表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とある中堅冒険者の生活  作者: テイク
第二部 第一章 新しい出会いと中堅冒険者
50/54

第1話 新しい生活

 魔王と呼ばれる未曾有にして超常にして伝説の災厄、それは神話においてのみ語られるだけであったはずの存在。

 そんな災厄が現代に復活を遂げたのも今や数か月前のことになっていた。

 バルックホルン州は陥落し、今や魔王の居城たる正方形の大帝都が姿を現しており、かつて存在していたバルックホルンという州の姿を思い出すことはできないくなっているほどだ。

 今やバルックホルンはかつての海洋資源に恵まれた青き海を戴く地域ではなく、黒く分厚い雲が覆う、魔の領域と化している。


 川は瘴気に汚染され、毒々しい色合いへと変貌しており、色合いだけでなく粘性をあり、触れたものを溶かすほどにまでになっているという。

 山々に木々は消え失せ、岩山となっているのならばまだ良い方であり、ほとんどの山は紫色の瘴気が噴き出し、あらゆる場所に毒溜まりが生まれてヒトどころか低位の魔物であればそれだけでも死ぬほどまでの環境改変が行われていた。

 畑はなくなり、街道は茨が覆いつくしてくるものを拒む天然の結界となり、魔法の結界もまた州を囲むように張り巡らされており、騎士団の侵入を拒んでいるという。


 だが、絶望するにはまだ早い。勇者もまた魔王の復活とともに現れていた。数か月たってなおヒトという種が生存しているのは彼が戦っているからということは紛れもない事実であった。

 そんな風に世界は神話の時代、動乱の時代、滅亡の途上、終焉の先駆けへと堕ちたがヒトの営みは変わることなく、いいや、少しは変わったといえるのだろうが、大まかに変わったとは言えずにそこに存在していた。


 リーゼンベルク王国の首都といえる堅牢な城壁と深い堀を誇る城塞都市リーゼンベルクは表面上変わることなく、そこに存在している。


「暇ね……」


 そんなリーゼンベルクの一画に存在する冒険者ギルド:シルドクラフトにて、白と見まがうような青みがかったショートのプラチナブロンドの女性、ギルドの受付嬢であるエリナは、ふとそう呟くほどには危機の波及はなく、平穏があった。

 三時課――午前九時――の鐘が鳴りやんだ頃合い。数か月ほど前であったならばこの時間は冒険者で溢れていたのだが、今やギルドの中は閑散としている。


 この数か月、冒険者はその数を減らしていた。というのも、冒険者家業を支えていた生き物を殺した際にある身体機能の強化――いわゆるパワーアップがなくなったのだ。

 数か月前、魔王の復活に呼応して多くの冒険者たちはその身にあふれていた超常の力を失い、強大な力を有する者は力だけでなく命すら失った。


 シルドクラフトのギルドでは街級の上位から王国級の全冒険者が突然死に、生き残っていたのは冒険者になったばかりの新入りから力の弱い中堅の冒険者と王国級(規格外)どもだけが力を減じさせながらも残っていた。

 冒険者の数は数か月前と比べて数分の一、あるいは十数分の一にまで減っていた。閑古鳥が鳴くのも当然のことであり、何より魔物も、過去十年と比べても各段にその強さを増していることが報告されたとあっては生き残った低級の冒険者たちでは対処など不可能であり、多くの者が去っていったのである。


「うちはまだ、マシなんだろうけれど……」


 もともとがありとあらゆる人を救うことを掲げ、たくさんの人を救ったミールデンを守護聖人に持つ人助けを主とする冒険者ギルドであるがゆえに、都市の外に出ずとも仕事があるというのもあってほかのギルドと違って多少なりとも冒険者は残っている。

 一番被害が大きかったのは、生前、数千もの魔物を殺した大英雄エルフガンデを守護聖人に持つ魔物退治を主とするアイゼンヴィクトーであり、次点で遺跡や迷宮探索者の祖ヴァンホーテンを守護聖人に持つ迷宮や遺跡探索などを主とするルインズシーカーだろう。


 ほとんどが廃業状態であるとエリナは聞いている。今まで、このリーゼンベルクという都市を支えてきたギルドが廃業状態であればそれなりに影響はありそうだが、影響は今のところない。

 いいや、正確に言うならばこうだ、ある存在により影響が出ていないというべきだろう。極大の希望の存在が人々を照らし、絶望を払拭していた。


「……勇者、か……」


 そう勇者だ。伝説のにおいて魔王と同じく語られる人類の希望にして、最高の戦士と聞いている。その噂に違わず、彼の存在は魔王とその配下を旧バルックホルン州に押しとどめるだけでなく、魔物の討伐などの遠征を積極的に行っているという。

 彼がいなければ、都市がいくつか地図から消えたことだろうとすら言われているほどだ。エリナとて、その件の勇者に助けられたのだから、それが事実であることはわかっている。


 ただ――彼女はどこか寂しそうに溜め息を吐く。その胸中は、恐らく誰にもわからない。


「まあ、考えても仕方ないわね」


 気合いを入れなおすようにそう呟いたところで、シルドクラフトのギルド会館の扉が軋み音を立てながら開き、中に旅装をした旅人らしい人物が入ってくる。

 初めてなのだろう、少しばかりきょろきょろと周りをみたあと、受付に座っていたエリナの前までやってきた。


 旅人は珍しい髪の色をしている。青のようにも見える黒色の髪であり、それをくくりもせずに自然のままにしていた。


「ごめんなさーい」


 そんな旅人は聞いたこともないような訛りのあるリーゼンベルク語で話しかけてきた。聞き取れないというほどでもないが、多少聞き取りづらくはある。

 だが、不思議とするりと耳に入ってくる声だった。どこか超然とした声であり、それは女性の高さである。ここで初めてエリナは旅人が女性であることに気が付いた。


 雰囲気が女性というものを超越しており、見た目も女性的であり、仕草もまたその通りなのだがどういうわけか、ぱっと見ただけでは彼女を女性と判断することが出来なかったのである。

 彼女の特性なのだろうか。兎も角として、エリナは自然に対応して見せる。若い職員でもなし、経験を積んだベテランなのであるから、あらゆる疑問を笑顔の表情の下に隠して、規則通りの対応でもって応える。


「何か御用でしょうか?」

「えーっと、依頼したいんだけどー、イケる?」

「ご依頼ですね?」

「そうそう。冒険者を一人雇いたいのよねー。海の向こうから来たばかりで次の街までの地理とかわっかんないから、案内としてほしいなって」


 なるほど、海の向こうから来たのならばこの訛りも髪の色も納得がいく。内心で納得しながらエリナは他の街までの案内ということで依頼を処理していく。


「承りました。適切な依頼料申請料と紹介料はございますか?」

「これで足りる?」


 見せられた財布の中身は十分。以外にもお金持ちといえるほどには金貨と銀貨がたんまり入っており、いいところのお嬢様なのかとエリナに思わせたようであるが、関係はない。

 相手の素性を詮索するよりもまずは仕事をしなければならないのである。


「では、何か冒険者に対する要望などはございますか?」

「そうね料理が上手いことかしら。旅の間の粗食なんて耐えられないし、食材はあたしが持つからそれで調理してくれる人がほしいの。あ、別に護衛とか頼まないから弱くても構わないわ。料理が美味しいことが優先」

「かしこまりました」


 エリナが今のシルドクラフトにいる冒険者の中で料理が美味しいという条件に該当するのはただ一人だけだった。

 土地勘があり、料理ができる冒険者。

 そう、古なじみの万年中堅冒険者のアルフである――。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 城塞都市リーゼンベルクは四つの城壁に囲まれている。その城壁、外側から数えて二つ目と三つ目の間が平民たちの暮らす領域であり、リーゼンベルクの人口のほとんどはここ、第二区に住んでいると言っても良い。

 シルドクラフトなどの冒険者ギルドもこの区画にあり、エリナが旅人に渡した地図が指し示すのもその第二区の一画であるのは言うまでもない。


 必然、活気であふれる都市の通り、行く道行く道人通り多く、世界の滅びが近づいているのだということすら嘘のようだ。


「んー、良い陽気ー」


 旅人もまたそれは同じく、ぽかぽかと春の日差しを受けてはんーと伸びをひとつと大あくびを一つの計二つののんきさ加減を露呈させているものの、取り立てて騒ぐものはなし。時折、スリにでもあったのか、怒声やら商戦だろう値切り合戦の声が響くくらい。

 旅人は、見慣れない街路を地図片手にあっちへ行っては、こっちへ行ってはを繰り返して、ようやく地図に指示された場所らしき建物の前へとやっとこさ辿りつく。


 リーゼンベルクの中でも小高い丘の上にあるらしいそれなりに良い土地と呼べる場所なのだが、如何せん商店街とも呼べる大通りからは遠いということもあるのだろう、さびれているようであった。


「えーっと、ここよね? ニソル、間違ってないよね? うん、間違ってないよニソル」


 旅人――ニソルという女は、何やらひとりで小芝居をしながら、地図を確認してしきりに呟くが、だんだんと声が小さくなるのは自信がないからだろうか。

 誰かに聞こうにも、見知らぬ土地で、答えてくれそうな人物は周りにはいないどころか、ここは第二区の外れも外れ最果て――とは言い過ぎではあるが、城壁がすぐそばにあるというくらいには外れに位置する一画であり、多少小高い丘部分に相当する坂の頂上付近であるという立地もあって人通りがないのは既に何度も確認済み。


 つまるところ助けはないということであり、これでは誰かに聞くこともできないということである。さて、どうしようかとニソルは考え込むように顎に手をやって考え込むような姿勢になってから、すぐに指を顎から離して考え込む姿勢を終了してしまう。

 考えるよりも行動あるのみ。それがニソルという旅人なのである。ゆえに、今回もまた彼女は当たって砕けろを実行するようだった、具体的に言えば扉を叩く、である。


「ごめんくださーい」


 どんどんと遠慮がちとは程遠く、寧ろ遠慮なく扉を壊す勢いで、大きく音を鳴らして木造の扉に悲鳴をあげさせる。

 もしこれで紹介された冒険者の家ではなかったりしたとき、間違っていた時のことなど考えずに彼女は目の前の建物の扉を叩きに叩く。始めは弱めという常套すら無視して最初から全力の本気のノック。


 どんどん、どんどんと何度も何度も叩く。果てには楽しくなってきたのだろうかノックの音は次第にリズミカルになり、鼻歌まで飛び出す始末。

 完全に目的なんぞ忘れているようで、独特の緩やかなテンポの曲調から、徐々に徐々に重く鋭い突きからのアップテンポへと変調していく。


 さながら扉が楽器のようになってのりのりについにはニソル自身も踊り出さん勢いになった頃――といってもそれほど長くはなく、数秒の内ではあったが――ようやく声がした。


「はーい!」


 扉の向こうから聞こえた声は、年若い少女のものだった。それと同時に扉が開き少女が現れる。兎の耳のようにも見えるリボンで二つに括った赤茶色の髪の華奢だが、元気いっぱいでわんぱく、天真爛漫といったような言葉が似あうような少女であった。

 可愛らしい少女が笑顔を浮かべての出迎えである。もう少しでサビだったのにと残念に思うものの、少しばかり予想外であった。


 ニソルとしては、冒険者なのだから、屈強な男でも出てくるかと思ったのだ。ニソルの国では冒険者といえばそう言った屈強な連中である。

 冒険者を紹介され、そこに行ってみたら出てきたのが少女というのは騙されたのだろうかと思ってしまうほど。ただ、彼女が発する血の匂いだけは、並みの冒険者以上であるとニソルは感じ取って目を細めた。


 見た目と実力が違う事は間々あるゆえに、この少女もまたそういった魔性の類なのかとニソルは警戒をして右腕をそっと背に回し、それを悟られぬように笑顔を浮かべて目線を少女へと合わせるようにしゃがんで見せる。

 少女に警戒した様子はない。何かを隠し持っているということもないだろう。スカートではなく、男の子のようなズボンであるが、ポケットには何かをいれているような様子は全くない。

 では、何か術法の類でも修めているのかとも思ったが、そのような様子も見られないとなれば、まさか本当に? などとニソルは確認の意も込めて尋ねてみる。


「お嬢ちゃん、もしかして冒険者?」

「ううん、違うよー」


 間髪入れずに返ってくる答え。ぶんぶんと首を振って否定する少女。


「そうなの?」


 意外だった。この血の匂いで冒険者ではない? まさかだましているのだろうかと、そうニソルは疑うが少女の様子はいたって普通であり、嘘を吐いている様子はない。

 もしこれで嘘をついているのならば、この少女は只者ではないだろうが、一切その様子をニソルは感じることはない。この感覚だけは本物であるため、少しばかり混乱する。ただ、彼女の次の言葉で混乱は解消された。


「そうだよー。元だけど、もうやめたのー、もう力もないし」

「そうなんだ」


 なるほど元冒険者なのか。ならばこの血の匂いも当然か。

 疑問が解決して完全にとはいかないまでも警戒を解く。警戒の必要がないのだ。少女は元冒険者であるが、ニソルからは見た少女は、見た目相応の力しかないことを感じ取ったからである。


 そうであるならば警戒する必要はないし、彼女からは一切の敵意が感じられないのも大きく、なにより警戒し続けるのは疲れるというのが一番の理由だった。

 疲れるとお腹がすく。ニソルはお腹のすくことはあまりしたくないのである。だから、さっさと目的を果たすべく少女に確認する。


「えっと、それじゃあ、間違いかな。ここに料理ができる冒険者がいるって聞いたんだけどアルフっていう人」

「いるよー、ここアルフせんせーの家だもん」


 どうやらここが件の冒険者の家で間違いないようだった。ならば、件のアルフという冒険者を出してもらおうとそう少女に言おうと旅人が口を開きかけた時、さらに奥から誰かが出てきた。


「ミリア、まだ、完治していないのだから、寝ていろとあれほど――おや、お客さんか?」


 家の中だというのにフードをかぶった声からして、女だと思われる、目の前のミリアと呼ばれた少女と同程度の少女だった。

 フードのおかげで口元しか見えない上に、ローブで全身を覆っているが、視界に姿を捉えた瞬間、ニソルの総毛立ち、肌が粟立つ。


「そだよー、ベル」

「あいつら以外のヒトが来るのは珍しい。挨拶はしたか?」

「あ、まだだ、えへへ、忘れてたー」

「まったく、おまえは相変わらずだな」

「ごめんなさーい」


 目の前でほんわかとしたやり取りがなされていることが、ニソルにははるか遠くの出来事のように感じられていた。

 フードの少女ベルはマズイのだと本能が、ニソルの内にあるモノたちが叫んでいるのがわかる。なんで、怪物こんなものがこんなところにいるのだという悪態をついて思わず飛びのいてしまいそうになるのをこらえるのに必死だった。


 ここで刺激してしまっては、自らなぞ簡単に殺されてしまうのではないかというほどの圧倒的なまでの力が感覚的に感じられる。

 叫びださなかった自分、なんてすごい! と自分で自分を褒めながら己を鼓舞する。そうでなければ泣き叫んで逃げるか、しそうだったのだ。


 それはできない。ここで怖いものに出会ったとしても、ニソルはやらなければなないことがあるのだと覚悟を決めているのである。

 そう、料理の美味い案内を手に入れること、それだけが何よりも優先されることであり、それ以外のことはすべて優先順位から抜けてしまっているのである。


 今朝、船の上で食べたものをニソルは思い出す。それは、安い干し肉だ。水羊の肉を干したもの。連鎖的に味まで思い出されていく。

 水羊の肉には独特の臭みというべき風味があるため、大衆にはあまり好まれないものの、網漁で大量に捕まえられる為に安く少量で満腹になりやすい貧乏人のお供ということもあって、南方大陸の方では旅のお供として有名である。

 ほかの干し肉と同様に、疲れた身体に染み渡る塩辛さに一噛みで広がる水羊肉の独特の風味と干したことにより生じた食べごたえが合わさり、噛めば噛むほど舌に広がる唾液の湖が塩を落とした先にある水羊肉(ラクア)の旨さが舌の上に流れ出していく。


 味わうのは塩でもなくそれなのだ。良く噛み締め肉の弾力ごと飲み込む。さあ、もう一枚。ここでニソルに朝食を用意してくれた水夫は彼女を静止し、もう一工夫。

 一枚目の食べ方は水羊肉でも旨味を感じられる方法だが、如何せん顎を酷使し過ぎる。それでは疲れてしまうし飽きも早いから一手間かける。

 なんと水夫は彼女の目の前で鍋に水と共に水羊肉をいれて緩やかに温めはじめたのである。人肌程度の温水に可溶性の調味料などをいれて数分待つだけで、鍋の中にはたぷたぷになった水羊肉が!


 水夫曰く、水羊は豊かな毛を持つ海の生き物だ。その毛により身体を遥かに大きく見せて外敵から身を守っているのだが、毛は浮いてしまう。

 水の中で生きる為に水羊は、その肉に水を蓄える機構を持っていてそれを重しにしているのだ。かつては水羊の肉が水を蓄えることから水筒の代わりとしても使われていた実績もあるのだという。


 つまり、水羊肉は加工されても水を吸いやすい。干した肉でも数分のうちには水を吸ってたぷたぷになる。その水に味をつけると肉に味が浸み込むわけだ。

 ぷるんとした食感は干し肉の食感とは異なり、味付けを変えれば飽きも来にくい。何よりかさが増えるので食費を浮かせられる。貧乏人には素晴らしい肉なのである。


 水夫が行った味付けは、香草粉末を使った爽やかな海のようなあっさり風味。香り付けを強めにして臭みを抜いていた肉本来の味を感じられる味付けだ。

 ナイフで切り分けながら食べる。肉とは思えないぷるんとした柔らかさ。舌の上でとろけることはないが噛めば味がスープとなって染みだし舌の上で風味が踊る。


 ニソルは夢中で頬張ったものだ。切った肉を口に放り込みスープの味を楽しむ。本来ならば肉の臭みがあるため濃い味が定番なのだが、香草を使ってうまく臭みが抜けた薄味のあっさりスープは普通よりも口あたりが良く、水羊肉なのにいくらでも食べられてしまいそうなほどで事実、あるだけ食べた。

 水羊肉の一般的な食べ方で、出先で火を使えない中でスープを作る為に水に味をつけたもので水羊肉の干し肉を戻したのが始まりとされているという豆知識など一切聞かずに食べ続けた。


 水夫はひどく落胆していたのだが、記憶の中の話であるため意味はない。この水夫、実はというと見眼麗しいニソルと懇ろになろうとしたわけで、ちょっといいところを見せようと朝食を用意し、知識を披露したのだが、残念なことに全て流されしまう。

 いや、ここで諦められぬと水夫、ラクアを応用したラクア酒という酒もあるということで出したのだが、残念ながら別名非常用アルコールの名の通り、非常にまずく、本当に切羽詰まったときにしか飲みたくないという酒であったがためにこれまた撃沈。

 焼けつくような高い度数と独特のコクが美味いという一部のコアな愛好家たちの評価もあり、愛好家の間ではそれなりに人気のある酒で特に肉料理に合う酒だったのだが、ニソルは酒よりもごはん、男よりもごはんだったのだ。


「――ふへへ……」


 ゆえに思い出したのも全部味だけであり、味を思い出したらじゅるりとよだれと笑いが止まらないニソルである。

 残念ながら、料理をしてくれた水夫は船の仕事から離れられず同行できなかった。だから、料理人に旅に案内だけでいいから同行してくれと依頼してまわっては断られ続け、なら冒険者に頼もうと希望を託してやってきたのがここ。


 つまりここがもう最後なのだ。恐ろしい程度では引ける道理はなく、冷や汗とひきつった笑みを浮かべて、いきなりよだれを垂らして笑い始めた変人に困惑の視線を向ける二人に固い決意で向かう。


「アルフさんがいるなら、よんでほしいなーなんて」


 固い決意はどこへ行ったのかへりくだった様子でへっぴり腰になりながら問いかける。


「今、お夕飯の買い出しにいってるのー」

「いるよって言わなかったっけ……?」

「それはこの家に住んでいるということで、今、在宅しているというわけではないというなのだろう」


 ミリアの言葉を補足するのはベルだ。慣れたもので、いつもこうしていることが伺えた。


「であれば、私が聞くのがよかろう。アルフ先生に用なのだろう? 依頼か?」

「そう、これ紹介状」


 紹介状を取り出してニソルはベルに見せる。


「おおエリナ嬢からの紹介か。ならば問題ない。それに丁度良いな、帰ってきたぞ」


 ベルの言葉と同時にニソルも気配を感じ取って振り返ると、そこには珍しい大陸北部を由来とする灰髪に灰の瞳をした良く鍛えられた屈強な中年の男性がいた。

 その手にはかごがあり、そこにはいくつかの食材が入っているようだった。


 ――シチューと見た。


 どんなシチューだろうかと目を輝かせる。


「アルフせんせーおかえりー」

「おう、ただいま。そちらさんは?」

「エリナ嬢からの紹介で来たらしい」

「へぇ……」


 そうベルに聞かされた男――アルフはニソルを見るなり目を細めた。警戒しているようで、特に頭を見られる。正確には髪と瞳だ。

 珍しいから仕方ないなと思って甘んじて受けていると、


「名前は?」

「ニソルよ」

「違うだろ?」

「――え?」


 まさかの言葉に耳を疑った。

 今、彼は何を言ったのだろうかとニソルは反芻する。違うだろう? 何が違うというのか。


「あんた、南の大陸出身だろ、それもイシリクランの出身だろう」

「…………」


 表情が凍り付いた。シチューに目を輝かせていたニソルは影も形も消えてなくなった。


「沈黙は肯定なんだが、イシリクランの人間なら、簡単にわかる方法がある」


 待て、やめろと内心で静止する。言葉にはならない。唇は張り付いて動かず、喉は砂漠のようにからからにかわいていた。

 それだけは、やめてと懇願するが、


「エレヘポルセ」

「――っ!」


 アルフの追求からは逃れられない。そも、その言葉、名乗りの言葉を言われたからにはニソルは名乗らなければならない。それが、イシリクランの人間の決まり。

 彼女は、観念したように息を吐き、絞り出すようにニソルはゆっくりと自らの名を告げた。


「ニソル・イレス・ペトルン・レラ・キムン・イム……それが、あたしの、名前……」


 言ってしまった、この言葉を彼は正しく理解するだろう。

 もうだめかもしれないと泣きそうになった。


「驚いたな、あんた結構な人物だったのか。だが、イム、ね……。まあいい、困ってるんだろ? なら、オレは見捨てない。少なくとも、オレの実力がついていく範囲なら、あんたの助けになるよ」

「――え……」


 いったい何度、アルフという男は驚かせてくれるのだろうか。


「え、いや、だって、あたしは、イムで……」

「そうだな。だが、関係ないだろう? ここはイシリクランじゃない。リーゼンベルクだ。あんたにもいろいろ事情があるが、話したくないのなら聞かん。とりあえず……そうだな、辛い思いをさせたようだし、入ってくれ、お詫びってわけじゃないが、食事を馳走するよ」


 そう言ってさっさと中に入っていくアルフ。困惑してニソルは助けを求めるようにベルやミリアの方を見る。


「ああいう人なのだ。さあ中へ。きっと豪勢だぞ」

「わーい、豪勢豪勢!」


 ニソルはひっぱられるように中へ入るのだった。


本当、お待たせして申し訳ありません。これより更新再開です。リアルとの兼ね合いもありますので、一週間に一回更新を目標に頑張っていきたいと思います。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ