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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし

 死に別れるカップルは一時的には悲しんでも、思い出が色あせるにつれ割り切って次に踏み出すことができます。

 しかし、片方がゾンビになってしまった場合はそうはいきません。

 ゾンビになった片割れは生きた人間の匂いを求めて、倒されない限りいつまでも何度でも生きた片割れに会いに来るのです。

 今日もそこに、あなたはいる。

 私は一言も口を利かず、あなたにも言葉はなく、ただ冷えた空気の中で顔を合わせていた。


 あなたが私に何も言ってくれなくなって、もうどのくらい経つのでしょう。

 あの日以来、あなたは私への愛をきれいさっぱり忘れてしまいました。

 私がどんなに愛していると訴えても、悲しみに暮れていても、あなたは何も答えてくれません。

 あなたの心はもう、私の下に戻っては来ないのです。

 それでも、あなたは時々こうして私に会いにやって来ます。

 それがどんなに私の心をかき乱すか、あなたは分かっているのでしょうか。


 今日も、大勢の人影の中にあなたの顔を見つけました。

 どんなにたくさんの人に紛れていても、私にはすぐ分かります。どんなに広い世界の中でもいつでも二人きりの世界を作ることが出来た、ただ一人のあなたですから。

 同じように表情のないうつろな顔をしていても、すぐ見つかります。

 毎日覚えきれない程いろいろな表情に変わって私を楽しませてくれた、あなたの顔ですから。

 その愛らしい表情の数々は、もう二度と見せてくれないけれど。


 愛を失っても、遠慮なくここに来る、あなた。

 何度もあなたを見るうちに、私からも笑顔が失われていきました。


 以前のあなたなら、私が悲しんでいるとすぐ寄り添って慰めてくれました。全てを許すような柔らかい笑みで私を包んで、いつまでも話を聞いてくれました。

 でも、今のあなたにはもうそんな優しさがありません。

 確かにあなたはそこにいて、私が話しかければいつまでもそこにいることでしょう。

 でも、あなたはもう私の話を受け止めてはくれない。ただ右から左に聞き流して、そこに佇んでいるだけ。

 私に声をかけてくれることはあっても、それは慰めではないのです。


 顔を合わせている時間だけ、苦しい時間が積み重なっていく。

 それでも私はあなたから目を逸らすことができなくて、あなたも私の気持ちを察して立ち去ってはくれなくて……。


 不意に、あなたの顔がそれた。

 かすかに地面を揺らして走っていくトラックに、あなたは釘付けになっている。

 あなたは私などここにいないかのように、一瞥すらせずに歩き始めた。周りにいるその他大勢と同じようなのろのろとした歩みで、追いつけるはずもないトラックを追っていく。

 しばらくすると、あなたの姿は見えなくなった。

 私は見えない鎖から解放されたように、体の力が抜けてその場にへたり込んだ。


 あなたといる時間が辛い。

 以前はあんなに求めあっていたあなたの顔が、見えなくなってホッとする私がいる。

 いっそこのまま二度と会わなければ、もうこんな気持ちを味わわなくて済むのに……。


 数日後、あなたはまたそこにいました。

 高いフェンスの向こうから、戻ってきたその他大勢に混じって私を見ています。

 もう顔も見たくないと思うのに、私は律儀に毎回あなたを見つけてしまいます。徐々にここに戻ってくる大勢の中に、あなたを探さずにはいられないのです。

 戻らぬ幸せな日々、いつも私の隣にいてくれたあなただから。

 理性で拒んでみても、心の底から湧き上がる感情があなたを求めてやまないのです。戻らぬと分かっていても取り戻したくて、つい見つめてしまうのです。

 そこにあるあなたの姿がどんな風に変わり果てていて、どんなに厳しく救いのない現実を突きつけてくるとしても。


 あなたは、以前のデートでは考えられない程汚れた格好をしています。きれいに整えられていた髪は乱れ、服はしみだらけでおまけに破れています。

 思い出の中のきれいなあなたは、見る影もありません。

 いつも私を映していたきれいな瞳は、白く濁ってもう何も映していません。

 私に愛をささやいてくれた口はだらしなく開いたまま、涎を垂らして私を求めています。恋人ではなく、ただ腹を満たす餌として。


 今のあなたに、私を思う心はありません。

 人が人であるための心は、全てその破れて肋骨をのぞかせている胸から零れ落ちてしまいました。

 あなたはもうあなたではなく、凶暴でおぞましいあなたの抜け殻です。


 そんなあなたを目にするたび、私は胸をかきむしりたいような後悔に襲われる。

 あなたが、どうしてそんな抜け殻になってしまったのか……あなたがあなたであった最後の日を、思い出すから。


 あの日私とあなたは、手を取り合って逃げていた。

 街には既に抜け殻になってしまった人がいっぱいで、至る所から現れて私たちを食べようと襲い掛かってきた。

 私たちはこれからも生きて愛し合いたくて、必死で逃げていた。

 でも運動が苦手な私はあなたよりずっと早く疲れてしまって、あなたと手をつないだまま私の足はもつれて……。


 転んでしまった私を、あなたは優しく助け起こしてくれた。

 私に集中していたせいで、あなたは気づかなかった。あなたの背後から掴みかかる、魂を失って腐りかけた手に。

 次の瞬間、あなたと私は引き裂かれた。あなたは冷たい抜け殻たちの手の中へ、私は通りすがりで助けてくれた温かい他人の手の中へ。

 あなたの体に抜け殻の毒牙が食い込んだ時、親切な人は私だけを抱えて走り出した。噛まれてしまったらもう助からないと、分かっているから。


 そうしてあなたと私は分かたれた。

 私はフェンスの内側、生き残った人間の中に。あなたはフェンスの外側、心を失った抜け殻の中に。


 あの日を思い出すたび、私はやり場のない恨みに身を焼かれる思いです。

 あなたが助かる道はなかったのか、あったとしたら誰が悪かったのか。

 あの時私を助けてくれた人がもうほんな少し早く来て、あなたを優先して助けてくれていれば。今ここにいる生存者の誰かが、あの時あの場にいたなら。

 そう思うたびに、私は周りの人たちを恨めしく思ってしまいます。

 そして的外れに人を恨む自分が、どんどん嫌いになります。


 そう、恨めしいのは私自身もです。

 私にもっと体力があれば、あんな所で転んだりしなかった。私があなたに迫る危険に気づいて知らせていれば、あなたはきっと助かった。

 全てが終わってしまってから後悔するしかない私に、本当に腹が立ちます。


 ああ、私はいつまでこの不毛な恨みに身を焼かなければならないのでしょうか。

 顔を合わせる事がなければ、いずれ記憶の風化とともに気持ちの整理がつくかもしれません。

 けれど、あなたは何度でも私に顔を見せに来ます。時折フェンスの外を通る人や車に気を取られていなくなることもあるけれど、すぐにここにいる餌の匂いに引かれて戻ってきます。

 あなたのその、心を失った顔を見続ける限り、私の心は救われません。

 それでも愛したあなたの顔は、私の心を放さなくて……今日も私は、あなたを見つめ続けていました。

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