第10話 旅立ち
森を咆哮が貫く。人の形をした竜。竜人の咆哮。まさしくそれは竜の咆哮にほかならない。それだけの力の奔流、暴走した奔流を巨人鎧は受けて吹き飛ぶ。
――爆発が巻き起こる。
それは、まさしく爆発であった。たった一歩。足をあげて下ろし前へ進むという何ともないただの動作だというのにそれは爆発であった。
その一足は地面を抉り、爆炎の如き土煙を巻き上げて、竜人の身体を雷のように打ち出す。それをただの踏み込むという行為と定義するにはあまりにもその光景はかけ離れていた。
「おおおおおおおおお!!!!」
振るわれる大剣。それは地面を波立たせる。轟! と大気が爆ぜ振るわれた竜骨が風切音を鳴らして力強い一撃が莫大な威力を発揮し敵を叩き潰す。
「ぬう、多いな」
しかし、それでも敵の数は多い。全てがこちらに向いているだけで他に被害がいっていないのが救いか。
「竜人、苦戦しているようだな」
「む、誰だ!」
「加勢だ。少し、待っていろ。手伝ってやる。流石にリーゼンベルクが近すぎるからそれほど全力は出せんがな」
ローブをまとった魔法使いが飛翔している。地面に降りた彼女から莫大な魔力が放たれた。
「ArD eclept vqcs oxduge excll svnant xt xt ml_xedra rospt lnz svegvld izn_rqa ramSlX」
開始音から始まり、属性を指定、魔法の現象を指定、効果範囲を指定、魔法の形状を指定、魔法の規模を指定、最後に終了音。そこに強化音をのせる。
励起された魔力が発声された魔法言語を彼女の周りへ浮かび上がらせ、掲げた杖先へと複雑な紋様として幾重にも円状に規則正しく配列された呪文となる。
呪文を束ねた巨大な魔法陣が杖先へと現出する。
「周囲への被害を考えるとこんなものだな。本当ならば炎で溶かし尽くしてやりたいところだが、巨人族の大鎧は魔法がほとんど効かん。それをぶち抜くほどの威力となると周りに配慮なんてできん。そういうわけだ、あとは頼んだぞ竜人。
穿ち吹き飛ばせ大地の槍――アースランス――」
魔法の名を結び結果が生じた。地面から生じた大地の槍。それが巨人鎧を吹き飛ばす。空中を舞う数百を超える大鎧。
天高く森の木々よりも高く打ち上げられる。
「空ならば本気を出せるだろう? 竜人の炎は魔法の炎と違って己の意思で動かせると聞いている。ほら、空ならば木々が燃える必要もなければ子供たちを燃やす心配もあるまい」
「おお、誰だか知らんが助かる!!」
体内に湧き上がる轟炎。吐き出す炎は赤く、何より赤く全てを燃やし尽くす劫火となる。飛び上がり、空へと浮いた全ての巨人鎧を炎に呑み込ませた。
莫大な熱量が空中で爆ぜる。森の木々に燃え移らんとする火の粉すらゼグルドの意思で収束させ森を燃やさないように空だけに炎を留めて燃やした。
森の中でやると幾ら炎を操ったところで木々は熱量にやられて燃えてしまう。だが、空中ならば問題はない。
莫大な熱量で全てを燃やし尽くした。
「よっしゃ、ナイスだあいつ!!」
それを見てランドルフの振るった斬撃が飛ぶ。飛翔する斬撃がついに最後の巨人鎧をついに切り裂いた。
「おらあ、終わったあああ!!!」
叫ぶと同時にランドルフがローブに男へと斬りかかる。振るわれた刃を掻い潜り、あるいは弾き己の刃を振るう。振るわれる斬撃は最高のもの。
だが、ローブの男にはかすらない。先読みし、見切り振るう斬撃を相手もまた同じように回避する。そこに存在するのはただ一つの武術のみ。
振るう刃。鋼が立てる音はさながら演奏のように森に響き渡る。もはや常人では認識できぬ速度域で振るわれる斬撃は大気を斬り裂き、そこに奔流を生み出している。
近づいただけで大気の刃が身を削るだろう。それほどまでに振るわれる斬撃は互いに凄まじい。だが、その中心は無風。
もはや斬撃と斬撃がぶつかり合う場所は全てを斬り裂き無が出来上がっていた。そして、そこに生じるのは莫大な熱。赤熱する刃。赤熱する大気。
自分自身を燃やすが如く絶対の熱量が吹き上げる。二人を中心に空気中の塵が発火した。吹き上げた炎は熱量の増大と共にその色を変えていく。
赤、青、そして白から透明へ。周りへの配慮を全てやってきたベルに任せてランドルフはただ剣を振るう。
もはや陽炎しか見えるほど。しかし、太陽でも生まれたかのようにそこには莫大な熱量が噴出している。炎に触れずとも肌が焼ける感覚。
しかし、両者は止まらない。もはやその熱量自体が致死の猛毒だというのに。拡散する熱量だけで人は炭化し石は溶ける。
そんな莫大な熱量。突っ込むことすら無謀。それは、どのように強い男でも例外ではなく。人間という括り、タンパク質にて構成される人間だからこそ不可能。
人体を構成するタンパク質は高熱で変性する。ゆえに、人体に高熱は禁忌。人が平温でしか生きれぬ理由がそれだ。例え王国級冒険者であろうとも人間としての物理法則には逆らえない。
40度を超えれば問答無用でアウト。だが、その中心で二人の男は己の剣技の極致を振るっていた。一歩も引かずに。
止まらない。ただ真っ直ぐにその研ぎ澄まされた刃を振るう。まるで冷気の如き刃。それでいて鮮烈な熱量を持つ刃は莫大な熱の壁を斬り裂いて互いを裂く。
もはやこれを見れるのは人型をした竜であるゼグルドのみ。巨人鎧の全てを破壊し、加勢しようと来てみればこれだ。
もはや、他者の介在する余地などない。これが冒険者の最高位。王国級。これが英雄と呼ばれる冒険者なのか。
そうこの上なく英雄とはそういうものだ。古今東西。化け物退治は英雄の仕事。ゆえにどのような障害があろうとも達成してしまう。
英雄は英雄たるべくして生まれてきた。ならばこそ、負ける道理などなく熱量という壁を越えていく。
しかも、お互いに今だに成長しているというおまけつきで。
剣閃が鋭くなっていく。研ぎ澄まされていた一撃一撃。無駄のない戦闘の流れが更に無駄を排して人間離れした動きを盛り込みさらに成長していく。
技量、判断能力。戦闘において必要なものを全て備え極限まで研ぎ澄ましてきた男が更にここにきて加速度的に次の段階へと踏み込んでいく。
そこは常人では到底、到達することができないような領域。しかし、均衡は崩れる。男が離れた。生じていた熱が消え失せ、解放された大気の刃が拡散し森を斬り裂いていく。
「ランドルフ殿!」
「おう!」
そこでようやくゼグルドが加勢に入る形勢は完全に逆転。その時、再び男の雰囲気が変わった。
「はあ、まったくあちらもやられるとはツイてない。ククク、まあいいでしょう。これ以上、戦う理由もありませんし。貴方方の強さも知ることができたのは重畳ですし。そろそろ帰ります」
「逃がすと思ってんの?」
「いいえ、剣聖。ですが、問題ありません」
指を鳴らして男は消え失せる。そこには何も残らない。
「転移魔法か」
「まったく竜人走るのが早いぞ」
遅れてやってくるローブの少女ベル。
「お、ベルじゃねえか。助かったぜ」
「問題ない。それより剣聖は、もう少し周りへの配慮を考えろ。私がいなければ森が燃えていたぞ」
「はは、わりい、ついな。それより今度俺にさっきの魔法撃ってくれ。さぞ気持ちいんだろうなああ、えへえへへ」
「まったく君は相変わらずだな剣聖」
「は、子供たちは!」
「ああ、大丈夫だ。アルフ先生と兎娘が助けているさ
「われ、は行くぞ!」
なら安心だなと、ランドルフ。彼がいうのならば大丈夫なのだろうが心配なゼグルドは子供たちの気配がする方に走って行った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「無事か――!」
木々の合間から竜人のゼグルドが姿を現した。それに続いてランドルフとミリアも続々とアルフ達の前に現れる。
「おう、やっぱりお前だったか」
「あ、アルフ殿に、ミリア殿?」
「あ、竜人のおじちゃん!」
「子供たちは」
「無事だ」
「よかった」
心底安心したというゼグルドに、本当に変わり者だと思うアルフ。竜人族は酷くプライドの高い生き物だ。竜種であることに誇りを持っており、それは何よりも人族で優れていると信じている。
確かにそれは正しい。最強の生物種である竜の眷属とすら呼ばれる竜人は人族の中でもその頂点に位置しているのだ。
身体能力、魔力、知識。寿命もそう。その全てでただの人間が敵うものなどありはしない。ゆえに、竜人族は傲慢な者が多いのだ。
それが彼らが住んでいる火山地帯から出てこない主な理由である。だからこそ、こんなところにいて、子供を心配している竜人は本当に珍しい。
だからこそ、シルドクラフトに入りに来たのだろう。
「われが他者を助けるのはそんなに珍しいのか」
「顔に出てたか? すまん。少し納得していたというかな」
「良いよ、われも変わり者なのは自覚している」
「お、いたいた」
そこにランドルフとベルもやってくる。
「ご無事だったかアルフ先生」
「ベルか。来てくれたんだな」
「ああ、勿論だ」
「おーう、師匠どうも。大変だったぜ」
黒いローブの男がいたことなど事の顛末をランドルフは話す。
「なるほどな。だが、ここで話すよりは森を出よう。いくぞ、お前ら」
ミリアを先頭にして、アルフたちは森を進む。竜人であるゼグルドや、王国級冒険者が二人もいるおかげか魔物にはまったく遭わない。
まあ、遭ったとしてもこの面子である。大事になるような気がしない。どう考えても過剰戦力だ。これで何か起きたら国がアルフなど真っ先に死ぬだろう。
そういうわけで、まるで遠足のような感覚で森の最奥からリーゼンベルクまで戻ってこれた。子供たちは終始はしゃぎっぱなしで本当に遠足としか思えない。
ランドルフにベル、ミリアという大物冒険者に会えた子供たちはこれでもかとはしゃいでいる。それを見ながらこんな過剰戦力の遠足など後にも先にもこれっきりで頼みたいアルフであった。
「出たな」
森を出ると、途端に視界が明るくなる。木々で遮られてた月明かりが、遮るものがなくなったことによって目に入ってきているのだ。
真っ直ぐに森を出てきたおかげで、リーゼンベルクの城門前に出た。そこには、夕暮れ前に辿り着けなかった者たちが野営している。
野営している者たちのほとんどは既に寝静まった後であり、数人が見張りに起きているだけであった。そのおかげか静かなものである。
森から出てきたアルフたちに見張りたちは物盗りかと警戒を露わにするも、ミリアが冒険者証を見せたことで警戒を解く。
冒険者証は、ギルドに所属していることを示し身分を証明するものでもある。特殊な製法で作られているので複製は出来ない。
そのため、裏の界隈ではそれなりに高値で取引されていたりする。州級冒険者の冒険者証となれば信用度はかなり高い。
「この辺りでいいか」
そう溜息をついて、野営地の端の誰もいない場所にやって来た。
「ミリア、三人を抱えて戻れるか?」
「楽勝だよー!」
「なら、この三人を抱えて孤児院に送り届けてくれ。場所はわかるか?」
「まっかせてー! アルフせんせいのことはこっそり背中を追ってたから、下着の色からほくろの位置、あれとかあれの大きさとかなんでもわかってる!」
「いや、ちょっとまて」
「じゃあ、行ってきます!」
『え、ちょ、うわああああああああ――――』
聞き捨てならない台詞があったぞ、と追及する前にミリアはレオたち三人を抱えて城壁を飛び越えて行った。
三人の声にならない悲鳴が響き渡るが、まあ、夜分であるし、かなり高所を跳んで行ったのでバレないだろう。
問題は聞き捨てならない台詞の方である。おそらく彼女は戻ってくるだろうから、その時に聞くとしよう。
そう心に決めてベルが魔法で起こした火の傍に座って服を脱いだ。ポーチの中から裁縫道具を取り出す。またちくちくと服を塗っていく。
そろそろ買い替え時か。いいや、もう少し大丈夫だろう。ぼろぼろのずたずたであるが、なんとか修復していく。
「良しできた」
幸いにも綺麗に破れていたこともあってか直すのにそれほど手間はかからずに終わらせることが出来た。アルフの腕が良いこともある。
「たっだいまー! 無事送り届けて来たよー!」
そこにミリアが帰ってくる。褒めて褒めてと頭を差し出す様はやはり兎というよりは犬だった。
「……ああ、よくやったな」
「えへへ」
軽く頭を撫でてやると満足したのかとなりに座ってくる。本当。ますます犬だ。
「お疲れ様だな、ミリア殿」
「ふふふ、私も頭を撫でてあげよう」
「あ、なら俺は殴ってほしい」
「えへへ、ありがとーベルお姉ちゃん」
「あれ、俺無視? ああ、放置プレイって奴か興奮してきたぜ!」
よしよしとミリアの頭を撫でるベルに無視されてなんだか恍惚の表情を浮かべているランドルフ。それを見てやれやれとアルフは苦笑する。
「っと、そうだミリアお前、服貸せ、破れてるところ直してやる」
気が付いたようにアルフが言う。多少ではあるがミリアの服も破れている。胸鎧が覆う部分は良いが袖やズボンの裾と言った部分は戦闘の余波で少しばかり破れていたりする。
そのままにしておくのはアルフとしては気になるのでついでとばかりに裁縫を申し出た。ミリアは裁縫が壊滅的なのだ。裁縫だけでなく、料理とか洗濯とかも壊滅している。
良くアルフの所に持ってきてやってもらっている時点で上達しようとする気もない。アルフが言えばやるのだが、上達する気配もない。
むしろやらせると被害が出る。服を縫わせれば逆にビリビリになったり、洗濯をさせるとなぜか服が吹っ飛んだり。そんなわけで、こういう時はやってやるのだ。
「はーい!」
ミリアは即座に肩と脇下にある留め金を外して下から顔を出して革鎧を脱ぐ。それから上着を脱いで、ベルトを外してズボンも脱いで肌の大部分を覆う露出の極めて少ない下着姿になる。
脱いだ服装は丸めてアルフにを手渡した。
「少し待ってろ」
受け取ったアルフはちくちくと針と糸を動かしていく。それほど損傷が酷いわけでもないのですぐに縫うのは終わる。
「ほれ」
「ありがとうアルフせんせー!」
いそいそと服を着ながら御礼を言うミリア。その間にランドルフも己の服装の繕いを終わらせていた。
「よし、出来た!」
「おい、少しもましになってねえじゃねえか。お前、きちんと裁縫の仕方も教えたよな」
しかし、その出来は酷い。ずたぼろがぼろぼろになったくらいの変化しかない。つまりまったく変わっていないということ。
裁縫も一応はアルフが教えたはずだが、それすらも出来ていないかった。教えている時からそうだったがランドルフにはその手の才能はなかったのだ。
少しくらいはマシになってるだろうと思ったがそうはなかったらしい。ミリアと同じで強い奴はやはりどこか抜けているようだ。
「おうっ! 良い、もっと罵ってくれ!」
「ええい、貸せ直してやる!」
「ああん」
ひったくって直し始める。雑な扱いにランドルフは興奮しているが無視だ。失敗している箇所も綺麗にしてランドルフに投げ渡す。
「ありがとうござまーす。いやあ、さっすが師匠」
「お前は少しはうまくなれ。ミリアよりはマシなんだから。ミリアは……まあ、うん、努力はしてくれ」
「はーい!」
「ククッ、やはりお前たちは面白いな」
そうベルが言う。
「それからあまり緊張するな竜人。私たちはお前を取って食おうというわけじゃないさ」
「う、うむ、そ、そうなんだがな」
何やら悪寒がするのだという。自身の天敵に出会ったというようなそんな感覚。竜人の天敵と鳴りうるのは真正の竜くらいであるが、そんなものはいない。
何を言っているのかとアルフが思っていると、
「ああ、やっぱりみなさんでしたか。みなさん集まるなら僕も呼んでくださいよ」
深い堀の中から、涼しげな声の細身の少年がやって来た。それを見てアルフは納得の表情を浮かべる。確かに竜人のいや、竜種の天敵と言える少年だったからだ。
声の方に視線を向けると、やはり予想通りの人物がそこにいた。細身で温和そうな表情を浮かべてはいるがこれでも王国級の冒険者だ。
右腕に竜紋様が走るこの少年も、ミリアやベルと同じアルフの弟子の一人。名を竜殺しのジュリアス。最強種を殺した伝説と言われている者だった。
ゆえに彼が現れた瞬間ゼグルドの身体がびくりと跳ねた。警戒度が上がり、全身の筋肉が緊張していつでも得物を抜けるように手が移動。戦闘態勢になる。
「あー! ジュリアスだ。久しぶりー!」
「ふふ、ミリアちゃんはいつも元気そうですね」
「うん!」
「アルフさんもおかわりないようで」
「嫌味か?」
「いえ、そんなつもりは毛頭ありませんよ」
柔和な笑みを浮かべてそういう彼はそう言った。
「だいじょうぶだよー、おじちゃん。ジュリアスは良い人だからさ」
「おっと、すみません。竜の方がいるとは思いもせず。安心してください、僕もアルフさんたちと同じギルドの冒険者ですから」
「う、うむ、ぜ、善処する」
「で、お前はなんで堀から出て来たんだ?」
「ベルさんに言われて子供たちが入れそうな旧水道を全て封鎖していたんですよ」
「普通の冒険者がやるより竜殺しがやった方が早いからな」
「なるほど、だからここに居たわけだな。なんにせよよくやったベル。レオたちを探してくれた礼もしなくちゃな。そうだな、このあと食事でもどうだ?」
「――!?」
アルフの言葉に、ベルが座っていた丸太から慌てて立ち上がってこけて、また立ち上がる。明らかにうろたえた様子で、
「そそ、そそれは、本当か!? わ、わた、わたわた、わたし、私ごと、ごときが、あ、ア、アルフせ、先生と同じ席で、同じテーブルで、しょ、食事を、とってもよ、よいと!?」
そうアルフにわたわたと詰め寄ってくる。
「あ、ああ、そう言ったが――」
「お、おおおお、偉大なアルフ先生と同席、同席、うふ、うふふふ、ゆ、夢ではないよな? ――いたい。うむ、夢ではない。ついに、ついにアルフ先生としょ、食事!」
何やらベルは別世界へと旅立ってしまったようだ。いつもの老成したような落ち着き払った口調はどこへやら。
うふふ、と笑う様は普段の彼女が見れば恥ずかしさで引きこもるレベルのものだった。
何やらぶつぶつと不気味に呟くベルに危機感を感じながらもこのままでは話が進まないため、アルフは恐る恐る声をかける。
「おーい、ベル?」
「そして、そして、えへへ――っは!? しまった、あまりの興奮で意識が飛んでいた。すまないアルフ先生、みっともないところを見せた」
何やら非常にほころんだ口元であったが、アルフが声をかけたことによって、いつもの調子のベルに戻った。
しかし、食事に行くと言う言葉を聞いて黙ってないのがもう一人、
「ぶー! ベルおねえちゃんズルい! うらやましい!」
「ふっ、これも人望の差という奴だな」
「ベルおねえちゃん、ぼくたち以外の友達いないじゃん!」
「友達がいないのではない。友達を作らないのだよ私は」
「作らないじゃなくて作れないんじゃん!」
「なんとでも言うが良い。アルフ先生との食事の栄誉は私のものだ。というか、お前はいつも行っているだろうに」
「ぼくだって誘われていきたい!」
何なのだろうこの言い争い。自分と食事なんて何が良いのだろうかとアルフにはまったく何もわからない。
それを見てジュリアスは柔和な笑みを浮かべながら、
「ふふ、相変わらずですか、二人はベルとミリアは」
アルフ越しにベルとミリアの言い合いを見て懐かしいな、と笑うジュリアス。ジュリアスがまだアルフの指導を受けていた頃にもこういうことがあったのだ。
「ああ、どうしてこうなったのかわけがわからん」
「アルフさんと彼女たちとの出会い方が壮絶でしたからね。懐くのもわかりますよ」
「…………」
そうは言われてもアルフにはよくわからない。それにそういうのは一時のものじゃないのかと言いたい。一時、ミリアの世話をしていたことはあるし、ベルの世話というかなんというかもしていたこともあるが、そこまで懐かれる要素なんてあっただろうか。
記憶を掘り起こしてみるがやはりわからない。そんなアルフにジュリアスはまた笑って、
「さあ、乙女心は僕にはよくわかりませんし。アルフさんってば、時々かっこいいですからね」
そんなことを言う。
「時々って、なんだ、時々って」
「それは、時々は時々ですよ。いつもはだらしがないですし」
「うぐ、い、いや、人前だときちんとしてる」
「金がないからって、風呂も入りませんから、臭いだって凄いですし」
「うぐ、か、金がないから、仕方がないし、水浴びはしてる」
「無精ひげもそのまんまですし」
「うぐう、いや、今日はきちんとしてる」
「今日は?」
的確に心を抉ってくるジュリアス。どこか面白がっているように見えるのは気のせいではあるまい。
「うぐ、……そこまで言う必要ないだろ」
「ははっ、いえ、久しぶりなものでつい」
「ついって、なんだついって」
「そうだ、師匠に何て言い草だ。言うなら俺にしろジュリアス!」
そんなアルフを擁護するランドルフ。しかし、目は別の何かを期待するように輝いている。
「いえ、あなたにはご褒美じゃないですか」
「当たり前だ! 俺にもご褒美欲しい!」
「年下にそんなこと言わないでくださいよ。これでも剣聖にあこがれて冒険者になったんですよ僕」
「知らん! さあ、きついのを一発!」
「やれやれ」
夜中だというのに騒々しい一団だった。ゼグルドは唖然としたまま固まってしまっている。
「お前ら、少しは時間を考えろよ」
『はーい』
「まったく。すまんな、こんな調子で」
「う、うむ」
アルフらにとってはいつもの調子なのだが、初めてのゼグルドは緊張しているのか、呆れているのか顔が強張っていた。
「な、なんというか、想像と違ってな」
「まあ、そんなもんさ。あいつらだって人間なんだからな」
「そ、そうか」
「まあ、そのうち嫌でもお前は慣れるだろうさ」
「そ、そうだろうか」
慣れるとは言ったが、どうにも慣れても態度は変わらないような気がするアルフであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そうして時間は過ぎて翌日。
城門が開くとともにアルフたちはリーゼンベルクに入るための列に並んでいた。初めて入る奴に関しては荷物検査などが行われてその後通行税の支払いをしてリーゼンベルクへと入って行く。
担当官は慣れているのでかなりの人数がいたが、すぐにアルフたちの番になる。
「次。って、アルフか。久しぶりだな」
「お前が担当だったか。ちょうどいい」
今日の担当はアルフの知り合いだった。
「なんだよ。外出てたのか。なんだ? また討伐始めたのか?」
「いや、別にそういうわけじゃない。外に出てた子供を探しに来てたんだよ。通行税だけで良いだろ?」
「ああ、しっかし、お前の弟子勢ぞろいじゃねえか。道理でいつもよりも騒がしいわけだよ」
王国級冒険者が集まっているのだ。それだけ騒ぎになる。竜人までいるとなればかなりの騒ぎになっていた。
「なぜか集まってな。とりあえず全員分一括で」
「おう」
リーゼンベルク銀貨一枚とリーゼンベルク銅貨十枚で六人分の通行税として支払い、リーゼンベルクに無事入れたことにアルフは息を吐く。
それから全員でギルドに向かった。ギルドは相変わらず人でごった返しており、ランドルフやジュリアス、ベル、ゼグルドが入った途端にざわざわとざわめきが大きくなる。
三人はそれをまったく気にしていないが、ゼグルドは気にしまくって心なしか小さくなっていた。
「それじゃあ、実地試験の結果報告に行くぞー、こっちだゼグルド!」
「お、おう」
ゼグルドはランドルフに連れられて奥へ。ジュリアスはカウンターで旧水道をふさいだことを報告して更に衛兵詰所に報告に向かった。
ミリアはカウンターでスカー討伐を証明しておくの鑑定所に死体を持って行き、アルフはエリナに呼ばれたのでベルを引き連れて雑用依頼用のカウンターへと向かった。
「さて、アルフ、まずは報酬ね」
「なんのだ?」
「スカー討伐の報酬の半分とシスターから子供を助けてくれたお礼。それから、仕事よ」
金貨が差し出されるとともに、告げられる仕事という言葉。
「まさか……」
嫌な予感がひしひしとアルフを駆け巡る。
「そのまさかよ。さっきのゼグルドさんの新人指導。あなたに任せることにしたわ」
「なんでさ」
「なんでもなにも、あんた以外に良いのがいないのよ。最近は、なかなか素質が良いのが多いから、遊ばせるのはもったいないっていうのがギルドの方針なの」
「それって遠まわしに、俺は素質がないって言ってないか?」
「言ってないわ。私だったらもっとはっきり言う」
「ですよね」
それはそれで聞きたくない。このエリナにかかればドS貴族すら裸足で逃げ出すとまで言われるほどなのだ。言うなら直球以外にないだろう。
「断る権利は?」
「ないわ。これでもあなた信頼されてるのよ? 新人の育成は、重要な仕事なんだから。私も期待してるし」
「…………」
物は言いようとはこのこと。しかし、そう言われると悪い気はしない。女、それもとびっきり美人のエリナに期待していると言われれば悪い気などするはずがないだろう。
何が言いたいかというと、やる気になってしまったわけだ。何とも単純なことである。
「わかった。やるよ」
「じゃあ、頼むわね。最初は案内よろしく」
そうアルフが了承した時、奥の部屋からゼグルドがランドルフと共に出てきた。実地試験も問題はなかったのは当然ながら、どうやらギルドマスター同士の戦いも問題はなかったらしい。
エリナが介入したおかげでリーゼンベルクが火の海にならなかったとかなんとか。
なにはともあれ、冒険者証が発行される。それを渡すのは一応の担当のエリナ。
「これが冒険者証になります。我らシルドクラフトの冒険者としての身分証明になりますので肌身は出さず、見える場所に身に付けていてください」
「あ、ああ」
感慨深げにゼグルドは冒険者証を受け取り、それをまじまじと見つめる。
「本当に冒険者になったんだなぁ」
あまりしていると感嘆で咽び泣きそうなほどだ。
「はい、詳しいことはそちらのアルフに聞いてください。では、最後に――ようこそ、救いの盾シルドクラフトへ。我らギルドは、あなたを歓迎いたします」
そうエリナが締めくくるように言った。たまにしか見せない笑顔で。
「う、うむ」
案の定、ゼグルドはタジタジだ。
「じゃあ、あとはよろしく」
そう言って彼女は再び定位置に戻り頬杖を突いた。
「さて、じゃあ、俺らも出るか」
「あ、え、えっと、こ、これから宜しく頼む、不束者であるが、精進するアルフ殿」
「不束者って、まあ、いいか。とりあえず今日は、リーゼンベルクを案内してやる。しばらくは雑用依頼なんかをしてから、新人指導の旅に出るからそのつもりでいてくれ」
「お、おう、わ、わかったぞ」
こうして、中堅冒険者アルフの十一回目の新人指導が幕を開けたのであった。
改稿版プロローグ最終話になります。
次回もよろしくお願いします。
では、また次回。