第5話 ハジマリ
「アルフは、いるか」
宿の食堂に澄んだ声が浸透する。朝ではあるが、がやがやと騒がしい食堂にあって、その声は対して大きくなどなかったが、だが全ての喧噪よりもその声はアルフに届いた。
というか、その声が響いた瞬間、その空間の音が全て消失したとすいら思えるほどだった。雰囲気すらも変わったほどだ。まるでどこかの聖堂の中とでも言わんばかりの静けさと厳かさが突然降ってわいたよう。
それもまた当然のことだった。そこにやってきた人物を視れば、その人物の声を聞けば、どのような荒くれ者だろうとも聖職者のように静かになってしまうだろう。
その声はこの世のものとは思えぬほどに澄み切っていた。それを発した人物もまた同じく。入口に立っている女はそういう存在だった。
まさに神の造形とはこのことをいうのだろう。すらりと長く程よく筋肉のついた手足は野生の獣のようでありながらもその美しさに目を離せなくなる。
程よい背中の肉付きから見える美しい腰のくびれは人を魅了してやまない。まさに黄金比とはこのことを言うのだとでもいうのだろう。
均整がとれているだとか、そんな言葉は砂塵のようであり、彼女にはふさわしくない。まさに女神のような肉体。そう言うべきだ。
そして、それに見合うだけの美貌だ。美しいと、一言で片付けてしまうにはあまりに惜しい。しかし、同時にそれ以外の言葉など装飾過多にも思えてしまう。ただの一言で良い。それ以外は不要とも言えるのだ。
「エルフ……」
食堂の誰かが、口からスープをこぼしながらそう漏らした。
入って来た女はエルフだった。歩くだけで華の香りが食堂を満たす。まるで人をその香りで幻惑する夢見草のような、されどそれよりも遥かに優美な香り。
彼女は食堂を見渡して、その視線が食堂の奥で食事をする男――アルフを射ぬいて、そちらへと向かう。それだけのことで食堂の中の時は完全に止まってしまっていた。
「アルフ」
短く、女エルフはアルフの名を呼ぶ。彼と共に食事をとっていたスターゼルとエーファは完全に固まってただアルフを見据えるばかり。
もはやこの状況が意味不明だったのだ。かつてラグエントで見たエルフ以上に美しく圧倒的な存在がアルフの名を呼んでいる。それだけで処理不能な異常事態へと陥っていたのである。
「フェミニアか。久しぶりだな」
「はい。お久しぶりですアルフ。変わりませんね。弓の腕は上達しましたか。私の弓は、役に立っているでしょうか」
フェミニア・フォレスガーナ。彼女は魔弾と呼ばれる王国級冒険者であった。アルフの弟子であり、彼の第二の弓の師匠でもあり、彼に弓を渡した女だった。
「な、なるほど、誓いの弓を渡したのは、彼女だ、だったのか」
ゼグルドがそう言う。
「竜人ですか。火の部族。お初にお目にかかる。火の者よ。古の竜の血を継ぐ御仁よ。私は、フェミニア。フォレスガーナの系譜に名を連ねる者なり」
固く。彼女はゼグルドにそう返す。美しいエルフの所作で、世界に伝わる言葉と共に、種族を超えた礼を行う。
「エルフ。木の者。お初にお目にかかった。古の樹木の血を継ぐ王の娘。われはゼグルド。竜神アグナジャルの血を継ぐ者だ」
ゼグルドもまたそう返す。普段の彼にはない引き締まった表情でそう返した。
「また凄まじい者を弟子にしたものですね、アルフ。本当、貴方には数奇な星の下にいるようですね」
固い挨拶も終わったところでフェミニアも席につく。
「お前も大概だぞ」
なにせ彼女はエルフの王族だ。なぜそんな大物が聖域であるエルフの森から出てリーゼンベルクにやってきて冒険者になりアルフの弟子になったのか。本当に謎である。
「心外ですね。これでも普通のエルフですよ」
「いや、お前が普通ならどうなんだよ。まあ、元気そうでなによりだよ。弓はありがたく使わせてもらっている。良く助けられてるよ」
「それは良かった。あの弓は生涯貴方と、貴方の一族と共にあるものですから」
「う、うむ、そうだ。何せ誓いの弓だ。エルフの弓は特別だからな。われのこの剣と同じだ。なにせ、それははん――」
ゼグルドは背の大剣を示しながら何かを続けようとして、
「竜人殿、それ以上はやめていただこう」
「う、うむ、そ、そうか。わ、わかった」
「なんだ? 何かあるのか?」
「いえ、何も。大切にしてもらえているのなら良いのです」
「お前から貰った物だからな、大切にしないわけないだろ」
「――――」
一瞬、フェミニアが固まる。
「ん? どうかしたか」
「いえ、何も」
「そうか。それよりいきなり来て、どうしたんだ?」
「いえ、こちらに来ているとのことなので。寄らせていただいただけです。こちらの公爵に依頼を受けている身ですが、少しばかり暇が出来ましたので」
「なるほどな。なら、久しぶりに一緒にどうだ? 弓の手入れをしてもらいたい」
「ふむ、そうですね。しかし、彼らは良いのですか?」
フェミニアは、スターゼルたちの方を示す。
「ここに来たってことはほとんど終わりだからな。自分で考えて動くことも大切だか俺は手を出さないようにしてるんだ」
何をしても良い。何もしなくてもいい。自分で考えてやりたいことをやればいいとアルフはいつもここに来たら弟子たちに言っている。
ここまで来たらほとんど一人前と言えるとアルフは思っているし、それくらいに弟子たちは常に成長してきた。だからこそ、ここに来たらアルフが何か言うより彼らに任せることにしているのだ。
いつまでも自分が見ているわけもいかないし、何より彼らはきっと自分よりも強くなる。いつまでも自分の庇護下にあって羽ばたけなくなるよりここで盛大に羽ばたいて行ってもらえた方が彼らの為になるのだ。
だからこそ、ここではいつも以上に自由にさせていた。
「うむ、大丈夫であーる。我輩を誰だと思っているのであーる」
「計画性なしのアホでございます」
「そうそう、計画性なしのアホであーる。敬うが良いぞ」
「褒めてないでございます」
ようやく回復したスターゼルがそう言ってエーファがいつも通りのやり取りを繰り広げる。
「な、だから大丈夫さ」
「そうですね。では、まず共に朝餉から頂くとしましょう」
届けられた異国の野菜を盛り合わせた食事。それらを食べ終えて、アルフはフェミニアと共に部屋へ行き、エーファ達は宿を出てそれぞれの仕事に向かった。
まずは弓の手入れから。いつもアルフは丁寧に手入れをしているが、何年かに一度はフェミニアに見せている。エルフの弓はエルフに見せるのが一番である。特に激しい使い方をしたあとは尚更だ。
寝台に座ってフェミニアと共に弓を見る。
「良く手入れされていますが、何度か厳しい戦いがあったようですね」
「やっぱ、わかるか」
「ええ、私には彼女の心が聞こえますから。ですが、このくらいならば問題はないでしょう」
「そいつは良かった」
弓を仕舞う。
「少し聞いていいか?」
「ええ、どうぞ」
「公爵の所で何をしているんだ?」
「ああ、そのことですか。訓練です。私たちはそれぞれ得意分野が違いますからその分野の技術を伝授してほしいという依頼でした」
「…………」
もっともな話であるが、それでも王国級をシルドクラフトの王国級冒険者をほとんど雇うというのは明らかにおかしい。
王国級冒険者に訓練を依頼するということはそれだけ費用がかかる。彼らの技術や力はそれだけの価値がある。それが10人。莫大な費用になるはずだ。
それを賄えるだけの稼ぎは公爵となればあるのかもしれないが……。
「ええ、貴方が思っている通りおかしいです。ですから、調べさせています。少し出ましょう」
フェミニアについて宿を出ると裏路地へと入って行く。
裏路地は都市の例にもれず汚らしい。
表通りに面した家から捨てらえた糞尿やゴミなどが撒き散らされている。まだ朝ということを考えればマシな方だが、それでもそこらじゅうに散らばっている。浮浪者がいることもそれに拍車をかけているようだった。
浮浪者たちはいきなり裏路地に入ってきたフェミニアに驚く。目を見開いたまま気絶している者たちすらいた。その圧倒的な美貌と魔力にあてられているのだ。
アルフですら気を張っていなければ気を失いそうになるのだから、エルフなど見慣れていない路地裏の浮浪者にはまさに効果覿面という奴だ。
薄汚い裏路地をフェミニアはアルフとともに浄化しながら歩いていく。入り組んだ裏路地を進むと地下下水道の入り口へと行き着いた。
そこの蓋は既にあけられており、傍らには一人の男が立っている。それは黒衣に身を包んださながら死を纏うかのような鋭い雰囲気を持った男であった。
軽装の鎧ですら黒の様はさながら幽鬼のようで、死を纏うかのような雰囲気を色濃く出した男であった。男は獣人であった。黒い体毛が全身を覆う黒豹。
その鋭い気配は見る者全てに死を予感させる。しかし、首の冒険者証はシルドクラフトのもの。アルフが良く知る男だった。
「ナズルか。なるほど、確かにお前ならこういうのは得意か」
「ふん、来ているとは思ったが、また首を突っ込むつもりか。弱者はせいぜい分をわきまえて大人しくしていればいいものを」
「ナズル。そう、邪険にするものでもありませんよ。私たちの師匠ではありませんか」
「ふん。つけられていないだろうな」
「無論。というより、エルフを尾行しようとする方が無謀というものでしょう。そちらに魔力を回してやれば、立っていられなくなりますから。貴方はどうです」
「問題ない。あの程度、眠りながらでも撒ける」
「おいおい、穏やかじゃねえな。監視されてるのか」
アルフの問いにフェミニアは頷いた。
ますますきな臭い。
「そんなことはどうでもいい。本題にはいるぞ。ここにとどまっているのも危険だ。手身近に終わらせる」
「ええ、では……どうでしたか?」
ナズルが語るのは、この状況の異常さだった。アルフが感じていた異常さ。それと同じものだ。その裏付け。
「まず公爵が代替わりしたのは間違いない。今、公爵の執務室にいるのは、先代の弟だからな」
「確か、公爵には一人娘がいましたね」
「いない。どこかへ消え失せたかのようにな。匂いすらない時点で何かやったのは間違いない。城には先代公爵の匂いも、その娘の匂いもありはしなかった。殺したら出るはずの血の匂いもない。そもそも、この街にも匂いが残っていない。まるで初めからその二人はいなかったようにな」
人がいればその痕跡はどこかに必ず残る。しかし、それがまるっきり残っていない。それはあからさまな違和感だ。何かが起きた。それはまず間違いない。
「それと公爵が人目に出ない理由だが、何やら奇病なのだとか言っていた。顧問錬金術師の男の話だ」
「どうせ、それも怪しいんだろ」
「ああそうだアルフ。獣は病に敏感だ。だが、あの城には病の匂いもしない。それどころか、病ならもっと侍従とかがいてもいいはずだが、あの城にはまったくそういった奴らはいない。顧問錬金術師と公爵二人だけだ」
「その顧問錬金術師があからさまに怪しいな」
「ああ、匂いがしないからな」
匂いがしない生物はありえない。魔法を使うことでそれを達成することは可能だ。だが、魔法を使えば魔法を使った匂いが出る。
だが、顧問錬金術師に魔法の感覚はない。少なくとも通常のものは。何かしら錬金術の産物であったのならばそれはもうナズルの分野ではないためお手上げだ。
「顧問錬金術師に張り付いたこともあるが」
「無駄でしょう。あの顧問錬金術師。私の眼からも逃れています」
「……どうにかできるか?」
何か企んでいるのであれば、何か起きる前に対処しておきたい。あからさまに嫌な予感がするのだ。何かが起きる前触れだ。
あの大戦のような予兆。
「難しいがあの男を暗殺しても良いのなら可能だ。そっちの方が手っ取り早いだろう。なに簡単だ。首を引き裂けば生き物は死ぬ。そうやって何人も殺してきたんだ。今更一人増えたところでかわらん」
ナズルが鋭い目を細める。
「却下だ」
アルフの即座の却下にナズルは不機嫌そうに舌を鳴らす。
「襲ってきた盗賊相手に冒険者としてならまだしも、相手は公爵だ。また暗殺者に戻るつもりか? そんなことをもうしないで良いように俺はお前を冒険者にしたんだ。二度とそんなこというなって言っただろうが」
「相変わらずうるさい男だ」
余計なお世話だと言わんばかりのナズル。
「うるせー。泣きついて来たのはどこのどいつだ」
「…………」
「…………」
バチバチと火花を散らすアルフとナズル。
「はいはい、仲が良いことはわかりましたから」
「おいフェミニア何を見ていた」
「はいはい、良いですからそういうの。ともかく顧問錬金術師についてはもう少し調べましょう。名前もなにもわかっていないのですから」
「もしくは、存在しないのかもなっと」
ひょういと、地下下水道の入り口から出てきた男が話に割り込む形でそう言った。
まるで死人のように顔色の悪い男が出くる。
「カイルか」
不死身のカイル。そう呼ばれる王国級冒険者。アルフの弟子の一人だ。
「よっ、久しぶりだな、アルフのおっさん」
「おっさんはやめろ。お前も何か調べていたのか?」
「共有墓地で聞き込みしてきた」
カイルはその出自から死霊と会話することができるのだ。
死してなお、そこにとどまるほどに怨念や後悔や未練がある者は幽霊となる。まだ魔物になる前の段階の幽霊は何もできない。ただそこにあるだけだが、魔力溜まりに入り魔力を吸収することで魔物として転化すると人を襲うようになる。
そうなる前の幽霊はまだ人格を残していることもあり、その手の連中と話をすると誰かに殺されたなどわかったりするのだ。
魔法ではできないカイルが持つ異能とも呼ぶべき能力だ。
「案の定だ。先代公爵とその娘、死んでやがった」
「本当か」
「ああ、本当だぜアルフのおっさん。しかも、今の公爵様に殺されたんだと。少し前のことだ。あとクレインの馬鹿にも話聞いてきた。宮廷で未亡人の貴族とか、男とかと一夜過ごして集めた情報によれば、今の税の取り立てがなくなったのと大規模な工事をして何かやりはじめた同じ時期だ。間違いないだろ」
先代とその娘を殺し公爵に居座った。その目的は不明だが、何か大きなことをしようとしてるのは間違いなさそうであった。
「実権を握って、大規模工事か」
「穴倉ずんぐりの話によれば何かしらの加工、つまり魔法の類だと。ベルに調べてもらいたいのですが、どうにも彼女は特に忙しく何かを依頼されているらしくて。そういえば、ミリアも同じですね。あの二人はどうにも何か特別扱いされているように感じました」
「ああ、それはオレも感じてるなー。エルフ様もそうなら間違いないのか」
「そうか、なら――」
「――おい」
ナズルが会話を止める。彼の視線の先には三人の兵士の姿があった。一体いつからそこにいたのか。そもそも、誰も接近に気が付かなかったのがおかしい。
獣人であるナズルですら目の前まで来なければわからなかったほどだ。穏行しているわけでもない。彼らはただ歩いてきただけであるのに誰も気が付かないのは明らかに異常だった。
さらに言えば兵士の様子も明らかにおかしい。どこか目の焦点が合っていない。まるで魂の抜けた人形のようだ。
そんなでくの坊のようでありながら、王国級冒険者をして強いと思わせる程度には存在感がある。だというのに存在感がないとも感じる矛盾。
そんな兵士は、アルフを含めた彼らの困惑と警戒にまったく気が付いていないかのようにただ口を開く。
「王国級冒険者の皆様、公爵様がお呼びです。それぞれご案内いたします」
しかも、こんなところで何をしていたのかもまったく気にしたようすもない。アルフがいることすら認識していないのではないかとすら思うほどだ。
「どうします」
「行くしかないだろう」
制圧しようとすれば制圧できるかもしれないが、嫌な予感がする上に街中で暴れるほど非常識でもない。明らかに公爵の兵士とわかる者たちと事を構えるのはシルドクラフトというギルドに迷惑がかかる。それだけは避けねばならない。
「おい、雑魚師匠。備えておけ、明らかに」
「わかってるよナズル。心配すんな」
「…………」
本当にわかっているのかと言いたげなナズルであるが、兵士が急かしてくるので、それ以上言わず兵士について行く。
フェミニアもカイルもそれぞれの兵士に連れられていずこかへと連れて行かれる。バラバラにつれて行かれることについての疑問は一切、兵士は答えなかった。
「こりゃあ、マズイな」
もはや調べるとかどうのこうのではない。明らかに異常事態だ。
「いつでも出られる用意をしておいた方が良いな」
アルフはすぐに宿屋にとって返した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「さあ、はじめましょう」
そこには女が二人いた。女の子だ。この街の中心であるルジェント城。その玉座の間に敷設された二つの魔法陣とそれを取り囲む魔法陣の中に二人の女の子がいた。
一人はくすんだ茶色の髪をした少女だ。巨大な大斧を背負ったまま眠っているようであった。もう一人は、白髪に角のある少女だ。
つまりは、ミリアとベルだ。王国級冒険者であるはずの二人。
「何が狙いだ」
目を覚ましていたベルが魔法陣の向こう側に立つ男へと問いかける。フードを被った男。ヴェンディダートと呼ばれていた顧問錬金術師の男へと問いかける。
「くふふ、起きていましたか。さすがは、人工的に生成されたとはいえ、我らの同胞、魔族なだけありますね」
「――――ッ」
「おやおや、わかり切っていたことでしょう。何を驚く必要があるというです」
「いや、驚いたわけではない。もはや、隠す気もないのか」
「隠す。ああ、そうですね。もはや、隠れるのは終わりですよ。終末が、ついにそこまで来ているのですから」
「させると思っているのか?」
強がってみせるが、これはどうしようもないことを彼女は既に悟っている。魔法陣の効果などとっくに解読していた。
自分たち二人を押さえつけるもの。そんな中に入れられてしまえば魔法はおろか動くことすらできないほどの負荷がかかる。
起き上がっているのもきついくらいだというのに眠っていられるミリアは流石というべきなのだろうか。寝言でアルフせんせー、とか、色々甘いことを言っている。
凄いと褒めるべきか呆れるべきなのか。ともかく、ここでベルがすべきことは時間稼ぎだ。王国級冒険者たちは動き出している。ここに来るのは時間の問題だろう。そうなれば、どうにかできるはずだ。
そんな彼女の考えを読んだように、
「無駄ですよ」
「なに……?」
「お仲間は来ませんよ。いやはや、よくもまあ、あのように集めてくれたものですが、既に我が空蝉が彼らを基点に誘導していますので。ほら」
ヴェンディダートが空中に投影するのは映像だ。兵士に連れられて街に敷設されたという基点に誘導されている王国級冒険者たちの姿がそこに映っていた。
――最悪だ。
ベルは内心でそう呟いた。
その映像を見てわかってしまったのだ。この街に敷設された魔法陣が。いや、この街そのものが魔法陣であり、その効果がわかってしまった。
それどころか、ここに来るまでに見てきたあの工事された水路の形が脳内で点を結ぶ。そこにある意味とこれから起こるであろう惨劇を彼女は理解してしまった。
「く、この!」
ベルは必至にもがく。自らを縛る縄や足枷の鎖をどうにかして外してこの馬鹿げた魔法陣を止められないかともがく。
しかし、意味はない。人間を超えた筋力があるはずだというのに、びくともしない。それどころかもがけばもがくほどきつくなっていくばかりだ。
「くそ!」
「クフフ、無駄ですよ。さて、はじめますか」
ヴェンディダートが詠唱を始める。未知の魔法言語。聞いたことすらないもの。まるでそれは詩のよう。それにひかれるようにふらふらと公爵が魔法陣の中心に立つ。
その手には黒い剣が握られてた。
「くそ! ミリア! 起きろミリア!」
「ふぇ? んー、あれ? アルフせんせ? あれ? ベル? なにこれ?」
「寝ぼけてる場合じゃない! なんとか公爵を止めろ!」
「え? ええーっと、わかった!」
ミリアを起こし、なんとかさせようとするがベルはそれも不可能だと感じている。ミリアも同じ状況なのだ。だが、それでも何もしないよりはいいだろうと足掻く。
最後まであきらめずに足掻く。だが、そう無意味だった。
ヴェンディダートが嗤う。その瞬間、公爵は漆黒の剣を自らの心臓に突き立てた。
「あ、れ……これ、は……」
最後の瞬間に正気に戻ったのだろう。彼は困惑したような表情を浮かべて、そしてそのまま絶命した。彼が倒れると同時に魔法陣は励起する。
輝きが玉座の間を満たした。玉座に座るものがベルとミリアの目に入る。そこに座っていたのは少女だった。炎のような紅い髪をした少女だ。
「くははははははは、復活だ。我らが、魔王様の。育ててくれて、どうもありがとう!」
そんなヴェンディダートの声が響くと共に、
「「ガッ――――!?」」
ミリアとベルを激痛が貫いた。内側から何かが食い破って出て来るかのような感覚。それから何かがここに集まってくるかのような感覚。
「ぐ、あああああああああああああああああ!?」
ベルは痛みに耐えきれず悲鳴を上げる。中に封じていた何かが飛び出そうとする。必死に抑えるも無駄だった。身体が引き裂かれるような痛みと共に漆黒に揺らめく異形が噴出する。
それはまだ、マシだった。
「あ――あああああああああああああああああああ―――――」
ミリアは悲惨の一言だった。脳裏を駆け巡る地獄。忘れていたはずの、忘れようとしていたはずの、忘れさせてもらっていたずの地獄が彼女の脳裏を焦がし、心を焼く。
そして、腹から、彼女の身体を食い破るように、異形が這い出してきた。
それはその昔彼女の中に入れられ、成長を続けていたものだった。
闇であり、病み。かつて、悲鳴と共に生まれた狂気。空っぽの中に入った悪魔が這い出してきた。それは女だった。それは漆黒の女だった。
ベルの中から出てきたもの。ミリアの中から出てきたもの。
二つは玉座に座る少女へと吸い込まれていく。いや、戻って行くと言った方が良いのか。全てが吸い込まれるとゆっくりと開く瞳の黄金。
どこまでも輝く太陽のような澄んだ黄金瞳。ゆったりと床に降り立ち、立ちあがる姿と髪と瞳からああ、まるで太陽のような少女のようであった。
だが、そこから立ち上がるのは正反対。どす黒い魔の気配。これが本物の魔力とでも言わんばかりに噴出する。
「はははははははは!! ついに、我らが王の復活だ。勇者よ、震えるが良い!」
ヴェンディダートがローブを脱ぎ捨てる。その下にあったのは、異形だった。人間種ではない。異形の容貌。白に赤い目をした魔族。
「この時をお待ちしておりました。我らが魔王様」
「そうみたいね。聖女の肉体は窮屈でしかたなかったけれど、ようやく力が戻ったわ」
魔王が声を発する。ただそれだけで世界がひび割れ揺れるようであった。
「本当、世界をここまで魔力で満たして、その上、昔の私の力を誰かに植え込んで育てさせるだなんて、流石だわ」
「お褒めいただき、恐悦至極」
「なら、さっそくで悪いのだけれど、行きましょうか」
魔力で衣服を構成し、魔王は歩いていく。テラスより外へ。
「さあ、私の復活を全世界に教えてあげるとしましょう」
この日、世界は思い出すことになる。魔王の恐怖と、絶望を――。
さあ、ついに、ついに始まります、滅びが。
ファンタジーお馴染みの魔王様が復活です。ちなみに、この魔王様の身体ですが、わかる人にはわかるかなと思います。具体的に言えばマギアストリームの方読んでると。
あと何のために閑話でミリアとベルの過去話をやったのか。このためです。
ここから先はシリアス全開。王国級がいるから安心だねと思っていると痛い目に遭いますのでご注意を。
果たしてアルフはこんな状況でどうにかできるのか。
ともかくまた次回。たぶん近いうちに書き上げられるはず。たぶん。
おそくなったらごめんなさい。
ではでは。