第3話 行軍中
リーゼンベルクを出発する。魔物が跳梁跋扈する城門の外へ。馬に騎乗した聖騎士に周りを囲まれ、勇者を先頭にした隊列を組が組まれ、ゆっくりと足の遅い老人に合わせて一行は進み始めた。
鎧を着こんだ騎乗した聖騎士に守ってもらえているというのは安心感が大きく、何より勇者の存在が旅の安全の保証しており、みな穏やかに街道を進んでいく。
アルフとニソルは、外に出る民衆に混じって本陣にいた。一団は大まかに分けて前衛、本陣、後衛となる。その中央に民衆がいるのは、守りやすいということもある。
後ろにおいて遅れてしまえば魔物やこんな時代だというのに、いいや、こんな時代だからこそ元気に人生を心底謳歌しているらしい野盗に餌食にされてしまうだろう。
しかし、数十人規模の騎士団にさらに数十人の隊商やら旅人やらの一団。百には届かぬがそれなりに数は多い。陣をはできるだけ詰めてあり広がりは少なくなっているために、人ひとりの幅は多くなく、必然、アルフとニソルを含めた多くの人々は肩を寄せ合っての移動となる。
何かあった時の為とは言えど、鬱陶しいと感じるのはままならぬことではあるが仕方ないと割り切る。ただ少々問題になりそうなのは隣のニソルであった。
彼女は控えめに言っても美しいのだ。しゃらんと風に揺れて音を鳴らす黒髪は、星空を映す夜空の如く煌きがあり、そこから香る匂いというのも、朝っぱらからゲロ吐いていた人間と同一人物とは思えないほどに、甘美としか言いようのない。
華やかであり、艶やかであり、色気というものに匂いがあるのならば、このような香りなのだろうと言わんばかりの、甘くさわやかさすら感じる花の香。
それが歩くたびに、風が吹くたびに細く揺れる黒糸が放つとあれば、誰もかれもが光に誘われる蟲のようになってしまうのは、仕方のないことだ。
その紫光りの黒に目を引かれて、視線を進めてみれば見えるは、白磁の如き僅かな血の赤み混じる白い肌であり、それはもう食いつきたくなるような、熟れた果実を思わせる、瑞々しさをたたえている。
それだけでなく全体に目をやれば、なんとも均整の取れた顔立ちをしてることだろうかと、まさしく黄金の比率でもって形作られたとはこのことかというような女の造形。
目はもはや釘付けで、それが無自覚無防備であっては、男であったならば多少は、いけないことでもしたくなってしまう気分になるのも無理からぬことだろう。
南方大陸に伝わる格言、ことわざとして、据え膳食わぬはなんとやらの精神で、目の前にあるのをためらうことほど難しいこともない。
無論、そうであったとしても躊躇いなくとは、完全にはいかないが、目の間にある甘露に対して、我慢できるほど精神力逞しくない男の中には、騎士たちが周りにいるというのに、手を伸ばす者はちらほらといるわけで。
「やめとけよ」
「――――!!」
アルフが、それをはじくのもこれで二けたに突入だろうか。やれやれとため息交じりに、ニソルの尻に伸ばされた手を彼は弾き、睨みをきかせておく。
依頼内容は案内というか料理をすることであって、こんなことまでする必要は本当にあるのか微妙なところではあるが、あまりにも無防備にすぎるニソルに、アルフは心配になってついつい手を出してしまう。
どうにも放っておけない無防備さだ。食に関しては抜け目なく、驚くほどの執着を見せるのだが、どうにもこの女それ以外のものに対しては、極度に興味をもっていないというか、薄いのだ。ベルに見せたような警戒は、おそらくは自分の身が本当に揺るがされる時にしか発揮されないようで、命にかかわらないとなるや途端にその警戒心も希釈されて失せる。
自分が異性にどのように見られているのかもわかっていないから自覚なしで、今ものんきに、どこから取り出したのか、大量の木の実らしきものを、ひたすら口の中に放り込む作業に熱中しているのだ。
「……はあ」
思わずため息を吐いたアルフを誰が責められよう。なにせ、この綺麗どころの女を護っているという事実は、否応なく男どもの嫉妬を集めるのだ。
殺気よりは非常にマシなものであることは言うまでもないが、殺気よりもいやらしさが倍以上あり、刺々しさに欠けて真綿で締め付けられるような、緩やかな圧迫感には辟易するしかない。
その溜め息の具合に光った絹のような黒髪を靡かせるニソルは、木の実をいっぱいに頬張って、もしゃもしゃと食べながら首をかしげて、これまたのんきするものだから、一層溜め息は深くなるばかり。
「どうかした? あ、お腹すいたの? セタル、食べる? おいしいのよ、これ」
そんなわけないだろうという前に、手渡されたのは楕円球型の果実を干したものだ。何かの実を干したのかはわからないが、甘いのは確実で、乾いた感じに褐色の実からは甘味のある匂いが漂ってくる。
とりあえず、せっかくなので食べてみると想像通りに、非常に甘い。濃厚な甘さだ。はちみつよりも甘く、深みには上等な料理に感じられるコクすらも存在するかのような複雑な味わい。
果実にしては独特の甘さであった。爽やかさや酸っぱさと言った、涼し気で汁気多い瑞々しい甘さというものではなく、やはり干した実であるだけに、干した果実の味なのであるが、干し葡萄などよりも濃厚に過ぎるほどに濃密で、ただ一つで満足できるほどの密度は腹に溜まるどころか、これ一つあれば一日は過ごせるのではないかというくらいであった。
そうひとつで良いのだ。これひとつで、しばらくは何も食わずともいけるくらいには腹に溜まるし、甘さは満足感を与えてくれるのである。
これを何個もばくばくと食っては甘やけがするだろう。それどころか、悪酒した時と同じような吐き気催すこと間違いなし。
過剰な甘さは胸を焼き、胃の臓腑をさかさまにひっくり返して、内容物を喉へ押し流し、口の関をこじ開けて雪崩れ込むに相違なく、こんなものを何個もバクバクと食べているニソルという女は、一体どんな胃袋と食感覚をしているのだろうかと思わずにはいられない。
そんなアルフの呆れにはまったくと言ってよいほどニソルは鈍感で、
「どうっ? どうっ?」
などと感想を求めるばかり。
「……結構いけるな。味は随分と独特だが」
「そうでしょうそうでしょう」
自分が作ったのでもないだろうに得意げに頷くニソルは、すさまじく自信過剰な顔。それですら絵になるのは彼女の美しさのおかげだろう。
超然とした、どこか浮世離れした美しさで一目見ただけでは女とすら感じられない、神聖なものとすら感じさせるようなそれ。
少しばかり見ていれば何のことはない美しい女と感じられ、前提の印象が根底にあるために、触れたい、汚したいと背徳すらあふれる始末。
それを指摘しても、ないないと自らに無頓着な彼女は相も変わらず、アルフには一つだけで充分なセタルを頬張るのだ。それでは太るだろうと告げようとも、彼女は食べることをやめないだろう。まるで、何かしらいつも口の中にないと耐えられないとでもいうかのようにばくばくと、ばくばくと食べていくのだ。
それを止めたのは、行軍の小休止を経ての大休止の時であった。小休止の短い休息ではなく、それなりの長さを持った、つまるところ食事時の休憩にあたる。
何のことはない。別の食べ物が食べられるだろうから、彼女はセタルを食べるのを止めただけのことである。
「ごはんにしましょう-なにかつくってー」
「……作れるわけないだろ」
「なんでぇー!?」
こんな大休止で料理なんぞできるか、と告げてやるとそんな殺生なと、ニソルはまるでこの世の終わりに直面でもしたかのような、あるいは大事に採っていた食後の甘い果実やらを、横からかっさらわれてしまったかのような深い絶望をたたえて涙をその双眸にためている。
「大休止とはいっても料理するほど長く止まっているわけじゃないからな」
「うええん、せっかく準備したのにぃー」
大泣きである。まったくもってこの女の食にかける思いというものがよくわかるが、このことは予想済みである。
一日の付き合いだとして、ニソルの食にかける拘りのほどは見て取れる。だから、アルフとしてもこういうことになるのは予測済みである。
「ほれ」
「――ふえ……?」
手渡す葉包み。ぬくもりは多少は失われているが未だ十分量の熱をその中に蓄えていることは外から触れるだけでもニソルにもわかる。
それはつまるところ、料理がその中にあると閃き鋭い光が脳裏に走るのもほとんど同時であり、結びのヒモを次の瞬間には解いて、あふれ出す蒸気を鼻腔いっぱいに吸い込めば広がる葉の香りだけでなく、香ばしさのある焼き物の香気。
青く色づく艶やかなさらさらと音を鳴らす黒の髪を振り乱す勢いで、中のものにかぶりつく。はしたないや恥ずかしいなどとは一切考えていないのだろう躊躇いのなさ。
年頃の娘がするにはいささか過剰どころか、そもそも絶対にありえないような食い意地の発露を見せて、というか空へと抜ける蒸気すらも逃がしたくないとでも言わんばかりに己の顔全体で食べていると言っても良いような食いっぷりには、呆れるほどだ。
その女、ニソルはというと、焼き物にかぶりついている。湯気を出す焼き物。無論のことそれは肉だ。勝っ捌いた肉をタレで焼いたシンプルなものであるが、肉がいいのか、いや、いいや、違う。
肉はいってはなんだが安物だろう。肥えたニソルの舌は、そう判断するが、処理が良い。食べる人のことを考えたとても優しい味が口の中に広がる。唾液の海を泳ぐ氷海鳥のように、氷の上を歩く飛べない海泳ぐ鳥のように味が泳ぎ回る。
単純明快な味付け故に、喉に抜けるタレの風味が引き立つ。小さく切りそろえられた肉は淡泊であるがゆえにタレを邪魔せずにむしろそれがタレの味を更に引き立てる。
「おいしい!」
ただ一言それでいい。それだけでいいのだろう。寧ろ、それ以外は無粋。本当、どうしてこの人は料理人じゃないのだろうかとも思ってしまうニソルだが、思えば料理人だったら彼とはこうやって旅に出ることはない。
そう考えると、今の彼が良いのだろうとか、そんなことを出会ってまだ二日も経たないうちに思ってしまうあたり、やはりこの女、食を中心に物事を考えている。
彼の人間性などは信用するほど知らないが、料理の腕は知っている。そこだけは信用できると聞けば平気でいうだろう。
「そいつは良かったよ――っと、そろそろ行くらしい。ほれ、水だ。飲んだら顔の周りを拭いておけよ」
「わかってるわよー」
しかし、目は料理に向きっぱなしなのだから、本当にわかっているのかどうか怪しいところだ。手についたタレも丹念に舐めとる姿は、艶かしく目と耳に悪い。
そして、案の定、わかってなかったのだが。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夜の帳降りる頃、一団は野営に入る。道中、勇者のおかげか、あるいは大人数の為か襲われることはなかった。
だが、野営地近くの森の中、輝くものがある。闇深い森の中に輝く瞳、二つ。いいやもっと。妖しく輝く双眸がそこにある。
魔物の群れだ。輝く赤い双眸は魔の証。それが野営地を見ている。魔が見ている。集団が寝静まるのを待っている。襲うべき瞬間を待っているのだ。
気配を殺し、森に潜み待っている――。
そんなことになっているとは知るはずもないアルフとニソルは野営地に着いた途端、ニソルの懇願により料理を作るために野営地の端で火を起こして準備をしていた。
「なにつくるのー? 食材はいっぱいあるからね!」
いったいどこに持ち歩いていたのか、出てくる出てくる食材の数々。
「どこに持っていたんだ?」
「あたし、収納上手なの」
得意顔だが、それでは意味が解らない。収納上手? それでは説明がつかないほどの量の食材やら酒が出てきたている。
いや、もう収納上手で片付けるにはあまりにもあんまりな光景であったのだが、それでも彼女は収納上手で片付ける。なにせ、それは彼女が身が持つ宿痾の一つなのだ。
効果は見ての通り、言葉の通り、彼女は宿痾の名の通り、あらゆるものをあらゆる場所に収納出来るのだ。小さな鞄の中に家すら詰めることが出来る、といえばそのすさまじさがわかるだろう。
まあ、重さはそのままなので注意が必要なのだが、そこはそれ。彼女は問題なく、多くの食材を大量に持ち歩けている理由だった。
もちろん、その辺の深い事情をアルフは知らないのだが、南方大陸の方ではよくあること名のは知っている上、少し前まで彼とて魔力を帯びた道具、魔導具で似たようなことが出来ていたのだから今更な話だ。
故にその辺のことはすっぱりと流して彼女が持ってきた食材の吟味を始める。食通ということだけはって、食材の目利きもいいらしく、どれもこれも良い食材ばかりだ。
となればあとはアルフ次第ということになる。依頼を受けたのなら、しっかりと仕事をするのがアルフであるため妥協はない。
いくらかの結球した野菜ランカンとタンブの燻製肉と、チーズをとり、あとは仕舞わせて調理を開始する。
野菜と肉を切りそろえてから鍋に油をしいて炒めていく。まずはタンブ、油が跳ねる小気味よい音とともにじゅうじゅうと肉の焼ける匂いが鼻を耳を刺激して唾液を分泌させる。
それだけでもおいしいのだが、それだけでは味気ないことこの上ない。タンブの次はランカンを加え、ランカンの香りが立つまで炒めていく。
「ああ、やばい、よだれが……うぅ、お腹もなってきた、お腹すいたぁ」
「もうちょい待ってろって」
水と粉末の香辛料を加える。まさか、香辛料まで完備しているとは、貧乏性のくせして金は持っているらしい。おそらく全部食費に消えるから貧乏性なのだろう。
ともあれ、自由に食材を使っての料理ができるというのは楽しいものなので、文句などなく気前のいい依頼人として好感度が上がる。
水が沸騰すればそこに牛乳を加え、完全に沸騰する前にチーズをいれて味を整えれば野菜と肉のチーズスープの完成だ。
「ほれ、できたぞ。熱いから気を付けて食えよって、聞いちゃいねえな」
「いっただっきまーっす」
南方の食材への感謝の言葉を唱えるや否や、スープを一口。とろりとしたスープだ。煮込みとまた違う味わい。
チーズと牛乳のまろやかさな味わいの中に、味を添えるはタンブの燻製肉だ。味付けが最小限だったのはこのタンブの燻製肉が濃い味だったからだろう。
炒めたことにより染み出した味がランカンと出会い、結婚して新たな子供を生み出している。僅かに残るしゃきりとしたみずみずしさが歯に心地よく、とろりとしたスープは舌触りが良い。
まろやかに優しく口の中に広がる味は、母に抱きしめられているかのような心地良さがあり、喉を通り胃に入れば体の中からぽかぽかと、温かさがじんわりと広がっていく。
単純な味わいだからこそ、際立つやさしさというスパイス。切りそろえられた肉も野菜も食べやすい。旅料理といえば、大ざっぱなスープだとか味気なく、テキトーなものが多いがこれは違う、これは紛れもない料理だ。
見る見るうちになくなって、おかわりをしたら出てくるという幸せ。気分は、口の中に広がる味の舞踏会に来たお姫様。
「これも食えよ」
更に、そう言って渡されるのはパンだ。硬いパンではあるが、スープを前提としているのならばこの程度は標準的、むしろさくりとした硬いパン生地にとろりとしたスープが合わさり、それは食べるということにもう得も言われぬ快楽が入り混じるかのよう。
更に冷えてくれば増すチーズの存在感、冷えて固まったそれをパンに挟んで食べる。濃厚なチーズの味が口いっぱいに広がり、脳髄を刺激する。
濃い、濃すぎるほどに濃厚、濃密、圧縮されたチーズのメロディーに、口の中の舞踏会の盛り上がりは今や最高潮。
本来ならば、濃すぎるほどのそれの相手するのはパンという名の王子様。舞踏会のダンスの相手、チーズと手をとり、互いに幸せのリズムを刻む。
「――ありがとう……」
もはや料理の感想は美味しい意外にはないから、出るのは調理者への感謝のみ。舌の肥えたニソルを満足させられる料理をそれも正規の料理人ではなく、冒険者が作る。
なんと世界は広いのだろうと思いながら、ニソルはパンを噛みしめるのであった。
「お、おう……」
相変わらずニソルの喜びようにアルフは引き気味だ。趣味と実益を兼ねて始めた料理。それがここまでの腕を持つに至ったのは、長い独り身生活と、迷宮都市にいた頃の所属先でのアルフに割り当てられた仕事が料理だったゆえのものである。
酒場兼宿屋で料理を提供したいた経験がアルフにはある。それもこれも、あの地獄のようにマズイ料理を作っていたあの宿屋のオーナーが悪いのだ。
見るに見かねて、あとはもうずるずると、すっかりとオーナーの詐欺同然の言いくるめに引っ掛かり、あれよあれよという間に数年働く羽目になった。そのおかげで料理の腕はかなり上がったというわけなのだが。
それでここまで喜ばれるのは、むずがゆい。ともあれ、喜んでくれるというのであれば、何の問題もない。
「ともかく満足したか?」
「んー、満足よ。いい仕事だわ」
「そりゃどうも」
「――うまそうだな」
不意に、そんな低い男の声が背後からアルフの肩を叩く。そこにいたのは勇者だった。武骨な角のついた兜と毛皮のベストを身にまとった姿は、リーゼンベルクで知られる勇者の姿であり、そこに腰にある一目見ただけでわかる聖剣の存在が彼が本物の勇者であることを告げている。
また、そうでなくとも彼に付き従うような背の聖痕を誇示するようなローブを身にまとった聖女の姿を見れば一目瞭然だろう。そんな大人物の出現、傅くのが正しかと身構えるのを勇者は手で制す。
「いい、そんなことよりだ、私たちにも分けてもらえないだろうか?」
武骨な恰好からは想像しがたい丁寧な物腰だった。
「ええ、こんなもので良ければ」
「謙遜することはない。匂いでわかるとも、良い腕をしている」
差し出された椀にスープを注いで渡す。勇者本人と聖女にいきわたり、勇者はそのまま一気に飲み干してしまう。
聖女はすんすんと鼻を鳴らしてからゆっくりと、おずおずと飲んでいる。一口飲んでからは、どことなく無表情を嬉しそうにしているような印象をアルフは受けた。
「うむ、うまいな。ああ、どこか懐かしい味がする」
「それは良かった。だが、どうして俺たちのところに? あんたらは勇者と聖女様だ、もっといいものを食えると思うが?」
「なに、良い食事よりも、このような食事の方が性に合っているのだ、私は。なにせ、勇者とは名ばかりの粗忽者でな。こいつの方も気に入ったようだ。温かいのが良いのだと」
聖女も飲み干してうなずいている。
「うむ、うまい飯であった。旅の活力となる。ではな」
勇者はスープを味わうだけ味わって去っていった。
「ふぅ」
「あれが勇者ねぇー」
「ああ、おっかない」
丁寧な物腰であったが、隙がなく、何よりもその身にあふれた力、あの魔王にすら、魔族にすら匹敵する力を持っていることがアルフでもわかったのだ。
安心するよりもまず、おっかないという方が来るほどに。遠くで見る分には良いのだが、近くで一緒に過ごすとなると息がつまりそうだった。
「――で、あんたはもう寝るのか、その格好はだらしがないぞ」
横になって、肘つけて腕立ててごろりとニソルは既に寝る体勢。寝たまま、酒をかっくらっている当たり良い御身分と言わざるを得ないだろう。
「んー、いいじゃないの。どうせ見られても困らないあんただけなんだしーぷはぁー」
それは信用されているのか、まったく意識されていないのか。おそらくは高確率で後者である。
「明日も歩くんだ、ほどほどにな」
「わかってるわよーぅ」
やれやれと思いながら、片づけをし眠りにつくのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
見張りを残し、誰もが寝静まる。
――その瞬間を、捕食者は待っていた――。
「――ずぅっと見てるからホント、気になってたのよ」
今こそ飛び出そうと疾走に入ろうとしていた身体を止めたのは、一人の女だった。青く、緑色に、星空をたたえる夜空のように、艶やかと、瑞々しく、漆黒に輝く絹糸がごとき音の鳴る綺麗な黒髪を、まるで空を自在に飛ぶ、鳥の翼のように広げた女。
鈴を鳴らすように、凛とした強い意思を感じさせる、一本の剣のような鋼の、されど女性らしい柔らかな声で女は、やっとかとぼやくように言っていた。
魔物は、女一人と見るや、ためらうことはない。殺してしまえばいいのだと、思考して――。
首が飛んでいた。
女の仕業ということはすぐにわかる。女が手にした刀に僅かな臭気が残っているからだ。血のあともなにもないが、それだけが女が首を撥ねたとわかる証拠だった。
「いやいや、いきなり襲い掛かってくるとか、どっこも同じか。うん、まあ、わかった。とりあえずは、こうだ――!」
音をおいてただの一歩でゼロから百へ。
裏霞・飛翔。
女――ニソルがそう呼ぶ歩法を行使する。
ゼロから一と順繰りに加速を積み上げるのが普通の加速という行為であるが、この歩法はゼロから一気に百、つまりは最高速度に自らを加速させる歩法である。
両の足を速く動かす必要はない。タイミング良く自らの身体を前に押し出す為に一瞬だけ地面を蹴るのだ。たったそれだけで彼女の身体は疾走する。
短く息を吐いて――愛刀吟華千輪と呼ばれるそれを振るう。
――凛と音が鳴る。
刃の鳴りが響けばそこに生きている生物はいない。
「神乗せもいらない? んー、いや、ちょっといるかも。レラでいっか――」
そう言いながら、向かってくる魔物を捌きながら舞う。それはまさに舞踏だった。森に乱立する木々を使い縦横無尽に駆け回る様に白銀の軌跡が追従し、赤が彩る。
彼女が動くたびに生じる風すらも、敵を傷つける刃と化す。
「っと」
あらかたをつぶせば現れるのはボス。
木々の上に止まる鳥のように軽やかに立っているニソルは、自分の役目は終わりとばかりに吟華千輪をどこかに仕舞いこむ。
「あとは任せたっと。それじゃあね」
そうやって背を向けて木々を飛び跳ねて野営地へと戻る。
入れ替わりにやってきたのは、男だった。勇者よと呼ばれる男だった。
「GRAAAAAAAA――――!」
ボスの咆哮。聞く者を恐怖へと叩き込む咆哮はされど勇者に一切の痛痒を与えることはなく。
手には輝く聖剣を足取りは軽く――振るえば最後――魔物が生きることなど不可能――。
一瞬のうちに踏み込んだ勇者の一撃が、その首を断ち切った。
更新です。行軍中の食事と、ニソルの戦闘。勇者の戦闘。圧倒的な戦闘程短くなるという寸法。というか、ほとんど食事描写ばっかしてる気がする。
次回は、アミュレントですかね。久しぶりの街に来てからの宿屋での一幕となります。