閑話 過去話と彼について
注意
全体的にいつもと書き方が違います。
残酷描写あり
視点により一人称と三人称の切り替えあり
明確に視点が変わっているので誰かが美化されている可能性あり。
――病に犯されていたとある少女の場合
私はごくり、と思わず喉を鳴らしてしまう。目の前にある建物は思わずそうしてしまうほどには威圧的でした。
なぜなら、そこは冒険者たちが集まる場所であるから。つまりギルド会館。冒険者でない、関係ない者が入るには少しばかり勇気がいる。
「大丈夫、大丈夫」
そう自分に言い聞かせる。あの人は優しかったから、たぶん大丈夫。ミールデン様を守護聖人にしているギルドって言ってたから。
意を決して扉に手をかけようとした瞬間、
「ひっ!」
突然、勢い良く扉が開く。そこに立っていたのは、大柄の男の人。
「…………」
「え、ぁ」
「…………」
そこで、私は自分が邪魔になっていることに気がついた。
「す、すみません!」
慌てて脇に避けると男の人は何も言わず出ていった。扉は開いたまま。
「い、行こう」
勇気を出して中に入った。
視線を感じるかと思っていたけれど、そういうことはない。中には、人があまりいなかったから。
「えっと」
あの人がいないか探す。いない。
そんな風にきょろきょろとしている町娘は目立つのだろう。あるいは、困っていると思われたのだろう。
「どうかしたのかしら?」
とても綺麗な人に話し掛けられた。
同性でも見とれてしまうほど綺麗な人。青と見違うほどの髪は揺れる度に輝きを放っているかのよう。
くすんでただ長いだけの自分の茶髪とは違う。貴族様と言われても信じてしまうかもしれない。
「依頼かしら? それとも誰かに会いに来たの?」
声もとても綺麗。きっと誰もがこの人に恋をするのかも。もしかしたら、あの人も……。
「依頼、というわけではなさそうね。誰かの身内でもないでしょう? 入って来るの躊躇っていたから……助けてもらったお礼を言いに来たのかしら?」
「あ、は、はい」
凄い。あたってる。
「そう。じゃあ、その人の名前はわかるかしら?」
「いえ」
あの人は名乗らなかったから。お金もいらない。困っているようだから助けたとだけ言ってあの人はそのまま去って行った。
「そう……なら特徴はわかるかしら? 髪の色とか」
「えっと、髪の色は……灰色でした。腰に剣を二本差していて……」
あの人の姿を思い起こしていると自然と、私はあの人に出会った時のことを思い出していました。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おい! あんた、しっかりしろ!」
あれは、少し前のこと。魔力が徐々に抜けて衰弱死する「魔渇病」と呼ばれる病気に患っていた頃のことでした。
この病はとにかく末期になるまで本人が気がつかないことが多くきがついた時にはほとんど助からない病気らしいのです。
そんな病にかかり気づかぬまま買い物の途中で、魔渇病の末期症状で倒れてしまった時に通りかかったのがあの人だったのです。
「おいおい、勘弁してくれよ。二度目は勘弁してくれ」
返事が出来ないほどに衰弱した私を彼は抱き上げるとそのまま医者のいる治療院まで連れて行ったのである。
今思えば恥ずか嬉しい経験であるが、あまり感覚を覚えていないのが残念。
「先生!」
「うわ、なんですか、血相かえて――ああ、あなた遂にやらかしてしまったんですね。何も言わないで下さい。わかっています」
「ふざけてる場合じゃねえ! 病人だ」
「それを先に言って下さい! こちらへ」
私は固い治療台の上に寝かされました。
「衰弱が酷い、これは……」
「魔渇病だ」
「やはりですか。魔力見えないんでわかりませんが」
「ああ、マジだよ。魔力がほとんどねえ上に、見てくれ」
そう言って彼は私の口を開いて舌を出させる。
そこには魔渇病にかかった者特有の痣があるらしい。
「確かにそのようですね。しかし、不味いですね」
「まさか」
「ええ、薬がないのですよ。材料もです、滅多に使いませんから」
あとでお医者さんから聞いた話ではあるのだけれど、魔渇病の薬の材料というのはかなり高価で市場にあまり出回らない類いのものだったらしい。
隣の薬屋にもそれは同じでした。更に言えば、かなり高くて庶民ではほとんど買えないとも。
「わかった。俺が集めてくる」
「あなたならそういうと思ういましたが、良いのですか?」
「ああ」
「やれやれ」
呆れたようにお医者さんはそう言ってメモ書きを彼に渡す。
「じゃ、ちょっくら行ってくるわ」
そう言って彼は出ていきました。それからは気を失っていてこれもあとから聞いた話になるのですが、あの人は不眠不休飲まず食わずで、魔渇病の薬の材料を集めたそうです。
あちこちを走り回っては魔物と戦い、少ない貯金を切り崩して宿屋の部屋すら引き払い賭け事までやって材料を揃えたそうなのです。
そのおかげで材料は揃い、薬屋さんが薬を作ってくれたおかげで私は命をつなげることが出来ました。
目覚めた私を見て、彼はまるで自分のことのように喜んでくれました、良かった良かったと。
でも、当然、私は彼を知りません。見ず知らずの他人でした。だから、なぜ助けてくれたのかと聞いたのです。
すると彼は、
「俺はシルドクラフトの冒険者でな、目の前で苦しんでる奴や、助けを求めてる奴を絶対に見捨てない。だから、助けたんだ。あんたが助かって良かった。
――んじゃ俺は行くわ。しっかり養生しろよ」
そう言って彼私の頭にぽんぽんと優しく手を置いて、何も言わずお医者様に私を任せて去っていきました。
私は、まるで物語の中の勇者様のような方だと思いました。確かに見た目は、髪はぼさぼさでお髭などもそのまま、服などもつぎはぎだらけで、だらしがなかったです。
でも、とても優しい人でした。見ず知らずの他人である私の為に必死になれる人。夢物語の勇者とは似てもにつかないけれど、私にとっては本物の勇者でした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それから動けるようになった私は、こうやってあの人を探しに来ました。あの時のお礼を言う為に。
「……それはアルフね」
「え?」
思い出している間に、話が進んでいたようで綺麗な人が私が言った特徴で当たりをつけてくれたようでした。
「あ、す、すみません!」
「それで、灰色の髪と目のシルドクラフトの冒険者で、お金を受け取らずに何かやるならこいつくらいなのだけど、あっているかしら?」
綺麗な人は、そう言って魔法具で撮った絵を見せてくれました。
「はい、この人です! 私、魔渇病を治してもらって、あのお礼に、あのいますか?」
「やっぱりね。……残念だけど、今はいないわ。帰って来るのもまだ先ね」
「そうですか……」
お礼を言って、お金も少しでも返そうと思ったのですが。
「ただ、たぶん受け取らないわよ、あいつ」
「え?」
「あいつは、そういう奴よ。依頼扱いで報酬を出しても良いって、言ったのに依頼なんてないなんて言って受け取らないのよ。困ったものだわ」
あ、なんか想像できる。
「優しい人ですよね。私なんかを助けてくれましたし」
「そうね。まあ、魔渇病なら仕方ないわ」
綺麗な人が言うにはアルフさんのお母様が魔渇病で命を落としたのだとか。だから、あんなに必死に助けようとしてくれたのですね。
でも、魔渇病じゃなくてもあの人は助けてくれたんじゃないかなと思います。女の勘という奴です。誰にでも優しいあの人はきっと苦しんでる人がいたら助けるんでしょう。
短い付き合いにも満たない付き合いでしたけど、私はそう思います。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――とある州級冒険者の少女の場合
「ふぇ? アルフせんせいを慕う理由?」
「はい、そうでございますミリア様」
「アルフせんせーだから!」
あれ、エーファちゃんが微妙な顔したー。なんでー? 間違ったこと言ってないのに。
「具体的な理由はないのでごさいますか?」
「アルフせんせーだからだよ! それ以外なんてないよー!」
あれれー? エーファちゃんまた微妙な顔したー。呆れてるっぽい? なんでだろ、間違ってないのにー。
アルフせんせーだから。ぼくの全て。ぼくはアルフせんせーの為に生きてるの。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
響いてくる悲鳴なんて信じたくなどなかった。
だが、目の前の現実はそんな少女の願いを否定する。抵抗もむなしく無理矢理に見知らぬ男たちに部屋から連れ出され、家の外に転がされた。
同じように転がされた人がいる。両親、姉と慕う隣の家のお姉さん、その他若い娘たち、村の男たち。
気が付けば、いつの間にか争う音は終わっている。残っていたのはの不快で嫌な鉄のような臭い。
それが血の匂いだと気が付いたのは転がされた地面にたっぷりと、血溜まりになるくらいに、しみこんで溜まっていたから。
「ヒッ――」
漏れたのは悲鳴だろうか。いや、悲鳴にすらなりはしないただの呼吸音だ。
あまりの理解を超えた事態に少女の脳は理解をすっぽかして、ただ恐怖という感情を発するだけの装置と成り果てていた。
生物の至上命題たる生きるということを実行するための呼吸というもっとも普遍的な動作すら忘れてしまったのだ。
瞬間的な呼吸困難で視界が歪む。このままいけば気絶して全てが夢だったという展開にならないだろうか。
いや、そうはならない。そんな願いは聞き届けられない。気絶することを目の前の男たちは許してはくれなかった。
そもそも、血の染みこんだ、血だまりの中で気絶する勇気も胆力も押さない少女にあるはずもない。
ただ、恐怖に怯えることしか出来ない。
そんな時だ、地面が輝きどこともしれない場所に視界が切り替わる。転移魔法だと言うことは少女にはわからない。
地面は石畳になり、場所が変わったはずだが臭いはより強くなる。まるで、死が濃縮されているかのように。
「さて、出番ですよ」
そんな中で、黒のローブを着た男がそう言うと後ろにいたらしい男たち前に出る。
鬼気迫る表情で、血濡れの身体を震わせ今にも飛びかかって来ようとしているかのようだった。
「さあ、壊して楽しく殺し合って犯し合って下さい。君たちは欲求が強められています。乾くでしょう? さあ、我慢などせず、殺して食らって犯しなさい。全ては、我らが主のため」
幼い少女にはその言葉が何を指すのかわからない。恐怖でマヒしすっかり職務を放棄した頭ではわからない。
呼吸困難で意識を保つのにすら苦労している中でこれ以上何かを考えるなどできるはずがなかった。考えられたとしても考えたくもなかった。
それでもなぜか、視界だけは嫌にはっきりしていた。まるで、此れから起こることを見逃すなと天上の意思がそう言っているかのように。
いや、この場合ならば悪魔だろうか。どちらにしても、ろくなものではないことだけは確かだった。
だから、まざまざとその様を見せつけられることになる。
「――――!!」
知り合いが殺されていく様を見せつけられる。
男たちが村の娘たちに群がっていた。そこには少女に良くしてくれた姉替わりの人も。
棍棒で殴られ頭が吹き飛ぶ。血が吹き出していく。男たちは、それを喰らい飲み干して行く。
それから服を破られる。ビリビリという布を破る音が嫌に響く。その中でも唇を乱暴に奪われ蹂躙される水音は酷く鮮明に少女の頭の中に入ってくる。
悲鳴とともにただ欲望を叩き付ける音と、肉を食べている咀嚼音だけが聞こえて来る。
――やめて、やめて、やめて。
「いや、やめてえええええ――!?」
眼を背ければ、母親が男に群がられ殴られ犯され、食われていく様子が目についた。目について、それは離れない。
男に馬乗りになられて、恥部を晒して、汚らしい男に蹂躙される母親の姿。それに声が出ない。
もとより、呼吸すらすっぽかした脳が今更言葉を発するなどできるはずもなくて。それでも縋るように前に進もうとして、でもそれは叶わない。
何度も何度も母親が男たちに犯され、それでも死なず狂わされていく。ああ、ついには、抵抗すらしなくなっていく。
死んでいてもおかしくない傷を受け腹から内臓を引きずり出されながら笑らいながら食われていく母親の姿。
その光景を否定しようしても、目の前の光景を否定できないでただ、顔を背けて父親にすがろうとする。
――やめて、やめて、やめて。
父親が襲いかかってくる男たちを殺しながら血溜まりの中で笑っている姿が目には入った。
狂った姿。優しかった父が嬉々として人を殺し、肉を喰らい血を飲み干して女を犯す。
もう、そこからは坂を転がり落ちるだけ。ただ己の欲求、快楽に溺れて、溺れて、溺死した。頭を半分なくしてもなお笑いながら殺し喰らい犯して眠る様は狂気以外のなにものでもない。
「ああ、ああ――」
少女は己の中の何かががらがらと音を立てて崩れていく音を聞いた。いや、とっくの昔に聞いていた。
日常はもう壊れて戻らない。それを幼いながらに理解した。理解してしまった。
そして、次は自分であることを彼女は知った。それが少女の限界。僅かに保たれていた正気はバラバラに崩れ落ちて、狂気が顔を出す。
「いやああああああ――――あはははははは!!!」
悲鳴と共に生まれたのは狂気。悲鳴と共に振るわれるのは、その場所に置いてあった大斧。
がむしゃらに振るう。断裂する筋肉。殺しの快感。なくならない飢餓感。喰らう、喰らう、喰らう。
壊れたのだろう。頭も、精神も、心すらも。全て壊れて、バラバラになってしまった。
ただ、殺して、喰らって、犯し続けた。最後になるまで。最後になったら血が染み込んだ床へと倒れ込んだ。
そうやって、何も感じなくなってただ呼吸をするだけの人形に成り果てた頃、男が終わりを告げる。ようやく地獄は終わりを告げたのだ。
いいや、違う。終わったわけではない。人生の全てが悪夢に変わっただけたった。
ぐったりと、地面に横たわる少女は、歪む視界、霞む視界の中で声だけを聴く。
「続きはまた明日。全て終われば君は助かるよ、頑張ってね」
終わらない地獄は始まったばかりだった。いつ終わるともしれない地獄。終わらない悪夢が全てを支配する。だが、希望があれば狂気でも人でもついて来る。
次の日も、その次の日も繰り返される地獄。蠱毒の器の底なのだ。全てが一つになるまで。全てが狂気に染まるまで終わりはしない。
全てが沈み消えていく中で、絶望の中で少女は狂気の希望にすがる。何もかもをなくした少女は、最後の希望にすがったのだ。
それ以外には何もなかったから。そして、どれだけの時間が経ったかわからないが少女は生き残った。ただし、もはや動くことは出来ない。
「残ったのはあなたですか」
「あ、あぅ、あ」
無くした手足を必死に動かしてすがる。言葉すら忘れていた。だが、生き残った。
だから、助けてとすがり付く。男が来たのだから終わったのだろうと考えて。
「じゃあ、最後の一回です、頑張りましょう」
希望が叶うと思った瞬間からの転落こそが、最も深い絶望を生み出す。助かると思っていたところに更に絶望をくべてやる。
ほうら、全ては黒一色に染まる。今、少女は理解した。希望などなく、世界にあるのは絶望しかないのだと。
「あっ――――」
少女を支えていた狂気の糸が切れる。狂ってなお保たれていたものが崩れ去り、少女は物言わぬ肉袋と化した。
何もない。狂気もなくなった。本当に少女は空っぽになってしまったのだ。これで良い。これこそがローブの男の望んだことでもあるのだ。
「さあ、準備は完了。さてうまくいくとよいのですが」
男はそう言いながらも、床に伏せていた魔法陣を起動した。そこから呼び出すのは極大の何か。例えるならば黒。それを空っぽの少女へと入れる。それは少女の肉体を蝕む。
蝕まれ、ひび割れていく少女。悲鳴すら上げず、ただ成すがまま。もとよりそう思う心がない。だからこそ静かに時だけが過ぎていき、そして少女は生き延びた。
「おめでとう、君は選ばれた。さて――」
男は喝采する。成功した。男の目的は終わったのだ。目的は終えた。ゆえに、もう目の前の少女など必要ない。
だから、喝采しながら男は少女を消し去ろうと手に魔力を込めた。その瞬間、空間を削り取ったかのように跡形もなく男の腕が消し飛んだ。
「おお――?!」
少女が起き上がっていた。それは男に対する復讐などではない。少女の目に生気はない。死人の目をしたままただ反射で動いたのだ。
身体に残ったのは自己保存の為の反射行動。強大な存在が持つ自己保存性によって反射で動いているだけに過ぎない。それでも吐き出されるのは莫大な魔力。
「おお、これは予想外」
放たれる少女の一撃を避けながら、消そうと魔力を込めて攻撃しようとした瞬間に反射で攻撃される。どうしたもんかと考える。
「――おや」
男は不意にここに走り込んでくる何者かたちの足音を聞き付けた。
冒険者と騎士団だろう。任せれば良いかと男は少女の危険性を走り込んできた数人の人間や亜人たちに見せつけて消えた。
少女は、それと共に動きを止めて立ちすくむ。
「総員抜剣! 化け物を!」
「待て! まだ子供だぞ!」
応戦しようとする騎士団や冒険者を一人の男が止める。灰の髪に灰の瞳の男だ。
「しかし、見ただろう、あれは危険だ」
「なら何で襲って来ない」
少し任せて欲しいと頼み込み、男は全ての武器を置いてゆっくりと近づいていく。
敵意なく、ゆっくりゆっくりと。そして、一気に抱き締めた。少女を止めるために。そして、救うために。彼の聖人に倣いただ抱き締めた。
少女は反射的に暴れる。蹴る、殴る。その一発一発で、男の骨は砕け、肉は引き裂かれていく。暴れて、暴れて暴れる。
しかし、男は何も抵抗せずに暴れる少女を暴れるままに抱き締め続けた。
「大丈夫だ、大丈夫。安心しろ。怖いものはない。だから、大丈夫だ」
そうしっかり少女を抱き止めながら男は大丈夫大丈夫と言い続けたのだ。暴れる少女に傷つけられてもただ抱きしめて、粉末を吸わせる。
少女は次第に動かなくなった。眠り粉の効果により眠らせたのだ。
その後、目覚めた少女が見たのは木の天井。宿屋の一室。
「――――」
「ん? 目が覚めたか、大丈夫か?」
灰髪の男はそこにいた。鎧戸を開けて部屋の中に光を入れる。少女に反応はない。風が吹きその赤茶色の髪を揺らす。
わずかにそちらに顔を向けるが少女にそれ以上の反応はない。そんな少女を抱き起して、
「なんか食うか? 腹減ってるだろ? もらってくるからちょっと待ってろ」
そう言って男は出ていく。そして、すぐに戻ってきた。木製の椀に入れられたのは粥。ほとんどの野菜は細かく切られ、更に煮込まれたためかとろとろとなっている。
「ほら、うまそうだぞ?」
食べやすいように配慮された粥を湯気を上げるまま匙ですくい彼女の口の前に男は持っていく。しかし、少女は反応を示さない。
「…………」
「食わないのか。なら、ここに置いておくからな食いたくなったら言ってくれよ。なら、何か他にしてほしいこととかあるか? 安心しろ。俺が出来ることならなんでもしてやるぞ?」
男は少女の世話を焼く。反応されないというのに、笑みを浮かべてわざわざ話しかけながら毎日、毎日。次第に少女は男に反応を返すようになっていった。
そんな風に数か月もほとんど付きっ切りで世話をしていた男。あまりそういうことに慣れていないのか不器用なものであったがそれでも少女の為に尽くした。
だから少女は言葉が戻った時、男に聞いた。
「なんで、そんなに世話をしてくれ、るの?」
男が浮かべたのは笑顔だった。言葉を喋ったことが嬉しかったらしい。良かった、と自分のことのように男は喜んだのだ。
それからこう答えた。
「お前が子供だからだよ。子供の世話は大人の義務だ」
「それ、だけ?」
「勿論、違う。お前はほっとけない。あの場所で何をしたとか何をされたとか、俺は知らんし聞くつもりもない。
だけど、辛かっただろ? 苦しかっただろ? それと同じくらいお前は幸せになっていいと思った。いや、違うな幸せにしてやりたいと思ったんだ」
その言葉で何かが溶けていくような感覚を少女は味わう。
「けど」
「あー、言わんでいい言わんで。どうせ、暗いことしか言わないんだろ。お約束だもんな。だから言うなよ。
――いいか、子供はわらってりゃ良いんだよ。子供は何も考えず笑ってろ。それ以外は全部大人に任せてりゃ良いんだよ」
だから、笑え。そう男は言った。苦しいことも、辛いこともあっただろう。それで泣いたなら、あとは笑え。そうすれば幸せになれる。
「でも、一杯、いっぱい、ころした、よ」
人殺しは悪いこと。悪いことしたら幸せになれない。掠れて思い出せなくなった記憶の中で誰かが言った言葉が口をついた。
「それは、仕方がなかったことだろう。お前の責任じゃない。だが、責任を感じるってんならなおさら幸せにならないとな」
「え……?」
「殺してまでお前は生きたいと思ったんだろ? なら、生きて幸せにならないとお前に殺された奴らは何で殺されたんだよってなるだろ。だから、お前は幸せになれ。笑っていられるようになれ。そんで最後まで生きて生きて死んだときに殺した奴らに幸せになりました、ありがとうって言ってやれよ」
男のそれはただの妄言であった。ただの妄想だ。そんなことあるはずがない。殺されれば恨む。それは当然のこと。だから、否定しようとすればできるのだ。
だが、少女は何も言えなかった。その言葉は何よりも真摯で何よりも優しくて、何よりもそう何よりも温かかったから。
「それでもまだ足りないなら、俺の為に生きて幸せになってくれよ。な? ここまで世話したんだ。早々に死んでもらっちゃ困る。あ、べ、別に金をせびろうとか思ってねえからな。俺の目覚めと気分の問題だ。
だから、生きてくれよ。幸せになってくれよ、な? 理由が必要なら幾らでも作ってやるからさ。子供は笑って幸せになろうぜ? な?」
「あ……」
少女の頬を涙が伝う。今の今まで流せなかった涙が溢れだす。そっと、男が少女を抱きしめる。その胸で少女は涙を流した。
そして、
「わかった、生きる、よ」
そう言ったのだ。殺した人のことを考えるのはつらい。仕方がなかったとは考えられない。目を閉じれば、いつでもあの地獄が蘇る。それでも生きようと思った。
光の中で笑うこの人の為に、生きて幸せになろうと思ったのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それは昔の記憶。そして、大切な思い出。アルフせんせいとの出会い。今でも思い出す。思い出すたびに想うのだ。やっぱり、これでよかったのかと。
ただそれと同じく幸せにならなくちゃとも思う。アルフせんせいの為にもと。そう思う。
「聞いてるでございますか?」
「むあ? 聞いてる聞いてるー」
「なら、きちんと答えて欲しいでございます。冒険者になった理由はなんでございますか?」
「アルフせんせーの為!」
ぼくは、アルフせんせいの為に生きてる。それ以外には、何もないよー。
アルフせんせいがぼくの生きる理由。アルフせんせいの為に、生きて幸せになる。誰より、何よりも幸せになる。
アルフせんせいにいっぱいいっぱいもらったから。いっぱいいっぱいもらったから。だから、同じくらい返す。
そして、幸せになって皆にありがとうって言うの――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――とある王国級冒険者の魔法使いの場合。
夜風に当たっていると気分が良い。そもそも、夜だ。もともと起きている時間。気分が良いというのも普通な感覚か。
「…………」
「ど、どうかしたのか、し、七炎殿?」
「…………む、いや、すまないな竜人。少し昔のことを思い出していた」
「それは?」
「なに、ちょっとしたことさ」
ローブの男に出会ったせいで思いだしてしまった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
少女としての原初の記憶とは両の手を拘束され、天井からつるされて皮を剥がれるというもの。
それが当たり前で、それが当然だった。毎夜、毎夜。父親から皮を剥がされる。それが当たり前でそれがいつものことだった。
昼間は愛されていた。父がいて、母親がいる。幸せな家庭。ただし、外に出ることを少女は禁じられていた。村に行くことを少女は禁じられていた。
父の言いつけを守っていた。そうすれば父親は優しかったから。父親の言いつけを破れば罰が与えられた。重く苦しい罰だ。
少女はただ父親の言いつけを守り続けた。毎夜毎夜、泣きながら皮を剥がされ、治療される。もう嫌だと言う少女に謝る父親。
母親も父も望むこと。なら少女は我慢した。我慢してただ言いつけを守って、ただ守り続けた。何日も、何日も、何年も。
ある日、父親も母親も家にいない時、村の子供たちが探検にやって来た。悪魔の家。そう少女の家は呼ばれていたのだ。
少女は子供たちと友達になりたくて外に出る。初めは怖がられたが、父親の書架で学んだ魔法を見せれば珍しがって子供たちと遊ぶことが出来るようになった。
「何をしているんだ」
「あ、え、えあ……」
つい遊びに夢中になり帰る頃には日が落ちてしまっていた。当然のように父親は怒り、少女に罰を与える。
過去でもっとも苦しい罰を。
「もう二度と言いつけを破るな」
そう言われた。
それからしばらくして、村に冒険者が来たという話を子供たちが持ってくる。会いに行こうという子供たち。言いつけを破れないという少女を子供たちは連れ出したのだ。
そうしてであったのが灰色の髪に灰色の瞳をした冒険者と剣一本持った少年の二人組だった。子供たちに囲まれて話をしてとせがまれている。
男は困ったなと言いつつも断れない性格なのか話をし始めた。様々な話。竜だとか、広い世界だとかそんな当たり前の話。
しかし、それは少女にはまるで別世界の中の物語のように思えた。
話が終わったあと、子供たちは解散する。ただ、少女だけは残った。
「ん? どうした?」
「もっと、聞きたい」
「そうか、あれ以上はねえしな。すまん、今度来た時に話してやるよ」
「なんでもいい。外の話聞きたい」
「でも、これから仕事だしなあ。あー、わかった。おいランドルフお前、行ってこい」
「ヤフー、アルフさんいるとまったく傷受けれないからなー、よっしゃいってくんぜ!」
ヒャッハー、言いながら少年は森へ飛び込んでいく。
「んで? どんなことが聞きたい?」
少女は時間が許す限りなんでも聞いた。聞ききれなかったことは、次に聞くと約束して。男と少女は数年にわたり会っては話をしていた。
男は毎年毎年違う相棒を連れてくる。人間がほとんどであったが、エルフ、ドワーフ、獣人など様々だ。退屈はしなかった。
その時間は少女にとって確かに幸せと言える時間だったのだろう。
「さて、ついにこの時が来た」
そして、数年の月日が流れた。満月の夜に、父親はそんなことを少女に言ったのだ。嫌な予感がしていた。
なぜならば、父親が持っているのは少女の皮を使って作られたどす黒い魔導書であったからだ。
それだけではない強烈な血の匂いがしていた。初めて父親に家の中から連れ出された。紅い月が天を覆う嫌な日。
村の中心。人の血と人の肉と、人の骨で魔法陣が作られている。それは何かを変性させるという意味合いがある。
仲の良かった奴もいた。村人の死体。村は壊滅していた。その中心で、父親は狂ったように嗤い少女を魔法陣の中心へと放り込んだ。
そして、魔導書を開く。どす黒い魔導書の闇が少女を呑み込もうとする。叫んだ、やめろと叫んだ。だが、父親は止めてはくれない。
母親に助けを求めたその時だ。傍らに立つ母親。優しかった母親ならば助けてくれるだろうと信じていた。ああ、そうそんなわけはないのだととっくの昔に気が付いていて、知っていたのに。
「母親? こんな人形がか? お前の母親はとっくの昔に材料になってる。あいつもこのオレの為に使われて本望だろう」
父親がそう言った。母親だと思っていたものがブヨブヨの肉塊になる。
「ああ――!?」
「ヴェンディダートの言った通り、やはり人間の皮にあれを混ぜるのは成功のようだ。あとはこれが成功すればお前ははれてゴミになれる。良かったな屑が塵に昇格だぞ」
「な、んで」
「理由? 馬鹿か貴様は理由などこのオレの為以外にあるわけがないだろう。お前はオレの為に生まれて来た。なら、お前をどう使おうとオレの勝手だ。父親ごっこほど疲れるものもなかったぞ。オレを煩わせるなよ塵が」
「あっ……」
愛などなかった。そこには何もない。
ぷつんと、何かが切れる音がした。それとともに作り変えられる。少女の身体が作り変えられる。何かに。
そこから先は蹂躙だった。父親だったものに言われるままに村から村へ。虐殺をする。材料を仕入れとでもいうかのように人間を刈り取り、喰らい蹂躙していく。
少女は叫んでいた。誰か止めてくれ。誰か殺してくれと。少女はただ自らの死を望んだ。
そして、全てが終わった時には己は血染めで灰色の髪と瞳の冒険者に抱きかかえられていた。
「すみません、術者には逃げられました」
「わかった。おい、嬢ちゃんしっかりしろ!」
「うぅ」
「生きてるぞ! よし今助けて――」
「もう、いい」
もういい。男の言葉を遮って少女はそう言った。自分が何をやったのか覚えている。父親に操られて暴れたのだ。近隣の村を破壊して、破壊して、破壊して回った。
化け物のように。いや、まさに化け物だった。化け物なのだろう。手に感触が残っている。口には血の味が残っている。
「殺してくれ。楽にしてくれ」
殺されるのも当然で自分はそれだけのことをしたのだ。だから、殺して欲しい。こんな苦しみはもう嫌だから。
もう楽になりたかった。泣きながら少女は楽にしてくれと言った。
「ふざけんな! 子供殺すなんざ嫌に決まってんだろ!」
「わたしは、化け物だ」
「うるせえ! 誰だろうと子供は殺さん。じゃねえと、帰った時に俺はあいつになんて言えばいいんだ。子供殺した? 一生口きいてもらえなくなるわ! 俺は絶対に子供は殺さない。そいつがなんでもだ。必ず助けて幸せにしてやるんだよ」
こんな自分は、死んだ方が良いだろう。操られていたとはいえ、それだけのことをしたのだ。それなのに幸せになれというのか。
「まだお前はやり直せる。確かに、殺したのはお前でそれは変わらない。死んで償いにでもするつもりか? 死んで償えるわけがないだろ。それはただの自己満足だ。なら、生きてお前が殺した以上の人を幸せにしろ」
「こんな、こんな化け物に何ができる」
「化け物がどうした、力はどう使うかだろ。使い方を間違えなきゃもっと多くの人が救える。それは、俺にはできないことだ。だから、お前がしろ。人を救って救って、救えよ。俺にはできないことだ。弱い、俺には。でもお前にはそれができるだろ? な、だから生きろよ」
それはきれいごとだろう。少女にとっては、そんな言葉など否定しようとすればできた。だが、その言葉は何よりも優しくて、何よりも温かかった。
否定しようとする気すらなくなった。
「私は、生きていいのか、こんな私が」
「お前は、生きていいんだ」
そうか、と燃える炎の中で少女は静かに眠りについた。その瞳から涙を流しながら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…………」
血塗られた手。無辜の人々とを殺してしまった手だ。そんな手でも人を救えるとアルフ先生は言った。言ってくれた。
あの人の理想は気高い。力がないなんてとんでもない。あの人は人を救う力を持っている。あの人こそが英雄なのだ。
きっと、後世には残らないかもしれない。その時は、私が覚えていよう。アルフ先生が英雄だと。あの人の理想を叶えるために。
私は生きよう。生きていいと言ってくれたあの人に恥じぬように。
そして、あの人を幸せにするのだ。誰かいい人を紹介しよう。あるいはミリアをけしかけてみるのもいいか。
「ふふ、あの人の子を私が抱けるといいのだが」
「うむ? 何か言ったか? 七炎どの?」
「いや、なんでもないよ竜人」
さて、それはいつになることやら。あんなにいい人なんだ。早くを身を固めて、この業界を引退してほしい。
そうすれば、きっとあの人は助かるはずだ。でも、あの人だしなあ。
「どうなることやら」
先のことはわからないが、きっと大丈夫だと信じよう。あの人が私を信じてくれたように――。
というわけで、今回のお話は過去話でした。筆が重かったです。こういう話は好きだけど書くとなると難しい。
重い話ですが人が人を慕うにはそれ相応の理由があるということで、むしろそれくらいないとあの二人の依存度合い的に駄目だと思う。
あと、後半2人のエピソードが似通っているのはわざとです。しかし本当、美化されすぎだろ。誰だあのかっこいい奴笑。
さて、というわけで次回は第三章に入ろうかと思います。プロットは出来ているのであとは書くだけなんですが、なんだかモチベーションが低下中とか言ってたらなろうコン一次通過しました。
とりあえず一章の改稿もしないといけないので頑張ります。
では、また次回。