第1話 パムルクの村
リーゼンベルク王国の王都であるリーゼンベルクを出て東に存在するマゼンフォード州へと続く森の中を蛇行する街道を一台の荷馬車が進んでいた。
積まれた荷のほとんどは食料品や生活必需品であり、老年に差し掛かった行商人がこの先にある村へと定期的に運び入れている品々である。
こんなものを襲う“人”はいない。襲ったところで手に入るのは食料品とわずかな嗜好品くらいのものであり、うまみがない。
だが、多少知能があり群れをつくる魔物にとってはその限りではない。
『ギギギ!』
硝子をこすりつけるかのような耳障りな異音の声を発して、それは馬車に向けて飛び出してくる。
それは子供ほどの矮躯をしていた。まず、それについて最も特徴的なのは皮膚だ。緑。それも濃くどこか黒ずんでいるようにも思える。
おおよそ、それは人間の色ではない。間違いなくそれは魔物の色であった。
それが身に着けているものは粗末な動物の皮の服のようなものであり、身体のほとんどが露出されていてとてもわかりやすい。いや、そうなると正確には服というよりは腰布というのが正しいか。
辛うじて陰部を隠しているだけの腰布。手には錆びて変色している鉄の剣がある。
「ギギギイギ!」
異音の声をあげて、剣を振りかぶる。それは、ゴブリンと呼ばれる魔物だった。
冒険者からすれば、最低ランクである集団級を抜け出すレベルの新人が初めてぶつかる壁だ。人ではないが人型をした存在との戦い。否応なく、人殺しを想起させる。狂人でもない限り嫌悪感は拭えない。
また、人には及ばないものの武器や道具を使うだけの原始的な知能を有する存在との戦いは、本能のままに行動する獣型の魔物とは勝手が違う。まず間違いなく苦戦する。
ゆえに、ゴブリンは冒険者として最初の壁となるのだ。
ただし、それはあくまでも本当に集団級程度の実力しかない冒険者の話である。
「おおおおお――――!」
荷馬車の影から人影が飛び出した。
何かしらの生物の鱗を束ねて作られた胸鎧を付けただけの竜人と呼ばれるような種族の男だ。
全身を赤い竜鱗に覆われ、その顔はまさに竜そのもの。そんな男――ゼグルドは背の竜骨の大剣を抜き放つ。
轟! という風切音を鳴らして、武骨な大剣は荷馬車へと突撃していたゴブリンへとぶち当たる。
切るという概念をどこかへ置いてきたであろう武骨かつ肉厚な何かの塊を成型しただけに見える大剣は、ゼグルドの膂力もあって矮躯のゴブリンの背骨をへし折って、街道沿いに立ち並ぶ木々へと叩き付けた。
そのゴブリンが起き上がることは二度とないだろう。くの字に折れ曲がり、叩き付けられたゴブリンは無残な死骸を晒している。
『ギイギギギギイイ!』
仲間が殺されたことに激昂したのか茂みから複数のゴブリンが飛び出してくる。数にして十数匹かそこらだ。
だが、人間とは隔絶した力を持つ竜人にとってゴブリンなどいくらいても物の数ではない。
飛び出し殺到するゴブリン共に向かって大剣を振るう。たったそれだけで、多数のゴブリンは絶命する。
『ぎ、ギギイ』
そちら側からでは無理だと思ったのだろう。ゴブリンたちは、荷馬車の反対側、ゼグルドがいない方に移動した。
まずは三匹ほどが茂みから飛び出し、街道に停まった馬車に向けて突撃してくる。
そこにいるのは冴えない人間の男。手には弓がある。それをゴブリンが見た瞬間、そのゴブリンの眉間に矢が突き刺さった。
続いてその後ろにいたゴブリン二匹にも同じように矢が突き刺さる。三匹はそのまま倒れ、走っていた勢いのままに転がる。
避けるなどと思う暇はない。ほぼ同時に三本の矢がいられ、ゴブリンの眉間へと突き刺さり、その命を奪っていた。
なまじ知能を持つゴブリンたちは同時に三匹が倒れるという光景に対して、混乱してしまった。一瞬の混迷の時、それを逃す奴などいない。
再び矢がゴブリンたちを貫いていく。
『ギ、ギギギイイイ!!』
流石のゴブリンも勝てないと悟ったのだろう。茂みから顔を出しただけのゴブリンたちは即座に森の中へと消えて行った。
「ゴブリンに苦戦するわけねえわな」
それを見届けて、弓をもった男が呟く。この大陸にもっとも多く頒布する人族の中で最も数の多い種族である人間の男だった。
ろくに櫛も入れていないボサボサの短髪に、無精ひげを生やした男――アルフは、ゴブリンがもう出てこないことを確認してから腰の矢筒にある矢にかけていた手を離した。
「問題ないぞ」
「だが、護衛依頼だからな。常に全方位に気をまわしとけ」
「わかってる。もしものときは燃やしてた」
「なら良い」
完全に戦闘が終わったところで、再び二人と荷馬車は進行を再開する。
新人指導の為のリーゼンベルク周遊。最初の目的地であるパムルクの村まではもうすぐであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
冒険者ギルド『シルドクラフト』には、新しくギルドに入ってきた新人を中堅冒険者がリーゼンベルクを周遊しながら指導するという制度がある。
なぜかというと、シルドクラフトが冒険者ギルドとしては、とても珍しい人助けを主にする教会系列のミールデンを守護聖人に持っているからだ。
指導する理由としては、技術の向上、つまり質を上げる意味合いもあるが、一番の意味はシルドクラフトの流儀、信念を教えることにある。
ミールデンを守護聖人とするシルドクラフトの冒険者は困っている者、助けを求める者は、それが例え敵だろうとも、憎き怨敵であろうとも助けを求められれば絶対に見捨てない。
その信念を教え、シルドクラフトの冒険者がゴロツキのように問題を起こさないようにし、人助けを自ら行うようにする。
それならば普通に訓練などで指導すればいいと言う者がいるかもしれないが、同業者組合であるところのギルドの決まりとして、巡礼というものがあるのだ。
守護聖人が通った軌跡を辿り、信仰と共に自らも守護聖人と同じような存在になる為の学びの旅が巡礼である。
ミールデンはリーゼンベルク王国を一周するように周った。
それゆえに、ミールデンを守護聖人にもつシルドクラフトは彼の足跡を辿る巡礼の旅としてリーゼンベルク周遊を行う。それに新人指導に充てているというわけである。
その最初の目的地はパムルクという小さな農村だ。山や森を切り開いた村の周辺は全て麦畑であり、いくつもの風車が回る穏やかな村であった。
「ほうれ、報酬だ、助かったぞい」
そう言って報酬のシャーレキント州ミークス地方の貨幣であり、銀貨の中で下から三番目ほどの価値のあるミークス銀貨一枚をアルフとゼグルドの手に乗せると行商人の男性は荷馬車を走らせ村の中央へと向かって行った。
銀貨を財布に入れつつ、
「東に行くってのにミークス銀貨なんて渡すなよ」
アルフはそうごちる。
「東では使えないのか?」
「使えないことはないんだが良い顔はされない。マゼンフォード州じゃあんまり流通してないからな」
「うぬぅ、むうぅ……やっぱり、人間の考えることは難しいなぁ」
ゼグルドにはよくわからなかったようだ。貨幣の存在すらない竜人の里から来たのだからそれも当然だろう。
「だが、人間の世で暮らすなら覚えなきゃならん。なに、使ってるうちにおぼえる。この辺りはまだリーゼンベルクに近いからな。いろんな貨幣がある。今のうちに色々と教えてやる。お前には戦闘とかそういう面で教えることないからな」
先ほどの戦闘を思い出して、苦笑しながらアルフはそう言う。
あそこまで圧倒的であると嫉妬とかの前に諦めが来る。隔絶されすぎた差で真正面からはアルフでは勝てそうにない。
「うん、わかったぞ」
「さて、とりあえず今日の宿に行くとしよう」
「けど、宿屋などは見えないが?」
夕暮れ時、茜色に染まるパムルクの村には宿屋があるようには見えない。ほとんどが背の低い建物ばかりで背の高い建物は教会くらいであった。
「まあ、そうだろうな。ここの村には宿屋はない。ほとんど旅人も来ない。来ると言ったらミールデンの巡礼者くらいだ。そんな村だからな宿屋はない」
「むぅ、じゃあどこに泊まるんだ?」
まさか、野宿か。
いいや、そんなことはない。
「きちんと泊まる場所はある。こっちだ」
そう言ってアルフがゼグルドを連れてきたのは村はずれに存在する教会の前であった。
「教会じゃないか。ここに来てどうするんだ?」
「いいからついて来い」
教会の中は数人の村人が祈りをささげているくらいで閑散としている。今の時間ならば村人は酒場で騒いでいる頃だろう。
アルフは教会内を見回して巡礼者がいないことを確認すると教会の司祭へと話しかけに向かった。
その途中で教会の扉脇に置いてある銅貨ばかりが入った杯に先ほどの報酬である銀貨を投げ入れる。
「すみません」
「何か教会にご用ですかな?」
司祭は柔和な笑みを浮かべてそう言う。
「部屋を借りたい」
「ふむ……良いでしょう。神は何者にも平等ですから」
ゼグルドを見た司祭は、一瞬だけ考えるような表情を取るが、すぐにそれは柔和な笑みに戻り、一部屋であるが部屋を貸すと言ってくれた。
借りた部屋で荷物を置きながらゼグルドが、
「なんと、教会とは泊まれる場所だったのか」
と、初めて知ったという風に言う。
「巡礼路になっている村の教会ってのは、大抵巡礼者の為に、ある程度人が泊まれるようになってるんだよ」
巡礼路になっているとはいえども小さな村には宿屋がないことがほとんどだ。そのため教会が巡礼者の為に寝台を貸しているのである。
無論、ただと言うわけではない。如何に巡礼者と言えどもアルフたちは信徒ではなく冒険者なのだ。そういう輩にただで貸すほど教会は優しくない。
あの司祭はアルフが銅貨ばかりの寄付の中に銀貨をいれたことを見ていたのだ。神の威光を広めるために説法を説く司祭であれど、人である。
羽振りの悪い信徒よりも羽振りの良い客に良い顔をしておいた方が得だと知っているのだ。
だから、銀貨をいれたアルフたちは寝台が二つもある少しばかり良い部屋を貸してもらえたわけである。
それを聞いたゼグルドは少しばかり嫌そうな顔をする。
「むぅ、嫌な話だなぁ」
「まあ、人だからな。さて、荷物を置いたら酒場に行くぞ。食事とかは教会でも出してくれるが、食えたもんじゃない。
教会の葡萄酒は悪くはないが、こんな村の葡萄酒は大抵薄められてて飲めたもんじゃないからな」
しかしようやく酒が飲める、とアルフは、嬉しそうにそそくさと準備を整えて教会を出る。部屋に鍵はかけない。というより、鍵自体がない。
これは鍵を扉に取り付けるほど裕福ではないということではなく、仮にも教会と言う神の御前で盗みを行うような輩はいない為である。
教会で不埒を行う者はいない。もしここで争いごとでも起こそうものならば王国中の教会が敵にまわり、数千万もの信徒たちが大挙して襲ってくるような事態になりかねないのだ。
だから荷物の心配をする必要はない。教会としても冒険者を敵に回すことの意味を理解しているので、問題はない。
「穏やかな村であるな」
悪く言えば退屈な村だ。
「普通の農村だからな。祭りの時期でもないからこれが普通だ」
アルフの故郷である農村もこんな感じである。いや、巡礼路にもなっていない分教会も小さい上に、祭りも収穫祭くらいで旅人もあまり来ない辺鄙な村だから、ここよりも酷いかもしれない。
ともかく、穏やかな村であるからか腰に武器はない。通りすがるのも農民ばかりでありアルフたちにさほど興味を示すことなく歩き去って行く。
皆、目的地は同じ、酒場である。行商人が来たからには特に酒場に行く者が多い。
酒場は村にとっての集会場であり、よろず屋であるのだ。酒を飲むところではあるのだが、商店がない村では、酒場がちょっとした商店や市場の機能を兼ねるのである。冒険者にとっては仕事の斡旋場としても使われたりもする。
アルフたちが酒場に入ると、それなりの時間ということもあってか賑わいを見せていた。農作業を終えた村人たちが今日の一杯を楽しんでいる。
端の方ではアルフたちが護衛した行商人が商品を広げて商売を営み、靴屋や仕立て屋が小商いを行っていた。あるいは狩人が狩った獲物の皮の整理をしていたりもしている。
「よう、店主、相変わらず盛況のじゃねえか」
そう酒場の店主に言いながら席に座る。
「へっ、アルフじゃねえか、なんだ久しぶりじゃねえかこの野郎。死んだかと思ってたぞ。
そっちの奴が今回の新人か? 教会が竜人が冒険者になったとか言ってたが、はあ、すげえな」
「うむ? われを知ってるのか?」
「ああ、お前が冒険者になったって話は既にリーゼンベルク中に広まっているからな」
「なんと!? わ、われのことがお、王国中に?!」
何度も言うがシルドクラフトは冒険者ギルドであるが、同時にミールデンを守護聖人に持つために教会系列の組織でもあるのだ。
その関係上、教会から情報を仕入れることが出来るし、逆に教会に情報を流すこともある。
この場合は後者で、竜人という珍しすぎる冒険者が旅をすることで起こる、異質なものに対する不安や恐怖という不利益を和らげるために意図的に流したのだ。
アルフがそう説明すると、
「う、うむぅ、な、なるほど」
わかったと言いながらゼグルドの頬はどこかゆるんでにやけ顔になっていた。
「まあ、これからはすれ違うやつらの視線を気にしないで済むってことだ」
竜人ということもあって、物珍しさの視線を向けられることもあるし、何より災害でしかない竜を想起させるとあって恐怖や不安の視線も向けられる。
一々鬱陶しいそれらに辟易したアルフが早々に手を打っていたのだ。
「さて、そんな話はあとあと、店主、酒だ」
「おう、ほれ」
どん、と置かれる木製ジョッキ。なみなみと注がれたエールが零れるが店主は気にせず、アルフも気にせずぐっとあおる。
「くぅー、これだ、これ! 生き返る。店主もう一杯だ!」
泡の少ない琥珀色の液体であるところの村エールは、街の酒場の酒と違ってぬるい。これは、村の酒場に酒を冷やすための設備がないためだ。
無論、街の酒場の酒が全て冷えているのかというとそういうわけでもない。割かし盛況な酒場だけが冷えた酒を提供できるのである。
仕事終わりに冷たい一杯というのも、また格別であるが、このぬるいエールもまたまた良い。麦芽本来の持つ芳醇な味やホップの華やかな香りが良いのだ。
それに、冷やしていないので安い上に、腹も膨れる。ビールやエールを飲むパンと言うが、村のエールはそれの比ではなく腹にたまるのだ。
一杯一気にあおったが、二杯目も同じようにあおる。村の酒場というのは話す場というかある種の社交場でもあるのだが、よそ者には関係なし。
村人たちが村の作物などの状況などについて話すことなどもあってか、チビチビ飲むことがほとんどのでぐいっと行けなくても良いはずの――というか普通ぐびぐびいけない――エールをぐびぐびと行く。
「あいっかわらずの飲みっぷりだなおい」
店主も呆れ顔だが、金を落としてくれる旅人は大歓迎であるので特に何か言うことも無い。
「うむ、なかなかおつな味だうまいぞー!」
ゼグルドは気に入ったようで、注文を重ねる。
料理も運ばれて来て楽しく飲んでいると、
「おや、旅人の方ですか」
彼らの席に一人の見慣れない男がやって来た。
普通の村人と違って身なりのよい男だ。護衛してきた行商人よりも良い恰好をしていることからして平民ではないのだろう。
だが、一年に一度は訪れているこの村でアルフが知らない者はいないはずだ。だというのに見覚えがない。
向こうも定期的に訪れるアルフを知らないようなので、初対面であることに間違いはないが誰なのだろうか。
「あー、失礼だが、誰だ、あんたは?」
男は失念していた、と前置きをして名乗る。
「ああ、申し訳ない。旅人など初めてでね。こほん、私は、いや、こうした方がわかりやすいか。
――わたくしは、シャレン・バートナー男爵と申します。以後お見知りおきを」
彼が途中から話したそれは、宮廷言葉とも呼ばれる宮廷リーゼンベルク語であった。
有体に言えば貴族などの高貴な者らの言葉だ。平民が使うような言語とは大した違いはないが言い回しや喋り方が非常に丁寧で回りくどいことや面倒くさいことがあるという。
アルフにしても貴族を商売相手にしている商人のとてつもなく珍しい依頼でいくらか聞いたことがある程度であるが、目の前の男――シャレンがあからさまに言ったのでそれが宮廷言葉であると気が付けた。
つまり、男が貴族であることにも気が付いた。つまり、この村の領主様だ。
村の酒場に村を治める領主が訪れるのはごく当たり前のことである。
なにせ、そこ以外に酒を飲める場所がないからだ。それに金もない。農作物以外に収入源がいないのだから当然だろう。
醸造所などを持つ村であればその限りではないのだが、大抵の村では領主ですら村に一軒だけの酒場で酒を飲む。
村の領主は基本的にフレンドリーなのはこれが関係しているだろう。
「なるほど、領主様か。うん? 確かここの領主様は、スターゼル・シュバーミットじゃなかったか?」
しかし、アルフの記憶であればこのパムルクの村の領主はシュバーミット男爵と呼ばれる男だったはずだ。
変に貴族っぽい男であったが悪い奴ではなく、村人からも慕われていた印象を受けていた。
断じて、バートナー男爵ではなかったはずであるが。
「ええ、最近、代わったのですよ」
「ふむ……」
さて、ということはつまりだ。何らかの理由でシュバーミット男爵は領主の座を追われたことになる。
まさか、このシャレンが何かしたわけではあるまい。そうであればこんな風に酒場で朗らかに酒をを飲んでいるなどありえないだろう。
まさか、子爵の爵位を新たに得たとかそういう話でもあるまい。アルフの知るスターゼルは良い男であったが、有体に言って馬鹿なのだ。だから上に行けるわけがないのだ。
残る可能性と言えば――。
「――没落でもしたか?」
「ええ、悪徳な商人に騙されて。もちろん、その商人に奪われる前にこちらで買い取ることが出来ましたので、問題はなかったのですが」
「だが、シュバーミット家は潰れたってわけか」
なんともありがちな話だ。経済状況によって貴族が領地を失いその位を失うというのはよくあることである。
貴族イコール領地なのだ。領地を失えば貴族ではなくなる。当然の帰結であった。
ぐいっとジョッキをあおる。
「まあ、領主が変わったところで俺らには関係ないな。今まで通りやってくれるのであれば」
もしここで、何かが変わるというのであれば、これからの身の振り方を考える必要がある。
冒険者に対して税をかけるような領主もいるので、そういうことになるのであればここに滞在することを止める可能性も出て来るのだ。
「はい、もちろんです。没落したとはいえどシュバーミット卿の統治は間違ってはいないようですから」
「そうだな」
そうでなければ、あんなに村人から慕われてはいなかっただろう。
「しかし、没落したらしいがその、シュバーミット様はどこの行ったのやら」
「ああ、彼でしたら」
あちらです、とシャレンが視線を動かす。そちらに目を向けてみると、カウンターの端で男が突っ伏して叫んでいた。
シャレンほどではないにしても身なりの良い男だ。元貴族ならば当然と言えるような恰好で分かりやすい。傍らにはジョッキが散乱しており、飲んだくれていることがもろ分かりだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
しかも、この慟哭。だばだばと涙を流して突っ伏したまま叫び続けている。実に面倒くさい客であるが、給仕も店主も、果ては村人でさえ触れないように目を背けている。
完全にいないもの、あるいは腫物として扱われていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「あんな調子でして」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「…………」
一応がつくが知り合いである男があんな状況であるなどあまり知りたくもなかった。というか煩い。
とりあえず目をそらして飲み直す。
「やはりうまい」
「皆そんな調子ですよ。一応、冒険者になると言って従者の方が登録しに行ったそうですが」
「うん?」
うむ、嫌な予感がする。残りのエールを飲み干して、
「さて、そろそろ戻るか。明日も早い」
「助けてもらいたいのですよ」
「…………」
この男、シルドクラフトの冒険者の扱いを知っている!
シルドクラフトの冒険者は助けを求められればよほどのことがない限りは断れない。金は要求するが貴族ならば払いは悪くなく、断る理由はまったくと言ってよいほどなかった。
だが、この案件、非常に受けたくない。面倒な予感がプンプンするのだ。
「…………報酬は?」
「はい、リント銀貨五枚でどうでしょう」
その提案にごくりとアルフは喉を鳴らす。
リント銀貨とはマゼフォード州リント地方で流通している貨幣であるが、銀貨の銀の含有量と信頼性が高いために市場で人気があり、各地で流通しているのだ。
価値としては銀貨の中では上から六番目であるものの、一般的な庶民が扱う銀貨の中では使い勝手が良くもっともよく使われる銀貨だ。
これ一枚でつつましく生活すれば優に七日は生活できるし、節約すれば一ヶ月はくらしていける。それを五枚。貧乏人には生唾を呑み込んでも欲しい銀貨だろう。
ゼグルドの指導の為に支度金だとかをもらっているくせにリント銀貨五枚程度で生唾を呑み込むあたり庶民根性がしみ込んでいる。
「……本当に支払われるならやろう」
「では、前金として三枚を今、お渡しします」
そう言って彼は懐からリント銀貨三枚を渡す。
手にとって確認する。リントの山々を模した意匠が刻まれた銀貨。噛んでみるが本物のようだった。誰にもとられないようにと、さっさと財布にそれらを仕舞う。
「では、依頼内容を」
「彼、シュバーミット元男爵をどうにか更生させて下さい。いつまでも酒場で飲んだくれてもらっても困りますので」
「わかった。よし、ゼグルド仕事だ」
「うむ、了承した」
ぐびり、とジョッキの中身を飲み干してゼグルドがそう言う。
「だが、われらでどうにかできるのか?」
「どうにかできるか? じゃないやるんだよ。前金をもらってんだ。そこらへんはきっちりやってやる」
「しかしなあ――」
そう言ってゼグルドはスターゼルの方を見る。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
相変わらずうるさく、机に突っ伏して叫び声をあげている。
「どうするのだ、あれ」
「…………」
確かに、面倒くさい相手であるし、手があるかもわからない。
「とりあえず話がわかる従者がまだいるらしいからそいつが戻ってきたらだな」
まずは、話を聞いてからだし、何よりもシルドクラフトに報告をして認可してもらわなければならない。
アルフは受けると決めてしまったが、本来はギルドを通さなければならないのだ。
「まあ、頑張るとしよう」
前金で報酬をもらった以上、それに見合う仕事をする。
ただ、今は、
「やっぱ、うめえ」
酒の方が大事だ。