第1話 旅の夜
――全ては、己の為に。
「な、に、これ……何で、何で――」
――血を分けた小娘が泣いていた。
親戚筋。本家の一人娘。昔は、叔父さんなどと言って慕ってくれていた娘。それが泣いている。それを見てもだからどうしたとしか、思えなかった。
始めは何か、もっと大切な何かがあったようにも思える。この娘の為とかいうそんな、大切な何かが。だが、今は、何もない。
足下に転がる年老いた骸がある。今し方殺したばかりの兄の姿。奇病にかかり、すっかりと衰え年老いてしまった兄が転がっている。
赤い血を流して死んでいる。いいや、違う。殺したのだ。自らの手で。右手には剣がある。皮膚を刺し、心臓を貫いた感覚がまだ手にはある。
熱い血潮の感覚も。冷えていく兄の感覚も、何もかもが手には残っている。だが、
「何も感じないな」
「それで良いのですよ」
声が響く。泣き叫ぶ小娘の声ではなく、男の声。徴用した錬金術師。深淵の知識を持つという黒いローブの男。
「これで彼も救われたでしょう」
「そうか。そうだな」
するりと耳に入る言葉。それが、兄を救ったのだという実感を与えてくれる。心地のよい声。だが、
「なんで、どうして! どうして、お父様を!」
殺したのと、泣き叫ぶ小娘の叫びが耳に触る。心外だった。兄を救ったはずである。錬金術師もそう言っている。
これが兄の救いであるのだと。そのために準備してきたことも全てこのためのものだと彼が言っている。彼の言葉が兄を救ったのだと実感をくれる。
「兄は救われた。私の手で」
「う、そ、嘘。嘘よ。貴方が殺したくせに、なにを言っているのよ!」
震える小娘の声が、その実感をかき消す。殺した? 救ったはずだ。救いのはずだ。
「考えてはなりませんよ。もはや、その娘は悪魔に魅入られてしまったのです」
――ああ、そうなのか。
悪魔に魅入られてしまったのか。可愛らしい娘のような存在が悪魔に魅入られてしまった。殺さなければならない。
「そうか。そうなのだなヴェンディダート」
「はい、彼女を殺すのです。そうしなければ、悪魔が貴方もこのバルックホルンすらも滅ぼしますよ」
「そうか」
――ならば、仕方ない。
何か。大切な何かを忘れているような気がするが、それよりもまずは目の前の小娘を殺すのだ。手に持った剣を小娘に向ける。
小娘が息を飲むのが見えた。彼女の顔に、恐怖がありありと浮かんでいるのが分かる。顔面は蒼白で、血の気がなく震えているか弱い娘。
腰が抜けたのか逃げることすらできず、もはや息することも忘れて、失禁すらしているようであった。息が吸えず彼女の荒い息だけが広間に木霊している。
もはや、彼女の命運はこれまでだ。何も案ずることはない。悪魔から解放してやるだけなのだ。だからこそ、笑顔を浮かべる。
送るときは笑顔で。家族なのだから。
――そして、剣を奮った。
ことりと、首が落ちる。小娘の顔が。恐怖に引きつった顔が、転がる。これで救えたはずだ。
「ええ、救われましたとも。さて、急ぎましょうか」
「ああ、王国級冒険者には追加で依頼を出しておいた。全員集まるまでもうすぐだ」
「あなたの念願も叶うのですね」
そうもうすぐ念願が叶う。
――あれ?
――それは、一体、誰の為の願いで。
――何のための願いであったのか。
「さあ、行きましょう」
「――あ、ああ、そうだな」
何かを思い出しかけた。そんな気がした。だが、何も思い出すことはなく、全ては血の海に沈んでいった。血の海になった玉座の、その赤の中に――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
シャーレキント州を横切る街道。それはバルックホルン州へと続く道の一つであった。山岳を抜けるコース。
バルックホルン北の山岳地帯へと抜けて、海沿いを進んでバルックホルンを縦に通り抜けるような街道である。
その通りを四人組の冒険者一行が歩いていた。大男と貴族のようなマントを羽織った男と、中年と少女。面白い四人組だった。
「シャーレキントではどこにもよらないのでございますか?」
その中の一人、シーフの恰好も随分と板についてきた少女が中年の男に問う。短い髪を揺らしたシーフ姿は少年のようにも見えるが、れっきとした少女だ。
鞄を肩にかけて、腰にはナイフ二本。投擲剣がじゃらりと時折音を鳴らす。そんな少女――エーファの問いかけに振り返るのは、おんぼろの剣を腰にさげてつぎはぎだらけのマントと皮の胸鎧を着た灰色の髪に瞳をしている中年の男――アルフ。
「まあ、そうだな」
アルフの言葉に竜骨の大剣を背負った赤い竜鱗の筋骨隆々とした竜人が首をかしげる。そんな仕草も人型をした竜と言われる竜人だけあって恐ろしいものがある。
「そうなのか? われ、迷宮都市なるものがあると聞いたのだが」
一つ前の街で聞いた話とかみ合わないとしきりに彼は首をかしげる。
「そうなんだが、巡礼路にはないな」
「そうであーる。教会の守護聖人ミールデンが通った巡礼路にはシャーレキントの主要な街はないのであーる」
アルフの言葉を遮って大仰な動作で、赤いマントを翻して腰に不思議な剣を指したカイゼル髭の男――スターゼルはそう言った。
「旦那様が、知識を披露した!?」
「驚くところそこであるか!?」
「ふむ? つまりは、みーるでんが通ってないから寄らないということか?」
「まあ、そうなるな。正確に言えば巡礼路から外れすぎるんだよ」
ミールデンが通った巡礼路を辿る為、彼の聖人が通っていない街というのは大抵の場合寄ることはない。特にスターゼルが言った通り、シャーレキント州はミールデンが活動をしていた時にはまだ敵国の領土であった。
そのため、シャーレキントの一部を除いて通ることはないのである。途中少しくらい立ち寄る街はあるが、本格的に滞在しようとする街はない。
「あと、あまり遅れるとどやされる」
「? 誰にでございます? 今までのことから考えてアルフ様がどやされるような相手は結構多いようですけど」
「エリナだよ」
エリナ。それはリーゼンベルクに存在するアルフらが所属する冒険者ギルド「シルドクラフト」の受付をやっている職員の名前だ。
白と見まがうような青みがかったショートのプラチナブロンドに、美しい容姿のおかげで年齢よりも若く見える女性であり、エーファにもゼグルドにも記憶に残っている。
ギルドの看板娘であるし、何より冒険者になるときに世話になった。だからこそ、スターゼルを除いて二人は、アルフがどやされるという意味がわからなかった。
これから向かうのがリーゼンベルクならば話はわかるが、そうではない。シルドクラフトはリーゼンベルクの冒険者ギルドであるため、そこの職員はリーゼンベルクにいるはずだ。
これから向かうのはバルックホルン最大の港町であるルジェントであり、そこにシルドクラフトの受付嬢であるエリナがいるはずもない。
彼女は今もリーゼンベルクにいるはずである。少なくとも、エーファとゼグルドはそう思っていたし、そんなギルドの基本を教えたアルフも言っていた。
だからこそ、わからない。なぜ、今、エリナの名前が出てくるのか。
「あいつはバルックホルンの出身なんだよ。それもルジェントの商家の娘だ。色々あってシルドクラフトで受付嬢やってるが、あいつ、あれで結構なお嬢様なんだぞ。まあ、貴族様には劣るだろうがな」
「少なくとも旦那様よりはだいぶ裕福そうでございます」
「ふははは、そうであろうな!」
何もわからないスターゼルがとりあえず高笑いする。
「褒めてないでございます」
「我輩、どんな言葉も褒め言葉に聞こえるのであーる」
「まあ、スターゼルは置いておいてだ。ルジェントには冒険者ギルドがない。港町だからな、仕事には事欠かないってわけだ。普通なら教会に行くんだが、それだと割に合わないだろ? ルジェントはエリナの故郷だから結構顔がきく。そこで、集めた依頼を出張冒険者ギルドとして受付とかしてくれるんだよ」
アルフが新人指導の旅が終わりに近づくこのバルックホルンのルジェントで彼女は必ず待ってくれている。
十年前、初めてアルフが新人指導に出た時から欠かさずにエリナはルジェントでの依頼の斡旋をしてくれるのだ。
「…………アルフ様。それは、他の方もですか?」
「ん? いや、エリナがルジェントに来る用事があってそのついでだからってやってくれてるらしいからな……たぶん、他の奴らにはしてないんじゃないか? 話も聞かねえしな」
一度、どうしてこんなことをしてくれるのかと、理由を聞いたことがあるが、ルジェントに帰える用事があってそのついでとしかエリナは言わない。アルフとしては、疑うこともなく彼女がそう言うのならそうなのだろうと納得した。
まさか、自分の為にわざわざルジェントまで来て、街の依頼を集めて仕分けして依頼の受付までしてくれるわけがないだろう。思い上がりも甚だしい。
弟子の1人である微笑みの貴公子と呼ばれる王国級冒険者であるクレインならばまだしも、自分のような男の為になどありえないとすらアルフは思っている。
客観的に見ても、服はボロボロ、顔も良くはない。むしろ、灰色の髪はリーゼンベルクでは珍しく灰被りなどと呼ばれる。金持ちではないし、金が入れば、酒、食事、あるいは女に使うような駄目なおっさんである。
更に街級のしかも下位でしかないとんだ、甲斐性なしとくれば、女に好かれるはずがないだろう。単純にエリナの情けと思う方が妥当であるし、本当に用事のついでと考えるのが当然である。
嘘は言わないし、言いたいことは直接言う。エリナという女は、そういう女だ。
「…………」
なのだが、そんな話を聞いたエーファは黙り込んでしまった。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、エリナ様も大変でございます」
「おい、なんだいきなり」
「そのままの意味でございます」
そんなエーファの物言いにアルフは溜め息を吐く。自分と彼女の間にあるすれ違いが手に取るようにわかるからだ。
ジトリとした半眼でアルフを見るエーファ。それに再度溜め息を吐いて、
「勘違いすんな。エリナがついでと言ったら次いで何だよ」
「信じられないでございます。一人の男にここまでしてくれる女に好意がないならなんなのでございますか」
「腐れ縁とか?」
「――ハッ」
鼻で笑われた。また溜め息を吐く。
「とりあえず、お前、理由を聞いても同じことが言えるか見ものだな」
「言えるでございますよ。これでも乙女。女心ならお任せあれでございます」
「乙女ならその貧相な身体をなんとかしてからにしろよ」
「まだ成長期。これからでございます――で? 理由とはなんなのでございますか?」
「ああ、契約の更新時期なんだよ」
商家。つまり商人の家は様々な契約をしていることが常だ。それは神を介した魔法契約であったり、紙面上の契約であったり、あるいは信用契約という口上のみの契約もある。
その契約する相手は、警護を行う衛兵であったり、護衛として専属で雇っている傭兵。特に港町であるルジェントでは船とその船乗りの契約が最も多い。
それの更新時期が今なのである。夏を通り越しの冬入り前の秋。北方の豪雪地帯の国の商人たちと取引を多くしているエリナの実家はこの時期が契約更新の時期なのだ。
北方の海は冬になれば流氷と氷、嵐に閉ざされるのである。その時期は船乗りたちも陸に上がることになる。リーゼンベルクの冬入り前であれば、既に北方は豪雪なので船乗りも船を出せないのである。
そこで諸々暇を持て余す彼らとの契約の更新などを一括でこの時期に行うのである。魔法契約の更新は特に時間もかかる上に手続きの関係上忙しい。
エリナは毎年実家の手伝いに来ているのだ。その時期にアルフが弟子を連れてルジェントを訪れる。本当に理由などなく完全についでで依頼を斡旋してくれているのだ。
「なるほど。そうなると、意識もされてないアルフ様が実に憐れに思えるでございます」
「…………」
納得はしてくれたようだが、エーファの物言いになんだか納得いかないアルフであった。
「…………」
やれやれと思っていると、ぽん、と肩に手が置かれる。そちらを見れば、良い笑顔で親指を立てているスターゼルがいた。
とりあえず、無視して先を歩く。しばらく歩いていれば、平原の緑が次第に消えていき、ごつごつとした岩肌が多く目につくようになる。
アミュレント近郊のように赤茶けた荒野ではなく岩。灰色の大地と目の前に山岳が広がっているのが見て取れる。
日も段々と傾き、灰の大地を朱に染めていく。東の空で星々が顔を出し始めていた。
「今日はどこで一晩であるか? いい加減屋根があるところで眠りたいである」
「旦那様、数日前に街で眠ったばかりでございますよ」
「我輩、高貴であるから数日野宿でも頑張った方である」
「とてつもなく今更でございますね。聖鍵に選ばれて聖騎士になったからって調子に乗りすぎでございます」
「何を言う、聖騎士であるぞ。我輩の高貴さに更に拍車がかかったである。何度も言わせるでない」
ダメだ、こいつ、とエーファが頭を抱える。
「安心すると良い。スターゼルもしっかり成長している、とわれも思う」
「ゼグルド様、それ本人の前で言えるでございます?」
「…………」
流石に黙りこむゼグルド。
「まあ、大丈夫だろ。お前たちも十分強くなったしな」
ゼグルドは当然だが、元から魔法を使えるスターゼルは今回の旅を通してかなり強くなっている。魔法がそれだけ強力ということもあるが聖騎士になったこともあげられる。
聖鍵は所有者に莫大な力を与えるというから、それだろう。調子にはのっているが、スターゼルもやる時はやることをアルフは知っている。信用は、あまりできないが、その事実だけは変わらない。
エーファも初めの頃はどうなることやらであったが、成長している。今では街級くらいは力をつけている。すっかり追いつかれているのは、ありえないような経験ばかりしているからだろう。
そういう経験をしている連中はとにかく成長が早い。もう追い抜かれそうで、アルフとしては複雑ではある。ただ、弟子たちの成長を喜ばない師匠はいない。
強くなっていく彼らを羨ましく思うのと同時に、やはり強くなってくれて感謝の気持ちもあるし、師匠冥利につきるというものだった。
「あと宿だが、安心しろ。今日はきちんとしたところに泊まる。バルックホルン州への関所だが、あそこの食事はうまいぞ。あとは酒だな。バルックホルンと接してるだけあって、外国の珍しい酒なんかが置いてあるんだ。うまいぞ。特に北方のアルレンガルドの酒だ。火がつくくらい強烈だぞ。ドワーフの酒にも負けない人間の酒だ」
「おお、それはいいであるな。我輩としては、ワインなどの方も良いが、外国のものは、フラグレアス公国のそれが良いと聞いたな」
「うんうん、良いな。人の酒は竜の酒と違っていろいろな味が合ってよい。アルレンガルドにフラグレアス公国の酒か。楽しみだな」
「この酒飲み共め、でございます」
すっかり酒談義に入った男連中をエーファは一人ジトリとした瞳で呆れたように見つめるのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――オーレン砦
バルックホルン州とシャーレキント州の境に作られた関であり、山岳へと入る旅人が英気を養う場所でもある。
石造りの重厚な砦。砦だけあって威圧感がある。その中にある酒場だけは、開放的であり、活気にあふれていた。
「おやまぁ! 久しぶりだねぇ、アルフ! 息災だったかい」
そこの女主人が、アルフが入ってきたのを見るとバンバンとその背を叩く。
「おう、あんたも元気そうでなによりだよ。旦那さんは元気か?」
「しっかりやってるよ。今日は見張り台の方にいるから、戻ってこれんだろうから会えないねぇ。残念だ。また弓の稽古つけてくれって言ってたのに」
「仕方ねえさ」
「そうだね。さあさ、座ってくんな。おっと、今回は三人かい? あたしゃここの主人をやってるリンダだよ。腹いっぱい食って飲んで金を落としていってくんな!」
凄い勢いでそれだけ言って、彼女は奥へと引っ込む。
「す、すごい人だったな。竜人でも気にされなかったぞ」
酒場に入った時は、嫌でも注目されるというのに、リンダは気にしなかった。
「本当である。村のおばちゃんを思い出すである」
「そうでございますね」
「まあ、この辺じゃあの人には逆らえる奴なんていないくらいだからな」
そんな風に言いながら席に着くと、それを見計らったようにリンダが大量の食事をテーブルへと置いていく。
鶏などの肉に衣をつけて揚げたカムゲ。野菜などの様々な具材を動物の腸に詰めてカラっと焼いたハムイ。強烈な匂いを放つ大きなサンブの漬物を発酵させたものを火であぶったサンブリッカ。挽いた魚を炒めて野菜類で巻いてスープに入れて煮込まれたロルなどの一般的なものから。
蟲型の魔物であるギギロガの甲殻焼きや翼をもつコモルゥの干物、岩狼の水煮などの魔物の食材を使った所謂お高い料理までが並べられる。
「ほら、たんとくいな。冒険者なら目いっぱい食べないとね」
「とかいって、高いの混ぜてるだろ。おい」
「気にすんじゃないよ。このくらい払える甲斐性あってこその師匠だろう」
「だからってな。……まあいいか。それより酒を頼む」
「おう、待ってな。絶品の酒をもってきてやるよ」
言われた通り大量の酒も運ばれてくる。特に多いのは、時折海に浮いているというウミノミを熟成させてその果汁を発酵させることで出来上がる塩味のするウミノミ酒。エールも当然として、バルックホルン原産の発泡酒リリンガもその爽やかな香りをあげている。
リーゼンベルク原産の酒ばかりではなく。外国の酒もある。アルレンガルドの酒であるジュリネアとフラグレアス公国の白などもある。
「これ、大丈夫でございます?」
お金の心配をするエーファ。
「大丈夫だろ。あの人は、俺の財布の中身を見てもいないのに正確に当てるからな。問題はないさ。さあ、それじゃあ食べるとしますか。ほれ、お前ら酒をもて」
頼んでもいないのに料理が出そろったところで、アルフが音頭を取る。エーファは飲みなれたエールを。スターゼルはフラグレアスの白。ゼグルドはアルレンガルドのジュリネアを取り、
「乾杯だ!」
「「「かんぱーい!」」」
アルフがまず手を付けるのは、カムゲだ。衣をつけてあげられたそれは齧り付けば肉汁と共に、ジュワッっと封じ込められた肉の味が口の中に広がって行く。濃い味付けにされたそれは、酒と合うのだ。
「クゥー、やっぱ、これだこれ」
食っては飲み、食っては飲む。一番生きていると感じる瞬間だった。
「おお、これ、おいしいでございます」
ロルを崩しながら食べるエーファ。長時間煮込まれたロルは、少し匙で触るだけでほろほろと崩れる。スープと一緒に飲めば濃厚な海の味を楽しむことが出来るのだ。
「うぅ、この匂い、きつい」
ゼグルドはサンブリッカを食べようとして顔をしかめていた。
「はは、まあ、初めての奴はそうなるわな」
強烈な臭いを発する発酵食品のサンブ。日持ちはするし味も濃くて酒のつまみとして最適なのだが、この臭いが苦手という者は多い。
あぶった今は割合マシなのだが、初めてだときついだろう。
「食ってみろうまいぞぉ」
「う、うむ」
鼻を押さえながらサンブリッカを切って口へと放り込むゼグルド。
「お、おおおおお!」
数度かみしめると見る見るうちに表情が変わって行く。暗く恐れがあったものから、明るくにこやかなそれに。
ただし、そのどれもが竜人特有の恐怖を感じる凶悪なものだが、見慣れてくると本当に笑っているのだとわかるようになってきた。
「これはいけるな。このような料理は初めてだ。味が濃く、噛めば噛むほど味がしみ出してくるようだ」
「だろうな。船乗りの間で作られた保存のきく料理だから、あまり他には出回らんし、この臭いだから運ぶ奴もいなくてな」
リーゼンベルクでも港町でなければ食べられないようなものである。ただ、臭いを我慢して食べてみれば病み付きになるうまさだ。
「しかし、それは良いのでございますが、これは……大丈夫なのでございます?」
エーファが不安そうに指し示すのはギギロガの甲殻焼きや翼をもつコモルゥの干物であった。特にギギロガの甲殻焼きだ。
姿焼きと言っても良く、脚の多いギギロガがひっくり返って腹を出してる様は、不気味というか気持ちが悪い。動くことはないが、否応なく動いているところを想像して食欲を失くす。
「何を言う、一番これが栄養があるんだぞ。食わず嫌いせず食ってみろ」
蟲系の魔物はもっとも鹿などの肉の代わりになる食材の一つだ。甲殻焼きは食べ方としては無難なものである。
甲殻が焦げるほどに火を通されたギギロガの腹をアルフはナイフで裂く。良く焼かれている為、ぱっくりと割れるように中の肉が姿を現す。
透明で見ただけでもぷりぷりしていることがわかるギギロガの肉。それにタレをかければジュワリと音とともに匂いが広がる。
ごくりと、喉を鳴らすエーファ。しかし、その見た目から匙やナイフは向かわない。
「ふっふっふ、では、我輩がいただくであーる。――はふはふ」
飲みまくってすっかり酔っているスターゼルが、ナイフで豪快に身を切って食らう。いつもならばこんな料理は食わないのだろうが酔っているので気にせずに食うスターゼル。
「う、まーーーいであーーーる!」
そして、そう叫ぶ。渾身の叫び。何事かと店の客たちが見てくる。アルフはそれに手をあげて詫びてから、
「だろ」
そう笑みを作った。
「本当で、ございますか、旦那様」
「ふ、この我輩が嘘を言うわけがなかろう。食ってみろ、うまいぞエーファよ! ふははははは」
差し出されるギギロガの肉。透明であり、さながら何かの果実のようにも見える。しかし、それが出てきたギギロガ本体と見比べてしまうとどうにもおいしそうには見えなくなってしまう。
しばらく見比べてから、エーファは意を決してそれを口へと含む。その瞬間、
「んん――!?」
エーファの表情が一瞬で変わる。驚愕だ。
「おいしいでございます!?」
「だから言っただろ? 食わず嫌いせずに食べてみろってな。んで、こっちは」
アルフは、コモルゥの干物を手に取りそれをタレに浸す。しばらくすると戻るので、それを豪快に一口で。酒と共に呑み込めば、
「くぅー、うめえ!」
何よりもうまさがやってくる。
「ほうほう、これを付けて食べるのでございますか?」
「ああ、お好みのタレで食うと良い。そのままでも行ける。その場合は口の中で何度も噛むと良い。噛めば噛むほど味が出てくる。保存食でもあるからな、歩きながらでも食えるし、ずっと噛んでいられるから満腹感も得られるって寸法ってわけだ」
「なるほど、あむ」
一先ず一口、固いそれをなんとか噛み千切ってエーファはもぐもぐと咀嚼する。
「どうだ?」
「どうと言われましも、まだ噛み始めたばかりでございます」
それもしばらく噛んでいると、
「お、おおお、味がしみ出してきたでございます。この何とも言えない食感も良いでございますね」
「タレにつけてみるとまた食感が変わって面白いぞ」
「本当、こういうことには良く気が利くでございますね」
「まあ何度も来てるしな。もう十年通ってるよ。ここは変わらねえないつ来ても」
「アルフ殿、その話聞いてみたいぞ。われらの前にもあのベル殿のような方たちと来たのだろう?」
「そういや、あまり話してなかったか。いい機会だ、少し話してやるとするか」
あまり乗り気はしないが、酒の席だ。酒の肴として、少しくらい話を披露するのもやぶさかではない。酒の席は楽しまなければ。
そうやってアルフの昔話やスターゼルの自称英雄譚、ゼグルドの竜人話などで盛り上がりながら、夜は更けていくのであった――。
書き溜めようと思ったけどやめました。できたらあげていく方式に変更です。
不定期更新となりますがご了承ください。
さて、そういうわけで四章開始です。
うたわれるもので勉強した料理描写、美味くできているでしょうか。おいしそうと感じてくれたら嬉しいのですがどうでしょう。
四章の舞台はバルックホルンの最大港町ルジェント。果たして何が待ち受けているのか。久しぶりにエリナも登場しますし、いろんなキャラが登場する予定。
久しぶりに書きたいことを書いている。そんな気がしてます。
どうか次回もよろしくお願いします。
ではまた。