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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

 人の世が嫌で、山奥に引きこもってしまった人のお話です。


 それから、動物を食べるゾンビを書いてみたかったので。

 ゾンビ映画では、たまにゾンビが人間の肉だけではなく動物の肉も食べる場合がありますよね。それでも優先順位は人間の方が上のようですが。

 道なき道を、進む。

「ここまで来れば、きっと大丈夫だろう」

 人里から遠く離れた山の中、登山道を外れ、さらに獣道を長く辿った先にある水辺。人の足跡も捨てられたゴミの一つもない、およそ人が踏み入ったことがあると思われぬ地。

 急に緊張が解けて、荷物の重さに促されるまま腰を下ろした。

 ここならきっと、人間の社会と関わらずに生きていけるような気がして、僕は少し休んだ後にテントを張り始めた。


 僕は昔から、人の社会の煩わしさが嫌いだった。

 どこにいて、何をするにも他人と関わらねば生きていけない。

 食べるにも暮らすにも金が要って、金を手に入れるためには他人のために仕事をせねばならない。

 そうではない稼ぎ方もあるにはあるが、リスクが大きい上に別の意味で他人の批判の的にされてしまう。

 引きこもろうとしても、家族との関わりが濃くて辛いものになるだけだ。

 人と関わらずに生きていくことはできないものかと、常々考えていた。


 それに決定打を与えたのが、あの人から発した災いだ。

 自分には関係ないと思っていた遠い国で起こっていたニュースが、テレビの画面を通り越して僕の身に降りかかってきた。

 何かに感染して腐りかけの死体に変貌した人間が生きた人間に噛みつき、次々と感染を広げて仲間を増やしていく。人間が、アンデッドにすり替わっていく。

 人間がいるあらゆる所は、感染を免れなかった。

 人間の手で支えていた社会のシステムは、人が人であることをやめるとあっさり崩壊した。

 そして、今まで以上に他人の顔色を伺わないと生き残れない混乱した社会が生まれた。


 このおぞましい状況に、僕は心を決めた。

 逃げよう、この人が作った世の中から。

 人が来ない、人と関わらなくていい場所に逃げて、そこで静かに生きていこう。そうすればきっと、人との関わりから発する悲しみや辛さとは無縁でいられる。

 それに人がいなければ、人から発したアンデッドもいないから、災いからも逃れられる。

 半ば投げやりのようにそう思って、僕は山に入った。


 これが何の準備もなしにであれば、無謀な現実逃避と言われたかもしれない。

 だが、僕には備えがあった。

 僕は前々から山中で一人で生きる事に憧れ、サバイバル関連の知識を蓄えてきた。それに必要なアウトドア用品も、多少は買い揃えてあった。

 向かう場所も、地図を頼りにいくつか目星をつけてあった。

 実際にやらなくても道具を持ってイメージするだけで多少は満たされるという、中途半端な逃避が結果として役に立ったのだ。


 僕は、意気揚々と山中に踏み入った。

 これでもう人の社会と関わらずにいられると思うと、荷物は重くても足取りは軽く感じた。

 背中に、自由へと飛び立つ翼が生えた気分だった。


 一人で生きるなら、もう他人の顔色を伺う必要はない。

 自分の手元にある物は全て自分のものだから、勝手に使ったとか食べたとかで怒られることはない。一人なら、物の管理を巡って疑心暗鬼にならなくていい。

 水や食糧や限られた資源のために、争わなくていい。全て自分の思うように、自分のペースで使えばいい。

 生活や作業だって誰にも文句を言われないから、それで不快になることもない。

 周りに人がいないから絆を結んでしまうこともないし、そのために悩み苦しむこともない。


 完全に、僕の望む通りの理想郷だ。

 人の世から解放されるというのは、こんなにも自由で素晴らしいことなのだ。

 僕はこれから始まるであろう理想の生活を胸に、山暮らしを開始した。


 だが、それらは甘い幻想であったと、僕はすぐ知ることになる。

 山で食糧や燃料を自給して生活するのは、そんなに甘くない。

 しかし、それは前から予想していたことだ。

 予想外だったのは、自分の思考回路が思った以上に人間社会に縛られていたことだ。問題が生じた時、物の不足に気づいた時、世の中の一般的な対処法がまず頭に浮かぶのだ。

 例えば着火用品が少なくなってきた時、まず頭に浮かぶのはコンビニだ。それから、こんな山の中からじゃ遠すぎると思い直して、地図で山小屋を探し始める。

 そして、人やアンデッドに会ったらどうしようかと考えたところで、人の世と関わらないんじゃなかったのかと自分で自分が情けなくなる。

 どんなに人の世を嫌っていても、結局それに依存していたと気付かされるのだ。


 それに、時が経つにつれ、どうしても生活は苦しくなる。

 植物性のものはともかく、動物性の食糧を手に入れるのは至難の業だ。

 サバイバル本にはそのための知識も載っていたが、実践しても獲物がかかるとは限らない。そもそも、動物の痕跡をあまりうまく見つけられない。

 やはり経験のなさは知識だけでカバーできるものではないのだ。


 そんな僕をよそに、どこかで鹿の鳴く声がした。

 そう言えば、田舎では毎日よく目撃されているはずの鹿が、この辺りでは鳴き声もあまり聞かない。

 自然の中にあるはずなのに、と考えて、僕は気づいた。

 鹿や猪のような害獣が人里によく現れるのは、そこに餌があるからだ。だから餌が限られている本当の山奥には、実は人里ほどいないのかもしれない。

 自然の一部のはずの動物でさえ人間が築いた社会から逃れられないのかと思うと、閉塞感で胸が締め付けられるようだった。


 逃げても逃げても、人の世はどこまでも追いかけてくる。

 僕の頭の中にも動物たちの生活にも、世の中の爪が深く食い込んでいる。

 人がアンデッドにすり替わって世の中が様変わりしても、その束縛の深さは変わりそうにない。

 一体どこに行けば、このうっとうしい人の世から逃れられるというのか。


 ただ、今のところ他の人間に会わずにいられるのは幸いだ。

 山に逃げてくる人間は少なくないものの、たいていは登山道からあまり離れて生活することはない。

 僕のように道なき道を行く者は、滅多にいない。

 やはり世の中に生きる人間の習性として、人の作った道から外れたくないのだろうか。

 おかげで僕は、少なくとも他の人間と顔を合わせる苦痛からは逃れられている。


 アンデッドも、山に入ってからは見ていない。

 奴らは人のいるところ、もしくはいたところにしかいないから、元から人が全くいなかったこの辺りにはいないのだろう。

 それを考えると、山に入った目的の半分くらいは満たせているのかもしれない。

 僕は少なくとも人間と、人間から発したアンデッドから自由になったのだ。


 しばらく人と会わない生活を続けるうちに、僕の心は確かに軽くなった。

 肉や魚をあまり食べられなくて体もやせて軽くなったが、生きていけない程ではない。その分無駄に動かないようにすれば、何とかやっていける。

 それよりも、頭の中から世の中の縛りが抜けていくのが嬉しかった。

 もっとも、その原因になった人間社会はアンデッドのせいでとっくに滅んでいるのかもしれないが……それももう、どうでもいいことだ。

 世の中がまだあっても、もうなくても、僕は戻らない。


 僕はこれからもここで、人と人から発した全ての苦難から解放されて生きていくのだ。

 そう思うと、仙人にでもなったような気分だった。


 そんなある日、罠の見回りをしていると、けたたましい鳴き声が聞こえた。

 鹿の、尋常でない泣き叫ぶような声とともに、激しく暴れる音が聞こえてくる。

 僕は、小躍りした。

 ようやく努力のかいあって、鹿が罠にかかったのだ。あんな大きな動物がかかったら、きっとしばらくは食うに困らないだろう。

 僕は大喜びで茂みを抜けて獣道に飛び出し……固まった。


 目の前で、鹿が血をまき散らして暴れていた。

 毛皮がところどころ破れて痛々しく肉が露出し、骨が見えているところすらある。

 そして、それに群がる人型の影……何体ものアンデッドが罠にかかった鹿を掴んで肉を引きちぎり、食べていた。

「あっ……!」

 思わず出てしまった声に、アンデッドが一斉にこちらを向いた。


 僕は、忘れていたのだ。

 アンデッドは人から発したものではあるが、もはや人ではない。ゆえに人の世の常識には縛られない。

 人は人の作った道から外れることは滅多にないが、アンデッドはその限りではない。

 道のない山の中であっても、アンデッドには関係ないのだ。

 それに、アンデッドが人に住む所にいるのは餌があるからであって、餌がなくなれば肉を求めて移動する。人間の肉がなければ、動物の肉でも求めて。

 人が来ないところでも、アンデッドへの警戒を怠るべきではなかったのだ。


 さあ、どうしよう。アンデッドはかなり多いし、僕を見つけてしまった。

 ここには人が作った建物はないし、武器も落ちていない。おまけに僕は栄養不足でめっきり体力が落ちているときた。助けてくれる他人も、もちろんいない。

 身を守る場所も戦い手段も体力を保つものも、人の世なら簡単に手に入ったのに。

 人の世から逃れるあまりアンデッドから逃れる道を失ってしまうとは、全く皮肉な話だ。

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