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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき

 ゾンビ映画によく出てくる、過酷な世界を旅するタフな女を描いてみました。


 女が世界を旅する理由は、とても切ない恋心です。

 『有馬山~』からつながる『名にし負はば~』のさらに続編になっています。救いのない世界の、救いのない恋です。

 鋭い切れ味の葉が、どこそこで獲物を待ち構えている。

 無防備に踏み込めばあっという間に柔肌を切り裂かれてしまうであろう非情の野を、女は進む。

 交差する葉の下に見えている地面を踏みしめ、油断なく進む。少しでも気を抜けば、この野はすぐにでも女を切り刻むだろう。


 不意に、近くの茂みがごそりと揺れた。

 背の高い竹はまばらで、その中に動くものは見当たらない。しかしその下に生える茅は混み合っていて、その中までは見通せない。

 女は用心深く足を止め、辛抱強く待った。

 息を殺して待つこと数分、潜んでいたモノは鋭い葉をかき分けて姿を現した。

 その顔を見るや、女は持っていた鉈を素早く振り下ろした。

 刃は襲い来たモノの額を確実に捉え、頭がばっくりと割れて脳漿が飛び散る。その凄惨な光景にも女は眉一つ動かさず、冷静に刃の汚れを拭った。


 女は、傷一つついていなかった。

 長袖のジャケットと革で強化した長ズボンのおかげで、竹や茅の葉は彼女の肌に届かない。

 その中に潜むモノの牙も、彼女には届かない。女は冷徹で強靭で、とぎすまされた五感でもって襲い来るモノを迎撃する。

 非情の者を迎え撃つのに、情けなど必要ない。

 襲い来る者には人の情けはおろか、人の命すら宿っていないのだから。


 女の足下に伏しているモノは、人の形をしていた。

 だがその体は腐り、目は白く濁り、人の命を失ってから長い時間が経っていることを伺わせる。

 命を失っているにも関わらず、それは動いて女に襲い掛かってきた。自分が失って久しい熱い血潮とみずみずしい肉を求めて。

 それは、生ける屍、ゾンビだ。

 この非情の野には、このおぞましい敵が潜んでいるのだ。


 いや、この野だけではない。今や地上のほとんどは非情の地となり果てた。

 野山だけではない、かつては人が繁栄を謳歌していたあらゆる所は、ゾンビの狩場と化している。

 わずかに生き残った人間が作ったわずかな安全地帯を除けば、ゾンビはどこにでもいて獲物を待っている。そこを通る人間を無差別に襲い、腹に収めようとする。

 人間にどんな事情があろうとも、ゾンビはお構いなしだ。

 近くにいて、目に入ったというそれだけで、ゾンビは無慈悲に襲い来る。


 そんなどこまでも過酷な世の中を、女は一人で旅してきた。

 助けてくれる者もなく、安住の地をも飛び出して、女は孤独に各地をさすらう。

 必要最低限の物を背負い、その足で地を踏みしめて、立ち塞がるゾンビはためらいなく頭をかち割って倒す。

 驚くほどタフで、冷静で、そしてなかなかに美しい女だ。

 それほどの女ならばどこの集落でも受け入れてくれるはずなのに、なぜ一人で旅するのか。


 女には、どうしても会いたい人がいた。

 かつて弱く愛されなかった女に、初めて愛を教えてくれた男。

 女はその男に会いたいという一心で、安住の地を捨てて非情な世界に飛び出した。


 世界がどんなに冷たく過酷でも、女が臆することはない。

 女にとって、世界とは元々そういうところだから。

 かつて太っていて運動神経も鈍かった女は、世の中で冷たくあしらわれた。足手まといと煙たがられ、好奇の目で見られていじられた。

 ゾンビが世に現れてからは、一層苛烈さを増した。

 必要のない者は生きているだけで荷物になる、そんな空気が女を苛んだ。


 そんな中、とある男だけは愛をささやいてくれた。

 女は初めて注がれた愛に感激し、その男と添い遂げようと決意した。

 だが、それはできなかった。その男は女を騙しては食糧や物資を盗ませる詐欺師で、女が盗みに失敗した時点で逃げてしまったから。


 それでも、女は諦めなかった。

 盗みの罪で集落に奴隷のように扱われながらも、男への愛で心を強くして生き続けた。

 毎日ゾンビのうろつく街中で一人で物資を集める日々は、女を強く美しく変えた。脂肪が落ちた体は引き締まり、目にはいかなる困難にも折れぬ強靭な意志が宿った。

 今までとは比べ物にならない労働力となった女に、集落は罪を許す姿勢を見せたが、女はもうその男のいない集落に未練などなかった。


 自分は、外の世界で生き抜く力を得たのだ。

 ならば自分から男を探しに行って、外の世界で幸せになればいい。

 女の胸にある生きる目的は、ただ一つであった。


 それから女は、男を探して近畿地方を回っている。

 目的の男と思しき詐欺師の情報は、多くの集落で聞くことができた。だからきっとこの辺りにいる可能性が高いと信じて、女は旅を続けている。

 女が詐欺師を想っていることを知ると、他の集落の対応も冷たくなった。時にはそんな奴に宿は貸せないと追い出され、時にはその愛を捨てろと一方的に諭された。

 だが、彼女はそんなものに屈しない。

 女は元々非情な世界に生きてきたのだ、今さらこの愛を捨ててまで温かい場所で寝ようとも思わない。


 女は、いかなる困難も、他人からの非情な扱いも、目の前のゾンビのように払いのけて進んだ。

 集落を一通り回って男がいないことが分かると、そこに至る道をも探索し始めた。

 最後に現れた集落から別の集落につながる道を、安全な順に辿っていく。一かけらでもその男の痕跡がないかと、目を皿のように光らせながら。

 そうして今も、山中のまばらに竹の生えた野をさすらっているのだ。


 女は、男と再会して添い遂げるためなら何も怖くなかった。何者をも、振り払って進めた。

 そのために行動して死ぬのなら、本望だった。


 ただ、それでも振り払えないものはある。

 それは、恐れ。男はもう死んでいて、二度と会えないのではないか。

 そして、悲しみ。自分はこんなに求めているのに、男とは未だに再会できていない。

 どんなに心を強く持ち、強く生き抜いても、その根源となる目的を揺るがす暗い未来の可能性は女の心を揺さぶる。


 ふと、女は下を向いた。

 いつの間にか、下半身を覆う長ズボンがじっとりと濡れている。茅や竹の葉についた露が、ずいぶんと染みこんでしまったらしい。

 鋭い葉で傷つけられることはなくても、冷たい露は確実にしみ込んで体温を奪い、心を憂鬱にする。

 心の内から湧き上がる不安と同じだ。


 黒っぽく湿ったズボンに、新たな滴がぽたりと落ちる。

 冷たく無味な露ではなく、温かく塩辛い滴。

 それは女の体の内から湧き上がり、目にためきれずに落ちた涙。恐れと不安が心の中からあふれて、形をなしたもの。

 あれほど強く、非情な世界にも涙一つ見せない女が、次から次へと涙をこぼしているのだ。


 女の目の前に横たわるゾンビは、見知らぬ男のものだ。

 だが女はその腐って崩れかけた顔に、愛する男の顔を重ねてしまった。

 今回は違った、しかし次もそうでないと言い切れるだろうか。男は既に死んでいて、自分がその頭を割る日がいつか来るのではないか……。

 そう思うと、女は涙を止める術を持たない。


 実際、男の足跡はここ半年ほど途絶えている。

 それも他の地方につながる街道に向かったとかではない。

 男が最後に目撃されたのは、大阪近くの集落。瀬戸内の集落で悪事がばれて情報を広められてしまい、近畿に戻る途中で行方不明になっている。

 その後、そこを囲む集落に男が現れたという話はない。

 だからきっとまだこの辺りにいるのではと思って、女は探し続けているのだが……。


 しばらく声を殺して泣くと、女は涙を拭って再び歩き出した。

 悪い事ばかり考えていても仕方がない、先に進もう。

 この野にも見通しの悪い茂みがあるように、この辺りにも探していない場所はまだまだある。

 悲しみに暮れるより、少しでも足を進めて男を探そう。

 もっとも、自分が死にたい訳ではないので、あまりに見通しの悪い場所やゾンビの多すぎる場所には近づけないが……。


 だが、きっとそこには男はいないと女は思う。

 男は誰よりも自分が可愛い人間だ、そんな危険な道を通る訳がない。だから安全な道をしらみつぶしに探せば、いつか会えると信じている。

 自分は男の事をよく分かっていると思うと、心の中が温かくなる。

 だから今が辛くても、耐え忍んで足を動かそう。

 女は少し頭を振って気を取り直すと、注意深くまばらな篠原を歩きだした。


 ……女は、一つ思い違いをしていた。

 男は自分が可愛い人間ではあるが、各地で詐欺を繰り返したため周辺の人間に命を狙われるようになってしまい、人間がいる可能性のある安全な道を選べなくなっていたのだ。

 男はこの野とは別の、一面に笹が生い茂る見通しの悪い道に逃げ込んだ。そして笹の下に潜んでいたゾンビに捕まり、今も自分を襲ったゾンビと共にそこにいる。

 男の道と女の道は、きっともう二度と交わることはないのだろう。

 しかし、女にそれを知る由はなく、女は叶わぬ愛を胸に非情の世を歩き続けた。

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