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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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思ひわびさても命はあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり

 ゾンビの世界では死は簡単と思われがちですが、死にたくても死ねない場合もあります。


 生きる目的を失い、自責に死を望んでも、周囲は自殺を許しませんでした。

 死の連鎖を防ぐただそれだけのために、生き続ける老人の話です。

「大丈夫、明日もきっと生きていけるよ」

 どことなく無理のある笑顔と共に、かけられた言葉。

 きっと、儂のことを励まそうとしているのだろう。

 儂が悲しんでいるものと思って、少しでも希望を持たせようとしているのだろう。明日もその先も、生きていくための希望を。

 いつまで生きられるのかと悲しむ者に与えるには、正しい言葉だろう。


 だが悲しいかな、儂はそんな事を悩んでいるのではない。

 逆だ。儂は一体、いつまで生きねばならぬのか。

 だがそんな事を親切な相手に告げる訳にもいかず、儂は軽く頭を下げて立ち去った。


 もう死んでしまいたいと、一体何度思ったことか。

 こんなひどく過酷な世の中で、儂のような何の役にも立たない老人が生き続けることに、一体何の意味があるのか。

 だが、死ぬというのは予想以上に難しいものだ。少なくとも、今の儂にとっては。

 死が日常茶飯事になったこの恐ろしい世界で、何とぜいたくな悩みかと思うだろう。しかし今や至る所に張られているであろう死の網は、儂を捕えてくれなかった。

 あんなに死なせまいと思っていた若者たちの命は、いとも簡単に奪い去っていったというのに。


 儂には、もはや生きる楽しみはない。

 あるのは、なぜ儂が生きているのかという自責だけだ。

 儂は、守れなかった。こんな儂ですらのうのうと生き長らえるような世界で、もっと守らねばならない者たちをむざむざと死なせてしまった。


 可愛い孫たち、今でも目を閉じれば幼い笑顔が瞼の裏に浮かぶ。

 長いこと待ち続けて、周りに後れをとりながらようやく授かった孫だった。目に入れても痛くないほどに可愛がった。

 両親が仕事で出かけている間、孫たちの面倒を見るのが何よりの楽しみだった。日々の成長を眺めては喜び、まだ見ぬ将来に思いをはせていた。

 そして、何があってもこの子らを死なせまいと、固く心に誓っていた。

 儂の命に代えても、守り抜くと。

 儂は毎日目を皿のようにして孫たちを見守り、事故や病気の兆候を見逃すまいと努めてきた。

 そんな日々が、いつまでも続くものだと思い込んでいた。


 そんなある日、仕事に行っている親から異変を知らせる電話が入った。

「全国各地で暴動が起こっているらしい。

 危険だから、子供たちを外に出さないでくれ」

 儂は仰天した。今まさに、儂は孫たちを公園で遊ばせていたのだ。

 気が付けば、同じ内容のメールが既に何件も入っていた。だが、儂はどうも携帯電話というものを触り慣れず、確認していなかった。

 今まではそれで何とかなったし、今回も大丈夫だろうと思っていた。

 儂は慌てて孫たちを呼び、家に帰ることにした。


 その時、保育園児の弟の方が手から血を流して泣いているのに気づいた。

 聞けば、トイレで倒れている人がいたので覗き込んだところ、突然噛みつかれたのだという。

 さては薬物中毒者でもいたのだろうか。この辺りも治安が悪くなったものだ。儂は憤慨しながらその弟と小学生の姉を連れて帰宅した。

 途中パトカーや救急車のサイレンがやたら聞こえたことを覚えている。


 帰ってしばらくすると弟は具合が悪くなり、熱を出して寝込んだ。家にあった風邪薬を飲ませてみたが、具合は悪くなる一方だ。

 どうにもならず病院に連れて行こうと思ったが、親からの電話を思い出してやめた。

 こんな病気の子供連れで暴動に巻き込まれて、何かあったら大変だ。噛み傷から菌か何かに感染したなら、抗生物質を飲ませれば治るだろう。自分だけが行けばよい。

 そう考えた儂は弟の面倒を姉に任せ、一人街に出ようとした。


 だが、外はもう数時間前とはすっかり様変わりしていた。

 あちこちで混乱が起こり、事故で道が塞がり、おかしな目をしたけが人が道路の真ん中をふらつきながら歩いていた。

 驚いたことに、そいつは道行く他の人に噛みついたのだ。

 そしてさらに、止めようとした儂にも襲い掛かってきた。

 そいつらは何を言っても聞く耳を持たず、いくら殴りつけてもこたえず、おまけに周りから同じような奴が次々と集まってきた。

 それでも、儂は九死に一生を得た。通りすがりの自警団のようなグループが、助けてくれたから。


 それから避難所に連れられてきた儂は、恐ろしい事実を知った。

 あの目つきのおかしい連中は、既に死んでいるのに動いている。そいつらに噛まれると熱が出て死に至り、同じような起き上がりになってしまうと。

 さらに理由は分からないが、人を食うというのだ。

 にわかには信じられなかった。しかし、信じるしかなかった。避難所にいる間にも、そのような事が嫌というほど目の前で起こったのだから。


 そうして、儂はどうにか生き延びた。

 しかし、儂は儂の命などどうでも良かった。

 家の残してきた、親から託された幼い姉弟のことばかりが気にかかっていた。

 そして、外の混乱が収まってくると、儂は自警団の仲間と共に家に戻った。可愛い孫たちを、元気な姉だけでも救助するために。

 だが、そこで儂を待っていたのは、あまりに酷い現実だった。


 孫は、二人とも死んでいた。

 弟は口の辺りを血に染め、何かに殴られたように頭がひしゃげていた。姉は体にいくつも噛み傷を作り、首をつっていた。そして姉の足元に転がる、血染めの金属バット。

<ごめんなさい、おじいちゃん。

 弟はもうだめです、噛まれた私ももうだめです。せめてゾンビにならないように、私は自分で死ぬことにします>

 乱れた筆跡の、姉の置手紙。

 儂は、目の前が真っ暗になった。


 何という事か、儂は孫たちを守れなかったのだ。

 弟の身に何が起こっているか、儂には全く分かっていなかった。あの時既にインターネットには情報が出回っていたが、儂は不慣れだという理由で調べようともしなかった。

 小学生の姉は自力でそれを調べ、起き上った弟と噛まれた自分にしかるべき対処をしたのだろう。儂が、避難所でこんなのは嘘だと騒いでいる間に。


 儂は、ただひたすら己を責めるしかなかった。

 親たちにどう謝ればいいのか、言葉が見つからなかった。

 しかし、とりあえず連絡だけでもせねばと携帯電話の電源を入れたところで……儂は親たちからのメッセージに気づいた。

 自分たちは既に起き上がりに噛まれ、あるいは囲まれて閉じ込められてしまったので、どうか孫たちを頼みます……と。


 世界が、黒く塗りつぶされた。

 全ての希望が、失われた。

 子も孫も全てがこの世を去り、儂一人だけ残された。


 あれから何度死ぬことを考えたか、分からない。

 儂は生きていても何の役にも立たず、おそらくこれからもそうだろう。

 新しい時代の利器に馴染めず周りの足を引っ張り、体力も衰えてろくに仕事もできない。成長は見込めず、次の世代を残すこともできない。

 事実、儂はこの避難所でもただのごくつぶしだ。

 こんな儂に、死んで詫びる以外の何ができるというのか。


 だが、儂は未だに生きている。

 生かされているのだ。

 避難所の皆が、儂に死ぬことを許さないのだ。理由は、優しさだけではない。


 避難所の者たちは、もう周りで人に死なれたくないのだ。

 皆が誰か近しい人や大切な人を失い、悲しみに苛まれ続けている。それはきっかけがあれば一気に絶望感となって噴出し、人々を死に引きずり込むだろう。

 そのきっかけというのが、身内から自殺者が出ることなのだ。

 誰かのため、生きるために戦って死ぬのならまだいい。敵もいないのに自ら命を絶つ者が出ると、自分たちが何のために生きているのか、死んで楽になってはいけないのかと考えてしまうからだ。


 そのせいで、儂は死なないように励まされ続けている。

 明日はきっと良くなると、いつか日常に戻れると、的外れな励ましを耳にタコができるほど聞かされる。

 実際、これは儂ではなく言っている本人への暗示なのだ。

 だから儂はそれを否定せず、黙ってうなずく。


 だが、それでも次から次へと湧いてくる後悔と無念の思いは胸の内に収まらず、涙となって止めどなくあふれ出てしまう。

 いくら泣いても子や孫は戻って来ないのに、涙は壊れた水道のように流れ続ける。

 避難所の仲間も同じように涙を流して、悲しみを共有しようと寄り添ってくれることもある。だが悲しいかな、儂と若者たちでは涙の訳が違うのだ。

 儂は死にたくて、若者たちは生きたくて泣いている。共有などできるはずがない。


 それでも、儂は生きねばならぬ。

 何の役にも立たぬ儂が自殺したために、未来ある若者たちを道連れにすることだけはならぬ。そんな事になれば、それこそ死んでも償いきれぬ罪を背負うことになる。

 そのためなら涙などいくらでも流してやるぞと腹を決めて、儂は今日も生き抜いた。

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