてそして環状道路へと続くメインストリートは、このリーゼンベルク南地区で最も横幅が広く長い通りである。
目的地である市場は南第二区の環状道路と南第二門の間の長い通りに存在している。
数多くの商店が軒を連ね、露天商が自慢の商品を並べては客引きに精を出し、そこを通る様々な客の多くがそれらを眺めては銀貨と銅貨にて支払いを行っていた。
昼時ということもあってか屋台が何件も出ていて、食欲をそそる香りが漂って来ては鼻孔をくすぐる。
その長い長い通りの中で第二門と第三門の間に存在しているこの通りは、リーゼンベルクにおける商業の中心地といっても過言ではない。
広いリーゼンベルクの中で、もっとも活気で溢れている場所の一つであり、金の流れにおける激流区だ。
物の集まりは金の集まりであり、金の集まりは人の集まりである。
そういう場所ということもあって、南区第二門から第三門の間に存在する南第二区と呼ばれるこの区域には多くの物や人が集まる。
港から運ばれ街に売りに出される外国からの品、リーゼンベルク王国の各地方から行商人の持ってきた毛皮や食料品などの物品。
物ばかりではなく、生活雑貨を買いに来た主婦や自慢の商品を売りに来た商人たちなどもそうだ。
しかし、そこに冒険者は含まれない。冒険者の主な活動範囲は、冒険者や諸地方から来る者たちの為の宿屋や食事処、武器防具屋、冒険者ギルドなどが軒を連ねる北地区、より正確に言うならば北第二城壁と第三城壁の間の第二区である。
それに加えて東第二区の職人街が入るか入らないかくらいだろう。
アルフもそれは同じで、商人の街の色が強いこの南側には雑用依頼があった時以外にはあまり来ず、数えるくらいしかこのメインストリートには入らない。
特に彼にはこの市場で買い物できるほどの財力はないため、来ても意味がないということもあるので本当に数えるくらいしか来ない。
そのため、いつ来てもここは新鮮に映る。何より、物の出入りが激しい場所だ。少し来ない期間があればすぐにこの場所はその様相を変えてしまう。
そんな通りの入り口である環状道路前広場に集まったアルフとシスターと子供たち。シスターは早く行きたいとうずうずしている子供たちに待ったをかけて、注意を言い聞かせる。
「いいですか、何度も良いっていますが南第二門と第三門は絶対に出てはいけません。第二門はまだいいのですが、三門を越えてしまうとと貴族街です。私たち平民は貴族様の街には立ち入れないので入ったら首を刎ねられちゃうかもしれません」
シスターの脅しに身体を振るわせる子供たち。
「ですから、絶対に出ないで下さいね。女の子たちはアルフさんと、レオくんたちは私と絶対に離れないように。いいですね?」
ええー、という声が聞こえるがシスターは聞き入れない。というかふつう逆なのではとアルフが想っていると何やら含みのある笑みを浮かべるシスター。
なんだ、と思っているがシスターは答えずに注意を続ける。
「九時課――午後三時――の鐘までには必ずここに戻ってくること。知らない人についていっても駄目です。あと危ないことは絶対になしです。遠くに行くのもなしです」
「わかってるっての、それよりさっさと行かせろよ。腹減ってしゃあねえ」
一々わかってることを言われるのが気に入らないレオはそう言ってシスターを急かす。ちゃんと聞きなさいと言ってから再三に渡り注意をしてから、解散とする。
「よっしゃっ、行くぜ! 二人とも速く来いよ!」
「待ってほしいっす、兄貴ー」
「ま、まってよぉ」
「こら、待ちなさい!」
いの一番に飛び出して行くレオ。それに続くのはやはりハッサンとサミュエルの二人だ。それを追いかけるのはシスターだ。
大変そうだな、と苦笑していると、
「レオなんかに負けられないわ! 行くわよラーシャ! じゃあ、アンナは頑張るのよ!」
「…………」
ファニアも何事かアンナに言ってから駆けだす。ラーシャはぐっ、とサムズアップをアンナに見せてから走って行った。
「待て、お前ら!」
今、離れるなと言ったのにとすかさず二人の手を掴み引きとめる。
「チッ」
「盛大に舌打ちすんな。さて、どこに行く? アンナはなにかあるか?」
「あ、ええと、はい、あの……」
そこで彼女を見ると、服装が変わっていることに気が付いた。
先ほどまでは、孤児院で与えられる着古した古着のような服装だったのだが、今は普通の町娘が着ているのと変わらない服装となっている。少々背伸びした子供のようでほほえましい。
「着替えたのか。似合ってるな」
「あ、えっと、ありがとう、ございます」
褒められたからか顔を赤くして照れたように俯くアンナ。しかし、なんで着替えたのだろうかということにまでは考えが至らない。
そういう年頃なのだろうとして完結させた。
色々と複雑な乙女心がわからないアルフ。ファニアとラーシャはやれやれと首を振っていた。
もちろん、そんなことにも気が付かないアルフはついでとばかりに、子供たちに与えられている金はいくらくらいなのかが気になったのでアンナに聞いてみる。
「そういやあ、いくらくらいもらってるんだ?」
「あ、は、はい、これです」
アンナに聞いてみると、手に持っていた銅貨を二枚見せる。リーゼンベルク銅貨。アルフとしても見慣れたものだ。
「リーゼンベルク銅貨か」
「はい」
雑用依頼の最低相場価格と同等、商館で働く使い走りの少年の日給の約0.8倍の価値がある。食事なし、風呂なしの安宿に一日だけ泊まれるだけの金額だ。
子供のお小遣いとしては少し多めで結構な額であった。
「小遣いとしちゃあ、結構な額だな」
「ええと、シスターが自分で考えて使えって。貯めても良いって」
「私はもちろん全部取っておくわ!」
「…………」
ラーシャも同意とばかりにサムズアップ。
「なるほど」
レオとか全部使っちまいそうだなあ、とかアルフは思いながら、自分もそうだろうなと苦笑する。
「さて、それじゃあ何か食おうかね」
「それが良いわ、私お腹すいたわ。奢りなさいよアルフ」
「こ、こら、ファニア!」
「良いぞ。討伐依頼を受けたからな金は少しはあるんだ。何が良い?」
普通なら奢るなんてあまりしない。なにせ金がないから。だが、子供相手には少しばかり大人の余裕というものを見せたくもなる。
だから、気前よく奢ってやるのだ。
「ふふふん、それくらい下調べはついているのよ! さすが私」
ドヤ顔するファニア。パチパチとそれについて拍手するラーシャ。相変わらず面白い二人である。そんな彼女が指差したのは屋台。
串焼きの屋台だ。何かの肉を焼いている。肉の焼ける匂いとタレの匂いが風に乗って漂って来て食欲をそそられる。
「全員、あれで良いのか?」
「もちのろんよ!」
「…………」
ラーシャも頷く。
「はい、あ、あの奢ってもらわなくても私は自分で」
「良いっていいって」
そう言ってさっさと人数分の串焼きを買って持ってくるアルフ。
「ほれ」
それを一本一本渡す。それなりに量の多い串焼き。肉厚でとても美味そうだった。
「それじゃ、狩猟の神バンクシアに祈り感謝を」
「「「感謝を」」」
一応、教会孤児院の子供たちの前でもあるので軽く神に感謝の祈りを捧げつつ串焼きを頬張る。
肉厚なそれは、なんと魔物の肉であった。噛んだ瞬間に弾けるように肉汁が溢れ出す。外側はぱりっとしていて、中は弾力がある。
味付けは特になく肉本来のうまみだけが、口の中で踊る。一口食べるごとに、噛むごとに、うまみが溢れだしてきて、止まらない。
「うめえ、こんなのあったのか」
「限定品よ! 調べたわ! 下調べしまくったわ! もう屋台なんて見たくないくらいだもの!」
「屋台回って、食ったのか」
「ええ、おいしかったわよ。だから、私お金使いたくないの。わかる?! お金ないのよ! わかるわよね! アルフだもの!!」
「自業自得じゃねえか」
しかし、わかるのが何とも言えない。まあ、それはさておいて味をしっかりと堪能する。
串焼きの肉はおそらくはオーク、それも草食オークの肉だ。オークは基本的に雑食であり、主に肉食の魔物であるため、その肉はとても臭い。
だが、この串焼きに使われているのは草食種と呼ばれる類のオークの肉だ。雑食のオークと違って草食であるため、肉の臭みは薄いタレによる味付けはかなりうまいわけだ。
特に魔物の肉は高い魔力を持っているというその特性上、普通の食肉種の動物の肉よりも美味いと感じる。
魔力がその肉体に影響を与えるのだ。だからこそ、魔物の肉は病み付きになるほどうまい。
そんなことを師匠が言っていたのをアルフは思い出した。
だが、同時に魔物の肉は高い。
魔物の肉が市場に並ぶには、討伐依頼を達成した冒険者が解体し持ち帰ったそれを冒険者ギルドに提出されて初めて市場に並ぶことになる。
当然、流通量は少なく、その分だけ魔物の肉は高くなる。この串焼きは限定のもの。道理で銅貨一枚という普通の串の五倍くらいの値段をしているわけだ。
それくらいの知識はアンナにはあった。だから、
「…………アルフさん、あの、これはいったいいくらですか?」
「えっと、四本で銅貨四枚だな」
「ちょっと待ってくれください。い、いま払います!」
お小遣いの二倍の全額である。変えそうにも既にお腹の中。どうしようもない。おそらくは値引いてこの値段なのだろうが、それでもこんなに高いものだとは。
「言いたいことはわかるが、子供が気にすんなって。大人舐めんなよ」
「でも――」
「良いんだって」
「――わかりました。でも、次はきちんと払いますから」
「別に良いってのに。んじゃ、見て回るか」
そう言って笑いながらアルフはアンナたちと一緒に、通りを歩く人の流れへと乗って行くのであった。
「やっぱり、ここは物がいっぱいですね!」
「ふふふん、アンナ、あんた、この程度で凄いだなんて貧相にもほどがあるわよ! そんなんだからあんたの気持ちも――むぐ、むぐぐうぐ!」
「わあああああ、なに言ってるんですかー!」
何やらじゃれ合っている二人をほほえましく見ているアルフ。視線はそれから通りに向かう。
視線の先にあるのは露店だ。たくさんのものが露店に並んでいる。店の中には商品の絵とそれを示す品名の札がたくさん置いてある。
特に見て面白いのは露店の方だ。露店をやっているのは店を持っていない行商人である。
行商人は街から街を渡り歩き商品を売り買いしてこのリーゼンベルクまでやってくる。
そのため、このリーゼンベルクでは見られないような各地の名産品と言ったものが並ぶことが多い。
また、店舗を持たないために、直接商品を外に出しているので、盗み防止のために商品を並べない普通の店よりも見ていて楽しい。
名産品である置物や、毛皮の服、あるいは宝飾品と言ったものまでが幅広く露店には並べられている。しかし、この手の露店が多い区画は、
「お嬢ちゃんなんか買っていくかい? 外国で流行ってるアクセサリーがいっぱいだよ!」
「冒険者のお兄さん! 見てって見てって! 最高級の皮のコート! なかなか売りにでない外国製だよ!」
「宝石なんてどうだい!」
「新鮮だよー、新鮮だよー! そこらの店とは段違いに安い! さあ、買ってた、買ってった!」
このように客寄せが激しい。売り子や店主が声を張り上げての客寄せだ。凄まじいまでの気迫は、魔物と同等、あるいはそれ以上だとアルフは思う。
「やっぱり、呼び込み多いな」
などと思っていると、
「む、あいつらなにしてんだ?」
何やら通りの隅で、裏通りに抜ける道の入り口付近でたむろしていたレオたちを見つけた。三人で固まって、正確にはほとんどレオとハッサンの二人で何か相談らしきことをしている。
シスターは近くにはいない。逃げてきたようだ。そのままにしておくわけにはいかないのでアルフは声をかけられたレオは、露骨にしまったという風。
「うげ、アンナたちと、ついでにアルフか」
「俺はついでか、まあいいけどな。で、何してんだ、こんなところで」
「アルフには関係ねえだろ」
さっさとどっか行けよ、と手で払う動作でアルフを追い払おうとするレオ。どうやら、何か人に聞かれると都合の悪いことをやろうとしているらしい。
「いや、関係なくはねえよ。依頼受けてるんだから。頼むからあんまあぶねえことはすんなよ」
「わかってるって」
本当にわかっているのか心配になるくらい軽い返事だった。
アルフは、これはわかっていないなと思うもこれ以上何を言ってもこの年頃の子供は聞かないことを理解している。
だが、アンナはそうでもなく、
「レオ! アルフさんが言ってるんだから!」
お叱りモードに突入。当然、この年頃の男が聞くはずもない。
「うっせえなあ。一々、女が男に指図すんなよ」
「男とか、女とか関係ない!」
「うっせえよ、この小言女!」
「うるさいわよ、この馬鹿男!」
「あー、ストップストップ。止め止め」
流石のアルフもヒートアップして取っ組み合いの喧嘩に入りそうになったので止めに入る。
もちろん止める方は話の分かるアンナの方。レオの方はハッサンが止めている。
「兄貴、今は、そんなことよりも」
「――、っとそうだった、そうだった。アンナなんかに構ってる暇ねえんだった」
「ちょっと、何するのよ」
「危ないことだけはすんなよ、マジで」
「関係ないね、行くぞ、ハッサン、サミュエル」
「はいっす!」
「えー、やめようよぉ」
追及する前にさっさと三人は人ごみに紛れてどこかへと行ってしまった。その後、シスターが遅れてやってきて、
「三人、どこに行きましたか?」
「あっちです」
「ありがとうございます! こらー!」
とぱたぱたと走って行ってしまった。その後、レオたちはシスターに見つかりこの日の市場散策は終わりアルフの依頼も終了したのであった。