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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜も更けにける

 今回は少し趣を変えて、中世的な、騎士道的な視点から見た物語です。

 主に絶対の忠誠を誓う男は、この異常事態をどう捉えるのか。

 息を切らしながら、俺はひたすら走る。

 手にした刀には、すでにべっとりと血糊がついている。

 赤黒く固まった、死者の血が……。

(畜生、誰が持ち込みやがったんだ!)

 状況は変わらないと分かっていても、俺は内心毒づかずにはいられなかった。

 ここは宮中、この国の主が住まう場所なんだぞ!


 だだっ広い宮殿を、主の姿を探して走る。

 外はもう明かりなど縁のない場所も多いが、宮中は自家発電でどうにか光を保っている。

 しかし、どこかで扉が破られ窓が割られたのだろう……身を切るような冷気が足元を這うように流れてくる。

 それに混じって、吐き気を催すような……どうにも胸悪くなる臭いが漂ってくる。

 肉の腐った臭い……それをこれほど濃厚に体験したのは最近だ。

 なぜなら、宮中にはそんなものが存在してはいけないからだ。

 食材はいつも、少し傷んできた段階でメイドたちが処理する。

 しかし、この臭いの元は食材ではないから、メイドたちの管轄ではないのだろう。


 はやる胸を押さえてスピードを落とし、刀を構えて角を曲がる。

 やはり、いた。

 メイドが三人で、執事一人を貪り食っている。

 あれほど欲を丸出しにしてがつがつと食っているのに、彼女たちの目はひどくうつろで、もはや人らしい感情は残っていないように見える。

 いや、実際残っていないのだろう。


「失せろ!!」

 どうにも抑えがたい怒りをもって、俺は彼女たちの首をはねた。

 そして、食われていた執事の首もはねる。

 かわいそうなようだが、我が主を守るために必要な処置だ。

 人が食われているのを見たら、食う方と食われた方双方の首をはねる……これが鉄則だ。


 最初に暴動の知らせを聞いたとき、まず浮かんだのは怒りだった。

 この国に住まう以上、全ての民は主の恩恵を受けているはずだ。

 恐れ多くもそれに逆らうのは何事かと、俺は意気込んで現場に向かった。

 しかし現場で暴徒たちの真の姿を見て、味わったのは強烈な恐怖と嫌悪だった。

 なぜ死んだ人間が動くのか?

 そしてなぜ生きた人間が食われねばならないのか?

 しかもその理由は、今もって分からない。

 死に穢れた者たちが生者の尊い命を奪い、主の愛するこの国を踏みにじっていく……きちんと説明できるような理由もなしに!

 俺はそれに、天地が逆さになるよりひどい衝撃を受けた。


 さらに俺を打ちのめしたのは、死者に殺された者はことごとく反逆の道を歩むという事実であった。

 命を奪われたその瞬間、その者は人であった時の恩を全て忘れる。

 命の尊さも主への忠誠も全て忘れて、人を食い散らかすようになる。

 俺と共に鎮圧に向かった者も、ほぼ全てそうしてあちらについた。

 これでは鎮圧などできるはずもなく、俺はほうほうの体で逃げ戻るより他なかった。


 今や、国土のほとんどは死者のものとなった。

 無事を保っているのは、もはやこの宮殿のみ……今日の夕刻まではそうだった。

 首都にも死者が侵入し、宮殿の周りにある庁舎や庭園も踏み荒らされ、ここだけが主の領土として残されていたというのに……!!

 今はこの宮殿も、死者が優勢になりつつある。


 さらに何体か死者を斬ったところで、突如として俺の耳に放送が届いた。

「生存者の皆さん、もはや本宮の奪還は困難となりました。

 つきましては、噛まれていない方は速やかに奥の離宮に避難してください!」

 ああ、何という事だ……主の領土はまた小さくなってしまうのか!

 しかし、生きていればいつか再起を図ることもできる。

 主が生きているというならば、俺もそこに向かい、せめてそこを死守すべきなのだろう。

 俺は死が蔓延する本宮を出て、離宮に向かって走り出した。


 建物を出たとたん、刺すように冷たい空気が鼻腔に流れ込んでくる。

 走っていると、コートの上からでもじわりと熱を奪われていく。

 ふと前方に目をやると、離宮へとつながる橋が明かりを受けて白く輝いているのが見えた。

 あの橋は、元々白くなかったはずなんだが……。


 それを考えるより先に、俺はまた行く手を遮る死者を斬らねばならなかった。

 走りながら刀を振りかぶり、一人、また一人と首をはねていく。

 そして橋のすぐ側にいた奴を切り捨てた直後、端に踏み込んだ片足が前方に滑り出し、天地がひっくり返った。

 次の瞬間、俺は頭の後ろから地面にたたきつけられていた。


 ……何が起こった?

 痺れるような痛みにもうろうとする頭で考えているうちに、投げ出された手に冷たい水が触れた。

 手と地面の間でじわりと溶けて流れ出すこれは……霜だ。

 橋に霜がびっしりと降りていて、俺はそれに足をとられたのだ。


 普段の俺ならばこんな無様はしないはず……と思って、俺はふと気づいた。

 橋にこんなに霜が降りているということは、今はもう早朝といってもいいくらいの時刻だろう。

 そして、死者が本宮に現れたのは日が落ちてすぐだ。

 つまり、俺はあれから少なくとも6時間以上、不休で戦い続けているのだ。疲労もたまるはずだ、時を忘れていても体は実に正直だ。


 それでもどうにか体を動かそうとして、俺は鋭い痛みに気付いて顔をしかめた。

 何とか頭をもたげて見ると、今まで散々死者を斬ってきた愛用の刀が、己の脇腹に刺さっていた。

 傷口から流れ出る血が、橋を赤く汚していく。


 ああ、大切な橋が汚れてしまう!

 この橋が霜をまとって白く輝くのが美しいと、主の愛する妃が言っていたではないか。

 早く、どかなければ……しかし体に力が入らない。

 それ以前に、自分はもう死者の血を体に入れてしまったのだ。

 己が死者となる前に、せめて刀で脳幹を突かなければ……それでも体は動かない。

 操り人形の糸が切れたように、弛緩したまま動かない。


 ああ、主よ、ふがいない俺をどうかお許しにならないでください。

 そしてどうか、再びまみえた時は迷わず俺を斬首に処してください。

 貴方の愛する方お気に入りの橋を汚した罪で。

 偉大なる貴方の恩を忘れ、死の穢れに染まった罪で。

 もはやこの俺にできることは、この首をもって償う他ありません。


 霜に覆われた橋に温かい涙が伝い、霜を溶かして流れていく。

 しかし、それもほんの少しの間だ。

 いずれ俺が死んで体温を失えば、そこは流れの跡だけを残して凍りつくだろう。

 しかし、俺の流した血は霜では隠し切れない。

 いつか主が再び宮殿を取り戻した時に、きれいに掃除をしてもらうしかない。

 お手をおかけします、主よ……。

 ゆらゆらと近寄ってくる死者の影を尻目に、俺の意識は真っ暗な闇にのまれていった。


 死に落ちる刹那、最後に彼の耳に届いたのは、離宮のガラスが割れる音だった。

 それが何を意味するのか分からなくなっていたことは、彼にとって幸いであった。


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