第1話 ある街での噂
これは許されざる恋なのだ。
少年は馬鹿ではない。確実に理解していた。それが許されることのない恋であるのだと。自分は異端であるのだとはっきりと自覚していた。
しかし、思いを止めることなどできはしない。日がな少年は彼女のことを考えない日などなかった。常に彼女のことを考えていた。
あのキラキラと陽光に輝く磨き上げられ、ドワーフによって編み上げられた金糸よりも美しい髪。翡翠よりも濃く、緑玉よりも深く深く澄んだ自らすら映しこむ瞳。
見るだけでふわりとしていることがわかる桃色に染まった奪いたくなるような唇。太陽など歯牙にかけずただ純白のようにあり続ける肌。
すらりとして長い指や腕、足は己のものとはまったく違う。とても美しい女。見るもの全てがおそらくは心奪われる女。
少年はそんな女のことを考えない時はなかった。あの日、偶然出会ったあの日から。彼女のまぶしい笑顔が忘れられない。
だが、この思いを伝えること許されぬ。それは、身分の違いでもある。それは、自分と彼女の違いでもある。
この隔たりは断崖絶壁よりも深く、天を貫かんばかりの霊峰よりも高い。絶対に叶わぬ恋だ。誰にも言えない。
それに、自らは半端ものだ。どちらでもない、半端もの。だからこそ、彼女に恋をしたのだ。いやしいいやしい半端の異端。
でも、誇っていい。だからこそ彼女に恋をすることができたのだ。
祭が来る。そうすればもしかしたら、彼女に思いを告げることができるかもしれない。できないかもしれない。
だが、それでも、それでもいい。彼女を救うことができるのだ。ならば、意味があることだろう。少年はそう思う。
許されない恋。それでも、少年は彼女に恋をしたのだ。土でしかないのに、咲き誇る美しき花に恋をしたのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
彼女はきっと諦めていたのだ。
女は全てを諦めていた。自らの境遇も何もかもが運命によってなった結果。ならばこそ、自然なままにそのまま従ってしまおうと女は思っていた。
それが掟。それこそが掟。自然のものは自然なまま。ヒトはただ運命のままに生きればよい。それが彼女らに伝わる掟。
自然を歪めてはならぬ。自然を壊してはならぬ。ただ生のままに。生まれて、生きて、子孫を紡ぎ、そして死ぬ。自然の摂理。
それを乱してはならない。自然を自然として自然なままに生きなければならない。そこに異端などありはしない。そこに間違いなどあってはならない。
自然の意思であるから。だから、女は全てを諦めたのだ。ただ、成り行きに任せよう。そう思ったのだ。あの少年に出会うまでは。
少年に出会った女は少し変わったのかもしれない。交わらないものでも交わることができるということを彼女は知ったのだ。
だから、少しだけ諦めの中に希望を女は持っていた。きっとないだろうというありえない希望。すがるには弱く、脆い。
それでも、それは確かに女の希望であったのだ――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
リーゼンベルク王国マゼンフォード州の東端オーロ地方。山脈が連なり、多くの山と鉱山が存在する鉄や金、銀などの算出して有名。ドワーフなどの種族が多い。
そこはリーゼンベルク王国においての国境でもある。白い衣を纏った雄大な山脈が国境線となり東からの外敵を阻んでいるのだ。
それこそが、バーハヌース山脈。天を貫かんばかりの山々には神々が住むとすらされており、霊峰として誰一人踏み込んだ者はおらず、仮に踏み込んだとしても帰ってくる者はいないと言われていた。
山々が永年雪で覆われおり、その麓に位置していると言っても良いこのオーロ地方は夏ともいえる季節であっても涼しく過ごしやすい。
また、その雄大な山々から流れる川は巨大なものとなりこのマゼンフォード州に水の恵みを与えてくれている。
アミュレントを出発してから十三日の道程を終えてからさらに二日。アルフ一行は今、その川の上にいた。上とは言っても船ではない。大河にかかる橋の両端に広がる街にいる。リンオーロント。リント地方とオーロ地方とをつなぐ橋の街だ。
大橋には露店が軒を連ねているほか、橋の下にまで船をつなげて店を出している者までいる。
そんな大橋を、
「待つでございますよおおおーー!!」
エーファは走っていた。
「待てと言われて待つ泥棒はいねえよ!」
前には走って逃げる男が一人。言葉通りの泥棒である。正確に言うとスリだ。ただでさえ広い街と大橋のおかげで人が多い。
人が集まれば、そこには色々な種類の人がいる。善人がいれば悪人もいるだろう。つまり、何が言いたいのかと言うとこの街は犯罪が多いのである。
そこで駆り出されるのが冒険者だ。本来は衛兵の仕事であるのだが、この時期は人手が足りないほどに人が多く犯罪も起きやすいために冒険者に依頼が行くのである。
今回アルフら一行が受け持ったのは数日前から出没していたスリを捕まえるのが仕事だった。相手の方が地理に詳しいので中々に手を焼いている。元冒険者だというのがまた面倒を増やしているともいえた。
「やれやれ、なかなかに厄介だな」
アルフはそう呟きながら秤を前に座っていた。秤を挟んだ向こう側には男が一人いる。
「旦那は行かなくていいので? あれは旦那が指導しているんでしょう?」
「噂になっているのか?」
「ええ、竜人と元貴族、その従者を連れた中堅冒険者がいるってね。結構前からですけど。バジリスクなんてもんを討伐しちまったんだ。有名にもなるさ」
「なるほど。依頼の方はあいつらに任せてるんだ。苦戦しているようだが、手を貸すのは両替をしてからでもおそくはない。両替を頼む。オーロ銀貨だ」
オーロ銀貨はオーロ地方で出回っている銀貨だ。流れる川が刻まれている。これ一枚で三食付宿の宿屋に二日は泊まれるくらいの価値だ。
アルフはリーゼンベルク金貨を手渡す。
「今日の相場は?」
「今日のところは、25枚とってところですさ旦那」
「リント銀貨と間違えてないか?」
ヘヘっ、間違ってねえですよと笑いながら両替商の男は答える。
「ついにオーロでも祭が近いですからね」
その言葉にアルフは目を細めた。
「……なるほど祭か。どこだ?」
「ラグエントの鉱山さあ旦那。一年前からざっくざっくでさ。あまりにもとれるもんだから含有率があがってるってわけでさ。そのおかげで、オーロの行商人ども悲しみまくりですがね。なにせ、オーロで安く仕入れてリントで高く売るっていう商売ができなくなっちまったんですからねえ」
「だろうな。本祭はいつだ?」
「もうすぐですぜ。そうすりゃあ、オーロの銀山もリントと並ぶってわけですさ」
「ラグエントか……」
アルフは次の目的地でもあるラグエントについて記憶を掘り起こす。
「確か、ここから歩きで五日か。教会が俺らにまで依頼を回してくるわけだ。冒険者がラグエントに行ってるから人手がなおの事足りないってか」
「そうです」
「なら急いだ方がよさそうだ。手数料は?」
「マゼンフォード銅貨で7枚ですさ」
「ほらよ」
マゼンフォード銅貨七枚を手渡し、男はそれを皮袋に入れると同時に秤に乗せたオーロ銀貨25枚を渡してくる。
「さて、ならさっさとスリを捕まえるとしましょうかね」
それをきっちりと皮袋に入れて懐にしまうとアルフは対岸へと向かっていった。。
一方、スリを追うエーファはというと、
「待つでございますよー!」
オーロ側の対岸へと差し掛かっていた。
「待て!」
そこには巨体のゼグルドが待ち構えていたかのように目の前をふさぐように立つ。橋は十分な広さがあるが、両側に露店があり人も多い。腕を広げれば彼ひとりでもある程度は行く道をふさげるくらいであった。
その時、スリの判断は一瞬の間に連続する。まず、即座にすり抜けて行くことを諦めた。すり抜けるには少しばかり両側の幅が足りないし人が多いためそれを避ける時間がとられるだろう。
その間に後ろの小娘と竜人がその手を伸ばしてくる。冒険者上がりとはいっても竜人ほどではない。今は距離が多少あるため、今ならばまだ逃げることが出来る。
だが、反転して逃げるのはなしだ。そうすると竜人に背を向けることになる。真正面から逃げるかたちではどうやっても勝てないのは明白。
だから、スリは素早く左右を見た。下流に向けて船が連なっているのが見える。この時期ならば、船をつなげて橋したで商売をしている商人たちもいるはずだ。
スリは記憶を探る。橋の位置と船の止まっている位置。選択肢はこれ以外にはなかった
「おおおお!」
まず踏み出していた右足をそのまま右へと向ける。倒れそうになる前に左足を前に出して地面を踏みしめて蹴りだす。
急激な方向転換。しかし、元冒険者の力ならば問題ない。即座に右足前へ。方向転換を確定させ、踏み込みのエネルギーを前向きに変える。
そして、スリは橋から飛んだ。その下には目算通りに木の板や鎖で船同士をつなげている船に一隻が止まっていた。そこに飛び降りたスリは船から船に飛び移り、木板の上を走りながら対岸へと逃げていく。
元冒険者は伊達ではないと言ったところだろうか。
もちろん、それくらいのことはエーファたちも予測している。
「旦那様!」
「任せるであーる!」
対岸に上がろうとするスリの前にスターゼルが現れた。元から対岸に行ったとき、ゼグルドが捕まえられなかった時の予備であったが、ここにきていい位置取りをしてくれていた。
「食らうが良いよわが、魔法!」
しかし、目の前にいるのになぜか、捕まえようとスターゼルが魔法を使おうとした。その間の詠唱中にスリはさっさと通り過ぎて行った。意味がない。
「アホでございますか! というか、街中で魔法ぶっぱなそうとするのやめるでございます!」
「何か最近エーファが酷いである……」
胸に手を当てて考えるのが良いだろう。
「へへ、逃げ切った」
自分を追う冒険者は四人組であると知っていたが、竜人や元貴族から逃げ切ったことから彼は安堵してしまった。この性格が冒険者を続けられなかった原因だ。
そうスリが逃げ切ったと安堵した瞬間、その足に矢が突き刺さる。突然のことに転倒するスリ。その隙にエーファたちが無事にスリを捕まえた。
「ぎゃああ!?」
それを対岸から見ていたアルフは、
「良し無事に捕まえられたな」
そう呟きながら弓を仕舞う。ゼグルドが立ち塞がっていたのを見てまず船に飛び乗って逃げるだろうと予想したアルフは早々に逃走ルートを絞り込んでさっさと弓で狙える位置に陣取っていたのだ。あとは、来たら撃つだけ。
簡単な話だ。
「さて、さっさと合流して出発の準備をしますかね」
そういいながらアルフは合流場所である教会へと向かうのであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一礼して教会へと入る。由緒正しいラウレンティアの教会であるが、なかなかの規模であり守護聖人も数多奉っているのだ。
ミールデンもその一人。そのため、この教会にはミールデンを守護聖人とするギルドの冒険者が巡礼の際に立ち寄る場所になっている。
アルフたちにとっては依頼を受ける場所でもある。このリンオーロントにはミールデンを守護聖人に持ったギルドが存在しないのだ。
そのため、ミールデンを奉っているこの教会がギルドの代わりとなる。代わりといっても報酬は教会価格であるため実入りは良いとは言えない。
その上、依頼を受けるにも寄付という形で金銭を払う必要があるという難点がある。ただ、教会の庇護下に入れるのでそれもまた悪くはない。
リント側とオーロ側で二人の領主がいるという複雑極まりなく面倒くさい事態の引き金やら導線やらがそこら中に転がっているこの街で活動するにあたり教会の庇護というのは絶大な効果を発揮するのだ。
領主に目をつけられたとして、それがどのような理由であれ本人にとって不当な理由であれば教会の庇護下に入ることによって領主は手を出せなくなる。もちろん、それで教会の庇護下であれば何をしても良いと言うわけではない。
教会側においても、その理由が庇護下に人物が原因であったり教会にとって大いに損害を与えるような存在ならば逆に教会からも追われるようになる。
そんな神聖な教会の中の一室。冒険者を受け入れる際に増設されたある程度の談話スペースにアルフら一行は集まっていた。
「そろそろラグエントで祭がある」
「祭、でございますか?」
アルフの言葉にエーファは首をかしげる。この時期に祭があっただろうかと。このリーゼンベルクにおいての祭は村などで行われる収穫祭やラウレンティア教の街由来の守護聖人や聖女、あるいはリーゼンベルク王の生誕祭と新年を祝う祭くらいだ。
今は、そのどれの時期でもないはずでありラグエントは鉱山の街。ますます祭という言葉が結びつかない。
「旦那様は何かご存知でございますか?」
「うむ」
スターゼルが腕を組んで考え込むそぶりを見せる。
さて、どうだったかと記憶を探ってみるがエーファと同じく聞いた覚えはない。鉱山都市などという汚らしい場所については何も知るわけがない。
そもそも村から出たことのなかった人間が知っていること自体がおかしいだろうという話だ。
「知るわけないである」
「旦那様に聞いた私がバカだったでございますよ」
「われも知らん」
むしろゼグルドが知っていたら驚きだろう。
「それでアルフ様? 祭とはどのようなものなのでございますか?」
「行ってからのお楽しみということにしておきたいが、とりあえず冒険者にとっては稼ぎ時になる。金貨数百枚規模で稼げるかもしれん」
「な、なんだと! それはすごいであるな! なぜ、そんな祭があるのである! ほれ、さっさと言うのである!」
「今から説明するって。ただ俺も詳しい原理はしらんがこの祭は、鉱山都市でしか起こらない。そして、どこで起こるかもわからないんだ。予兆はあるんだがな」
「うむ? アルフ殿、それはもしやドワーフが騒ぐことではないか? 思い浮かぶ節がある」
ゼグルドが何かに気が付いたのかそういう。
「ああ、鋭いな。そうだ」
「やっぱり、ドワーフが騒ぐあの祭か。合点がいったぞアルフ殿。だが、人間にとっては稼ぎ時になるのか? 人間にとっては危険にしかならないだろ?」
「ああ、なる」
「二人で盛り上がってないでこちらにも教えてほしいのでございます」
「説明したいところなんだが、時間だ」
ここからラグエントまでは歩いて五日。
「準備してくれ。今の時間なら走竜車を使えば日暮れまでには辿り着く」
「うげ」
走竜車という言葉でエーファが嫌な顔をした。
走竜車。言葉通り、走竜と呼ばれる二足歩行の竜が引く馬車のようなものだ。途轍もなく速く走る走竜を使っているため地面を進む移動手段としてはおそらくはリーゼンベルク一の速度を誇る。
ただし、その乗り心地は最悪の一言だ。慣れているものでさえ、吐き気をこらえるのがやっと。初めて乗ったものがどうなるかなど想像に難くない。
現に、初めて乗せられたエーファは三日は寝込んだ。降りた直前など人に見せられるような状態ではなかったほどだ。
ちなみにアルフは酔ったことはない。酒と同じく、乗り物系でも酔ったことはないのだ。そのため走竜車ですら普通に乗れてしまう。
「うむ、走竜車であるか。我輩乗ったことないが、どんなものであるか?」
「旦那様……。お忘れでございますか? 昔、私を悪戯でのせて、私が死にかけたアレでございますよ」
「我輩、過去を振り返らぬ男である。過去を気にするなど貴族としてあるまじきこと。貴族であるならば過去ではなく先を見るべきであろう。で、乗り心地はどんなもんなんだ?」
ダメだこいつとエーファは呆れた風。
「乗り心地は、まあ悪いな」
アルフはそう言う。何せ猛スピードで走るのだ。鉄で補強されているだけの走竜車は揺れる。どれだけ揺れるかというと想像できないくらいに揺れる。
それが山道や道の悪い獣道のような道であったのならば目も当てられない。縦に横に縦横無尽にゆれまくるのだ。
そんなことを聞いたスターゼルは、
「断固乗らないである! なぜ、我輩のような高貴な者がそのような者に乗らねばならぬのだ。そんなものに乗るくらいならば飛竜籠の方が良い」
そう言った。
「うげえ」
スターゼルの発言にエーファはまたも嫌な顔をする。どうやら、走竜車と同じく飛竜籠にも嫌な思い出があるらしい。
ぶつぶつと何やら言っている。目に生気がないので、非常に嫌なことがあったのだろう。一体スターゼルは何をやったのやら。
「なんなんだ飛竜籠とは?」
そんな彼女らを放ってわからないゼグルドがアルフに聞く。
「ああ、飛竜籠ってのは文字通り飛竜に籠持たせて飛ぶ乗り物だよ」
「ほほう、人間は面白いことを考えるな」
「まあ、確かに速いし、楽なんだがこの辺りにはそんなもんねえからな」
飛竜籠などあるところはリーゼンベルク周辺くらいだ。このような地方にあるわけがない。あったとして、それはかなり高いのだ。五日分を移動するのに割が合わない。
「ですが、それは走竜車もそうではございませんか?」
「幸い、俺の知り合いに安く走竜車に乗せてくれる奴がいてな問題ない」
逃げ道はない。エーファはそう悟った。だからこそ、諦めてアルフが言う場所に向かうことにしたのだ。向かったのは街の中心にある大橋付近。
運び屋ギルドにも商人ギルドにも二重登録しているこの街最大手の商会。その商会長がアルフの言う走竜車に乗せてくれる奴だった。
アルフが昔に依頼とは関係のないところで命を救って以来の関係を持った男がいるのだ。友達価格という奴で乗せてくれる。
その男が運営する商会の名はイーランド商会。船上商会というリントでもオーロでもないその中間の川の上に複数の船をつないで固定したその上に存在していることで有名だ。
「あれだ」
大橋の上から見える複数の船がつながって巨大な建物を構築しているのが見える。船上にあるとは思えぬほど大きな屋敷のように見えるそれからはカネの匂いがプンプンする。
典型的な商会の例に漏れず質素を体現したような最低限度の装飾が施された商館。大手とは思えないほどに簡素で質素な外装。されど大商会らしい金の匂いがしている。
商人は飾らない。
そういう言葉がこのリーゼンベルク王国には存在している。他国でもそれは概ね同じで、似たような言葉がある。
商人は決して、その財を見栄には使わないという意味の言葉だ。必要最低限、体裁を保つくらいには飾りつけはするものの、それ以上は絶対にしない。
商館は基本的に飾り気がない。無駄な装飾に金を使うことを嫌っており、そんな無駄なことはしない、という商人の生き方を示した言葉である。
この言葉の派生として、成金と貴族は飾るという言葉がある。これは逆に、見栄に金を使うという言葉だ。
スターゼルを見ていればわかるだろう。まあ、アルフには一生縁のない言葉でもある。
「変わってないな」
商館の中に入れば、内装も外観と似たようなもので、必要最低限度舐められない程度の装飾品や調度品はあれど、それだけであり質素なものだった。
まず、正面には受付があり、その前にはいくつもの席につく者の平等性を示す丸いテーブルがいくつも並べられている。
質素ながらどこか豪華さを感じる絶妙なソファーとテーブルが置かれた応接スペースが仕切りの向こうにはあり、商館の壁際には二階へと続く階段がある。
稼ぎ時ということもあって、中に商人はいない。いるのは受付と数人の行商人だ。長旅のあとなのだろう。テーブルに座って久しぶりの酒に舌鼓を打っているようだった。
アルフらが入ってくると、皆一様に視線を向けて値定めをしてくる。顔から全身を舐めるように見て、最後に冒険者証を見て再び酒を飲むのを再開。
ただし、先ほどと打って変わって、注意は常にアルフたちに向いている状態。一挙手一投足を観察している。
特に竜人という珍しい存在であるゼグルドや杖を持っていることと美しい金髪と青い眼から高貴な血筋であることが明白なスターゼルにそれらは向いている。
また、その情報が役に立つか吟味しているようだった。アルフに向いている視線はない。また新しい弟子を連れてきたかくらいだ。
「な、なんとも落ち着かない」
「商人ってのはそういう生き物だ。気にするな。こっちだ」
「それだけではない、船という中だというからか気持ちが悪い」
「私もでございます」
「はっはっはは、まったくだらしがないであーる」
商館の様相を呈してはいるが、それは確かに船でもあるのだ。当然揺れはある。感じられるほどには微妙であるが、過敏である者はきついらしい。
「まあ船だからな。そのうち慣れる。行くぞ、こっちだ」
アルフは受付に向かわず直接二階へと向かう。
「受付に寄らなくてよいのでございますか?」
「ああ、顔パスってやつでな」
そう言いながら二階の奥の部屋に行く。アルフが先頭でノックしながらドアを開けた瞬間、
「ああ、何とも麗しいのだ。野に咲く花のように可憐な華。それはまさに君の事さ」
突きつけられた指と共にそんな愛の言葉が囁かれる。
「咲き誇り、赤く紅く熟し切った果実よ。積み上げた年月のままに芳醇な香りを放つ美の極限にて、ああ、今日も私を狂わせるのか。
ああ、何たること。等しく全てに愛を注ぐと誓った私ですら、貴女にだけ愛を注ぎたいと思ってしまう。ああ、このような罪作りな私を許して欲しい」
大仰な動作で純白の簡素な衣服を身にまとった男はひたすらに愛の言葉を吐き続ける。閉じられた目はアルフを見ていないのは自明の理で。
ああ、つまりまたなのかとアルフは現実逃避と共に頭を痛ませる。なんにせよ、この男、病気であることにかわりはない。
その間も男の告白は続いていく。
「ゆえに、その手でこの罰当たりな私を罰してほしい。容赦なく、その皺に覆われた手で私の尻を叩いてほしい。どうか、この憐れな私にどうか、ああ、どうか罰を! そして、許されるならばどうか私に一時の愛を与えて下さい」
そうして訪れる一時の圧倒的な静寂。アルフはもちろんのこと、目の前の男も、背後にいる三人も硬直していた。
アルフらの思考は共通していた。なんだ、こいつおかしい。それでいて、気持ち悪いということだった。
しばらく余韻とでも言うのだろうか。恍惚な表情をしていた男はゆっくりと目を開いた。
「……アルフ。すまない、その思いは確かに本物なのかもしれない。だが、僕では君の思いにこたえられないんだ、僕には僕の女神がいるのだ」
「知ってるし、こっちからお断りだ。この熟女好きの変態め」
そして、アホなことを言って身を悶えさせているアホ。またの名を被虐趣味の熟女専門似非紳士。これでもまだ言葉を選んだ方である。
「心外な。僕は老女専門。あのような似非どもとはいっしょにして欲しくない」
実物はもっとひどい。きっと今日も今日とて頭の中がおかしなことに振り切れているらしい。
これでもこの街最大手のイーランド商会の全てを取り仕切る若き才人、アルバート・イーランドであるのだから世の中どうなっているのやらだ。
「して、どうだい、僕の愛の告白は。四番地の未亡人アンナさんを口説きに行こうと思い練習していたのだが」
「知らん」
どこをどう答えればいいのだ。あんな変態の告白。自分の嗜好をただ単純にさらけ出しているだけで、これ苦笑されればいい方で、大方はひかれるかぶん殴られるレベルの気持ち悪さだ。
それを言わないのも友情であるし、そんな友情などとにかく捨ててもいいかと思ってしまうほどには気持ち悪いのだがまあ、それはさておいてだ。さっさ本題に入るために後ろで固まっている三人を紹介する。
「む、女は乳臭いガキか。おい、アルフ、なぜお前はガキしか連れてこないんだ」
「普通、死にそうな婆さんなんて連れて歩かねえよ」
「それだからお前は馬鹿なんだ。華は枯れかけた一瞬が美しいのだ。その時にこそ、最後の生の輝きと言うものが見れるのだ」
「知らねえよ。それより、本題に入らせてくれ」
「走竜車だろう。お前がここに来る理由なんてそれくらいじゃないかな? 祭に行くんだろ。ラグエントの」
「ああ、話が早くて助かる」
「これでも商人さ。それくらいの情報は手に入れている。偶然にも好都合にもラグエントに荷物を運ぶ仕事があってね。
祭だから、どこも支店を出そうと躍起というわけさ。それはうちも一緒でね。それで、大分前に支店にする建物を買い取ったわけなんだけど、生憎と悠長に掃除とかしてる暇がなくてね」
走竜を複数匹所有するイーランド商会は運び屋ギルドに登録する運び屋でもあるのだ。祭とあっては輸送依頼も多いらしい。
「だから、君らにお願いしようと思っていたわけだよ」
大仰な動作でそう言ってアルバートは契約書類を取りだす。
「報酬は走竜車に同乗できることでいいかな?」
「気前がいいな」
普通なら安い金貨レベルの乗り物だ。
「なに、私としては君と繋がりを作っておくほうが儲けに繋がるという打算もある。なにせ、王国級を育てた男だ。君とつながりがあれば王国級を安く雇えるだろう?」
「そううまくいくと良いな」
「君なら融通してくれるよ。君はそういう奴さ。これで女で、もう少し歳がいっていたら僕の好みなんだけどね」
「やめてくれ」
「じゃ、頼んだよ」
そう言われ街外れの走竜小屋へ向かい一行はラグエントへと向かうのであった。
というわけで第三章開始でございますが、執筆時間が激減中でいつまで定期更新できるかは不明です。
老女専門を調べて、それ用の言葉があった時の驚きは半端ではなかったです。
しかし、変態は書いていて楽しいですね。色々と振り切れてるキャラというのは書いていて楽しいものです。
さて、次回もなんとか更新できるように頑張ります。
では、また次回。