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とある中堅冒険者の生活  作者: テイク
第一章 とある従者と貴族と中堅冒険者
17/54

閑話 とあるギルド受付嬢の一日

――ギルド


 それは職に就いている者にとっての相互扶助組織である。商工業者によって結成された各種の職業別組合であり、各都市ごとに様々なギルドが存在している。

 冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルド、娼婦ギルド。あるいは、表に出てこない裏に存在しているという盗賊ギルドなどの犯罪者ギルド。

 

 それらの特色はそれぞれのギルドが持つ守護聖人によってまちまちであるが、主な機能は職業人を保護し情報を交換して弟子を指導し管理する。その他、仕事を斡旋したりなどの機能がギルド間において共通していた。

 そんなギルドを運営しているのがギルド職員、商人の娘や低位貴族の子女など学のある女性や何らかの事情を持つ男性たちである。


 特に冒険者ギルドであれば、その仕事は書類整理、受付、依頼板への依頼書の張り出し、遺物と呼ばれる迷宮の出土品を鑑定して鑑定書を出すことなどだろう。

 決して華々しくはなく劇的でもないがそれでも冒険者たちを支える重要な仕事であることには変わりなかった。


 彼らは朝早くからギルドを訪れる冒険者を迎え、依頼に向かう冒険者をギルドから送り出しそしてまたその帰りを待つ。

 それがギルド職員なのである。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


――朝。


 讃課――午前五時――の鐘と共に白と見まがうような青みがかったショートのプラチナブロンドの女性――エリナが目を覚ます。

それなりに柔らかい寝台は、中流階級の証だ。柔らかすぎるというほどでもなく、固すぎるほどでもない寝台。真っ白なシーツの中で朝の気配を感じながらまどろむ。


 しかし、それも数分のことだ。すぐに寝台から起き上がると井戸へ顔を洗いに行く。街の共用井戸ではなく、家自体に水源がひいてあるのもやはり中流階級である証だろう。

 南第二区で在るため、貴族街と違って浄化をする魔法使いがいないものの最近は雨が振っていない為問題なく使える水で顔を洗えば目も覚める。新しい一日が始まった、と切り替えができる。


「ふう」


 軽く息を吐いて、部屋に戻り仕事着に着替える。白のシャツにロングのスカート。受付業務用の制服。それに着替えて教会へと向かう。

 エリナは特定の神は奉じていない為に、ラウレンティアの標準的な教会のミサへ出席し、パンと葡萄酒をいただいてから北第二区の仕事場へと向かうことになる。


 朝のまだ早い時分。彼女は裏通りを通って北第二区へと向かうことが多かった。この時間帯はちょうど掃除が終わった時間帯でもあるため、裏通りは比較的綺麗でありまだ人が通れる。

 東の職人街に来れば、既にハンマーを振り下ろす音が響いている。その音を聞きながら、北第二区へ。城門が解放されたことによって夜、外で野営をしていた者たちが一斉にリーゼンベルクに入場していた。


 見知った冒険者も何人かいて、声をかけてくる。


「あ、エリナさんおはようございます!」

「ええ、おはよう。護衛依頼は無事成功のようね」

「はいっす!」

「てめえ、一人でエリナさんに話しかけるとは、ズルいぞ!」

「早いものがちっすよーだ!」


 そんな言い合いもいつものことだった。エリナは気にせず、言い争いをしている二人の冒険者を放ってギルドへと向かう。


「おはようございます」


 ギルド会館の裏口から会館内へと入る。すると、走り込んでくる影一つ。


「おっはよーエッリナー!」

「おっと」


 ひょいっと飛びついてきた女性を避ける。


「おはよう、リセリナ」

「む、連れないなー。ただのあいさつじゃん」

「暑苦しいの」

「むぅー」


 子供みたいな仕草をする子供っぽいリセリナをたしなめる。可愛らしい女性だ。子供っぽいところがあるが、これでも一児の母なのだから不思議なものだ。


「それよりも早く行ってきなさい。討伐系のカウンターはいつも人手不足でしょう。遊んでいる暇はないわ」

「そだね、行ってくるよー」

「さて、私も行きましょう」


 リセリナがカウンターに行ったのを見送ってエリナも自分のカウンターへと向かう。そこは雑用依頼専用のカウンター。やはり列はない。

 討伐カウンターはいつもの如く行列が出来ている。すぐになくなる行列であるが、入れ替わりでこちらのカウンターにやって来る冒険者への対応は大変だ。


 アルフが新人指導に出ている今、定期的に雑用依頼を行うのは集団級か村級の冒険者くらい。

 あとは討伐のついでに依頼を受ける者くらいだ。そちらの方が遥かに多い。


「あ、あの、これを受けたいんですけど」


 初々しい新人冒険者が依頼書を持ってくる。


「東地区から手伝いの依頼ですね。冒険者証を確認させてください」

「は、はい!」


 ガチガチに緊張しているのは、依頼を受けるからというのもあるだろうが、エリナに受付してもらっているからだろう。

 あとは、討伐系依頼のカウンターからの嫉妬の視線を受けているからかもしれない。おそらくはそれが一番なのだろう。ちらちらと、そちらの方を見ている。


 エリナは軽く溜め息を吐くと、そちらの方を一睨みする。湧き上がる行列。

 やれやれと、内心で呟きながらも手続きを終える。


「はい、冒険者ランク集団級のアッカス、確認しました。依頼内容は東地区の建築手伝い。規定ランクに達しています。依頼を受付しました。――がんばって」

「は、はい!」


 冒険者証を返却し、社交辞令で笑顔の一つでも向けてやれば新人はわかりやすいほどにやる気になってギルドを出ていく。

 そんな感じに時折やってくる冒険者たちを依頼に送り出して、山のような書類へとペンを走らせる。


 雑用依頼の依頼書である。それも新規のだ。広いリーゼンベルクでは問題も多い。人が多ければそれだけ問題も発生するのは当然で、比較的裕福な者が大半のリーゼンベルクでは誰でも彼でも依頼を出す。

 字を書けない者は代筆屋などに頼んで出す。


 それを受けるかどうか決めるのは冒険者ギルドだ。この場合はエリナである。どうでも良い依頼や重要度の低い依頼は別に受ける必要もない。

 これで大半の依頼が消え失せる。本当の新規の依頼となるのは倍以下となるのが常である。


 何でもかんでも依頼を依頼板に貼っておけば良いというわけではない。冒険者の数は限られている。冒険者を出すまでもない仕事は引き受けない。

 そう言った依頼は衛兵の詰所の方に回すこともある。市内巡回や犯罪の取り締まりなどは冒険者ではなく衛兵の仕事だ。


 貴族街以外の地区の衛兵は冒険者上がりの者なども多いので比較的話を通しやすいのである。


「泥棒の捕縛。これは衛兵に……下水道の掃除は……最近はあの辺りにも魔物が出たそうだから、討伐依頼と合わせた方がよさそうね。

 飼い猫の捜索。珍しい、貴族街からの依頼ね。これは……受けておいた方がよさそう。貴族とのコネが作れるわ」


 受けるものは箱の中へ。受けないもので他に回す仕事は別の箱へ。討伐系の依頼と共に合わせて依頼するものはそれ用の箱へ。受けない仕事は廃棄箱へと仕分けていく。

 そんな風に作業を続けていると、六時課――正午――の鐘が鳴る。


「んー」


 作業を続けていた手を止めてそっと、伸びをして。


「エリナ―お昼にしよー!」

「ええ、今、行くわ」


 交代の職員にあとを任せて昼ごはんの為に外へと出る。

 一人ではない。リセリナともう一人。片眼鏡をかけた女性。その制服はエリナやリセリナなどの受付業のそれとは違って、汚れが目立ちにくい黒を基調として手袋まであるものだった。


 彼女の名前はアンゼリカ。鑑定士だ。魔物の素材や遺跡からの出土品などを鑑定するギルドお抱えの鑑定士。

 エリナ、リセリナ、アンゼリカ。この三人は比較的一緒にいることが多い。綺麗どころ三人でもあるため、ギルド三大美女だとか言われている。無論、三人ともそんなことに興味はない。


 いつもの羊鳥の止まり木亭という店で食事をとる。外に並べられたテーブルに座って、料理を注文。アンゼリカがだらりと、だれる。


「はあ~」

「だらしないわよ」

「いいのいいの~、今日は、疲れた」

「最近、討伐系の依頼多いもんねえーアンちゃん、本当は遺物(アーティファクト)とか鑑定したかったのにすっかり魔物素材の鑑定士だもんねー」

「考えないようにしている。就職先を間違えたか」

「間違えてるわね。いつも言ってるでしょう。遺物系はうちよりルインズシーカーの方が良いって」

「だって、あそこくさいだろ。女として、どうなんだそれを気にしないって」


 そう、うっとりと彼女は言う。


 ルインズシーカー。言わずも知れた迷宮探索を主とする冒険者ギルドだ。探索者ギルドとも呼ばれている。

 迷宮探索の性質上、探索者は何日も迷宮へと潜り続ける。迷宮の中は魔物の巣窟であるため、風呂など入っている暇はない。


 そのため、探索者は臭う。だから、シルドクラフトにしたのだ仕事にならないから。それの結果が魔物素材の鑑定の毎日だ。

 まあ、それも仕方がないことだとは思う。アンゼリカの頭にぴょこんと生えた大きな耳。彼女は獣人だ。


 獣人は五感が鋭い。人間には見えないものを見て、聞こえない物を聞き、嗅げないものをかぎ分ける。身体能力も高い。

 彼女は鼠族の獣人だった。獣人種の中でも特に人に近い人の近人種であるため、身体能力はまさに獣が二足歩行しているようなザ・獣人には及ばないものの繊細であり微細な感覚を感じることが得意なのだ。


 そういう獣人を人獣と呼ぶこともある。

 ともかく、人間が気にならない探索者の匂いが彼女は気になって気になって仕方がならなかったのだ。


 いや、くさいからというわけではなく、その臭いが好きすぎて仕事にならないと本人が判断しただけである。

 というか一度そこに就職して辞めさせられているのだ、彼女は。


「エリナ、少しは慰めて」

「仕方がないでしょう。利きすぎる鼻を恨みなさい」

「んー、でも、半ばアンちゃんの自業自得だと思うのですリセリナとしては」


 なにせ、魔物素材の鑑定は百発百中のくせして、遺物関係になるととたんに役に立たなくなるのだ。いや、別に腕が悪いとかそういう話ではなく、興奮しすぎて役に立たなくなるのだ。

 その状態のアンゼリカは気持ち悪い。正直ドン引くほどに。臭いにも反応するので本当にどうしようもないのである。

 

 そんなことを話していると、


「どうぞ、お待ちしました」


 酒がまず運ばれてくる。冷えてはいないぬるい葡萄酒だ。それからパン、スープと運ばれてくる。


「まずは食べましょうか」


 いつまでもしゃべっているわけにもいかないので昼食を食べる。ささっと食べて、


「それじゃあ、行くわ」


 エリナは一足先に席を立つ。


「何かあるの~? 図書館?」

「ええ、少しね」

「好きだねー」

「あの匂い、好き♡」


 後ろ手に手を振って、彼女は店を出る。向かうのは、第一区――貴族街、王立図書館。第三門の衛兵に許可証を見せて第一区へと入る。

 まるで世界が一変したかのように感じるだろう。文字通り、ここに住む者たちは、門の向こう側とは住む世界が違うのだ。


 貴族街の端に王立図書館は存在する。あまり管理されているようには見えない蔦が絡まった外壁は、それだけここが重視されていないことを表している。

 それもそうだろう。図書館を利用する者は少ない。貴族は自分の館に書庫を持っているし、何より役に立つ蔵書がないのである。


 技術は秘匿すべきものである。伝える者は一人だけ。一子相伝。そういう風潮があり、図書館に納められているのは普遍的な事実と魔物についての蔵書だけ。

 目的のものは魔物に関する資料であるため問題はない。ギルドにも書庫はあるが、そこよりはこちらに来たのは集中できるため。


 人がいない図書館は、エリナが好きな場所の一つだった。


「こんにちは」

「ええ、こんにちは」


 顔見知りの司書に挨拶と入館料を支払って、燭台を借りると奥の書架へ向かう。

 天井まで届かんばかりの書棚にはぎっしりと本が詰め込まれており、壁にも隙間なく本が詰め込まれている。

 本の劣化を防ぐために窓のない図書館は薄暗く、昼間だというのに夜のよう。燭台の頼りなさげな灯りがゆれる。


「さて、ゴブリンだったかしら」


 今日調べるのはゴブリンについて。先日、アルフが奇妙なことを言っていたので、調べに来たのだ。


「ゴブリンが人を攫う。こういう事例があったか、ね」


 さて、どれくらいまで遡れば良いだろうか。ここ最近はそういう話は聞かなかった。ならば、もっと昔だ。

 百年、二百年。リーゼンベルク成立直後の三百年前か、あるいは、教会史でしか残っていない千年だとか。


 本当にそこまで古い資料となれば教会の歴史書くらいしか見るものがない。やはり調べるならば歴史書からが妥当だろう。


「千年前、この辺りかしらね」


 あらゆる意味で節目の年代。調べるならばここからだろう。そっと、教会の歴史書の写本を手に取る。他に書架から抜き取るのは、ゴブリンの生態を記した書。歴史書に重ねる。

 そっとテーブルに燭台を置いて読み始める。


「ゴブリン。

 緑の皮膚に、子供ほどの矮躯の魔物。原始的な知能あり、群れをつくる。繁殖力が高く、おふざけが好きで意地が悪い――違うわね」


 ゴブリンの生態の中には、人を攫うなど一言も書いていない。


「歴史書の方か」


 千年前の歴史書。その写本。教会史であるため、ある程度は正確だろうが、歴史は編纂者の思惑が一番に介在する。

 どれだけ真実があるか。


 ともかく真実としてあげるならば、魔王がいて勇者が討伐したのが千年前ということだ。


「あった。これね」


 人を攫うゴブリン。


「千年前のゴブリンは人を攫っていた。目的は……不明ね。魔族であるゴブリンの王が関係している。

 今回も王が現れた? それはありえそうだけど、今更よね」


 千年も現れなかった王が現れた。信じられない話だ。それに、魔族は千年前に勇者が全て抹殺している。現れるわけがない。


「ふぉっふぉっふぉ、何かお探しかな、若き短命種のお嬢さん」


 考え込んでいると不意に声がかけられる。しわがれた老人のように老成された声。しかし、視界にいるの若い青年だ。

 それも美しい。尖った耳を見れば彼が普通の人族でないことに気が付ける。彼はエルフだった。


「ゴブリンについての調べものを」

「ほうほう、ゴブリン。今でこそ、ただの悪戯子鬼などと呼ばれているが昔は酷いものだったよ」

「知っているのですか?」

「ふふ、知っておるよ。私は全てを見てきた。このリーゼンベルク王国の成り立ちも千年前の動乱も。良く、覚えているよ。そういう魂を私は受け継いできたからね」


 彼が人に何かを教えることは少ない。気まぐれに何かを言っては消えるのだ。


「ゴブリンが人を攫うことはあったのですか」

「あったよ。昔は、まだ、人とそれほどあれらが離れていなかったからね。繁殖すらできた。だからこそ、かつては多くの女性がゴブリンに攫われ苗床のように扱われた」

「…………」

「それも今では昔のことだ。今の人とあれらは離れすぎている。変わらないことを良いとは思うが、変われないのだよアレらは。ただ、これは始まりに過ぎない」

「始まり……」

「そう始まりだ。機を逃さぬことだ短命種のお嬢ちゃん」

「興味深いお話ですね」

「それは上々。では、また」


 そう言って彼はまた闇の中に消える。燭台の火がひらりとゆれた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「だから、俺らの獲物だったと言ってんだろうが!!」


 エリナが図書館からギルド会館に戻ると、ちょっとした騒ぎが起きていた。大剣を背負った冒険者が一人の冒険者に絡んでいたのだ。


「何があったの?」


 近場にいた職員にエリナは事情を聞く。


「あ、エリナさん! えっと、先ほど討伐から戻ったジュリアスさんに、あの方が、あれは自分の獲物だった、それを横取りされたと絡んでいて」

「あの馬鹿は、どこの馬鹿なのかしら。竜殺しのジュリアス・ローウェンに絡むなんて命知らずは」

「それがアイゼンヴィクトールの人みたいで」

「ああ、なるほど」


 アイゼンヴィクトールの冒険者は血気盛んなものが多い。魔物討伐の専門家であることを自負する彼らはとにかく血気盛んで喧嘩っ早く、自己中心的な者が多い。

 更に性質が悪いことに魔物討伐の専門家の名に違わぬ実力を持つのだ。だからこそ、傲慢な者も多く他者を見下す傾向が強い。


 これでも有事の際は頼りになるのだが、時折この手の問題が噴出してはシルドクラフトが駆り出されるのだ。


「わかったわ。行きましょう。ジュリアスなら下手なことはしないでしょうけれど、あのままだと迷惑だわ」


 ヒールを鳴らして存在感を出しつつ喧噪の中心へと近づいていく。


「そこまでよ」

「あん? なんだ、女」

「シルドクラフトの職員です。いい加減、邪魔なので喧嘩ならば外でやってもらえないでしょうか、他の冒険者に迷惑です」

「女が男の問題に口を出すんじゃねえ! こいつは、俺が狩ろうとしていた魔物を横取りしやがったんだ」


 そうなの? と細身で温和そうな表情を浮かべた男――ジュリアスに視線で問う。

 肩をすくめて、いいえと彼は返してきた。


 ジュリアスとはそれなりの付き合いがある。彼もまたあのアルフが指導した一人だからだ。だからこそ、エリナは彼が横取りをするような人間でないことを知っている。


「そうですか。ならば、止めはしませんが、彼我の実力差もわからないようであれば、この先死にますよ。ここは矛を収めて、話し合いで決着をつけてはどうです?」

「あ? 何言ってやがる。こんなひょろっこいガキに俺が負けるわけねえだろ!」

「ならば、何があっても問題はないと?」

「はっ、ないね、俺が負けるはずがねえ」


 やれやれ、つくづくアホだ。せっかく助け舟を出したというのに。

 しかも、エリナを馬鹿にしたせいで、ギルドの冒険者の大半を敵に回した。それにも気が付かないとは。


「…………良いわ、ジュリアス」

「ええ、すみませんエリナさん。お手数を、おかけしました」


 そう涼しげな調子で彼は言うと、即座に男間合いへと入る。腰の剣は抜かない。抜くほどの相手ではない。怪我すらさせる気はない。

 だが、圧倒的な実力の差を見せつける。そのためにすることは単純だ。右腕を見せるただ、それだけ。

 

 ゆえに、間合いへと滑るように入ったジュリアスは男の襟首をつかむ。いきなりのことで男は反応できない。

 そのままジュリアスは掴んだ襟首を引くと同時に足を払った。


 襟首を掴まれそれを引かれたことによって男は前のめりになり、そこで足を払われたことによって完全に態勢を崩す。

 地面へと向かって男の身体がゆっくりと落ちていく。シュリアスは前に倒れることによって上へと上がった足を掴み更に上へ持ち上げ未だに掴んでいる襟首を更に引き寄せる。


 ぐりん、とジュリアスの膂力によって男の身体は一回転する。男は背を下にされ、そのまま床へと叩き付けられた。


 そして、ジュリアスは馬乗りになる。あまりに一瞬の事で男は何が起きたのか理解が出来ない。

 そのままの形でジュリアスは男に右腕を見せる。


「――な!?」


 男はそこにあった紋様を見て、自分が何を相手にしていたのかを悟った。


「りゅ、竜殺し!?」


 右腕に走るのは竜紋様と呼ばれる特徴的な紋様。竜を殺した者にだけに現れると言う紋様だった。アイゼンヴィクトールでも竜殺しを行った冒険者が持っていたのを男は知っている。

 それらには絶対に勝てないことも、男は知っていた。怒りで紅くなっていた顔が即座に青くなる。


「す、すみませんでしたああああ!!」


 そして、無様に逃げて行った。どうにも彼はジュリアスに助けられたらしいがその事実を認められなかったらしい。


「やれやれ、あまりこれには頼りたくないんですけど」


 そう言って彼はまくり上げた服を戻す。右腕の紋様は見えなくなった。


「人を救うため竜を殺しました。それを誇るのもおかしいでしょう。彼だって生きたかったはずです」

「魔物すら助けたいと思うのはあなたくらいよ」

「それが僕ですから。じゃあ、行きます。次の依頼があるので」

「ええ、頑張ってね」


 ジュリアスを見送り、再びカウンターの職員と交代する。既に九時課――午後三時――の鐘もなり終えた。

 ここから雑用依頼用のカウンターに来るのは報告に来る者くらいだ。朝のアッカスも無事に怪我なく帰ってきた。


 この時間になれば冒険者が帰ってくる。だが、帰ってこれなかった者たちもいる。片腕、あるいは剣だけ帰ってきた者たちも。

 そんなチームにあたったカウンターは暗い。幸いにもエリナは雑用依頼専門であるためそういった報告はないが、自分が送り出した冒険者が帰ってこなかった時の辛さは友人が死んだ時のようだと言うのを聞いたことがある。


 そんなカウンターはまさに葬儀中のようだ。


「慣れないわね。あれを見るのは」


 今回死んだ冒険者は腕だけ帰ってきた。街級の冒険者が近場で狩りをしていたらしいが、このところ多い狂暴化した魔物に襲われたらしい。


「アルフは、大丈夫かしらね」


 新人指導中のアルフは大丈夫だろうかと思う。長い付き合いだ、夫婦や恋人でもないくせして人生のほとんどの時間顔を突き合わせてきた。

 死んでもらったらそれなりに寂しくなるだろう。


「まあ、大丈夫でしょう。あいつなら」


 なんだかんだ言って農村出身者特有の生き汚い奴なのだ。そう簡単に死ぬことはないだろう。そんなことを考えていたからだろうか魔法具にアルフからの連絡が入る。

 連絡の内容は、スターゼルの従者がいなくなった事件を無事に解決したという報告だった。


「そう無事に解決したのね」

『なんとかな』

「支度金は、レクスントに持っていかせるわ」

『わかった』


 軽く連絡事項を確認して話を終える。


「さて、誰に届けさせるか」

「たっだいまー!」


 そう考えていると元気いっぱいのミリアが帰ってくる。元気いっぱいの彼女を見て笑みを浮かべるのは彼女とチームを組んでいる連中だ。

 元気いっぱいの子供らしい彼女を見守るのは良いが手には巨大な熊の魔物を抱えているのがなんともシュールだ。あれも名付きとまではいかないが、結構強いはずなのだがやはり彼女に疲れた様子はない。


 幼いとは言っても冒険者なのね、などと思いつつそうねそうしましょう、とエリナはミリアをカウンターまで呼ぶ。


「なにー、エリナおねえちゃん!」

「これ、支度金なんだけど、アルフに届けてくれる? チームには私から言っておくわ」

「アルフせんせいに!? わかった、行く、いく! いくいく! 絶対行く!」

「明日の朝、またギルドに来なさい」

「うん! やったー!」


 嬉しさのあまり熊を担いだままどこかへ行ってしまった。チームの奴らが慌てて追う。そんな様子を見て、


「……どうして、あの甲斐性なしになついているのかしら」


 ぽつりとつぶやく。


「ああ、そうか」


 思い出した。彼女はかつてアルフが救ってしばらく一緒に親代わりで世話していた子供の一人だったのだ。そりゃ懐くか。

 そんなことを考えながらも時間は過ぎていき、終業間際。ギルドの中にはもう人が少なくなっている。魔法具の照明が誰もいないギルド会館の中を照らす。


「――さて、もう終わりかしらね」

「やあ、エリナ嬢」


 そんな時だどこか芝居がかった声が響く。目の前にはいないが、カウンターの影に小さな人影があった。


「あら、ベル。珍しいじゃないここまで来るなんて」

「そろそろ生活費が厳しい。何か仕事はないだろうか」

「それなら朝に来なさいよ」

「昼は寝ている。討伐系が良い」

「それを私に聞くの?」


 それ専用のカウンターがあるだろうに。


「エリナ、以外知らないし」

「…………まあいいわ。アートメンルフトから回ってきた教皇級魔物、うちだと王国級魔物の討伐依頼があるのだけれど」


 マゼンフォード州リント地方の山々に出たバジリスクの討伐依頼。

 アミュレントという街に存在する同じミールデンを守護聖人に持つ冒険者ギルド『アートメンルフト』からどうにかならないかと回って来た依頼だった。


「リント地方か。アミュレントに跳んでうん、良い。魔導書の天日干しにも良い」

「バジリスクをそんな気軽に言わないで欲しいわね」

「うん? バジリスクなどただ目が光るだけの蛇だろう」

「…………」


 これだから王国級は、と彼女は内心でごちる。こちらの常識が一切通用しないのが王国級の冒険者だ。あのジュリアスだって、そう。彼女もそう。

 というか、アルフが教育した奴ら全てが常識外れだ。アルフと付き合いの長い彼女はそういう彼らとの付き合いがあるわけで、そのたびに常識について頭を悩まされたりする。


「じゃあ、手続しておくわ」

「頼んだ。ではな、エリナ嬢」


 そう言って彼女はその場から掻き消える。転移魔法だ。わざわざそれほど歩く距離でもないというのに転移魔法で戻るとは、魔法をなんだと思っているのだろうか。

 まあ、なにはともあれ終わりだ。これで終了。リセリナに最後の依頼書だけを渡して受理させて、今日の業務はこれで終わり。


「お疲れ様」

「おつー」


 そう言って彼女は自宅へと戻る。門が閉まる前に、南第二区へと戻る。裏通りではなく表通りを通る。向かうのは、自宅ではなく公衆浴場。

 少なくないお金を支払って風呂に入る。男性も女性もない。皆、一緒くたに風呂に入る。当然ながら、男の視線は女に向かう。


 勿論、狼藉を働く者は時々いるが不思議とエリナに突っかかってくるような輩はいない。というのも高嶺の華過ぎで遠慮されているのである。

 また、紳士協定なるものがあり、彼女に抜け駆けして手でも出そうものならば、大勢の紳士から袋叩きにされるのだ。


 そういうこともあって手を出す奴はいない。


「ふう」


 軽い気を一つ。湯につかれば疲れが取れる。なぜ、こんなによいものを入らない奴がいるのだろうか。

 誰かというとアルフである。金がないからと言っているがどうだか。どうせ酒に消えているだけである。


 本当にだらしがない男だ。ただ、やるときはやることを知っている。

 ミリアと同じく自分もまた、彼に助けられた一人なのだから。


 久しぶりに昔のことを思い出した。ただ、深くは思い出さない。思い出せない。思い出せば時間がかかるからだ。


「ん、そろそろあがろうかな」


 あまり時間をかけてしまうと湯あたりするので湯から上がる。好きではあるが、あまり長く入っていられないのが残念だ。

 髪を乾かして、今度こそ自宅に戻る。屋台で買った食事を食べて眠る。いつも通りに。


 今日もいろいろあったが、明日はどうなのだろうか。

 そう思いながら眠りにつく。

 夜は更けて、再び日は昇る。いつもと同じ朝は、いつまで来るのか。


短くまとめるはずが、普通に長くなってしまいましたがとりあえずエリナの一日でした。


次回もよろしくお願いします。


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