第2話 依頼受諾
古い多くの傷が使われた年月を教えてくれる食卓の上で、わずかな光源に照らされた皿にふんわりと白い湯気を上げる煮込み料理。スープとは違う少しどろりとした液体の色は白く、匂いとしては多くの食材が煮込まれ複合的な匂いを形成しているものの、かすかにその中核にあるのは乳の匂いをニソルの嗅覚は感じ取る。
ニソルの故郷で感じる乳の匂いではない。そも、乳は基本的に赤子の飲み物であるとされる南方、特にイシリクランでは牛の乳なんぞ料理には使わないし、使えるほど良いものではない。
南方由来の牛とはことなる独特の臭みのない匂いからしてリーゼンベルク原産の牛から搾っただろう乳を使ったシチュ-。
そっと匙を浸してみてわかるどろりとした感触は、溶けだした具材の名残か。かき回して匙に触れる感触は、わずかに形を結んでいるのは解けかけた肉と先ほど足された食材群だろう。
おそらく肉は舌にのせた瞬間に溶けてしまうほどに柔らかいに違いなく、足された食材によって物足りなさを感じさせない配慮。更におそらくはこれで日が経てばそちらも時だしより味が濃厚になるのだろう。
よく煮込まれた煮込み料理だ。ここまで煮込まれたものがまずいわけなどない。最初、白い液体が出てきた時にはなんだこれとは思ったものだが、この匂いを嗅いでしまえばそんな思いなどどこかの彼方へと吹っ飛んで木っ端微塵になってしまっている。
においだけでもかぐわしく濃厚の一言であり、もしかしたらそれだけでパンを食べても満足できてしまうのではないかというほどに馥郁とした香りが鼻腔を抜けて、脳髄にキツい一撃を叩き込んで打ちのめしている。
ただ前にあるだけで。じゅるりと唾液が分泌され口内で洪水を引き起こしている。まさしく口内の雨季とはこのことであり、とめどなくあふれる唾はいくら嚥下しても水位を上昇させていく。
このままでは全てを押し流して口からあふれ出してしまう決壊がすぐそこまで迫っている。常人としての良識がそれはまずいと叫んでいるが、本能はそんなこと関係ないとばかりに刺激される嗅覚、味覚、あらゆる感覚が重なって相乗し加速度的に分泌速度は上がる一方だ。
同じくテンションも上がる。先ほどまで自分の秘密を暴かれたというのに、何とも安い女であるが、美味しい食事の前には些事も等しい。
そんな限界ぎりぎりな彼女と打って変わり、アルフはというといつも通りの様子で神への祈りを捧げ、食事を開始する。
ニソルも待ってましたとばかりに匙で掬い一口。
「――――」
一口で全身に広がる芳醇な香り。それは、さながら火の山を流れるどろりとした溶岩のように熱さと濃さ。口の中に満ちていくある種乱暴にも思えるような複雑怪奇な様々な味。野菜に肉、乳。それらが複雑に絡み合い、時には相手を変えながら舞踏会のように熱狂して踊り狂う。
歯に感じる感触は、追加された野菜のもの。良く下処理されているのか、しみ込んだ味は豊かな畑を思わせ、故郷の温かさを思い出させた。
喉へと流れ込み、その流れは止まらない。それどころか、涙すら出てきた。
「アルフ先生、なんかこやつないているんだが……?」
「うわー、だばだばだー」
「俺、何もしてないぞ……?」
そんなアルフたちの困惑やらは唖然とした様子などまったく気が付かずニソルは滝のような涙を両目から流して嗚咽を漏らしながら、匙を進めている止まらない。
無論、それは悲しいからではない。これはうれし泣きだ。もはやニソルは自分がどんな状態かすらも把握してはいなかった。
ただただこの美味さを感じることだけに集中している。
一口食せば広がる味、味、味――!
まさしくそれは神話に聞く征服王がごとし。かつて、大陸の全てを征服した男の行った蹂躙闘争が今、口内で再現され、ニソルの意識という意識に美味を叩きつけて蹂躙征服していく。
こんなものを味わってしまえばもはやこれなしでは生きられないとでも言わんばかりのそれであり、気が付けば皿は空。腹はまだ空いている。ならば進軍あるのみと身体は勝手に動いており、制御不能、統制不可、自分が何をしているのか理解できたのはおかわりをしようとしていることくらいであり、何を言おうとしているのか、どんな姿勢になっているのかすら理解していなかった。
「結婚してください!!!」
そんな勢いでニソルはさて、一体彼女は何を口走ったのやら、勢いに任せて何やら頓珍漢で、ろくでもないようなことを言い放ったような気がするがそんなことすら彼女はやはり気が付いていない。
そんなことよりもっとください、お願いしますと涙やら汗やら、鼻水やらでぐちゃぐちゃになっている丹精な顔をその上でだらしなく崩して、木の皿を差し出して精一杯こびへつらって本気の懇願。
横から見ていると傷だらけの食卓に大きく身を乗り出してアルフに掴みかからん勢いで皿を差し出して尻を振り振り、しかもどろどろのぐちゃぐちゃな顔というアレな姿。
ズボンなどすっかりとずり落ちる勢いで下着を晒しているし、下手をすれば尻も見えてしまっているのではないだろうかという具合。
――一言で言えば悲惨に過ぎた。
アルフとしては、自分の料理が褒められるのは嬉しいものの、ここまでの反応をされるのは初めてというか予想外に過ぎた。
褒められるのはいいが、度を越した賞賛は嬉しい以上に、困惑とドン引きが来るのだなとアルフは初めて知った。
「お、おう、とりあえず顔を拭け、おかわりはついでやるから。ほら、これで拭け。あとズボンもなおせ。若い娘がみっともないぞ」
「あい……ぐじゅ……」
アルフから差し出された布巾でニソルは顔をごしごしと吹く、しかし、ズボンの方までは気が回らないのかそのままで、顔の方も拭いたところでどうにか見られるようになるのも一時的なこと、まったくもって腹の虫も感動も収まりきらぬ様子。
アルフはここで待てをするような。無体をするような畜生や外道ではないので皿を受け取って台所にある鍋からおかわりとついで差し出してやる。
それもまた一瞬でなくなるのだから、彼女の食欲に感心すればいいのか、そうまでさせるほどのアルフ本人の料理技量の高まりにでも感心すればいいのかわからなくなる。
あるいは、彼女がアルフの料理を究極に感じるほどに貧しく侘しい生活をしていたのかと邪推をするベルであったがアルフからすれば、それはないと言い切れた。
彼女の名前、ニソルのあとに続く名があったからには、貧しい生活とは無縁であり、それこそお姫様のような生活でもしていたとしてもおかしくはないからだ。
ゆえに、これはひとえに彼女の食へかける熱意とアルフの料理が上手いこと合致したということなのだろう。その相乗効果でこのひどいありさまになっているのだ。
さて、アルフが台所に行っている間にそんな彼女を見ながらの食事となったミリアとベルであるが、気にかかるのはやはり先ほどの彼女の発言。
――結婚してください。
「ついにアルフ先生にも春が来たか」
「やったね、アルフせんせー!」
言い間違えたのか、それとも本気なのか判然としないが、そこはそれ。なにせ、今までこの手の浮いた話というのをとんと聞いてこなかった二人は、我がことのように喜んでいるのであった――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
さて、そんな食事を終えると本題に入ることにする。片付けはベルとミリアがやると言って、台所へと部屋を出ていくのは、要らぬ気づかいと依頼者と冒険者の間の秘密などを守るためである。
そこに余計ない気遣いがあることにアルフは気が付いていたが、ともかく話をしないことには依頼を受ける受けないもなく、また、何をやるかもわかっていないのだから、そのあたりを聞くのだ。
食事の間中ずっとひどいありさまだったニソルは、すっかりと元通りであり、自らの醜態などどこへ行ったのやら普通の様子で厚顔にも程があったが、多少頬が赤いのはやはり恥ずかしいのだろう。
そこに気が付かないふりをアルフはするくらいには配慮ができるので、素知らぬ顔で本題を切り出す。
「それで、紹介で来たことは聞いたが、依頼内容とは?」
「あ、忘れてたわ。ええっと、料理は合格だから、依頼させてもらうわ。うん、依頼っというのはね。案内よ」
「案内……どこに案内すればいい」
「ええっとー、確かーそう! ここよここ」
広げたのは手書きの地図。それはこの港でも売られている安物の縮尺などめちゃくちゃのそれであり都市の名前などが書かれているだけのものだ。
彼女が指さしたのは、シャーレキント州。広大な平原を有するこの州に存在する迷宮都市ヘステロントだった。
迷宮都市ヘステロント。
かつてならば冒険者であれば誰もがこの都市に来ることを夢見て憧れる街だった。ありとあらゆる迷宮がこの都市にはあるという。それだけに、この街には様々なもので溢れていた。
外との交流はほとんどない。正確には出ていくものは多いが、入ってくるものはない。この都市は全て迷宮で回っているのだ。迷宮から出る品、ただそれだけでこの都市は完結していた。
だから、この都市はリーゼンベルク王国であってリーゼンベルク王国ではないとまで称されている。守護聖人ヴァンホーテンと教会によって定められた自由都市。それがここヘステロントだ。
ここに逃げ込んだ奴隷は三年間、この都市から出なければ自由の身になると言われている程度にはここは自由になるとされ、目指すものは多い。
だが、それもまたかつての話。今は、迷宮がふさがれさびれた何もない街となっているはずだ。なにせ、迷宮に潜れるものがほとんどいなくなってしまったのだ。
冒険者に力を与えていた恩恵、世界から魔力の恩恵が消えてしまったのである。冒険者のほとんどが廃業か、あるいは強い実力を持つ者ほど天から落とされたかのような衝撃により死んでいった。かろうじて生き残っている者のほとんども再起不能というほど。
ゆえに、そこに向かう彼女の目的がわからない。そのあたりの事情を説明してやれば。
「そうなの?」
案の定知らなかったようだ。
「そうだ。だから行くのはオススメはしない」
「そうなんだ。おいしいものがいっぱいあるって聞いたから行きたかったのに」
「それ以外で美味いものなら、ここなんてどうだ?」
シャーレキントとマゼンフォードの中間地点。ジュリスメルト。マゼンフォード州の東端オーロ地方、天を貫かんばかりの山々には神々が住むとすらされているバーハヌース山脈へと戻る大河にかかる大橋の街だ。
戻ってくる大河であるために、大陸中央からリーゼンベルクにはいない魚が多く採れる街であり、魚料理がとくに有名である。
アミュレントから三日の距離であり、遠征の予定とも合致するために問題なく行ける場所となる。
「魚かー、うん、良い。いいわ、そこに行きましょう!」
「わかった。ならそこまでの案内か」
「そう。別に護衛がほしいわけじゃないし、貴方に期待するのは、道中の料理よ。このシチューもおいしかったから、おいしいものを作ってほしいのよ。もちろん食材はあたしが提供するから」
「まあ、そういうことなら受けよう」
「ありがと。それじゃあ、出発はいつにしましょうか」
「明日だな」
即答で逡巡なくアルフは言い切った。
「? 随分と急ね」
「明日が遠征の出発日なんだよ」
「えんせい……?」
「勇者様の遠征ってやつだ」
勇者の遠征。それはこのリーゼンベルクを拠点としている勇者が魔物の討伐に赴くことである。
魔王の出現により魔物は従来よりも強大になった。それに合わせて冒険者や騎士たちからの力の消失により魔物の討伐がままならなくなったのは以前も述べたことであるが、勇者の遠征はそれに代わるもので、多くの志願兵と勇者が魔物を討伐しに行くのだ。
それが勇者の遠征であり、今現在リーゼンベルクでの旅といえばそれについて行くことに他ならない。魔物の跳梁激しく以前のように旅が出来なくなったがゆえに、勇者との旅ならば安全ということで多くの者がそれに同行するのである。
今回は、ジュリスメルトの方面まで行く予定であり、その出発が明日となれば、この機会を逃すわけにはいかにない。
アルフにしても目の前のニソルがいつになるとも知れぬ出発まで我慢できるとは思えなかったし、何より彼女自身、故あってひとつところに留まることができないのだ。
だから明日という急遽の出発であっても滞りなく話は進み、予定が組みあがる。ただ、元々夕餉の時間のあとということもあってすっかりと夜の帳が降りてきていた。
それほどまでに話し込んだのはひとえに彼女の飽くなき食へのこだわりを支える食欲のせいであった。行く時間などの予定は即座に決まったが、どんな料理が作れるのか、何ができるのか、どのような食材が必要になるのか、酒の量、旅に必要な日数と食材の量。
そんな食に対して譲れぬとばかりの質問の嵐に、アルフがこれまた丁寧に律儀に答えていった結果、すっかりと外は暗くなっていたのだ。
片づけをしていたはずのミリアとベルはもう眠っているほどの時間。これほどまでに遅くなったのは、前述したとおりだが実はもう一つ。
食卓の上にある杯二つ。いくつかの革袋が並んでおり、そこから感じられるのは芳しきもくらりと酔い気のする桃色にでも色づくような酒気であった。
そうつまりは酒である。すっかりと話が長引いてしまって、アルフが切り上げようとするが、ニソルはそれでは満足できぬと言い張り、奥の手を出したというわけ。
上物のお酒いくつか。そんなものを出されては、アルフとしても応じないわけにはいかず、彼の方もひっそりと買っていた上物のドワーフの秘酒を出してきた。
そうして話をしながらの――といってもほとんど口を開いていたのはニソルの方であり、アルフはそれに後から答えるといった感じであったが酒盛りとなり口数多く楽し気に会話してしまったのである。
「ふぅ……すっかり遅くなっちまったな」
「えへへぇ……この、おしゃけおいひぃ」
「大丈夫かよ。しかし、あんたすごいな。これドワーフ以外で飲めたのあんたが初めてだぞ」
ドワーフの酒は強く、勇者であっても飲めなかった秘酒というまさに出回ることの少ない幻の酒なのである。普通の人間が飲めば火を吹くほどとまで言われている。
温めて飲めば火を飲んでいるかのようとされ、冷やして飲めば鉄を飲んでいるようとされる酒。両方同時に飲むと鋼を飲むかのような鋭く硬く、されど涼やかでありながら熱が通った独特ののど越しが病みつきになる。
今までは一緒に飲める相手がいなかったのだが、ニソルは酔いも回り、ろれつも回らないが意識を失わずに何杯もともに杯を合わせて飲んで見せたのだ。
アルフにとっては初めてのこと、それが見眼麗しい女であったで、非常に気分がいい。食事時の印象は残っているが、道中楽しくなりそうだと笑みを作る。
「さて、お嬢さん、宿はどこだ? 送っていくぞ?」
「ふぇ? 宿…………ぁ」
宿という言葉を聞いてぎくりと肩を撥ねさせる。
「おい、まさか――」
「わしゅれ、てた……」
「どうすんだ? 今からだとどこも空いてねえぞ」
「い、ぃい、そこら、へんで、寝る……」
「年若い娘を放り出せるわけねえだろ。うちで寝ていけ。俺の寝台で悪いがな」
「い、ぃよ、だいひょうぶ、あた、し、これでも、三十……」
これでも三十なん歳だとむにゃむにゃと言っているが、聞き取れないがまさかの三十路とは。普通に見た感じ二十代くらいにしかみえないが、南方大陸の方、特に彼女のような黒髪の部族は見た目が実年齢よりも若く見えるのだ。
……などとアルフが思っているとニソルが急におとなしくなる。どうやら眠ってしまったらしいのだ。無理はない。そのまま起こさないように足を背中に手を回して抱き上げる。
見た目と同じく華奢で軽いが女としてその肩肉は柔らかくかぶりついたらおいしそうなほどであり、腿などしなやかな筋肉が感じられるというのに娼館の娼婦の胸のように柔らかくつまんで引っ張ってしまえば剥がれてしまうのではないかと錯覚するほどだった。
ありていに言って垂涎ものの肢体であるといえた。ただ、容姿と合わせてどこか触れてはならぬものであるかのようにも感じられる。
女である前に、ひとつの触れてはいけない畏敬を感じるかのような。一目見ただけでは女とわからないそんな不思議な雰囲気。
だが、それを汚すこともまた背徳的であり、そこらにいる普通の男ならばこの女の体に触れただけで欲情し自らの男を滾らせるだろう。
だが、アルフは違った。今までの醜態を見ているせいもあるだろう。なにせ、百年の恋も冷めるかのような醜態を彼女はアルフの前で繰り広げていたのである。
あの料理時の醜態を見ても、この女を女として見れるだろうか。確かに綺麗ではあるし、眠っている今は、そういう余計な性格といったものが抜け落ちているから欲情できるかもしれないが、あの様相を見てしまっているのである。
見っとも無く涙を流して、料理を貪る。なんというか女というよりは子供という感じであり、すっかりとそういう範囲からそれてしまったわけである。
ただ、情欲は滾らないがこの柔らかさを堪能しないというわけではなく、多少柔らかさを味わいながら自分の寝台に彼女を寝かして、自分は食卓の椅子で眠る。
酔っていはいないが酒を飲んだあとの寝つきはいい。ゆっくりとおちるようにアルフの意識は沈んでいった――。
そして翌日。
「――う、ぅ、ぅぅぁ、ぅぷ――きぼち、ばるび……」
当然のようにニソルは二日酔いになっていた。ドワーフの酒をアルフに合わせて飲むからである。いくら楽しいからと言って、まったく酔わない男に合わせては二日酔いにもなろう。
「ほれ、無理すんな、吐け、楽になるぞ」
「いやぁ……昨日のおいしいごはん、吐きたく、ないぃ――ぅ、ぐぴゅ」
もはや人が出すとは思えないような音をその身から発するニソラはそれでも吐きたくないと青い顔をさらに青く、紫色に変えながらも我慢するが、生理現象からくる嘔吐きなど耐えられる方が希である。
当然のように決壊。始めはゆっくりと、それから一気に、吐瀉物が口から噴出しアルフが差し出した桶の中に落ちていく。
「げ、ぐ、うげっぇ――ぅぅうぅ、ぐぼぁ――」
胃が飛び出すのではと思うほど吐き続けるニソル。べちゃべちゃと響く嫌な音と彼女の吐瀉音が朝っぱらから響く、響く。爽快な目覚めというには程遠く、気持ちの良い朝の空気に混じるゲロのすえた臭い。
女としては甚だしく駄目な音をたてながら、女としては駄目以前に終わりだろうと思われるような光景を見せつけてくるニソルはそれはもうまったくもって昨日から評価は変わらず悲惨極まりない。
「ほれ、大丈夫か」
しばらく吐かせながら背中をさすってやると、多少楽になったのか、桶からようやく顔を起こしたものの血の気の引いた顔は青白く大丈夫とはいいがたい。
それに彼女は泣いていた。顔、蒼白く病人のようにふらふらと震えてながら、彼女は涙を流していたのだ。
「ご、べん、なざぃ――」
彼女は泣きながらしきりにアルフに謝ってきた。何度も何度も謝罪の言葉を口にして、大粒の涙をぽろぽろと流す。
こんなになく大人の女がいただろうかと思うよりもまずはなだめなければとぽんぽんと背中を叩く。酒の失敗でこんな風になる奴がいることをアルフは経験から知っている。他人に迷惑をかけた自分が許せなく情けなくて罪悪感から涙を流すのだ。
だから、アルフは彼女がそのタイプなのだと思い、優しく背中をさすりながら同じく優し気に言葉をかけていく。
「大丈夫だ。こんなことよくある。飲ませた俺も悪いからな。だから、気にするな、な?」
「ちぎゃ、う、おい、ぃ、ごは、ん、つぐっでぐれだのに、吐いて、ごヴぇんなざぃ――」
思わず呆れを通り越して感心すらしてしまった。まさかのこの女、ひたすら食欲中心だと思いもしない。酒を飲んで迷惑をかけたことを謝るほどには殊勝なのだと思ったら何のことはない。
この女、一から十まで食のことしか頭にないのであり、迷惑をかけたことには一切罪悪感などなく、美味しく作ってくれた料理をもどしてしまったことの方に罪悪感を感じてを謝ったというわけ。
アルフもまさか料理を吐いてしまったことを謝られるとは思わず感心してしまった。しかし、同時に悪いやつじゃないとも思った。
少しズレてはいるが、悪いと思ったことには涙すら流して謝れる大人はそれほど多くない。だから、そんな恥も外聞もなく涙を流して謝れるこのニソルは信用ができると感じた。
「とりあえず、ほれ、涙を拭け、俺は気にしてない。それより外で顔を洗って来いよ。そうしたら、朝食にしよう」
「朝食!」
そして、この切り替えの早さである。本当、呆れるというか、感心するというか。
「ただまあ、悪い奴ではなさそうだ」
朝から遠慮なく食らうニソルにまた呆れながら時間になりアルフは家を出る。
「それじゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃーい」
「留守の間は任せておいてくれ。何かあればエリナ嬢を頼る」
「ああ、それでいい。俺の方からも言っておいてあるから遠慮はすんなよ」
「はーいっ」
ぶんぶんと元気よく手を振るミリアと小さく手を振るベルに見送られながらアルフはニソルとともに城門を目指す。
城門前には既に多くの人々が集まっていた。勇者はまだ来ていないらしい。
「来たぞ――!」
誰かの声が響く。人が割れて、武骨な鎧を着た男が歩いてくる。
「…………」
黙ったまま割れていく人混みの中をゆっくりと歩いて行く。そんな彼に付き従うのは少女だ。
白き雪と同じ色をしたシルバーブロンドの髪、神の威光を宿す黄金瞳に白磁のような肌はまさに人形のようであり、着ている服も白でまさに純白。
穢れ知らぬ乙女。そう形容するのが正しい少女は、どこか豪奢ながらも装飾の一切ないローブに身を包んでいるが、そのローブは背中が大きく開いていた。そこから覗くのは黄金の聖痕。少女の背中を覆いつくした神々の威光。
聖女と呼ばれる人間だった。
「うわっ、すご……」
「ああ、あれがミシュリント聖王国の聖女様ってやつか」
ラウレンティア神族の総本山ミシュリント聖王国に座していた勇者の同類。つまりは、この世界の希望の一つということ。
数か月前、勇者の出現と同時にこのリーゼンベルクにやってきて、勇者について戦っているという。
勇者と聖女。まさしく伝説の存在。彼らは待機していた騎士団の前につく。騎士団は聖女が連れてきた聖騎士たちである。
そろったことを確認して門が開く。
「さて、行くぞ。遅れるなよ」
「わかった――」
勇者たちについての旅がはじまる――。
更新です。
第二部はタイトル詐欺にならぬよう生活と料理と酒中心に行きたいと思います。
世界の危機は勇者が救うので中堅冒険者は雑用仕事です。
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